6-2
「松代さんはわたしに付いてくる?」
宿の前で、わたしはこの場に残った残った松代さんへと質問をする。
松代さんが今現在抱えている記憶の葛藤、私はそれに答えを示すことができる。
松代さんはどう判断するだろうか。
ついてこなくても構わない。
むしろ、そのほうがわたしとしても動きやすい。
「……どこに行くのでしょうか」
「もちろん第二の現場までよ」
「ぜひ、お願いします。小生は何が起こっているのかをこの目で確かめたい」
松代さんはついてくる判断を下した。
それもいい。
もしかしたら最後にはすべてを忘れてしまうかもしれないけれど、それもまた松代さんの人生だろう。
「それじゃあ向かいましょうか」
「どこへでしょう」
「もちろん、教会よ」
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「本当にこんな場所に教会が?」
「ええ、そうよ。松代さんは昨日も来てるんだけど、やっぱり覚えていないのね」
麓の集落を抜け、山道へと入っていく。
この辺りが松代さんの言う、なぜか聞き込みをしようとしていた場所だ。
もちろん理由はちゃんとわかっている。
「昨日、松代さんはわたしたちと一緒にこの山を登ったのよ。そして、そこで古びた教会を見つけたわ」
「ではそこが……」
「そう。その教会の中で、わたしたちは倒れている子たちを見つけたの」
松代さんに怒ってきた上司の娘もそこにいたはずだ。
それなのに全てを忘れて松代さんを叱るだなんてね。
しょうがないこととはいえ、少しだけ松代さんが可哀想に思えてくる。
ほんの少しだけ。
わたしたちはすぐに教会まで辿り着いた。
舗装はされていないけれど道はしっかりと踏み締められていたし、そもそも昨日も歩いた道だ。
「……今日も誰かが訪れたのでしょうか」
ボロボロの見た目なのは変わらない。
所々でレンガは崩れ、永らく整備されていないのが見て取れる。
その教会の扉が少しだけ開いていた。
もちろんただ立て付けが悪いというだけかもしれないが、嫌な予感が頭をよぎる。
別に人影を見たというわけではない。
ただ感じるのだ。
少しだけ開いた扉の向こうから、もう動かない人の形を。
「覚悟したほうがいいかもしれないわね」
「それは……」
「当然、死体を見ることによ」
ぎょっとした表情を浮かべる松代さん。
二日続けて教会で遺体を見つけるだなんて、確かに驚くべきことだ。
扉を開いて、薄暗い教会の中へと足を踏み入れた。
思っていたとおりに、石像の周辺に祈るようにして倒れている遺体の数々。
そしてその石像の目の前。
膝立ちの格好で、祈るような格好で、そして私の目の前で倒れていく千代の姿を見た。
「千代っ!!」
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次々と人が倒れていった。
クラスメイトも、そして見知らぬの女の子も。
千代はいつの間にか何も考えられなくなっており、みんなと一緒に導かれるままに教会までやってきて、そしてそこで女の子たちは倒れていった。
千代の目の前で。
石像そっくりな天使は次々と女の子に触れていく。
ほんのちょっと触れただけで、それどころか触れる直前ぐらいまで手を伸ばしただけなのに、それで女の子は倒れてしまう。
それはここに集まった、千代を除く全員が望んだことだ。
生まれ変わりたいと望んだ女の子たち、そして生まれ変わらせてくれる純白の天使。
ただ、それは成功しなかった。
また一人、また一人と女の子は倒れていく。
倒れた子はピクリとも動かない。
小さな胸の鼓動すら見られない。
ついには千代以外の全員が動かなくなった。
──次は私の番?
倒れていく子たちを見てもなんら動揺しないのが千代は不思議だった。
普段ならば目の前で倒れた女の子に駆けよるところなのに、身動きひとつ取ろうとしない。
ただ、自分の番が来るのを待つだけだ。
天使が千代へと手を伸ばしてくる。
千代は近付く腕を虚ろな瞳で眺めていた。
千代が聞き取れない声で、天使は小さく囁いた。
千代の瞳には開かれた天使の手の平しか映らない。
そして──。
──名前を呼ばれた気がした。
千代は温もりを感じた。
日差しではない。
気温が高いわけでもなく、これは人の腕に抱かれた時の温もりだ。
いつの間にか千代の身体は冷えきっており、身動きひとつ取れない状態になっていた。
そんな千代の身体の奥深くへと、温かいものが口から浸透してくる。
それは瞬く間に全身へと駆け巡り、千代はなんとか閉じていた瞳を開くことが出来た。
視点の定まらないぼやけた景色を、千代は薄く開いた瞳で見つめた。
おぼろげな視界の中、誰かが目の前にいるということだけはわかった。
それが誰なのかまではわからない。
ただ、綺麗な金色の髪の毛だけはわかった。
千代は頭を抱えられていた。
千代の目の前にいた女性──アリナの顔は千代のすぐ目の前にあった。
それこそ輪郭全体が見えないほど近くにだ。
千代は口を塞がれており、ほんの少しだけ苦しかった。
思わず口の中に溜まった唾液を飲み込むと、ほとんど力の入らなくなっていた身体が少しだけ動くようになっていた。
千代の手は目の前のアリナの服を弱々しく掴む。
──あなたは誰?
しかし声は出なかった。
「落ち着いて。何も怖いことはないわ。ただ、もう少しだけこのままで……」
一瞬だけ離れた頭が再び千代と触れるまで近づく。
甘い香りがいっぱいに広がってくる。
それだけで少しずつ、少しずつ千代は正気を取り戻していった。
アリナが離れたのはたっぷり数分は経ってからだった。
「んっ……もう大丈夫みたいね。あとはゆっくりと休んでいるといいわ」
千代の様子に安心したアリナは、その細腕では信じられないぐらいに軽々と千代を抱え上げた。
そのままボロボロの長椅子へと千代を座らせる。
椅子に座りアリナが離れたことで、千代はやっと今の状況を理解できた。
何も考えることの出来なかった頭は、いつの間にか冷静さを取り戻していた。
目の前にはアリナがいる。
千代とは昨日知り合ったばかりのはずだ。
まさか会いに来てくれたのかと、少しだけ千代の鼓動が高鳴る。
千代を見つめているアリナの背後には天使がいる。
見た目こそは天使だが、その所業はそれこそ悪魔こそがふさわしい。
なにせこの惨状は天使が招いたことなのだ。
千代は倒れている女の子たちを見つめた。
そこには千代が探していたはずの西館文子の姿もある。
もちろん動く様子はない。
そんな彼女の姿を捉え、千代は静かに涙した。
「千代。今は何も考えないで。この出来事は夢みたいなものよ。あなたは巻き込まれただけで、悪いことなんて何もしてないの。あとは全てわたしに任せてちょうだい」
未だ心の整理がつかない千代から目を離し、アリナは天使と向かい合った。
天使は身じろぎ一つぜず、じっとアリナを見つめている。
「まさか教会に潜んでいたなんてね。昨日は全く気付かなかったわ」
棘のある言葉をぶつけても、天使はなんの反応も返さない。
天使はアリナを見つめているが、焦点はどこか定まっていない。
「もしかして、あなた……」
「……」
天使が小さな声で何かを囁いた。
千代には全く聞こえなかったが、それでもアリナは聞き取れたようだった。
「そう……あなた、まだ生まれてもいなかったのね」
天使とほんの少し対峙しただけなのに、アリナはすべてが分かったような反応をする。
千代には何もわからない。
天使という存在自体も未だに理解できなければ、アリナが何をしようとしているのかさえもわからない。
「あなたの生みの親はあなたが生まれるずっと前に居なくなっているの。そんなことにもわからないなんて……いえ、だからなのかしらね」
千代の姿をぼんやりと見つめる。
「あなたは理解してたのかしらね。あなたの親はもう居ないって分かっていたからこそ、こんなことをしたのかしら」
この惨劇。
倒れている、亡くなっている女の子たち。
一歩間違えると千代もその仲間に入っていた。
本当に危なかったところを、アリナが救い出してくれたのだ。
その天使は相変わらずだ。
何も発せず、ただ目の前の人間へと腕を差し向けるだけだ。
今もアリナに向かって手の平を向けている。
「言葉も通じないなら……申し訳ないけれと、対処させてもらうわ。どうやらあなたのほうが先にこの街にいたようだし、消すようなことはしないけれどね」
アリナはぱしんと伸ばされていた天使の手をはたいた。
触れてしまうだけで死んでしまうはずなのに、アリナにはまったく影響はないようだった。
アリナは天使に両手を向けて、そして何事かをつぶやき始める。
『ひとりは寂しいよ
そうあなたは呟いて
ひとりは寂しいわ
そうわたしも応えた
あなたは寄る辺を失って
わたしは手足を失った
あなたとわたしはすぐそばにいた
ほら
なにも考える必要は無い
あなたは縛り付けられたくて
わたしはあなたを縛り付けたい
──茨の拘束』
天使の足元から茨が溢れ出てくる。
それは天使の身体へと絡みつき、天使は身動きがとれなくなっていく。
茨の棘が天使の身体へと刺さっていく。
見ているだけでとても痛そうだったが、天使の表情は変わらない。
茨が全て出きった後、天使はその身体の半分以上が覆われていた。
虚ろな瞳はアリナをじっと見つめている。
「今はわたしの中で眠りなさい。大丈夫よ、またすぐに起こしてあげるから」
アリナが一歩踏み出して、その茨の塊を抱きしめる。
すると、茨も、その中の天使も、ゆっくりとアリナの中へと溶けこんでいった。
「あなたは、もうどこにも居ない……」
全てがアリナの中に入ってしまう直前。
千代は初めて天使の声を聞いた気がした。
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「遅れてごめんなさい。本当なら千代さんのお友達も助けたかったのだけれど、あなたを助けるだけでいっぱいだったの」
「なんとなくだけどわかります。私も天使に触れられましたから。アリナさんが来てくれなければ私も皆さんと同じくすでに命はなかったのでしょう」
全てが収まったあとで、わたしは千代と向かい合う。
ここにあった遺体はもう跡形もなく消えている。
わたしが天使をこの身体の中に取り込むときに、遺体も一緒に消してしまった。
もうここは何も起こらない、何も起きていないただの教会なのだ。
「詳しいことはわたしもあまり分かっていないのだけれど、少なくともこれからは教会に近付いても問題ないし、今日のように人が死ぬことはなくなると思うわ」
「そうですか……」
千代には隠さずに全てを伝えた。
この事件に関わった人は記憶を失ってしまうこと、わたしと千代だけは記憶を失わないこと。
そのために、千代のこと自体が忘れ去られてしまう可能性があることを。
「ごめんなさい。あなたの人生を狂わせてしまったわ」
わたしは千代に頭を下げた。
わたしが教会にたどり着いた時、千代は既に手遅れだった。
千代はもう天使に触れられたあとで、身体はともかく千代の中身は半分以上消えていたのだ。
本来ならば千代を見捨てるのが正しい行動だったのだと思う。
けれどわたしにその手段はとれなかった。
「他の人はすべてを忘れてしまうけれど、千代さんだけは例外よ。あなたはわたしが蘇らせたから、もう記憶を失うことはないわ」
「蘇らせたというのは……」
「もうわかっていると思うけれど、わたしもただの人ではないの。さっきの天使とは言わないけれど、まあ人よりはそっちのほうに近い存在よ」
朦朧とした意識の中でも、千代はしっかりと見ていたはずだ。
茨に囚われた天使を、そしてわたしの身体の中に入っていく様子を。
今の千代には、理解するだけでも難しいことかもしれない。
でも時間はたっぷりとある。
ゆっくりとわたしのことを理解してもらおうと思う。
「あとは、この人もなんとかしないとね」
教会の前では男性が倒れていた。
わたしと一緒に教会までやってきた松代さんだ。
残念ながら、彼は教会に突入する直前に意識を失ってしまった。
きっと目を覚ました時にはすべてを忘れてしまっているのだろう。
「……面倒ね」
「アリナさん、さすがに放置はどうかと思いますよ」
「……わかってるわ。別に何も言ってないじゃない」
口に出たかもしれないけれど、決して本心ではないのだ。
松代さんはわたしが教会に足を向けるのに一役買ったのだし、間接的には千代の恩人ともいえる。
混乱しない程度には話をしてあげようと思っている。
「せめて起きるまでは待ってあげましょう。……早く起きてくれるといいんですけれどね」
「そうね……」
松代さんは然程の時間も要せずに目を覚ますと思う。
多分今は眠りながら記憶の整理をしているのだろう。
松代さんが目覚めたら何を話そうか。
千代とは初対面のはずだし、わたしが何か話さなければならない。
「千代さん。体調が気になるようだったらいつでも言って。あまり慣れていないことをしたから、わたしも少し不安なの」
「ありがとうございます。けれど大丈夫ですよ。なんだか普段よりも元気なぐらいですから」
それよりも、と千代は続ける。
「どうか、わたくしのことは千代、と呼んでください。アリナさんがわたくしを助けてくれた時、そしてわたくしの名前を読んでくれた時。わたくしはとても嬉しかったのですから」




