14.邪神の使徒
「邪神の、使徒?」
人型で、身につけているのはどこかで見たような印を染め抜いた神官服だろうか。つまり、あれをなんとかしなければ、鏡は手に入らないということか。
考えていたよりも厄介なことになって、ザールはつい溜息を吐く。
「――俺は、アンデッドが入れない小さな結界を作って瘴気を浄化する。悪魔たちとアレは、カタリナとザールに任せなきゃならないけど」
「わかった。この前の試練の応用だよね。今回は穴に落とせないけど」
「悪魔の群れは少しずつさばけるよう努力します。最優先は僕とカタリナで、ロッサに魔物が向かわないようにすることですね。もうひとつ、ボスの牽制も。
瘴気さえ浄化できれば魔物は弱体化するはずですし……厳しいことにはなりそうですが、勝ち目がないとは言いません」
「うん」
ロッサは足下に銀色の粉を撒く。清めた銀の粉で簡易な魔方陣を描いて、小さな結界を作るのだ。アンデッドはこの結界を踏み越えることはできないから、これでロッサはアンデッドから守られることになる。
もっとも、魔物にはたいして効き目がないし、魔法や飛び道具から守られるわけでもないので使いどころは難しいのだが。
「カタリナ、僕たちはおとりです。まずはボスめがけて派手に突っ込んでください。援護します。ロッサが瘴気を浄化してからが本番ですよ」
「わかった。まかせて。むそーがんばるよ」
カタリナとザールは、気づかれないよう注意しつつ、少々離れた柱の陰に移動する。ロッサが祈りを始めると同時に、ふたりは魔物の群れへ突撃をかけるのだ。
あの試練の時とは魔物の数も強さもだいぶ違う。正直、うまくいくのかはわからないが――やらないわけにはいかないのだ。
「たまねぎ勇者リラリラにして破邪の国の第一王女、カタリナ参上!」
高らかに名乗りをあげたカタリナが走り出す。
まっすぐにボスを目指しながら棘付鎖を振り回し、邪魔な悪魔たちをなぎ払う。遅れてザールがいくつもの火球の魔法を飛ばし、あちこち吹き飛ばしては混乱を誘う。
「おお……おお……大いなる女神よ感謝します……あなたを歪め貶めた勇者を詐称する不埒な者どもが、奴らのほうから来てくれました!」
「不埒じゃないし、詐称もしてないもん!」
魔物たちのボスである邪神の使徒が、二対の腕を掲げて祭壇を振り仰ぐ。
もともとそこに置かれていたのは創世の女神像だった。だが、黒く染め直された女神像には、ボスの服にあるものと同じ印が描かれていた。
「そっちこそ、女神様のこと汚くしたくせに!」
「何を言う、女神より世界を簒奪した最初の勇者の末裔め!」
「さんだつとか知らないもん!」
カタリナは、右手の鎖で邪神の使徒を攻撃しながら左手の鎖で周囲の悪魔たちを転ばせて追撃する。あの試練でさんざん戦ったおかげで、かなり器用なことまで難なくこなせるようになっていた。
ザールも、周囲の魔物たちを壁や火球、それから弱体の呪文も駆使してカタリナを囲ませないように牽制する。
「貴様らこそ女神の前にひれ伏すのだ! 己が罪に震えよ!」
邪神の使徒が上の一対の腕を天に向かって伸ばし、不協和音のような不快な呪文を唱える。
その呪文が何かを察して、ザールがカタリナに叫ぶ。
「カタリナ、退いてください!」
「え――」
使徒を中心に、炎の嵐が吹き荒れた。
まさか、周囲の魔物を気にせずこんな魔法を使うなんて――ザールは慌てて回復と炎耐性の加護を立て続けに放つ、が。
「う……」
「カタリナ!」
炎に巻かれたカタリナが黒焦げになって倒れる。うめき声が聞こえるから、まだギリギリ息はあるのだろう。けれど、起き上がれないのは、ザールの回復では足りないせいだ。
やはり、ロッサが浄化にかかりきりになっていると手が足りない。
「あっ」
背後でロッサの声が上がる。
パッと振り向くと、一体の悪魔がロッサに襲いかかっていた。
「そんな、漏らしてないはずなのに――」
「貴様らの考えることなどお見通しだ。この場より女神の祝福を散らそうなどと、我らが許すと思ったか」
――作戦の前提が間違っていた。
ザールは唇を噛みしめる。
瘴気から生まれた魔物は頭が悪い。たいして知恵も回らない。だから、“魔王”の手先となり“魔王”の指令に忠実に行動するだけである。
今回は、邪教徒の崇める邪神が“魔王”の役目を担っているのだと考えていた。この“使徒”の魔物も、呪文を使うことはできても魔物をまとめあげて行動させるなんてできないのだと。
けれど、違っていた。
人間に似た顔の使徒が、にやりと嗤う。
「魔王軍なんてものがあるのだから、もう少しちゃんと考えるべきでした」
唇を強く噛みしめて、ザールはすばやく状況を確認する。
建物の中だから、高飛びの翼は使えない。ロッサは襲いかかった悪魔の相手で手一杯だし、カタリナはまだ起き上がれない。
だから、ザールがなんとかしなければならない。
「身体がふたつ欲しいくらいですよ」
とにかくカタリナを回復する時間を稼いで、どうにかしてこの場を脱出するのだ。手が足りなさすぎるけれど、四の五の言っていられない。
ザールはすばやく“壁”の呪文を唱え――
「――く」
心臓をぎゅっと握られるようなぞっとする冷たさに、集中が乱れた。
足下を見ると、床から生えたゴーストの手が足を掴んでいた。
「しまった」
聖堂という広い空間だからと油断した。
実体を持たないゴーストは壁を抜ける。もちろん、床もだ。
そして、たいていの神殿の地下には納骨堂が作られている。そこにアンデッドが多数さまよっているなんて、自明の理だった。
ざわざわと、存在の根源を脅かされるような冷たさに、心臓がバクバクと悲鳴を上げる。
けれど、それでももう一度、ザールは呪文を唱えようと集中する。
ロッサが相手にしている悪魔に押され、じりじりとザールのところへと近づいて来ていた。使徒は、ザールとロッサふたりまとめてと考えているのだろう。
ここでザールまで倒れたら、どうにもならなくなってしまう。
ヒィ、というゴーストの悲嘆の声が、床から這い上がってくる。
完全に拘束される前に、早く呪文を唱えて――
「悪あがきは止めよ。貴様らは我が女神への贄となれ。
我が女神を崇めぬ世界など無くなってしまえばよいのだ。
そして、女神に忠実なる我らのために、祝福に満たされた世界をもう一度」
そこに、ヒュ、と小さな何かが飛び込んだ。
今度は何が来たというのか。確認しようと顔を上げたザールの目の前で、その小さな何かが爆発するような輝きを発する。
「今度は何だっていうんですか」
視界が真っ白に染まったザールの意識は、そこでぷつりと途切れた。





