4-3
人ごみに紛れた彼女の姿に気付いたのは本当に偶然だったのだ。
昼を過ぎてからも里霧千代のあてどない徘徊は続いていた。
先程刑事から話を伺い、千代の友人である西舘文子がその民家で亡くなっていないということは分かった。
しかし、それは文子の安全を意味するものではないということも、千代には分かっていた。
聞けばその場にはろうそくの燃えかすがあったという。
その話を聞いて思い出したのは占いのことだった。
──その占いはね、ただじっと燃え尽きるろうそくを眺めるだけでいいの。
文子は千代にそう言った。
つまりはあの場で、占いをしていたのではないだろうか。
連続して起こっているらしい少女の失踪事件。
そして見つかった遺体。
残されたろうそくの燃えかす。
根拠はどこにもないのだが、それらは全て占いを発端としているのではないか。
千代にはそう思えてならなかった。
その事を警官には伝えていない。
あまりにも骨董無形で、捜査の邪魔にしかならないからだ。
例え彼女達があの場で占いをしていたとして、それがどうして遺体になるのか。
千代にはまるで説明がつかなかった。
「あなたは何をしているの……」
それは文子に対する言葉だったのか。
それとも自分に対するものか。
千代は街をさまよい続けるのだ。
そして千代は彼女を見かけた。
ふらふらとした足取りで、しかし目的地だけはハッキリとしているような行動に見えた。
人混みの中でいっそ異様な足取りで、周りの人が気にも止めていないのが不思議なぐらいだった。
(たしか彼女は……)
今まで関わりはなかったが、どこかで見たことのある容姿だった。
それは、文子が最近仲良くしていた子の友達ではなかっただろうか。
直接文子と仲良くしていたわけではない、しかし占いはしていたはず……。
「あの、どうかしましたか?」
その少女へと千代は声をかける。
それはあまりにも様子がおかしかったからだが、文子のことを何か知っているのではという望みをかけたものでもあった。
ただしそれは千代にとって予想外の成り行きを見せる。
「……」
彼女は千代に気付かないようだった。
彼女は千代を無視してどこかへと進んでいく。
「あの……」
そこでやっと気づいた。
彼女がおかしいのは、その足取りだけではなかったのだ。
「教会へ……行かなければ……」
千代が話しかける前から、彼女の口は小さく動いていた。
千代はそれに気付かず話しかけた。
答えを得られなくてから、やっと彼女が何事かを呟いているのに気付いたのだ。
(教会……?)
もちろん千代も教会という名称は聞いたことがある。
ただし、この街にはなかったはずだ。
少なくとも千代は教会があるという話を聞いたことがない。
戸惑う千代をよそに彼女は歩みを続けていく。
まるでその向かう先に教会があるかのように。
これ以上彼女に声をかけるのは憚られ、とはいえ放っておくには少々様子がおかしいため、千代はとりあえず彼女のあとをついていくことにした。
もしかしたら、彼女の行き先に文子がいるかもしれないと期待しながら。
それにしても彼女はいったいどうしたのだろうか。
フラフラと体が揺れているのは夏バテだからだろうか。
けれども足取りだけはしっかりとしている。
教会と言っていたが、実際にどこを目指しているのかは分からない。
しかしどこかを目指しているのは確実なようだった。
彼女は人混みの中をすり抜けるように歩いていく。
あんなにフラフラなのに、誰ともぶつからないのがいっそ不思議だ。
それどころか、周りの人たちは彼女に気付いてすらいないようだった。
(いったい何が……)
彼女を追いかけながら、千代は言いようのない不安を覚えてきた。
彼女はどこに向かっているのか。
周りの人はどうして彼女に気が付かないのか。
しかし千代は彼女から目を逸らせない。
繁華街を離れてきた。
街の中心からも見える、山の麓へと向かっているようだった。
いつしか彼女の周りには、同じように朦朧としながら歩く少女達が合流していた。
その中には千代が探していた友人の、文子の姿もあった。
しかし千代は文子に声をかけることはない。
それどころか気付きもしない。
なぜなら千代もまたその少女たちの一員となっていたのだから。
少女たちは歩みを止めない。
ふらふらとした集団が街を抜けていく。
周囲の誰もが気付かない。
この辺りは再開発から取り残された地域だった。
昔は街の中心だったのだが、気付けば気難しい人たちが住んでいる場所という認識になった区画だった。
千代もまた両親からそう教えられていた。
できる限り、近付かないほうがいいと。
そんな区画を千代は少女たちと一緒に歩いていく。
その行動を咎めるものはいない。
まだ日が沈むには早い時間だったが、そこには人通りがまったくなかった。
「教会に……教会に行かなきゃ……」
「教会でわたしは生まれ変わるの……」
「さあ、祈りましょう……」
それぞれは小さな声で呟き続ける。
足元の道がぬかるんでいてもお構い無しだ。
山道を登るとそこはもう教会だった。
山の中腹に位置する教会。
昨日この教会では遺体が見つかったはずだったが、同じく遺体の見つかった民家と違い、この教会の周囲にはなにもない。
立っている警官もいなければ、現場が保全されているわけでもない。
少女たちは躊躇わずにその中へと入っていく。
教会の中は綺麗なものだった。
数少ない長椅子は綺麗に並んでおり、ステンドグラスこそ割れているがその破片はどこにもない。
中心に位置する天使を模した像はいっそ輝いて見えた。
少女たちはその天使を取り囲むように膝をつく。
両手を胸の前で組み、まさに祈ろうとしている格好だ。
すると中央の像が仄かに光輝き始める。
薄暗い教会の中、天使の身体はまるで生きているかのような温もりをまとい始める。
──受肉。
朦朧とした意識の中、そんな言葉が不意に浮かんできた。
いつしか、目の前の天使の像には色がついていた。
色がついただけではなく、その下には血が通っているようだった。
純白の翼が一度だけ羽ばたいた。
『あなたはどこにいったの……』
天使が口を開くが、声は漏れていない。
しかしこの場にいる全員が確かに天使の声を聞いた。
『あなたはそこにいるの……』
天使が目の前にいた千代ではない少女へと片腕を伸ばす。
少女は目を閉じて伏せ、伸ばされた腕を受け入れる。
少女の目の前で開かれる手の平。
ただそれだけだ。
それだけなのに、少女の身体からは力が抜け、その場に祈る姿勢のままに倒れ込むのだ。
千代はその光景を霞のかかった意識の中で見ていた。
その少女は千代が始めに見つけた彼女だった。
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その日の松代は署内で資料の整理に追われていた。
今までの被害者の身元確認、あげられてくる聞き込みの結果を精査、それらの判別に時間を費やしていた。
今までの遺体は全て身元が判明している。
その全てが行方不明として処理されていた人物だ。
そして未だに行方不明なままの人物も数多く残っていた。
(まだ続きそうだ……)
こうなると行方不明の大半はこの一連の事件に巻き込まれているのではと思えてならない。
なぜならば、その大半は被害者と同じく年若い娘なのだ。
松代もまだ若いから、どうしてもこの事件の解決に気持ちがはやる。
「あれ?」
それらの作業中、ある人物を見かけて松代は首をかしげることになった。
今日は大半が聞き込みへと出掛けていたはずだった。
一つ目の現場である民家の周辺での聞き込みからはろくな情報があがってこず、本日は二つ目の事件現場周辺での聞き込みに大半を導入したはずだ。
東、川井、寺門の三名も萩原警部と一緒に出掛けていたはずだった。
「おう、作業は順調か?」
「え……? ええ、大体はまとめられたんじゃないでしょうか」
「どれ、ちょっと見せてみろよ」
東は松代の様子に気付かずに、まとめていた資料へと目を通していく。
違和感はぬぐえなかったが、それはそれとして目を通してもらえるのはありがたい。
これらは最終的に萩原警部も目を通すので、そこで怒られる前に問題点を指摘してほしかった。
一通り目を通したあとで、東はおもむろに顔をあげた。
「なんだこりゃ。前半はいいが、この第二の現場ってのはなんだ?」
「……え?」
「おいおい、署内の作業だからって寝ぼけられたら困るぞ? 事件は民家の一件だけだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。民家だけじゃありませんよね? もう一か所でも事件が起きたじゃないですか」
松代がそう伝えると、東は様子をうかがっていた川井と寺門に視線を向ける。
二人の返事は肩をすくめるだけだった。
「それはどこだ? 俺は聞いてないぞ。それにだ……」
東は確定的な事項を告げてくる。
「それに、この書類にも第二の事件の場所の記載が無いようだが?」
「そんな……」
その東の指摘に、唖然としながらも資料を奪い返す。
自ら書いた書類だ。
現場を書き忘れるなんてことが起こるはずがない。
それなのに、その書類にはたしかにどこにも場所の記載はなかった。
そして、松代はその現場を思い出すことがどうしてもできなかった。
「今戻ったぞ」
「警部、お疲れ様です」
松代が呆然としていると萩原警部が戻ってきた。
それにもやはり違和感を覚える。
萩原も今日は一日中現場検証と言っていたのに……。
「警部、聞いてくださいよ。松代のやつ、この暑さのせいで頭がやられてしまったみたいですよ」
「あ? どうかしたのか」
「それがですね、こいつの頭の中ではいつの間にやら第二の事件が起きてたらしいんですよ」
松代は萩原の反応を伺う。
萩原ならば、第二の事件についてもきちんと認識しているはず。
しかし、残念ながら松代の期待するものではなかった。
「第二の事件? なんだそりゃ。それに山の麓で聞き込みだと? あんな離れた場所で聞き込みしてもしょうがないだろうが」
萩原もまた民家以外の現場については知らなかったのだ。
「そんな……」
そんなはずはない。
だって松代が犠牲者を見つけたのだ。
そうだ、萩原が見つけたのだ。
それにその場には生存者もいた。
しかもそれは目の前の萩原の娘だったではないか。
「思い出してくださいよ。小生が皆さんを現場まで呼んだじゃないですか。行方不明だった警部の娘さんだってそこで見つけたんじゃないですか」
「あ?」
「無事だった子たちを病院まで運んだじゃないですか。新たな遺体も見つかったじゃないですか。ほんとに覚えてないんですか!」
話しているうちに松代はだんだんとヒートアップしてくる。
どうして誰も覚えていないのか。
それは松代の中で否応のないものへと変わっていく。
「まて……待て待て待て待て。どうして俺の娘が倒れているのを知っている」
「だから、小生が見つけたと言ってるではないですか!」
「おい、松代……そろそろやめとけって……」
今まで話を聞いているだけだった寺門がヒートアップした松代の仲裁に入るがすでに手遅れだ。
「松代ォ!」
名を呼ばれたと思ったら、気付けば松代は地面に倒れていた。
寺門の仲裁虚しく、激高した萩原に殴られた結果だった。
「俺の娘は体調が悪くて入院しただけだ。もちろん家出なんてしていない。それを不良のように扱うとはどういうことだ!」
怒鳴り散らされ、ほんの少しだけ松代は冷静さを取り戻した。
「それにだ。先程から現場現場と言っているが、それは一体どこだ。きちんと場所を言ってみろ」
「それは……」
「ほら、でてこない。つまりそういうことだ。事件は何も進展していない。第二の事件は起きていない。全部お前の頭の中だけで起きたことだ。分かったら今日はもう帰れ」
確かに事件は起きたはずなのに、どうしても具体的な場所を思い出せない。
松代はしばらくの間、呆然とし続けていた。




