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 ネ申 降 臨



 ――その日の深夜。カレント国際学院の職員室にこっそり忍び込む二つの影があった。

 一応言っておくがこの学校のセキュリティは結構しっかりしている。外周に見張りを立てているだけといえばそうなのだが、単純に優秀な能力を持つ見張りであり人数も多いのだ。彼らの目を掻い潜るのは簡単な事ではない。

 しかし、侵入者の彼らはそのあたりを気にする必要は全くなかった。


「さァてと……痕跡を残さないように行くぞ」


 理由は簡単、彼ら二人は普通にここの職員だからだ。

 一人は筋肉ダルマ教師ことボッツ。何故堂々とせずこっそり忍び込もうとしているのかについてはそこまで大層な理由はない。


「教頭に怒られるのが怖いから、じゃったか? 気持ちはわかるが、だからってワシなら大丈夫と判断するのもどうかと思うぞ?」

「なァに、俺達はしょっちゅう教頭に怒られてる仲間じゃねえか、校長よ。あと別に怖いわけじゃねえ、これ以上の減給は勘弁だからだ。一回しっかり覚えた筈の生徒のプロフィールを忘れたなんて言ってみろ、教師失格って思われちまう」


 そう、ミサキの出身地が思い出せないと正直に教頭に告げるのが怖いというのが理由だ。

 で、そんなボッツがお供に連れているのは校長。職員室の管理者は教頭なので、彼にバレてはならないとなるとそれ以上の権力者に頼る以外に手段が思いつかなかったのだ。校長がちゃんとマスターキーを持っていたのは幸運と言えた。


「あやつの事じゃ、そういう言い方はせんと思うがのぉ」

「そうかァ? 日頃散々怒られてるじゃねえか、アンタも。そろそろブチギレられてもおかしくないだろ?」

「いやそうではなくてな、日頃散々怒られとるからこそ、もうとっくに教師失格と思われとるんじゃないかとな?」

「……やめろよ、そういう事言うの」


 実際教頭がどう思っているかについてはここでは言及しないでおく。


 まあそれはさておき。

 実は今回のこの不法(?)侵入について、校長が咎めず同行しているのは彼にも彼なりの考えがあっての事だったりする。


(……しかし、ミサキ君のプロフィールか。まさかこやつが真っ先に気付くとはのぉ。面白くなってきたわ)


 不思議と誰も気にしない問題児ミサキの経歴。そこに最初に気づいたのはボッツ……ではなく実は校長だったのだ。しかもかなり最初の時点で。

 それだけではなく……


(さて、『あやつ』はどう対応してくるかのぅ? 今のところ()()()()()()()()()()()ぞ?)


 それだけではなく、彼は『自分達の世界の辻褄を合わせようとする上位存在』の事も把握している。しかもその方法についてもアタリをつけて、だ。

 何故かというと……まぁ過去に色々あったとしか言えないのだが。そして実は女神側も校長を認識してはいる、自分の存在に気付いている輩として。もっとも、だからといって彼と対話したりとかはしていない。ミサキに告げた言葉に嘘はない。


 ともかくそんな感じで校長は神の存在に気づいており、そのうえミサキの存在の違和感にも気づいており、当然その二つを結び付けて考えてもいる。しかし決して誰にも漏らさず自分の胸の中だけに留めていた。

 そして今、自分に次いでボッツがミサキの存在の違和感に気づき……明確にしようとしている。誰にも漏らさなかった自分と違い、ボッツは公にしたがるだろう。であれば今まで隠してきた神サイドとしても何らかの対処を強いられるはず。恐らくは人知を超えた何かをもって対処してくる。

 そこまで推測した彼は、こう考えた。

 

 こんな楽しそうなイベントを見逃す手はない、と。


 まぁ、言ってしまえばそれだけの理由である。

 女神のちょっと間の抜けた人柄を知る者からすればそれはぶっちゃけ過剰な期待だと言えるのだが、そんな事など知らない校長は割と本気で楽しみにしていたのだ。


 ……結果的に『楽しい』だけでは済まない一夜となるなどとは露知らず。


「お、見つけたぜ校長、魔人のプロフィール用紙だ。なになに、名前、年齢、入学当時のレベル、そして出身地…………」

「……どうじゃった?」

「おい、なんだよこれ」


 そこに書かれていた文字は()()()()()()()『ドイナカ村』……ではなく、


「……『ドゥ・ヵイナ村』ってなんだよこりゃあ」


「……はぁ?」


 記憶とは違う、その上何の意味があるのかわからない文字列に校長までもが呆気に取られる。

 しかしその直後――


「……あァそうだ、思い出してきたぞ校長。これは『誤字だと思われる』って事で再提出を要請したんじゃなかったか? 魔人の保護者によ」

「む……あぁ、そうじゃったな、そうじゃったわ」


(……そうじゃな、そういう風に今『記憶が変わった』わ。『ふと思い出した』という形をもって、な)


 女神による無意識――前意識と呼んだ方が近いか――の操作が起きた。

 ヒトの人格形成や行動パターンに影響のない範囲に絞られた、しょーもない記憶の捏造。そんな範囲だからこそ知覚出来る人はいない。そこに元々『ドイナカ村』と書かれていた事を知っている人以外には。

 よって、その記憶が正しいと思っているボッツは自分で勝手に納得し始める。


「なるほどな、道理で俺が覚えてない訳だ。誤字なんだから覚えておいたって何の意味もねぇからな。しかもハンパに覚えにくいしよ」

「……じゃが、出身地に誤字のある生徒など他にはおらんじゃろ? そういう意味では印象的ではないのか? 忘れるもんかのう?」


 どうにも行き当たりばったりな解決法に思え、校長は疑問を呈する。ボッツに向けた問いの形をとってはいるが、その本質は『神』に向けられていることは言うまでもない。

 そんな事をしたからだろうか、もう一度記憶の捏造が行われ……


「ちゃんと思い出せよ校長。「すぐに再提出させるから気にするな」って言ったのはアンタだぜ? だから俺もすっかり忘れて、っつーか気にしてなかったんだ」

「あ……あぁ、そうか、そうじゃったな……」


 なんか巻き込まれた。わりとひどい形で。


「……どうやらその様子だとすっかり忘れてたな? また教頭に怒られるぜ?」

「そ、そうじゃな……」


(忘れるも何もそれは『今作られた過去』じゃからどうやったってどうしようもないんじゃがな! くそっボッツめ、ニヤニヤしおって! というかこれはあんまりな仕打ちではないか!?)


 言うならば『神のやり方にダメ出ししたら貧乏くじを引かされた件』みたいな感じか。ダメ出しの内容自体は真っ当なものだったため、確かにこれはあんまりすぎる仕打ちだろう。

 だがどうやら女神にもその認識はあったらしく、校長に貧乏くじを引かせたままにはせずちゃんと次の手を打ってきた。あの女神は微妙に間が抜けてはいるが悪人ではないし自分の仕事には責任を持っている。更に言えば最近ちょっとミサキに感化されつつあり、自分のミスは極力自分で挽回しようと考えてもいた。なのでここで自ら動くことは必然だったのかもしれない。


「――あの~、夜遅くに申し訳ありません……」


「っ、誰だ!?」


 突然職員室に投げかけられた()()()に、二人は反射的に身構える。

 振り向いたその先、声の発された方向である職員室の入り口には……黒をメインとした露出の少ないひとつなぎの衣装――俗に言う修道服のようなもの――を身に纏った大人の女性がいた。


「……お主、何者じゃ?」

「はい、此処を訪れるのは二度目になるのですが……私、教会で神官を勤めておりますテメスと申します。そうですね、丁度そこの書類に私の名前があるかと思うのですが」


 女性――テメスが指し示したのはミサキのプロフィールの書かれた書類。よく見てみればミサキの身元保証人として確かに彼女の名前があった。


(……これも昔は書かれてなかった筈なのじゃがな)


「あー、つー事はなんだ、アンタはアイツの保護者か。つまり……」

「はい、随分と遅れてしまいましたが書類の提出に。前回は慌てていたせいであんな事になってしまい……と言いつつ今回もだいぶお待たせしてしまっているので、もうなんとお詫びすればいいか……」

「あーいや、気にするな、丁度いいタイミングだ。なァ校長?」


「……そうじゃな。これで教頭に怒られる事はなくなるじゃろうが……」

「何だよ、何かあんのか?」

「……いや、何でもないわい」


 ジッとテメスを見つめていた校長にボッツは僅かに不信感を抱いたが……「まァ美女だから見惚れてるんだろう」とか雑な結論を出し、深く追求はしなかった。

 

 さて。

 唐突に現れたこの女神官プリーステス・テメスの正体であるが……まぁメーティスである。ここまで引っ張るのもアホらしいくらいメーティスである。校長の視線ももちろん見惚れてるとかではなく相手が上位存在である事を察してのものである。

 いやいや神と人族がこんな簡単に接触していいのか、というか禁じられているって自分で言ってたじゃん、とか色々言いたくなるところだが……彼女の中では今の自分は神ではなく神官なので問題は無い、という事になっていた。実際顔も変えており、世界中に存在する女神像とは別人なので問題は無いのかもしれな――いや、やっぱりグレーゾーンだろうか。

 それでも『ドイナカ村』という自分の一発ギャグのせいでミサキが怪しまれているのだ、もし怒られる事になったとしても自分が何とかしないといけない、と女神が考えるのは当然と言えよう。責任感に溢れたいい話である。……この後に続くのがもっとスマートな解決法だったならば文句無しだったのだが。


「という訳で、こちらが正式なあの子の情報になります」

「おう、確かに受け取っ――……オイ待て、なんだこれは」

「はい? 何がでしょうか」

「なんだこの『ドイナカ村』ってのは」


 結局そこは変わっていない。まぁそれは仕方ないのだ、既に国民証にもそう刻まれているから今更変えようがない。


「何、と申しますと?」

「聞いたことがねぇぞ、というのがまずひとつ。そして何をどうやればこんな名前を書き間違えるんだというのがもうひとつだ」

「当時はいろいろ慌しかったので……」

「いや、それにしたって限度が――」

「慌しかったので」

「だから――」

「慌しかったので」

「……そ、そうか」


(なんかボッツに対して当たりが強くないか……? あ、ミサキ君に対してボッツがネチネチと厳しいからか。一応教師としては最低限の仕事はしとるんじゃがのぉ、不憫なヤツじゃ……)


 神にすら性格を嫌われる男、ボッツ。これはこれで胸を張れる称号のような気もしないでもない。そんな称号を名乗って何の得があるのかは置いておいて。


「あー、で、ドイナカ村ってのは何なんだ? そんなもん存在しねぇだろ?」

「ええ、あれは今年から始まった制度でして。『教会が身元を保証して国民証を発行した人』のうち、教会からの支援を拒んだ――というか、教会から巣立っていった者に与えられる仮の地名です」

「……あァ、なるほどな……」


 国民証の発行には身元を証明・保証する何かが必要となる。多くの場合は血筋や家系で済むが、何かしらの理由でその辺りを証明できない者(例えば孤児など)は誰かに保証してもらわなくてはならない。

 多くの場合、その役割を担うのは教会――普通に教会と呼ぶ場合、最多の信徒を擁する『女神教』の教会の事を指す――になる。彼等は布教活動もそこそこに孤児などの保護に力を入れていることで有名なのだ。未だ争いが存在し、多くの種族も存在するこの世界には『ワケあり』な人は多いので。

 そうして教会に『支援』されて国民証を発行してもらった彼等には、その支援が続いている間は本籍地に教会と同じ地名を記すことが許される。だがいつまでも教会に甘え続けている人などおらず、誰もがいずれ自立する。その際、今までは一時的に(次に本籍地登録をするまでの間だけ)本籍地を空白にする処置が行われていたのだ。

 それが今年からは『ドイナカ村』表記になった。これにより『元々は教会がバックについていた事』と『今は新しい安住の地を探している最中』である事が明確になり、見栄えも空白よりマシになるし、不審に思われ尋ねられる事も減るだろう。


 ボッツはそこまで察し、納得して頷いた。

 教会主導であるなら自分が知らなくてもそこまで不思議ではないし、何よりミサキが教会の支援を受けるような『ワケあり』なヤツだとすれば全てに説明がつく。珍しい外見をしている事、貧乏な事、世間知らずな事、行動が突飛で妙にズレている事、それでいてやる気はしっかりあって真面目な事、全てに。

 よってボッツが抱いていたミサキに対する疑心はこの瞬間に全て氷解した。肝心のその『ワケ』に興味が無いとは言わないが、どうせ面白い話ではないのだろうと考えてしまう程度にはこの世界に『ワケあり』な人は溢れていて、彼もそういった人達を散々見てきている。これ以上追求する気は無かった。


 一方で眼前の存在が『人ではない』と気付いている校長はそうアッサリと納得はしていないが……彼は元々ミサキに敵意や警戒心を抱いた事はない。むしろ良い子だと認識している。彼女が異質な存在と気付いていたにも関わらず、だ。

 そんな彼がこのタイミングで口を挟む理由も、また無い。


「では、そういう事ですので私はこれにて……提出が遅れて申し訳ありませんでした」

「気にするでない。()()()()()()()()()()()()()()

「いえいえ、そんなことは」


 だが、ミサキを信用しているからといって女神に対しても好意的に接するかというと別であり――


「……で、ミサキ君の『ドイナカ村』に関してはこちらで話を進めて良いんじゃな? 彼女の望むままに、望む地を本籍地とさせてやっていいんじゃな?」

「ええ、そうですね。よろしくお願いします」

「ふむ、わかった。ではその辺が固まり次第、最終確認の意味も込めて教会に顔を出してみるとするかの。……その時にまた会えると嬉しいぞ」

「っ……そうですね、その際は是非」


 ようやく尻尾を掴んだ『上位存在』との縁を、そう易々と手放すかと言われるとそれもまた別だった。



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