2-1 這い寄る暗闇
お昼を告げる鐘が鳴り響いて、わたしは意識を取り戻す。
どうも最近は授業に集中できない。
もちろん成績は優秀だから、それで問題はないのだけれど。
「アリナちゃん。もしかして寝てた?」
わたしの様子を訝ってか、隣の女生徒が声をかけてきた。
彼女──里霧琴乃はわたしがこの学院に入学する前からの付き合いだ。
正確にはわたしと彼女の祖母が知り合いで、その付き合いがあったから彼女とも仲良くなった。
ここ、白峰碧山女学院は歴史ある学院だ。
そして現在、ここの理事長は目の前の彼女の祖母が務めている。
そのせいなのか、彼女はわたし以外の女生徒からは避けられている節があった。
……わたしにとっては、ただの可愛い女の子なんだけれど。
「ううん。ちょっと昨日のご飯を思い出してただけ」
「うわあ、くいしんぼさんだ。そんなこと言っちゃうと明日からみんなが差し入れ持ってきちゃうよ」
見ると、わたしたちからさほど離れていない席で、こちらを見ながらヒソヒソしている女生徒の姿があった。
まあ、わたしは美人だから。
差し入れはお菓子程度で十分だからね?
そもそも、わたし──アリナ=ミエルクレアに食事は不要なのだ。
だってわたしは夜の住人。
わたしの食事は、可愛い女の子の悦楽。
高ぶった肉欲から漏れだす快楽こそが唯一の食事なのだ。
もちろんただの食事もするけれど、それらは全てただのパフォーマンスに過ぎない。
わたしがただの人間だと見せるだけの。
このクラスでは、琴乃だけがわたしの正体を知っている。
この学院では、琴乃とその祖母である理事長の二人だけ。
わたしは、この学院に溶け込んでいた。
「そういえば、アリナちゃん。今朝の事件の話、もう聞いた?」
事件って?
思い当たるものはあるが、今朝のニュースでは進展は何も無かったはずだ。
「あのね、今日は遥ちゃんが休んでるでしょ? なんかね、例の昏睡状態で見つかったって噂があるの」
「……うそ」
「嘘じゃないよお。みんな噂してるよ。なんかね、真夜中に用務員さんがここで倒れてる遥ちゃんを見つけたんだって」
琴乃の言葉が信じられない。
昨日の夕方、わたしは遥で食事した。
掃除をしていた彼女とこの教室で出会ったのだ。
もちろん実際に食べた訳じゃなく、ちょっと気持ちよくしてあげただけだ。
教室で倒れていた?
それはつまり、わたしとの行為が原因ってこと?
いやいや、あんな行為で気を失うわけがない。
確かに遥は昨日で生娘から卒業したけど、そのあともしっかりと楽しんでいたし。
気になる。
できたら話を聞いてみたいんだけど……。
「それって、最近の事件とおんなじなの?」
「うん、多分ね。 揺すっても起きなかったって噂だし」
連続昏睡事件。
ここ最近世間を賑わしている事件だ。
被害者はいきなり昏睡し、そして一週間は眠り続ける。
目を覚ましても、当時のことは一切覚えていない。
「そう、無事だといいんだけれど」
ただ、死人は出ていないそうだ。
それだけは安心材料だ。
もしも死んでいたなら、せっかく新たに確保した食事が消えてしまう。
それはわたしにとって許せないことだった。
「それじゃあご飯にしよう?」
見れば琴乃はもうお弁当を机の上にだしていた。
そうだ、話ばかりしててもしょうがない。
わたしもお弁当を、琴乃と同じお弁当を取り出して、カモフラージュの食事をしはじめる。
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わたしと琴乃の家族との付き合いは長い。
それは琴乃が生まれる前から、それどころか琴乃の母親の恵子が生まれる前からの付き合いだ。
当時、今の理事長である琴乃の祖母である千代はまだただの女生徒だった。
わたしはこの町に来たばっかりで、右も左もわからなかった。
わたしは食事を求めていて、当時たまたま事件に巻き込まれていた千代を見つけ、助けてあげる代わりに気持ちよくしてあげたのだ。
もう50年以上も昔のことだ。
それから千代はわたさに良くしてくれて、娘が生まれたらそれをわたしの食事に差し出し、孫が生まれたらわたしに差し出した。
今のわたしが女生徒としてここに通っているのは琴乃たち家族のおかげ。
琴乃の祖母の千代はこの学院の理事長となって、学院内の書類を改竄した。
琴乃の母親の恵子は、千代の家に引きこもっていたわたしを何とかしようと、由緒あるこの学院を卒業しながらも市職員になるという道を選んだ。
わたしの出自を偽造したのだ。
そして琴乃とは、仲良くこの学院に通学している。
おかげで今では、もうずっと女生徒をやれている。
何度卒業したか分からないぐらいに、そして順調に食事の数を増やしてきた。
「それでね、お婆ちゃんはわたしの好きにしたらいいっていうの。でもやっぱり理事長がいいと思うんだよね」
すぐとなりの琴乃をみる。
わたしの正体を小さい頃から知っているのに、今でも仲のいい友達としてわたしに付き合ってくれている。
それは長い年月を生きるわたしにとってとても嬉しいことだった。
「千代の言うこともわかるでしょう。千代も恵子もわたしのせいで進路を選べなかったから、せめて琴乃だけは自由にしてほしいのよ」
「……もしかして、最近お母さんとお婆ちゃんが進路に口出しするようになったのって、アリナちゃんのせい?」
「……そうよ」
千代は半分自ら選んだ道だけど、恵子が市職員になったのは100%わたしのせいなのだ。
その上琴乃までもをわたしで縛ってしまうなんて、わたしにはとても選べない。
「アリナちゃんの、バカっ! わたしは好きでアリナちゃんと一緒にいるんだから、アリナちゃんは変なことしないでっ!」
「……わかったわよ」
琴乃はわたしに依存しすぎている。
それは小さい頃からわたしを見て育ったからかもしれないし、琴乃の初めてをわたしが貰ったかもしれないし、理事長の孫という立場のせいでわたし以外の友達が少ないせいなのかもしれない。
どれが原因かはわからないけれど、せめて彼女には自由にしてほしかった。
ちょっとだけ悪くなった雰囲気の中、黙々と箸を動かしていく。
お弁当の中身は二人ともおんなじだ。
どちらも琴乃の母親の恵子が作ってくれている。
わたしはずっと琴乃の家に住んでいる。
きっとそれはこれからも変わらない。
出ていけと言われない限りは。
「はぁ……ごめんね、琴乃。もう言わないからさ」
「……うん、わかった」
これでちょっとした喧嘩はおしまい。
だってお互いを共に好きあっているから。
口ではまともなことをいっても、わたしは琴乃を手放すつもりなんか全く無いのだ。
お弁当を食べて残りの昼休みをゆっくり過ごしていると、担任の先生がやって来た。
まだ午後の授業までは時間があるし、そもそも次の授業の担当は彼女ではない。
みんなの視線が先生に注目するなか、彼女は教壇でおもむろに声をあげる。
「悪いけど次の授業は変更になったから。とりあえず教室で待機しててちょうだい。今いない子達にも伝えておいてね」
必要なことだけを伝えるとすぐに去っていってしまった。
先生の姿が見えなくなってから、にわかに教室が騒ぎだす。
「次の授業ってなんだったっけ」
「先生休みなの?」
「だったら朝にそういうでしょ」
琴乃もわたしに尋ねてくる。
「アリナちゃんはどうしてだと思う?」
「さあ」
「もう、ちゃんと考えてよ」
「そうね……遥が倒れたっていうし、その事じゃないの」
何となく出た言葉だが、口に出すと正解のような気がしてくる。
例えば伝えるのが遅くなったのは、事実関係の確認に時間がかかったからだとか。
あとは、教室で倒れていたということで、わたしたちが疑われているだとか。
そうだ。
遥はいじめられていた。
いくらここがお嬢様学校といってもいじめがまったく無い訳じゃない。
露骨ではないが、掃除を押し付けられるぐらいのことはあるのだ。
「そっかあ。わたしたちにはあんまり関係無さそうだね」
確かに、わたしと琴乃はこのクラスではお互いしか仲良くはない。
どうやら午後は授業以上に眠くなりそうだった。
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「皆さんにはこれから配るアンケートに答えていただきます。決して他の人とは相談しないように、また結果は成績とは関係ないので、出きる限り正直に答えるようにしてください」
授業の始まる鐘がなって、やって来たのはスーツ姿の女性だった。
恐らくこの学校の教師ではない。
長くこの学院の生徒をしているだけあって、わたしは先生たち全員の顔を知っていた。
配られた用紙を眺める。
……確かに、成績には無関係と言われない限り答えにくい質問が並んでいた。
『先々週の土曜日、何をしていましたか』
『血をみるのは苦手ですか』
『処女ですか。違う場合、初体験はいつですか』
予想以上に変な質問が並んでいる。
とりあえずは真面目に答えていく。
日付に関する質問が多い。
頭によぎるのは件の連続昏睡事件。
わたしたちは、犯人だと疑われているのだろうか。
それにしては意味のわからない質問もある。
例えば、貧血かどうか。
そして、生娘かどうか。
もちろんわたしは健康だし、そして生娘でもない。
琴乃は正直に答えるだろうか。
琴乃の処女はまだ彼女が小さいときにわたしに捧げられている。
まあもしも突っ込まれたとしても、お互いに遊びで失ってしまったと言えばいいか。
全員がアンケートに記載を終えると、スーツの女性はぱっと回収しさっさと去ってしまった。
これで今日の授業はおしまいみたい。
もやもやしたままにわたしたちは学院をあとにした。
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里霧家の夕飯はみんなで揃って戴くことになっている。
席についているのは千代、恵子に琴乃、そしてわたしの四人だけ。
他にはいない。
足りない人たちのことは聞かないでほしい。
「ねえお婆ちゃん。今日のアンケートってなんだったの?」
食事中の話題は大体が今日あったことについて。
いや、そもそも静かにしていることのほうが多い。
別に里霧家は神に遣える家系ではないのだけれど、昔の出来事から信心深くなった影響だ。
「ああ、あのアンケートねえ……。私も詳細はわからないのだけれど……アリナさんはどう思ったかい」
「ん……そうですね。学院生の中に件の連続昏睡事件の犯人がいると疑われているのでは、とは思いました」
「あらあら、なかなか近いところまで辿り着いておりますね」
千代は年齢に違わない穏やかな雰囲気のままで話し続ける。
呼び方が『アリナさん』なのはもちろんわたしの方が年上だからだ。
「本日警察の方が来られてね、我が学院に協力を依頼されたのです。──犯人探しを手伝っていただける学院生を見繕ってほしいと」
「お母さん、それはつまり、学院生の中に犯人がいるということでは? 琴乃とアリナさんを休ませたほうがいいのでは?」
「あらあら、少し言い方を間違えましたね。例の昏睡事件、これが病気なのか、そうでないかを確かめるために協力が必要、ということだったわね」
ふうん……。
それではアンケートをとっていた女性は警察だったのだろうか。
そうは見えなかったのだけれど。
「お婆ちゃん、こんなにたくさんの人が倒れるような病気ってあるの? それに結局は一週間ぐらいで目が覚めるんだし、病気って言われてもなんか変な感じがするよ」
「そうだねえ。私も気になるんだけど、これ以上は教えてもらえなくてねえ」
その協力をお願いするという女生徒だけに教えるということだろうか。
協力者が何人なのか知らないけれど、少しだけ興味が湧いてきた。
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翌日、琴乃と一緒に登校してすぐのこと。
わたしたちはいきなり呼び出された。
保健室の隣にある相談室に案内されたのは、わたしたちを含めて五人の女生徒。
それとスーツを身に付けた、昨日とは違うキリッとした女性。
「あなたたちには、ある協力を要請します」
どうやら、今日は眠くならなくて済みそうだ。




