6-2
「犯人が分かったら連絡するわ。結論はうやむやになると思うけれど、あなたにだけはしっかりと終わりまで見せてあげるから」
山を下って、わたしの家の近くまで間宮さんに送ってもらった。
間宮さんはまだ呆然としているけど、しばらくしたら落ち着いてくれることだろう。
そして、教会での出来事を思い出して身もだえることだろう。
その瞬間を見てみたい気もするが、わたしはこれから動かなければならない。
一刻も早く、犯人を見つけ出すのだ。
去っていく車を見送りながらそう思った。
家には千代だけがいた。
恵子は琴乃の様子を見に病院まで行っているそうだ。
「アリナさん。あの子は大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。いままでの被害者も全員、一週間で目を覚ましているじゃない」
普段は気丈な千代も不安がっている。
愛してやまない孫娘が倒れたのだ、無理もないことだろう。
「ねえ、千代。あなたには手伝ってほしいことがあるの」
そんな千代にわたしはお願いをする。
「犯人はいないなんて言ってたけどね。どうやらわたしの間違いだったみたいなの」
「それは……」
「ええ。犯人が学院にいるのは間違いないみたい。それでね、千代には明日用意してほしいものがあるの」
明日は日曜日。
もちろん学院も休日で千代もわたしも学院に行く必要はないのだけれど、できたら明日のうちに犯人を特定して、それどころか決着さえもつけてしまいたい。
でないとわたしの気がすまないのだ。
「もちろんですよ。アリナさんのいうことならなんでも聞きますよ」
「ありがとう、千代。明日は理事長室に二人っきりね」
年甲斐もなく千代は照れている。
もうおばあちゃんだけど、それでも千代の照れる姿はわたしにある種の感情を呼び起こすのだった。
その日の夜、思うところがあって琴乃の部屋へとやってきた。
「ああ、そういうことなのね」
そして琴乃の部屋で、天使が言っていたことがやっと実感できた。
今朝琴乃を起こそうとしたとき、この部屋から血の匂いが漂っていた。
その時、わたしは琴乃が生理だからこんなにも血の匂いがするのだと思った。
でもそれは違ったようだった。
「これは……いったい誰の匂い?」
今ならばはっきりとわかる。
この血の匂いはは琴乃の匂いとは似ても似つかわない。
明らかに違う人物の血の匂いだった。
喧嘩を売られたのだ。
わたしが住んでる家に、わたしが休んでいる時間に。
堂々と侵入して、そして琴乃を襲った。
絶対に許せることではない。
もう、犯人を捕まえるだけでは許せない。
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「アリナさん。こちらの資料でよろしかったかしら」
理事長室で待っていると千代が資料を持ってやって来た。
資料探しはわたしも手伝いたかったのだけれど、職員室には他の先生もいたのだから仕方がない。
どうしてわたしが資料を求めるのか、都合のいい言い訳は簡単には見つからない。
「ええ、ありがとう。さあ、千代もわたしと一緒に資料を調べましょう」
理事長の席に座っていたわたしは立ち上がる。
千代がその席について、さらに私がその膝に座る。
うん、完璧だ。
千代に用意してもらったのはここの全学院生の名簿だ。
それもただの名簿ではなく、受験時に学院生自身の手で書かれたであろう入学願書の原本。
普段使っている名簿は機械に入力されたもので、すでに改竄されている可能性が高いからだ。
「さあ、それでは一人ずつ調べていきましょう」
わたしの言葉に従って、千代が資料を一枚ずつめくっていく。
願書に書かれている情報はそれほど多いものではない。
本人の顔写真に名前と住所、あとは連絡先ぐらいだ。
それらの情報から怪しい人物を絞っていく。
「この子は可愛いわね。資料はこっちに。……こっちの子は字が綺麗ね、この子もこっち。……次の子は──」
わたしは呪われていた。
呪いと言っても簡単なものだ。
魔法をかけられたとか、暗示にかけられたとかそういうもの。
意識して資料を眺めている。
もしかしたら知り合いがわたしを暗示にかけたのかもしれない。
それを忘れてはならない。
こうして目を通すと、今まで知りもしなかった学院生が出てくる。
それらを順次振り分けていく。
「アリナさん……」
千代が何とも言えない目でわたしを見てくる。
これでも真面目にやってるのよ?
ただ、ついでにわたしの好みの子も選んでいるだけだ。
「あら……この子は親と名字が違うのね」
とりあえずは容疑者第一号。
暗示にかけられたのはわたしだけとは限らないから。
もちろんこれだけでは犯人にはならないのだけれど、今のわたしには大事な情報だ。
「あら、これは佳澄ちゃんね。体は小さいのに凛々しい字なのね」
中にはわたしの知り合いの女の子も当然紛れている。
さすがにわたしと関係をもった女の子のなかに犯人はいないだろう。
いくらなんでも、触れ合えば油断してたわたしでも気付くはずだ。
「これで一年生はおしまいですね」
名簿と一緒にリストをチェックしていた千代が教えてくれた。
事件が起こったのが一年前からだから、犯人は一年生に紛れ込んでいる可能性が一番高いと思っていたのに、どうやらそれは違うようだ。
何名かの怪しい人物をリストアップしただけで、次は二年生へと移っていく。
「……いないわねえ」
「そうですね。でも二年生だとアリナさんの知り合いも多いですし、当然ではないですか?」
「そうかもしれないけど、事件が起こったのが去年からだからね……」
残念ながら二年生のなかにも犯人だと確信できる人物はいなかった。
これで残るは三年生だけ。
本当に犯人かいるのか、少しだけ不安に思えてしまうのもしかたないことだろう。
資料をめくる音だけが響くようになる。
わたしも千代も無言が続いている。
まだこれだという人物は見つかっていない。
わたしの表情はどんどん険しくなり、千代はだんだんと気まずそうになっていく。
そして、三年生も調べ終えた。
「いない、わね」
はしたないからしないけれど、どうしてと叫びたい気分だった。
わたしの勘違いだったのだろうか。
間宮さんからもらった情報が間違っていたのだろうか。
学院内で倒れた女生徒がいる。
学院外でも人目につかないところで襲われている。
琴乃を含め、午前中に倒れることが多いのは夜に襲われたから。
学院内を見回る警備員が倒れている女生徒を夜に発見するのは、人気のない放課後に襲われたから。
どれかが間違っているのだろうか。
この中で疑うべきは、事実からの推測である後者の二つだけれども……。
襲われたら半日もせずに倒れるというのは、間違いだったのだろうか。
「あら、アリナさん。まだ名簿ではチェックされていない生徒がいるみたいだいですよ」
悩んでいるところ、千代が疑問を教えてくれる。
「見せて」
千代がチェックしていた名簿を眺めると、確かに数名の生徒がチェックから漏れていた。
そこには、三年生である篠宮先輩の名前もあった。
「……転校生が漏れてるわね」
そうだ。
確か篠宮先輩は今年になってから転校してきたはずだ。
「この子たちの書類もあるのよね?」
「そのはずですよ。探してみますね」
「待って、わたしも一緒に行くわ」
わたしは全学院生の書類を持ってくるようにお願いしたはずだった。
それなのに書類が漏れていた。
それか意味するところは──。
「頼まれた書類はそれで全部ですよ」
事務の女性は一言そう告げてくる。
「でもね、名簿と照らし合わせるとどう考えても足りないのよ」
「そんなはずありません。理事長の確認ミスではないのですか」
「あのね、ちゃんと一枚ずつ調べたのだからそれはないわよ」
「わたしは知りません。とにかく、理事長の方で調べてください」
千代が強く言い寄っても、事務の女性は無造作な対応だ。
明らかな怠慢なのに、それを認めようともしない。
理事長の発言にこうも強気に出るなんて、どう考えてもおかしなことだった。
そう、これこそがわたしが不安に思っていたことだった。
「もういいわ」
千代を押し退けて事務の女性の前に出る。
「あなたは……? 理事長! まさかただの学院生に書類を見せたのですか! これは明かに──」
「黙りなさい!」
なおも言いすがろうとする女性の唇を、わたしの唇で塞ぐ。
頭を両手で挟んで、わたしから逃げられないように。
それだけで彼女はおとなしくなる。
唇を離す。
「さあ、書類はどこなの」
「し……書類は……こちらです……」
口付けを交わしてわかったけれど、彼女は白だ。
思った通り、ただ操られていただけだ。
書類を受け取ってその場で目を通すと、明かにおかしなものが紛れ込んでいた。
「千代。これが読める?」
「ええ。ただ、おかしなところはなさそうですね」
「そう……千代にはそう見えるのね」
転校生の書類のうち、一枚だけおかしなものがあった。
ただ一枚だけ、全てが真っ赤な文字で書かれているのだ。
ただ赤いインクで書かれただけ?
ところどころ黒ずんでいるのもたまたま?
もちろんそんなことはない。
これは血液だ。
力を持った血で書かれた、ただ目を通すだけで呪われてしまう書類だ。
もちろん呪いといっても強いものではない。
それがおかしなものではないと思ってしまうだけのもの。
「もうここには用はないわ。それでは犯人を捕まえに行きましょう」
あとは、こいつをおびき寄せるだけだ。
手に持った書類は握りつぶした。
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すぐに間宮さんに連絡をとった。
間宮さんに車を出してもらい、千代と三人で再び教会へと向かう。
「ミエルクレアさん。犯人が誰かわかったのですか」
「あら。昨日は名前で呼んでくれたのに、もう呼んではくれないの?」
「ア……アリナさん」
照れる彼女もまた可愛い。
「冗談よ。それで犯人だけど、もちろん分かったわ。こらから呼び出すところなの」
「その犯人が、教会に?」
「ええ。まあ見ていなさい。必ず教会へとやってくるわ」
それっきりで口をつぐむ。
これ以上語っても理解できるものではない。
見せることが唯一の解答なのだから。
「アリナ。思ったよりも早かったね」
「天使さん。お久しぶりですね」
「やあ千代。あなたは相変わらず美しいね」
既知の仲である天使と千代が挨拶している様子を、間宮さんが驚いた顔で眺めている。
「……知り合いだったのですか?」
「そうよ。昔色々あったの」
「……そういえば理事長は、小さい頃にこの山で行方不明になったとか」
「もう終わった話よ」
千代とわたしが知り合ったきっかけ。
当時この街を騒がしていた連続失踪事件。
それは今は関係ないことだ。
「あなたには囮になってもらうわ」
わたしは天使に向き直って一言告げる。
「わかってたけど、ひどい話だね」
天使も同意してくれる。
あとは犯人が動かざるを得ない状況を作るだけ。
深呼吸をひとつして、わたしは自らの口を開く。
『ねえ、大丈夫?
無垢な瞳がわたしを見つめていた
わたしはその問いかけに答えられなかった
お腹、痛いの?
わたしは身を屈めて顔を伏せていた
無垢な瞳が変わるのが怖かった
だからわたしは逃げ出した
ああ
そのことをずっと後悔している
逃げるしかなかったあの時のことを
正体を知られるわけにはいかなかった自分を
どうしてお前はのうのうと過ごしている
どうしてお前は自らを偽っている
お前も
逃げ惑うことを思い出せ
──秘密を教えて』
見えない力が、この街全てを覆いつくした。




