1 プロローグ
千代の部屋で千代と二人、静かな時間を過ごす。
わたし──アリナ=ミエルクレアはこの家に居候の身だ。
そしてこの家の家主である里霧千代は、現在ベッドで横になっている。
「そういえば、二人っきりっていうのも久しぶりね」
「ええ、そうですねえ。恵子が産まれたときもそうでしたが、琴乃ちゃんも年頃になってなかなかアリナさんから離れませんからね」
千代が初めて恵子を出産したときは、二人して焦ったものだ。
あのときは二人とも子育ては初めてで、かといって周囲に頼れる大人もおらず、そして今のように簡単に子育て情報が手に入る時代でもなかった。
今思うと無茶もしたものだ。
それでも恵子は健康に育ち、今では琴乃という娘も出産している。
琴乃は琴乃で、いつもわたしにベッタリだ。
千代がいうように、恵子が年頃の時もわたしにベッタリだった気がする。
恵子が産まれる前は、千代が私にベッタリだった。
普通なら一人の時間がほしくなると思うのだが、彼女たちはわたしと一緒のほうがいいみたい。
これもわたしの魅力だろうか。
ふいに、ベッドで横になっている千代が咳き込んだ。
「大丈夫なの?」
「ええ、もうしばらくは……。今、アリナさんと初めて出会ったときのことを思い出していたの」
「そう……懐かしいわね」
「ええ、本当に……。思えば色々ありましたね」
どうやら千代も昔のことを思い出していたようだ。
でもわたしが思い出していたことよりもさらに昔の、千代がまだ女学生で、わたしが初めてこの街へとやって来たときのこと。
こういう時には思い出話もいいかもしれない。
千代と二人、当時のことを少しずつ思い出していく。
------
「今晩、たまにはどうだ」
署内での仕事も終わろうかというとき、間宮は上司に夕飯を誘われた。
いつもなら断るのだが、少々思うところもあって間宮彩香は彼に付き合うことにした。
指定されたのはいつもの居酒屋だ。
こじんまりとした、喧騒にまみれた居酒屋だ。
飲みに誘ってきた相手──松代定久は「とりあえず生ふたつ」と、本当にとりあえずの注文をした。
「松代警部。なにかお話があったのでは?」
「そんなに焦ることもないだろう。それと、警部はやめてくれ。今はもう就業時間は過ぎてるんだ」
それは、仕事とは関係ない話ということだろうか。
「松代さん。なにか話があるのでは?」
「まったく、定年を過ぎたじじいの話ぐらいゆっくりと聞けんのかね」
咎めるような松代の声。
確かに少し焦りすぎていたかもしれない。
なにせ間宮が松代とこうして二人っきりで飲むというのは初めての事だったのだ。
ビールが届いたので、ついでに少し食べ物も注文する。
どうせここは松代の奢りだからと、間宮は遠慮しなかった。
「こないだの事件、残念だったな」
「……いえ、結局は分からないことだらけでしたが、女性が倒れることもなくなりましたし、死人も出ませんでしたから」
事件というのは、夏の始めまで起こっていた連続昏睡事件のことだ。
間宮はその捜査官に選ばれていた。
しかし結局、何も分からないままに未解決事件としてその捜査を閉じることとなった──ということになっている。
「別に咎めてる訳じゃあないぞ。あんな事件、理解できる方がどうかしてる」
「あんな事件……ですか?」
どこか引っ掛かりを覚える松代の物言いに、間宮は興味を引かれた。
事件そのものは単純なものだった。
ただ飢えた獣が一匹、餌を求めていただけのことだ。
しかしそれは間宮以外は誰も知らないはずだ。
もちろん目の前の松代にもなにも伝えていない。
「俺もな、まだ配属したてのころ、酷い事件に巻き込まれてなあ。結局は未解決ということで手を打ったんだが、ありゃあ人様が関わっていいことじゃない」
「人が関わって……」
「はっ。やっぱりだ。どうもお前さんの様子がおかしいと思ったんだ。お前さん、未解決だなんて嘘の報告だろ」
間宮は必死になって顔の表情を平静に保った。
アリナとの約束なのだ。
これ以上、あの事件のことは蒸し返さないということになっているのだ。
「こらこら、咎める訳じゃあないと言っただろうが。それに、俺にもあるんだ。今まで誰にも言えなかった、未解決にせざるを得なかった事件ってのがな」
その話にはとても興味を引かれた。
松代といえば叩き上げで警部にまで上り詰めた人だ。
今でこそ定年を過ぎて相談役みたいな立場になっているが、とうじはそれはもう敏腕だっという噂も聞いたことがある。
「お前さんの目を見て分かったよ。お前さんも、人には言えない世界の裏側ってのを見てきたんだろう」
間宮はおとなしく話を聞いている。
「あれはまだ俺がこの街に配属したての頃だった……」
そして間宮は、驚愕の事件の結末を耳にすることになった。




