蛇足のその後、伝説は続く
見事魔王を討ち果たし、王都グランデスへ帰還した勇者アヴェラル・ロアレスは、父オリヴァルを伴っていた。
最後まで戦いを共にした仲間はもちろん、先の勇者オリヴァルと共に戦ったからこそ――そして神々を含め世界のあらゆるものの協力あってこその勝利だとも語った。
その、オリヴァルとアヴェラルは、帰還の後、報償として与えられた領地に早々に引っ込んでしまった。
王宮への出仕も王女との婚姻も何もかもを蹴って、ただもう静かに暮らしたいという勇者たっての希望だった。
「アヴェラル様、来てしまいました」
客だと言われたアヴェラルがサロンへ向かうと、そこにいたのは聖女フェレイラだった。式典その他諸々を終えた後、彼女は教会へ戻ったのではなかったか。
「この近くに何か?」
不思議そうに首を傾げると、フェレイラはくすくすと笑う。
相変わらず表情は乏しいアヴェラルだけれど、これは困惑している時の顔だとフェレイラにはすぐにわかった。
「何もありませんわ。単に、私がアヴェラル様に会いたくて来たんです。
王女殿下を振って田舎に引っ込んだと聞きましたから」
「ああ」
勇者としてのアヴェラルが欲しいと、王は考えたのだ。
オリヴァルには既に母がいるから、まだ歳若く独り身のアヴェラルに王女をあてがって、王族に取り入れようと。
だが、アヴェラルが頷かなかった。
王国の民として元勇者として,力が必要であるならいくらでも貸すが、それ以外は静かな場所で暮らしたいのだと頑なにかぶりを振って。
「でも、それでどうして?」
「――アヴェラル様の経験ゆえなのかもしれませんけど、そこまで言われなければ本当にわかりませんか?」
アヴェラルの頬がさっと紅潮する。
「それは……」
「やっぱり、わかっていてとぼけていたんですね」
ふっふっふと、聖女らしからぬ笑みを浮かべたフェレイラが身を乗り出した。
「私、アヴェラル様とこの先の一生を共に過ごしたいと決めて、こちらに参りました。どうか末永くよろしくお願い申し上げます」
「待ってくれ、まだ何も返事してないだろう?」
「あら、断るのですか? 満更でもないはずなのに?」
「な、どうして」
「見ればわかりますわ。そんなに真っ赤なんですもの」
くすくすと笑いが止まらないフェレイラに、首まで真っ赤になったアヴェラルが顔を顰めてみせる。
「でも、君は聖女だろう?」
「あら、“元”ですわよ」
元、と呟くアヴェラルに、フェレイラは満面の笑みで頷いた。
「そもそも、役目を終えた聖女は速やかに位を退き後進に託すのが慣例です。主に、婚姻を結ぶためですけれど。
私は勇者と共に魔王を倒すというお役目を立派に果たしましたから、もう十分だと聖女の位を退きました。ですから、アヴェラル様。どうか私と……」
「だから待て。待ってくれ、フェレイラ。その先は俺が先に言う。
――フェレイラ、君がもう聖女ではないというなら、どうか、この先の長い人生を俺と共に生きてほしい」
「もちろんです、アヴェラル様」
* * *
「うわぁぁぁぁ! カシェル、カシェルちょっと来て!」
「今度は何ですか」
カシェルはガサガサと藪をかき分けて、絹を引き裂くような……などとはどう転んでも形容できない悲鳴を上げるサーリスのところへ急ぐ。
あの一連の出来事の後もサーリスは相変わらずカシェルを引き回し、やりたい放題の毎日を送っているのだ。
「見て、拾っちゃった」
「――これは何ですか」
「間違いなく人間の子供? たぶん十歳になるかならないかくらいの」
サーリスが抱き抱えた幼い子供をじっくりと眺めてから、カシェルはいつものように大きな大きな溜息を吐く。
森で人間を拾うなんて、いつぞやのようではないか。
「拾ってどうするつもりですか。森に人間を入れるのは禁じられて――」
顰め面のままいっきにそこまで言って、カシェルはふと気づく。
あれから、もう既に百年近く経ってやいないか、と。
「やっぱ気づいた? そうだよね、たしかそろそろ次が来る百年目なんだよね。
勇者候補探しに行かなきゃなーって思ってたところにコレじゃん?
つまりこの子が勇者候補なのかなって」
「それ、短絡的過ぎませんか」
カシェルはまた大きな溜息を吐く。
あと何百年経てば、サーリスは落ち着くのだろうか。
「この子の素質次第だけど、伝説の勇者トレーナーとしてはしっかり鍛えてあげなきゃいけないと思うんだよね」
「この子が候補と決まったわけじゃないでしょう。親元に返すのが先決ですよ」
「でもタイミング的にさあ――」
腕の中から上がった「う」という小さな声に、ふたりともピタリと口を噤む。
目を覚ました子供が、サーリスの腕の中で薄目を開けて身じろぎをした。
「わー! 目が覚めた? 目が覚めた? わたしはサーリスでこっちはカシェル。君の名前は何?」
「ぼく、ぼくは……」
ぱちぱちと数度瞬きをした子供は、覗き込むふたりに大きく目を瞠る。
「――エルフ!? エルフって本当にいたんだ!」
「そうだよー、エルフだよー、本物だよー。
で、君の名前は?」
「ぼく、ぼくはカステル・ロアレスって言います、エルフさん!」
魔王が消えた後もエルフは相変わらず森に引き篭もっているため、人間の間では珍獣扱いだ。もしかしたら絶滅危惧種くらいに思われてるのかもしれない。
そんなことをちらりと考えたところで「ロアレス?」と呟いて、サーリスはカシェルと顔を見合わせる。
「そっかあロアレスかあ……なるほどなあ」
「ロアレスでは、仕方ありませんね……」
私とカシェルは空を見上げた。
あの時は薄ぼんやりと灰色だったけれど、今はもちろん晴れ渡っていて青い。
森の中だって、降り注ぐ陽光に照らされて明るい。
「この子が来たってことは、また穴が空いたってことだよね。
つまり、やっぱり予想どおり次が近いってことか」
「まさか本当にサーリスの言ったとおりになるなんて」
いったい何の話をしているのかとカステルは困惑の表情を浮かべ、サーリスとカシェルを交互に見つめる。
そのカステルに視線を戻して、サーリスはにこりと笑った。
「よくぞ参った勇者の子孫、カステル・ロアレスよ」
サーリスは口調を変えて、うぉっほん、と似合わない咳払いをする。
「何を隠そう、私こそが伝説の勇者トレーナー、サーリスである。そしてこっちは“時の神の神官”カシェルだ」
「え?」
「これより数年ののちに、この地に災いが訪れる。そなたはそれまでに勇者とならねばならないのだ、運命の子よ」
勿体ぶった言い回しで告げられた言葉に、カステルはポカンと口を開けた。
「――ほんとうの、ほんとうに? ぼくが、ひひ爺さまみたいな勇者に?」
「ああ、ほんとうのほんとうにだとも。
だが勇者の修行は厳しいぞ? かの勇者オリヴァルですら、死んだ魚の目でいつまで続けなければならないのだと私に問うたくらいに厳しい修行だ。
そなたに耐えられるかな?」
「ぼく、がんばります!」
「よくぞ申した!」
横で吹き出さないよう歯を食いしばるカシェルの横腹を、サーリスは小突く。
「よし、同意ゲット。それじゃあ修行は明日からにして、今日はしっかり休もうか」
「はい!」
「うん、いい返事だ」
カステルを下ろすと、サーリスはその手を引いてゆっくりと歩き出す。
「修行はともかくとして、それではしばらく、あの“秘密基地”で生活ですか」
「そうだよ。森に入れたら怒られるしね。
あ、カシェルって、時間の流れが超速くなる修行フィールドとか出せたりしない? 時の神のパワー借りてさ」
「できるわけないでしょう」
ちぇーと口を尖らせながらも、サーリスは少し浮き立つような足取りだ。カシェルも、苦笑を浮かべつつそれに続く。
再び魔王が現れることは確定してしまったが、サーリスはそれに打ち勝つ未来を知っている。なら、その約束された未来の勝利へと着実に進んでいけばいいだけだ。
問題は、すべてが終わった後でカステルをどうやって帰すかだけど……
「なるようになるんでしょう」
カシェルはもう一度空を見上げて笑った。
だがもちろん、勇者カステルは、攫われた王女様と「さくばんは おたのしみ でしたね」と言われる仲となり、この世界に骨を埋めるのであった。





