29.私達が出会うまで(王国編23)
「そして、クリスタ様が10歳の時、母上が亡くなり、ひと月立たないうちに愛人とその娘が、オトネル子爵家に入りました」
「ひと月立たない内なんて……!」
アリュシアーデが子爵を非難する。
彼女の母親も幼い時に亡くなっている。夫人を深く愛していた公爵は、再婚の話を全て断っていたが。
「そこから後は、リカが見聞きしてきたことを私が話すわね」
ベアトリスが、深呼吸をするように息を吐いた。
「大体、今までのお話で、あまり楽しい展開にならないのはお分かりかもしれませんが、クリスタ様の苦労は10歳の時に始まりました」
セルリアンの手が、膝の上でぎゅっと握られた。
「愛人とその娘を家に入れた子爵は、今まで苦労をさせたからと彼女らに贅沢三昧をさせ、クリスタ様には自分の仕事を任せるようになります」
「10歳の子どもにですか?」
アリュシアーデの疑問に、ベアトリスは悲しそうな微笑みを浮かべた。
「もしかしたら、関係の良くない後妻と接触をさせないよう、クリスタ様を書斎に匿う為だったかもしれませんね……ですが、そこでクリスタ様の才能が見い出されます。彼女はとても頭が良く特に計算が早かったので、任せられる仕事はどんどん増えて行ったのです」
秀才揃いのフィデル伯爵家――その血を引いた事の証明のような話だが……
「10歳の子どもに……」
今度はセルリアンがつぶやいた。
「えぇ。幼い彼女の筆跡があった書類も、たくさん残っていましたわ。おそらくお役所などにも残っているでしょう。その後、『お嬢様にさせるべき仕事ではない』と彼女を庇った執事も、義母や義娘の気に入らない行動を取る使用人も、次々辞めさせられ……お屋敷内に彼女の味方は誰もいなくなりました」
何とも言えない、重い空気が流れる中で、ベアトリスはお茶を一口飲み、再び口を開いた。
「以前の子爵夫人は、きちんと社交をなさっていたので、亡くなった後も、お茶会のお誘いなどが子爵家には来ましたが、子爵夫人宛の招待状は後妻に……まぁこれは仕方ないでしょうが、子爵令嬢宛の招待状も、義娘が受け取り出席していました。年回りが同じだったこともあり、令嬢に対する多少の違和感は、見過ごされたのでしょう」
こうしてオトネル子爵の一人娘は、後妻の娘『エリザ』という事になっていったのです――とベアトリスは締めくくった。
「例外は、三か月前の式典ですわね」
「あの招待状は、本人以外が使えませんからね……」
「えぇ、揉めたそうですよ。ですが子爵も王家を偽る度胸はなかったので、クリスタ様が出席されました。あのドレス類は全て義姉の物だったみたいです」
「だから……あんな……」
「頭の先から足元まで、全部義母と義姉の、いわば『お仕着せ』です」
セルリアンは下を向き、あの日の彼女を振り返る。
令嬢達に見下され嗤われる姿をして、彼女はどんな思いであの場所に立っていたのだろう。
(気になっていた女の子にやっと辿り着いたと、呑気に喜んでいた自分を殴ってやりたい)
「ごめん……なさい」
その時、何故かアリュシアーデが謝り出した。瞳には涙も浮かんでいる。
「君が謝ることはべつに……」
「違うの! 私、私は……妃殿下から聞いていた事があったの」
『妃殿下』というのは、王妃でありセルリアンの母の事だ。
「アリュシア、聞いたって、何を……?」
「セルリアン……貴方の婚約者候補 ―― 上位貴族の中でも歳が合う令嬢は、それなりにいたけど、貴方は誰にも乗り気じゃなかった。政略的に決め手のあるお相手もいない。それで……下位貴族の中からも探す案が出ていたのよ」
セルリアンの瞳が大きく開かれた。
そんな話は、聞いた事がなかったのだ。
「……まずは、子爵令嬢の中から、伯爵や侯爵、公爵家の血を継いだ令嬢をと言う事で、名が挙がったのよ。代々優れた学者を出して来た、フィデル伯爵家の血を引く令嬢がいるって……!」
吐き出すようなアリュシアーデの言葉に、セルリアンは全身の時が止まったように感じた。
「結局その後、国として忙しくなって流れてしまったけど……私が……、貴方がフィデル夫人縁の少女を探していると知っていれば、多少無理を通してでも、顔合わせのお茶会を開いてもらえたかもしれなかったのに! だから貴方、私にだけは言っておけばって……!」
12歳の自分が、10歳のクリスタを紹介されて、あの紅茶色の瞳を見ながらお茶を飲み、話をして、もしかしたら婚約者になっていたという未来があったのか? とセルリアンは愕然とした。
実母が亡くなっても、第二王子の婚約者なら疎かに扱われることはなかっただろう。
出会ったあの庭で、今度は兄やアリュシアーデと一緒に笑って……
(いや、そんな未来はなかった)
泣いているアリュシアーデの背に、ベアトリスが手を当て慰めているのを見ながら、彼は気づいてしまった。
自分の婚約者が決まっていたなら、アリュシアーデを匿うために、婚約者にすることなどできなかったと。
そうなれば、今頃アリュシアーデは他の誰かの婚約者か、既に他国に嫁いでいて、二度と王太子である兄と会うことができなくなっただろう。
ベアトリスを慕う未来はなく、彼女を憎んだままで。
(それに、兄とアリュシアーデの不幸を、おそらく自分は見過ごす事は出来なかっただろう)
その結果、婚約解消を持ち掛け、クリスタをもっと不幸にしたかもしれない。
全ての責任を、嫁いで来たベアトリスに擦り付けて、彼女を陥れようとさえ、していたかもしれない。
だから……
「いいんだ、アリュシア。君には何の責任もない。君の言う通り、私が君に、『あの子』の事を告げておけば、良かったかもしれないだけの話だ」
「……でも……でも、そのせいで、クリスタ様は酷い目に合われて!」
「それこそ、アリュシアのせいじゃない」
巡り合わせという奴だろう。
(もしくは『運命』か)
ベアトリスの言うように、彼女が自分の運命だというのなら、離れた縁を取り戻すだけだ。
「私も、もう諦めないから、アリュシアは出来る範囲で助けてくれればいいさ」
アリュシアーデはまた泣いてしまった。だが今度は、何度もうなずいていた。
涙を拭った後、アリュシアーデは声を上げた。
「お、お父様に、クリスタ様を保護していただけるよう頼むわ!」
「それは無理かな……」
「どうして? 私の妹にしてしまえば、色々都合が良くなるわ」
アリュシアーデは、クリスタの身分の事を言っているのだろう。
確かに公爵令嬢になれば、セルリアンの婚約者としてどこからも文句は出ないだろうが。
「アリュシアーデ様、貴族の子息令嬢の養子縁組は、貴族院の了承と、両者の親の承諾なしには出来ないのですよ」
「貴族院は動かしようでは何となるが、オトネル子爵家は無理だろうね」
「なぜです! 冷遇しているなら、他所の子になっても平気ではなくて? それに支度金なら幾らでも出します」
アリュシアーデは、亡き母の個人財産をすべて譲り受けている。
フォートナム公爵なら、そんなものに手を付けなくても、アリュシアーデに言われるまま出すだろうが……
「クリスタ嬢は、子爵家の跡取りなんですよ、アリュシアーデ様」
「エリザとかいう可愛いお嬢様がいらっしゃるんでしょう? その方に継がせればよろしいのではなくて」
氷のように冷たいアリュシアーデの言葉だったが……
「『エリザ』は、子爵家の籍には入っていなのです。そのおかげで、我々は調査方向を誤りました」
サイモンが忸怩たる思いを抑えて、淡々と告げた。
「え、母親の方は籍に入っているのでしょう?」
「それも、貴族院は随分時間をかけたと聞いています。それまでの過去が分からない者を、いきなり貴族籍に入れる訳にはいかないのです」
罪人やスパイを、自国の中枢に入れない為の措置だった。
この国には平民の戸籍はないので、生まれた時や成人の時に受ける、神殿にある祝福の記録や、地道な聞き取り調査により、他国の人間ではなく自国の民と証明されるらしい。
「その理屈で言うと、『エリザ』さんが、籍に入れない理由は何かしら?」
エリザは生まれた時から今まで、ずっと母親といた筈だった。
…アリュシアーデさんは、セルリアンの想い人が『フィデル伯爵家』つながりの令嬢かもしれない、と聞いてからずっと悩んできて(もちろん彼女のせいではないのですが)、責任を感じていました。
…それもあって、クリスタが第二王子妃になってからは、とても気をつかって庇ってくれるよー('ω')ノ
という話です。
…婚姻後のクリスタの事も、そのうち書きたいですね。
(書籍の書下ろしにちょろっと出て来ます)




