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闇姫ハーモナイズ  作者: ざっくん
第2部 孤独な姫君
26/56

6-1 惹かれた先に

『ここはとても寒く

 いつも凍えてしまいそう

 この身はいつも風にさらされて

 けれどあなたは現れない

 この場に生を受けてから

 わたしはあなたを見たことがない

 あなたはわたしををどうしたいの?

 わたしはここでどうしたらいいの?

 その問いかけすら誰にもできない

 ここはとても寒く

 いつまでも孤独には耐えられない

 ならばあなたに出会いましょう

 目の前にはあなたはいないけれど

 でも別のあなたは目の前にいる

 あなたがあなたになればいい

 ──蘇って(ライフトゥライフ)



------



 ゾクリとした気配がして、思わず布団を蹴飛ばした。


「何? いきなりどうしたの?」


 同じ布団で横になっていた、一糸まとわぬ姿の山浦京子(やまうら きょうこ)が問いただしてきた。


 怠惰な日常は、なるほど素晴らしいと言わざるを得ないだろう。

 特に予定のない本日、わたしのやる気のない説得に応じてくれた京子と一緒にごろごろと過ごしていた。

 説得したのは昨夜のことで、ごろごろはそれからはずっと続けていることだけれど。

 個人的な食事にはまだまだ余裕はあったけれど、食べられるものは食べるのがわたしの主義だ。


 日常ならざる気配が一瞬街を覆ったのは、そんな昼下がりだった。


「……出かけましょうか」


「いいの? 今日は一日中こうしていたいって言ってたじゃない」


「気が変わったの。京子も出掛けたいと言ってたからいいじゃない」


「そうだけどさ……アリナは勝手だね」


 そう言いつつも、脱ぎ散らかしたままだった服を身に付けていく京子。

 こういう素直な子は貴重だと思う。


「それで、どこにいくの?」


「さあ……とりあえずは外に出ましょうか」


 京子は「これだから……」なんて言いつつもきちんと従ってくれた。

 わたしでもおかしいことだとは思うのだが、外の様子が気になるのだから仕方がない。


「あら、やっと出掛けるのね」


「あ、お母さん。……出掛けるのかな? よくわかんない」


「まったく……。アリナさん、この子のことよろしくお願いしますね」


「ちょっと、お母さん! わたしがお世話する方なんだからね」


 京子の母親は京子とも仲がいいようで、会えばこうして冗談を言っている。


「ふふっ。京子がフラフラしないようにしっかり見張っておくわ」


「もうっ、アリナまで! ほら、さっさと外に出るからね」


 少々冗談が過ぎたみたいだ。

 京子この母親に挨拶をしてから、わたしも京子の後を追って外へと向かう。



 外は今日も変わらず暑かった。

 その場にとどまっているだけで、日差しは肌を焼き汗が吹き出てくる。


「それで、今日はどこに行くの?」


「そうね……どこに行けばいいかしら」


「アリナ……」


 私の返事に京子は咎めるような視線を送ってきた。

 わたしから出かけたいと言ったのに、特に動こうともしないのだ。

 その反応は当然だった。


 わたしは宿の前で周囲を見渡していく。

 何か変わったことはないかと見回してみる。

 しかし特にこれといった、昨日と違った様子は見受けられない。

 あのゾクリとした気配はわたしの勘違いだったのだろうか。

 さっきまで布団に入っていたし、寝ぼけていたのだろうか。


 なんて、もちろんそんなことはあり得ない。

 わたしはそこまでボケていない。

 常に旅を続けていたわたしに油断なんてあり得ないのだ。


「あれ……松代さんじゃない?」


 わたしたちがいる宿の前に近付いてくる人物がいた。

 京子が気付いたその人は、なぜか今日は私服姿の松代さんだった。

 今は交番に出向だとかで、普段ならこの時間は制服を身に着けているはずなのだけれども。


「なんだか様子がおかしいね」


 その松代さんだけど、下を向いて歩いていた。

 歩みも普段よりもゆっくりのようだ。

 落ち込んでいるようにも見える。

 仕事で失敗でもしたのだろうか。


「松代さん。どうかしたんですか」


「ああ、山浦さん。それにアリナさんも」


「どうかしたの? 調子が悪いように見えるわ」


 問いただすと、松代さんはぽつりぽつりと語りだした。


 簡単に言うと上司を怒らせてしまい、今日はもう帰れと言われてしまったのだそうだ。

 まったく、帰れと言われて素直に帰ってはダメではないか。

 それにその上司も上司だ。

 松代さんは新人なんだし、一度や二度の失敗ぐらいは当たり前ではないか。

 そこはおおらかな態度で、同じ間違いはするなよと正してあげるべきなのに。


「大人は大変だよね」


 そういう京子は宿を手伝っているし、もう働いているようなものではないだろうか。

 家族経営だから松代さんとはまた違うのだろうけど、同年代の子よりはよほど大人に近いと思う。


「まったく……、それで松代さんは一体どんな間違いをしたの。どうせだから聞いてあげるわ」


 結局この宿の前から見える街の様子に異常は見当たらない。

 松代さんも話を聞いてほしそうにしているし、これもちょうどいいと思う。


「……記憶が、おかしいんです」


 松代さんの話は、決して支離滅裂なものではなかった。


「小生は本日捜査資料をまとめていました。最近続いていた失踪事件について、進展があったからです。第一の事件はとある民家でした。そこには失踪していた少女たちの遺体があったのです」


 ……それは、つい最近聞いた話だった。

 最近というか、昨日の話。

 昨日気分が悪くなった京子のことが気になってこっそりと様子をうかがうが、意外なことに落ち着いている。


「それはいいのです。その部分についてはしっかりまとめられていると褒められましたから。でも……」


「でも?」


「問題は第二の事件でした。いえ、第二の事件は起きていませんでした。それなのに、小生の中では事件が起きたことになっていて、第二の事件として資料をまとめていたのです。その部分を見た上司は怒りました。起こってもいない事件をまとめるとは何事だと。先輩たちには心配されました。この暑さで頭がやられてしまったのではないかと。でも小生は……」


 それも、昨日の話。


「昨日、事件はたしかに起こったはずなのです。小生は確かに倒れている少女たちを見つけたはずなのです。けれど誰も覚えていませんでした。小生も思い出そうとしても、少女たちの顔は思い出せません。場所すらはっきりとしません。でも確かに小生の中では事件は起こったはずなのです」


 わたしたちが向かった先で起きた出来事。


「小生は一体どうしてしまったのでしょうか……」


 けれど松代さんの記憶は曖昧。

 大事なことなのに、忘れてしまっているみたい。


「……なんか、不思議だね」


「不思議?」


 松代さんがどうして忘れているのかは分からない。

 けれど京子も一緒に見たはずだ。

 倒れていた少女たちをわたしはしっかりと覚えている。

 後にやってきた松代さんの上司が泣いていたのも覚えている。

 無事に見つかってよかったね。

 京子の言葉も覚えている。


 けれど京子の口から出たのは信じられない言葉だった。


「松代さんって、昨日はわたしたちと一緒にいたじゃない? 街をブラブラしてただけなのに、一体どこで事件が起きたんだろうね」


「京子、あなた……」


「なに?」


 京子におかしな様子は見られないが、しかし京子は何も覚えていないようだ。

 わたしが教会が気になると言ったことも、実際に山を登ったことも。

 昨日の出来事の大半を、松代さん以上に京子は記憶から忘れてしまっているようだった。


 第二の事件。

 山の中腹の教会で見つかった少女たち。

 わたしたちが助けた被害者。

 その事実を、松代さんはその記憶の大半を、京子はその全てを忘れていた。



「今日、なにか変わったことが起きなかったかしら」


 記憶喪失が一人いても心配するだけだが、それが二人となると話は別だ。

 普通ではない何かがあったのでは、そう思うのが当然だ。


 そしてその何かとは、先ほど布団の中で感じた気配に間違いないのだろう。

 街を一瞬だけ覆い尽くした不穏な気配。

 そして失われた記憶。

 関連付けないほうがどうかしている。


 少なくともわたしの中では何かが起きていると結論づけた。

 わたしたち──夜の住人のわたしにとって認識をずらすことは常識ですらある。

 これほど無差別に大規模なことは初めて経験するのだが、それでも同種のものだと思う。


「小生は……」


「松代さんは別にいいわ」


 なんだか落ち込んでいるけれど、どうせ先ほど聞いた話になるのだと思うし。


「変わったこと……アリナの趣味かな」


 それは昨夜から続いていた出来事であって、決して今日の話ではない。

 松代さんも微妙に気にしている様子だが、そんなのは当然無視だ。


「そうじゃなくて……今日のお昼を過ぎたあたりに、なにか変なことはなかったかしら? 空気が変だったとか、そういうことよ」


「それってアリナがいきなり出かけるって言い出した時? わたしはいきなりでびっくりしたぐらいかなあ」


「その時間は、ちょうど先輩たちが署まで戻ってきた時でしょうか。……そうですね、小生も特には」


 ふたりとも特に何も感じていないようだ。

 ……違うかな。

 何かを感じたうえで、それすらも忘れているのかもしれない。

 そもそも松代さんの話では、先輩たちが戻ってきた事自体がおかしなことのはずなのに、今ではおかしいとも思えていないようだ。

 忘れている……今もまだ忘れ続けているのかもしれなかった。


「そう……それじゃああそこに何が見える?」


 記憶といえば、みんなが最初から気付いていなかったものがある。

 ここから見える山を指差す。

 そこには確かに、わたしたちが昨日訪れた教会が見える。


「……ただの山だよ?」


「……何かありましたか?」


 ……いつからなのだろうか。

 あの教会はいつからこの街にあって、いつからこの街の住人の記憶を操っていたのだろう。

 あの教会は普通ではない。

 麓の住人の愛想が悪かったのもあるいは関係有るのかもしれない。


 教会に近付いたから忘れてしまったのだろうか。

 京子も、松代さんも、それに警官の方たちも。

 全員が教会まで一度は行ったはずだ。


 それだけじゃない。

 布団の中で感じた変な気配、変な波動。

 今思うとあれはもっともっと遠くまで、この街すべてを覆ってもまだ余裕がありそうだった。

 この街に住む全ての人が同じ影響下にあると考えていいだろう。


 もちろん、教会に関連することだけを忘れさせるのだ。

 その証拠に、民家の事件については実際にあったものとして扱われている。


 ……そうなると、この事件と教会は無関係なのだろうか。

 それを調べるためにも、もう一度教会へ行こうと思った。


「散歩してくるわ。悪いけど京子は家に戻っててくれないかしら?」


「なんで? せっかく外に出たんだしわたしも行くよ?」


「……松代さんとデートなのよ」


 教会に京子を連れて行くのは危ないだろう。

 そう思って京子がついてこないような嘘をつくが、その内容は自分でもどうかと思う。

 それなのに、意外なことに京子は信じてしまった。


「ちょっとちょっと」


 手招きされて少しだけ松代さんから離れる。


「別に邪魔するわけじゃないけどさ、松代さんはどうかと思うよ?」


 また失礼な話だ。


 京子が信じたわけは簡単に思いつく。

 落ち込んだ松代さんが、自宅に戻らずに宿までわざわざ訪れた。

 京子は松代さんが自分に会いに来たとは思わない。

 京子は松代さんに行為を持っていないからだ。

 つまり、わたしに慰めてもらいに来たのだと。


 ……まったく、私だって別に興味はないのだけれど。


「ほら、もういいでしょう」


「そういうことならしょうがないか。戻ったら詳しく教えてね」


「はいはい、戻ったらね」


 果たして、わたしは再び宿へと戻ってくるのだろうか。

 これからまた教会へと近づくのだ。


 わたしは教会のことを忘れない、忘れていない。

 けれどわたし以外は教会のことを忘れてしまう。

 じゃあわたしのことはどうなるのだろうか。


 わたしが教会のことを伝えてもすぐに忘れてしまう?

 それはそれで効率が悪い。

 それならばいっそ、わたしの存在自体も教会と同じように忘れてしまえばいい。

 それが当然だし、自然だと思う。


 もしかしたら、京子とはこれでお別れかもしれない。

 それもいいだろう。

 京子とは昨夜から十二分にスキンシップをとった。

 少なくとも惜しくはない。


「それじゃ松代さんもまたね」


 京子は勘違いしたまま宿へと戻っていった。

 これから両親の手伝いでもするのだろう。


 それじゃああとは松代さんだ。


「さて……松代さん。あなたの記憶が正しかったと証明できるかもしれないけれど、わたしに付いてくる?」


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