31.今度こそ、世界は安泰に
カタリナの手の上で小さな女の子に変わった女神は震えていた。
ゆっくりと顔を上げてはみたけれど、カタリナと目が合うと「ヒッ」と小さく悲鳴をこぼしてまた顔を伏せてしまう。
背後では、浄化を果たしたロッサとカシェルが疲労困憊といったていで座り込んでいた。ザールは視線でふたりを確認してほっと息を吐くと、カタリナの手元に視線を移した。
「女神さま、ですか?」
「女神さま、小さくなっちゃった? でも、もとの姿……なんだよね?」
「たぶん、前に見たのと一緒な気がする」
ザールとカタリナの言葉に、サーリスもどれどれと覗き込む。小さな女神の黒かった肌は白く戻り、余計な腕も翼も尾も無くなっていた。
「あのね、女神さま」
『……』
カタリナの呼びかけに、女神は応えない。ただ、蹲ってぶるぶると震えているだけだった。
「これ、世界樹の子から預かってたの。女神さまに会ったら渡してほしいって」
カタリナは、ずっと大切に持ち歩いていた、白い花とつややかな緑の葉がついた小枝を女神の前にそっと差し出した。
「世界樹の子が言ってたんだ。女神さまは本当は優しい女神さまだって。女神さまのこと大好きだから、もとの女神さまに戻ってほしいって」
「世界樹の精霊が、世界樹は女神さまが植えたものなのだと言っていました」
震えていた女神がハッと顔を上げた。目の前に差し出された小枝に恐る恐る手を伸ばし――それから、引き寄せたそれをぎゅっと抱き締める。
『わ、わたくしは――』
「ん?」
『わたくしは、ただ、わたくしを愛してくれる者たちのための楽園を創りたかっただけなのに――』
「そうなの?」
『わたくしの楽園に、わたくしを愛さない者なんていらない。だから、わたくしは、愛してくれる者たちだけがいればいいと』
「でも、あたし、女神さまのこと嫌いじゃないよ」
女神は思わずカタリナに顔を向ける。
ザールも、カタリナに同意だというように頷いた。
「そりゃ、女神さまのせいで破壊教団とかできたし、魔物も出てきたし、女神さまに謝ってほしいこともたくさんあるけど……でも、あたしは女神さまのこと嫌いじゃないよ。それでも、女神さまはあたしのこと追い出さなきゃだめって言うの?」
『それは……』
「あのさあ」
首を傾げるカタリナに、女神は黙り込んだ。
サーリスが小さく溜息を吐く。
「女神って、つまりこの世界創って育成してたんでしょ? それって世界の全部を女神が思い通りにできるってこと?」
『それは……それは……わたくしは、全能ではないから……』
「あと、信者っていうか、この世界に住むヒトの考えとか気持ちって、女神が自由にできるものなの?」
『それ、それは……』
ぐるぐると落ち着かなげに視線を動かしながら、女神は言葉を探す。
「生き物って自由意志があるものじゃん? 人間はもちろん、エルフだって動物だって、好き勝手して生きてるものでしょ?
それにさあ」
女神は黙り込む。
「私が言うのもなんだけど、信仰って絶対じゃなくて変わったりするものだよね。カシェルだって女神の神官やめて時の神の神官に鞍替えしてたし」
『――お前は何が言いたいの』
「つまり予想外であたりまえなんだよ。信仰も永遠じゃない。不確定要素は正義。ヒトの考えることも未来も何もかも先行きどうなるかわからないから楽しいの」
満身創痍のまま、ぽりぽりと頭を掻きつつ、サーリスは続けた。
「で、思ったんだけど、女神が“自分を愛する者”って判断する基準って何? もし女神を信仰して褒め称える信者だけが合格って言うなら、王様のイエスマンだけになった国ってだいたい滅ぶのがお約束なんだけど、そこは大丈夫なの?」
『でも、わたくしは、わたくしを愛する者のための楽園を――』
くしゃりと顔を顰めた女神は、泣き出しそうな表情を浮かべた。
サーリスは、疲れ切って転がったままのカシェルを見やる。カシェルだって女神を信仰していたのだ。あの、魔王に加担していると知ってしまったあの瞬間まで、ギリギリで女神を信じていたのだ。
本来のシナリオでは、邪神は邪神のまま倒されてこの世界に平和が戻り、大団円だった。実際、苦戦はしたけど倒せないわけではなかった。たぶん、だけど。
それなのに、カシェルはロッサの選択に乗って女神を浄化する方向に舵を切った。カシェルが自らの言葉のように女神を恨んで憎んでいたなら、浄化しようなんて考えなかったはずだ。
「別に、信仰してますってわかりやすい態度取ってるヒトだけが女神を愛してるわけじゃないと思うんだけどな」
「あたしも……女神さまのことはどっちかっていうと好きだよ。だって、女神さまがこの世界を創ってくれたから、あたしたちここにいるんだよね?」
「僕も、女神セレイアティニスのことは敬愛しているつもりです」
『わたくしは、ただ……』
蹲る女神に、サーリスはもう一度溜息を吐く。
「私、勇者トレーナーやめるわ」
「え? サーリス様?」
「やめちゃうの?」
いきなりのサーリスの言葉に、ザールとカタリナが声を上げる。
サーリスは頷いて、カタリナの手の上の小さな女神をわしっとつかみ上げた。
『なっ、何を――』
「で、女神トレーナーになるわ」
慌てて暴れていた女神が、「は?」と間の抜けた声を出して顔を上げる。
カタリナもザールも、女神と似たような顔でぽかんと口を開ける。
「考えたんだけど、そもそも最初の魔王の時に女神がヘタレて引きこもったことが元凶なんだよね。まあ、女神セレイアティニスの権能って癒やしと防御特化って聞いてるから、魔王とタイマンとか無理っていうのはわかるんだけど、それでも何もしないで尻尾巻いて引きこもるのって一番だめな選択じゃん?」
『そっ、それは、わたくしだって、戦える力があれば、そんな』
「そうそう、それよ。やる前から逃げちゃうメンタルの弱さと、実際パワー皆無なフィジカルの弱さで、ダブルよわよわ女神だったのがダメなのよ。最低でもどっちかないと有事に行動とかできないわけ」
うっ、と女神は口ごもる。
カタリナが「わかるよ! パワーこそチカラだもん!」と元気よく首肯した。
「だから、女神セレイアティニスは愛されよわよわ女神じゃなくて、愛してやんよなつよつよ女神を目指すべきなわけよ」
「なんとなく、サーリス様が何をしようとしているのかがわかりました」
わしづかみにした女神を目の前に掲げて、サーリスはにっこりと笑う。
「だから女神つよつよ計画のレベラゲなら任せてよ。私が一肌脱いじゃうから」
『わ、わたくしに戦いの権能なんて……』
「権能とか関係ないから大丈夫! フィジカルはちゃんと期待に応えてくれるから。それに、邪神やってるときの女神ちゃん強かったじゃん? 継戦能力で言えば、防御と回復備えた女神ちゃんはこれ以上ないくらい素質抜きん出てるわけよ。
つまり権能とか関係なく才能ありまくり」
汗をひと筋たらしてゴクリと喉を鳴らす女神に、サーリスは力強く頷いた。
「最初は小手調べってことで勇者の試練巡りしよう。ついでに、世界を歩いて女神ちゃんがどんだけ皆に愛されてるかも実感して、もろともに滅しようとしてたことも反省しようか。でもってゆくゆくはつよつよゴリラ女神としてこの世界まるっと守護すれば、いろいろ帳消しもできるでしょ」
「あっ、あたしもいっしょにやりたい! あたしも一緒に最強になる!」
キラキラと目を輝かせたカタリナが、拳を振り上げる。
「あー……それはちょっとダメかなあ」
「ええ、なんで!」
「寿命が足りないんだよねえ。神のレベラゲなんで、ひとまずは百年単位で計画立てるからさ」
ぷう、と不満げに頬を膨らませるカタリナに、サーリスが苦笑する。
「その代わり、ちょくちょく手合わせは頼みに来るから、それで勘弁してよ。勇者の末裔ゴリラ化計画もそっちに任せるし」
「えっ、じゃあ、あたしが勇者トレーナー継いでいいの!?」
「うん、それでよろしく」
「わかった! よろしくされちゃう!」
「……それ、カタリナひとりじゃ物理偏重になってしまうじゃないですか。僕も手伝いますよ。もちろんロッサも一緒に」
へへっと笑うカタリナに、ザールも苦笑を返す。
「じゃ、あっちで転がってるふたりも回収して帰ろうか。勇者の冒険は、お城に帰って宴会やって“そして、夜が明けた!”で締めるものだからね」





