6-1 血液
「それではミエルクレアさん。昨夜から何をしていたのか、教えていただけますか」
ここは取調室なのだろうか。
いや、違うだろう。
長机がいくつも置いてあることから、普段は会議室として使われているのだと思う。
「ミエルクレアさん?」
わたしは間宮さんについて警察署まで一緒に来た。
ここはその中。
でもわたしのことよりも、琴乃のことが気になる。
「ミエルクレアさん。これはあなたを容疑者と疑っているわけではありません。ただ、里霧さんに不振な行動がなかったか、昨夜誰かとお会いしていなかったかを確認したいだけです」
昨日の琴乃はずっと私と一緒にいた。
琴乃は学院生からは避けられてるから、昨日もいつも通りにわたしにベッタリだった。
寝るまではずっと一緒だったのだ。
そこには不振な動きなんてないし、わたしの知らない人と会ってたなんていうこともない。
では何で倒れたのか。
そもそも琴乃が倒れたことと、件の連続昏睡事件は無関係ではないのだろうか。
そう、こうしている間にも琴乃が目覚めて……。
コンコンとノックがなって、見知らぬ誰かが入ってくる。
その人は間宮さんだけに聞こえるような声で小さく告げると、すぐに出ていってしまった。
──運び込まれた患者ですが、やはり今までと同じく……。
──そうですか。わかりました。
ああ、そう。
じゃあ病気なの?
いや、もう病気という考えも捨てよう。
億にひとつの可能性で生娘だけがかかる病気があったとして、だとしたらなんで妙齢の女性だけが倒れているのだ。
一番可能性が高いのは子供ではないか。
だから病気もない。
ただ倒れただけではなく、病気でもなく。
だったら残るものは?
「ねえミエルクレアさん。あなたも犯人を捕まえたくはありませんか? あなたはこれまで協力的だったではありませんか」
──いや。
そういえば、おかしなことがひとつだけあった。
今朝に限って、琴乃が体調を崩していたのだ。
普段生理が軽い子がたまたま重くなる。
それだけだとあり得なくはないと思う。
でも、倒れた。
果たして無関係なのだろうか。
そんなわけがない。
このタイミング。
関係ないと考える方がおかしいだろう。
しかしどうして今日なのだろうか。
それもわざわざ間宮さんの目の前で倒れるタイミングだなんて。
それすらも狙ってのことなのだろうか。
いや、考えすぎはよくない。
間宮さんに意地悪するのもここまで。
話しながら整理してみよう。
「……そうですか。それでは生理が重くなったことが原因なのでしょうか」
琴乃が倒れるまでに気付いたたことを一通り説明した。
引っ掛かるのはやっぱり今朝のこと。
でも、どうして生理が重くなったのかがわからない。
「今までの推測は間違いだったのでしょうか」
「ああ、生娘しか倒れないっていう……」
そこだ。
今までの被害者の直前の体調は分からないけれど、その点だけは今までと明らかに違っていた。
もしも本当に加害者がいたとして、いままで生娘しか襲わなかった理由はなんだろうか。
それも子供は狙わずに、ある程度の年齢になったものばかりを。
それが加害者の好みなのだろうか。
──好み。
そういえばと思う。
例えばわたしにも好みがある。
千代と恵子を除くと、初心な乙女が好みといえる。
この加害者にも似たようなものがあるのだろうか。
それこそ今までの生娘たちに共通するものが、琴乃にもあるのだろうか。
でもわからない。
これ以上は考えがまとまらない。
「ねえ、間宮さん。よければ会いたい人がいるんですけれど」
「どのような人物ですか?」
「もちろん、犯人に繋がるヒントをくれる人です」
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間宮さんに車を出してもらい、一緒に山へと向かっていく。
目指す場所は教会。
山の麓にある、よく結婚式に使われる教会ではなく、その山の中腹にある、誰も寄り付かないような教会だ。
「あそこには誰も住んでなかったと思いますが」
「ええ、そうね。住んでないともいえるわね」
「それに変な噂もありますよね……」
山の教会は心霊スポットになっている。
見るからにボロボロで、誰も通う人もいないから。
よくないものが住み着いていて、出会うとさらわれてしまうという話もある。
「大丈夫よ。わたしと一緒にいたら安全だから」
「あなたは……」
「ねえ間宮さん。教会では不思議なことが起こるわ。それはあなたの常識の外の出来事かもしれないけれど、なにが起きても受け入れてほしいの」
間宮さんの言葉を遮って話を続ける。
「間宮さんにはいずれ知ってもらうつもりのことだったし、ある意味いい機会なの」
そうだ。
彼女のことを紹介するついでにわたしのことも話してしまおう。
きっと驚いてくれるだろう。
それはとてもいい案に思えた。
麓の教会に車を止めて、山道を二人で歩いていく。
中腹の教会までは道路が通っておらず、ここからは歩きだ。
「間宮さん。手を繋ぎましょう」
「え? ええ……」
私はスニーカーだけど、間宮さんはスーツにヒールと歩きにくそうにしている。
助けてあげる体で手を繋いだ。
思ってたよりも柔らかい手のひらだった。
あまり手入れのされていない山道を歩いて教会まで辿り着く。
人が通っていないためにみすぼらしくてボロボロの、小さな教会だ。
これでは心霊スポットになるのも分かるというものだ。
その教会の中へと入っていく。
間宮さんは入りたくなさそうにしていたけれど、握った手は離さない。
中はまだ夕方にもなっていないのに薄暗い。
光を取り入れる窓がほとんどないからだ。
唯一のステンドグラスが壊れた石像を照らしている。
「出てきなさい」
わたしがそう声を発すると、中の雰囲気が一変した。
石像自身がほのかに輝き出す。
まるで風が吹いているように、周囲のわずかな光が石像へと集まっていく。
その石像に翼が生えた。
石造りの無機質なものとは違う、純白の翼。
首から上の欠けていた部分にも顔ができる。
うっすらピンクがかった金髪に、わたしをしてとてつもない美女と言わざるを得ない顔が浮かび上がった。
「アリナ。久しぶり」
「ええ。しばらくぶりね」
現れたのは、白い翼を大きく広げた天使だった。
「──ア、アリナさん! これは一体なんですか!」
間宮さんが驚きをその態度で表してくる。
それも当然だ。
ここに天使がいるなんて、この街で知っているのはわたしとわたしの家族ぐらいのものだろう。
あ、やっとわたしをファーストネームで呼んでくれた。
「何って、天使?」
「酷いね。久しぶりに会いに来てくれたと思ったら晒し者?」
「しょうがないじゃない。彼女にはこれから説明するの」
この街には噂がある。
山の教会にはよくないものが住んでいて、出会うとさらわれてしまうとか。
それはもうずっと昔の話。
わたしと千代が出会ったぐらいの昔の話。
今は天使が住んでいて、その天使はいい出会いを導いてくれるのだ。
「そうではありません! そもそも天使なんておかしいです!」
間宮さんは取り乱したままだ。
確かにその態度は当然だろう。
普通の人は天使なんて一生目にしない。
「落ち着きなさい。確かに一般的ではないけれど、確かに目の前にいるのよ」
「でも……」
「あらら、ひどいなあ。アリナと一緒に私に会いに来たくせに、私だけが化け物扱いなんだ」
なおも認めまいとする間宮さんに、天使が爆弾発言をした。
間宮さんがわたしを見る。
わたしも間宮さんを見返す。
「アリナ……さん?」
「まあ、そのとおりよ。わたしもただの人間ではないということよ」
わたしは間宮さんの目の前で、その正体を現した。
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しばらくして、やっと間宮さんが落ち着きを取り戻す。
ここに人間は間宮さんだけだけど、今のところ暴れるようなことはなさそうだ。
この後山を降りたあとは分からないけれど、きちんと対策はするつもりだ。
「それで、どうしてここに来たのですか。私に天使を見せるだけじゃないですよね。──まさか」
「そうよ。この一連の事件の犯人も、人間じゃないのではと思ったの」
わたしがこの街に来てから五十余年。
いままでずっと平和だったから忘れていた。
人外は、わたしだけではないのだということを。
「そうは言われてもね。私はずっとここにいるから、なにが起きてるかなんて知らないよ」
「そうなの?」
「ここから出られないのはアリナのせいじゃない」
そうなのか。
これはアテが外れてしまった。
この天使ならもう犯人のことも知っていると思ったのに。
「街のことはアリナが解決しなよ。犯人は誰か知ってるんでしょ? さっきから残り香が酷いよ」
「──残り香?」
「あれ、なあに。もしかして、気付いてなかったの?」
天使が首を傾げてわたしを見つめた。
くんくん。
自分の匂いを嗅いでみる。
けれどいつもと同じように、わたしの匂いしかしない。
「きゃは、きゃはははは。あのアリナが、私をここから動けなくしたアリナが、まさかそんな子供騙しに引っ掛かってるなんてね! わっ、わざわざここまで私を笑わせに来てくれたの!」
天使が身をよじらせながら大声で笑い転げる。
この天使と会うのは本当に久しぶりだし、笑われるのは構わない。
でもわたしが苛つくのも自由だと思う。
それと、間宮さんが引いているんだけどそれはいいのだろうか。
「ははっ、ああ面白かった。面白かったついでに、その呪いを解いてあげる。さすがのアリナでも、自分が呪われちゃったら自力じゃ解けないだろうからね」
ありがたいことだ。
未だに自分が呪われているという自覚はないけれど、天使がいうのなら間違いないのだろう。
……笑ったことも忘れてあげよう。
「その代わり、あとでちょっとしたお願いがあるけどね」
それぐらいはしょうがない。
わたしが頷くと、天使が近付いてくる。
『柔らかい陽射しの差す中で
あなたはずっと眠り続けている
それはとても穏やかな眠りで
あなたはとても幸せそう
そろそろ起きないの
あなたは夢ばかりを見続けている
それはとても理想的で
でもそれは現実じゃない
そろそろ起きないの
もう夢を見続けるのも十分でしょう
起きたら悲しいことが待っているかもしれない
でも大丈夫よ
あなたはきっと耐えられる
──夢の終わり
』
そして、天使はわたしにキスをした。
その瞬間、わたしの中の何かが砕け散る。
「はいおしまい。もう油断しちゃダメだよ。こんなつまらない呪い、油断しなきゃアリナには効かないんだからね」
「ありがと。最近平和すぎてどうやら怠けてたみたい」
「でもそのおかげてアリナは私に会いに来てくれたからね。そういう意味ではラッキーだったよ」
そうだった。
わたしはついさっきまで、天使の存在自体も忘れていた。
次は期間を開けずに来ようと思う。
「それじゃ私からのお願いね。アリナ、できたらここの変な噂をどうにかしてちょうだい」
「噂……ああ」
「まったく、酷いんだから。最初は天使が祝福をくれるって噂だったはずなのに、いつの間にか心霊スポットになってるんだから。おかげでわたしは空腹だよ」
「そうね。そうだったわね。わたしがあなたのご飯を用意してあげるんだった」
「お願いね? あなたにここに縛られたのはもういいんだけど、このままじゃ私が消えちゃうよ」
「うん、ごめんってば」
そうだった。
わたしが初めてこの土地にやって来たときを思い出した。
当初この街ではある事件が起きていた。
そのときに初めて千代と知り合って、そしてこの天使をこの寂れた教会に縛ったのだった。
「それじゃああとは、間宮さんね」
間宮さんはわたしと天使のやり取りをずっと静かに見ていてくれた。
でもこのまま帰したら、あとでどうなるか分かったものではない。
もしかしたら黙ったままでいてくれるかもしれないが、そんな憶測で行動するわけにもいかなかった。
「なにを……するんですか……」
間宮さんがゆっくりと一歩下がる。
わたしはすぐに間宮さんの目の前まで来る。
「そんなに怖がらなくてもいいのよ」
「お嬢さん、大丈夫だよ。アリナに身を任せて、ちょっと気持ちよくなるだけだから」
天使が間宮さんの退路を塞ぐ。
それを見て、わたしは間宮さんの肩に手をかける。
間宮さんのスーツを脱がしていく。
そして──。




