結.そして、旅の終わり
麗しき創世の女神セレイアティニスは、これからしばしの間、“永久の牢獄”に、改悛を認められるまで幽閉される。
森の神フォルケンセがそう告げると、女神は子供のようなギャン泣きを始めた。
森の神フォルケンセ曰く――女神が己を慕う善きものたちに報いるための楽園を創りたいと申し出た時、善神としての最終試練のようなつもりで許可を出したのだとか。
もちろん、善の神々がこの世界と魔王を静観していたのも、女神がどう応じるかを見るためだった。
――つまり、ここは巨大な女神の試験場。
マジかよ、と私もカシェルも白目を剥いていた。
要するに神々の遊び場っていうやつか。私たちの存在意義って。
『だが、まあ……光の神スラニルフェスだけは放置が過ぎるのはと言って、己の世界から勇者を遣わすことに決めたのだがな』
まさかその勇者までを己のためのものなどと考えているとは思わなかったが。
森の神フォルケンセが、大きな大きな溜息を吐く。
もっとも、その女神は『わたくしのために作ったわたくしのための世界なのに!』と相変わらずギャン泣きしているのだが。
この女神がきちんと反省し改悛して真っ当な善の神となる日は来るのだろうか。
それにしても、“女神は己を慕う者たちを引き連れ、彼らのための楽園としてこの世界を創りたもうた”なんて――誰が言い出した神話なのだろうか。
半分しか当たってないのは、せめて神話の中では夢を見たかったのか。
「――なぜ」
ん、と全員の視線がアベちゃんに集まる。
「なぜ、俺は何度も何度も繰り返すことになったのでしょうか」
何を、とは言わないけれど、何のことだかはすぐにわかった。
勇者アヴェラルは、この魔王討伐の旅を少なくとも百回は繰り返していると言っていたのだから。
『それは、わたしから説明しようか』
ふわりともうひとり……いや、一羽降り立ち、フォルケンセの肩に止まる。
夜の訪れを告げる夜鳴鶯だ。
女神をちらりと見遣った夜鳴鶯がパサリと翼をはためかせると、ギャアギャアうるさかった女神は、ぴちぴち囀る小鳥に変わってしまった。
『わたしは時を司るクァディアマル。この鳥はわたしの遣いだ。
まずは若き勇者よ、そなたに弁明を』
夜鳴鶯は、アベちゃんに顔を向ける。
『本来、そなたの“やり直し”は、ただの一度のみとなるはずだった』
「え……」
戦いが終わった後、呆けたようにぼんやりしていたアベちゃんが、顔を上げる。
やり直しって、つまり、アベちゃんは本当に何度もループしていたのか――まるで少し前に流行ったSFかラノベみたいに。
いや、流行ってたのはここじゃなくて私の前世でだけど。
『だが、ここはそやつの申すとおり、彼女の作った世界。女神の影響は大きく、わたしの介入は半端なものとなってしまった』
「それじゃあ……」
『加えて、そなたの願いの強さも影響し、願う未来を得られるまではと、幾度も幾度も繰り返すことになってしまったのだろう』
夜鳴鶯は小さな囀りを挟んで続ける。
『さらには、そなたのみの“繰り返し”で一度定まった道を外れることもできなかった。これから起こる未来ではあっても、そなたにとっては何もかもが既に確定してしまった過去の出来事であったが故だ。
これは、そなた自身よくわかっていよう』
アベちゃん以外にとっては未知の未来の出来事でも、アベちゃんにとってはそうじゃない。単に、既に経験した過去をなぞっているだけにしか過ぎない。だから何度繰り返しても、アベちゃんはオリさんの戦いに間に合わなかった。
つまり、そういうことだというのか。
アベちゃんは押し黙る。
いったい何度繰り返したんだろう。
私のダンジョンレベラゲ周回とどっちが過酷だったのか――レベルという達成感を得られるレベラゲ周回のほうがマシか。
『何度も同じ未来を繰り返すそなたの悲鳴で、わたしはまだ足りぬものがあったことにようやく気づいた。
あるものを巻き戻したとして、生み出せるのは同じものだけなのだと。
だからわたしは、さらなる不確定要素の種をひとつ蒔いた。その種は無事に芽吹き育ちそして実り、そなたはようやく繰り返しを脱することができた。
世界はふたたび未知なる未来を生み出すだろう』
だからこれは大団円でハッピーエンドなのだと、そう言いたいのだろうか。
私は思いっきり息を吐き出した。
「――そういえば、女神が反省坊入りしたら、女神の神官とかどうなるの? 神殿とか、あちこちにあると思うんだけど」
『心配は無用だ。この森の神フォルケンセが後を引き受けよう』
私の疑問に、フォルケンセがドンと胸を叩いて請け負う。
それで済むことなのかと私は驚いたし、カシェルもどこか不信感を滲ませた半眼でフォルケンセを見返していた。
ついでに、外見だけはたおやかだった女神からいきなりこんないかついおっさん神に変わってしまって、神官たちは耐えられるのだろうか。
そこはかとない心配が湧き上がるけど、口には出さない。
「とりあえず、神不在になるんじゃなきゃ、いいか」
神が実在して加護やら秘蹟やらあれこれと便宜を図ってくれる世界で、神不在になるのは大事だ。だが、後任が決まってるならなんとかなるだろう。
それにしても、カシェルは今後どうするのか。
信仰先を乗り換えるのか、このまま転職するのか……ちらりと見てはみたけれど、何を思っているのかはわからない。
「あと……そうだ」
私はひとつ思い出して口を開く。
ここまで裏設定が多すぎて、ここが本当にあのゲーム世界と同じなのか微妙な不安はあったけれど、懸念事項は潰しておかねばならないのだ。
何しろ、故郷へ凱旋するまでが“勇者の冒険”なのだから。
「ひとつだけ、お願いを聞いて欲しいんだ」
『ほう? 種よ、何を願う』
夜鳴鶯がきゅるりと首を傾げる。
種? 私が? もしかしたらと思ってたけどやっぱりそうなの?
と、一瞬意識が散ったけれど、いやいやそれよりこっちが先だと私は頭を振る。
「オリさんとアベちゃんたちを、故郷に戻して」
夜鳴鶯とフォルケンセが顔を見合わせた。
そのくらいできない、とか言わないよね?
『ふむ、ではそなたも知っているというわけか』
『そなたに背負わせた役目に対し、ずいぶんと軽い願いに思えるが』
「軽くないよ。百とウン十年越しの私の悲願なんだから。私、そのためにサルみたいに延々リピートしてたくらいだもん」
『――なるほど。“繰り返し”には、そなたの思いも影響していたのかもしれぬな』
は? と聞き返す私に、夜鳴鶯は笑うように目を細める。
アベちゃんの地獄のシナリオ周回に私が関わってるとか聞き捨てならない……が、それはおそらく神の気のせいだ。私にそんなパワーはない。
『彼らはわたしと森の神がきちんと送り届けると約束しよう』
私は「うん」と頷いた。
視線を動かすと、黙って話を聞いていたオリさんとアベちゃんが私を見ていた。
「サーリス殿……その願いはいったい」
「どうしてそのことを」
「エンディングでさ、“その後、勇者の姿を見た者はいない”って語られるんだよね」
きっと、勇者ならどうにかして……さらに冒険を重ねて帰路を見つけて絶対帰ったはずだと、児童だった私は信じることにしていた。
今ならそれを事実にできると言われれば、私は全力で飛びつくまでだ。
「だから、オリさんとアベちゃんたちはここで姿を消して、魔界には功績と余韻だけを残して元の世界に帰って、ハッピーエンドを迎えるんだよ」
何度も繰り返してきたアベちゃんは、この後、魔王を失くしたことで魔界と元の世界を繋ぐ扉が消えてしまうことも知っていたんだろう。
二度と故郷へは戻れず、魔界に骨を埋めることになるんだと考えていたはずだ。
でもそれじゃ、故郷のお母さんは夫に続いて息子までなくしたまま余生を過ごすことになってしまう。
「大丈夫、功績の横取りなんてしないし、親子勇者の伝説は私ががっつり語り継いで行くよ。数百年は余裕でね」
「サーリス殿、そういうことではなく――」
「ま、サーリスのことなので、とんでもない脚色を加えてとんでもない伝説にしてしまいそうですが」
「サーリス殿、カシェル殿」
「そこは僕がきちんと監修しますから、ご心配なく」
やれやれと補足を入れるカシェルを、私は軽く睨む。そんな脚色、ちょっとしかしないつもりなのに。
「――おふたりに感謝を。このままひとりで行っても死ぬだけだと言われた時には何のことだと思ったが、たしかに、俺ひとりでこれは成し得なかっただろう」
「俺も……あなたのおかげで、ようやく、父に会えた。感謝を……」
アベちゃんの言葉の最後のほうは尻切れ蜻蛉になってしまった。
やっと、実感が湧いてきたのかな。
「――とにかく、これからはお互いの世界でがんばっていこう!
じゃ、神様よろしく!」
『わかった』
勇者の返事を待たず、夜鳴鶯がサッと翼を振る。
オリさんとアベちゃんたちの姿が消えて、それから神たちの姿も消えて……私とカシェルだけが、魔王城の地下に取り残されていた。
「ついでに私たちも森に戻してくれって頼めばよかったな」
「サーリスはいつも詰めが甘いですよね」
頼み忘れたものは仕方ない。
私とカシェルはやれやれと肩を竦め、歩き出した。
「森に戻ったら、次は百年後に備えようか」
「――え? 百年後? 何に備えるんです?」
「百年後にまた別な魔王が来るから、次のゴリラ育成考えないと詰むかなって」
「は?」
「だって、勇者の剣も血筋もここに残ってないしさ。続編て、たしか百年後だったと思うんだよね」
また、あの周回を……と、燃え尽きたように真っ白な顔色で黙り込むカシェルの背を、私は小突く。
「とはいえ、今から次の勇者候補探したって早すぎるし、とりあえずは“神の鉄”探しやろうよ。それ見つければ、勇者の剣もう一本作れるから!」
カシェルは大きな吐息を漏らして、「少なくともあと百年、サーリスに引き摺り回されるんですね」と呟いた。





