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22.捻れた喉元


 乙女ゲームのヒロインというのはイケメンの男友達が多いものである。

 己を振り返ると、まったくウラヤマケシカラン限りだ。思えば前世今世含め、つまんない学生生活だったよなー。

 学生時代だけじゃあない。亡夫もフツメンだし、前世の恋愛遍歴もまあ皆無とは言わんけど、別に特筆すべき点はないし……乙女ゲームなんかに嵌ってた時点でお察しだろう。


 それは兎も角、オリーブ嬢にシオン王子を推したいローゼ嬢は、気が気じゃなかったはずだ。何しろシオン王子は顔も良いし地位もあるけど、性格はイマイチ微妙だし、婚約者持ちってハンデは結構大きい。他にフリーの男子がいたら、普通そっちに靡いても不思議はない。

 その中で、ローゼ嬢が最も警戒したのが実弟のカイト君だった。

 ルッツ君は頼りになる好青年だけど、今のところ格闘技にしか興味ないから問題ない。ユーハ君は表面的な女遊びがマイナスだし、本当はローゼ嬢の味方だとわかっている。ギル君は掴みどころのない不思議ちゃんだから、正直オリーブ嬢では持て余すだろう。

 カイト君に横恋慕されるのは危険だ、とローゼ嬢は判断した。実際に彼はオリーブ嬢に好意的で、明らかに異性として慕っている風に見えた。


 ローゼ嬢はシオン王子の恋路のために、カイト君を遠ざけようとした。有り体に言えば、牽制した。


「ローゼ様はオリーブさんの素性を、その根拠と共にカイト様に伝えました。シオン殿下が知れば、おそらく自分との婚約を破棄し、オリーブ嬢を娶るだろう、と」

「カイトに身を引かせようとしたってか」

 ユーハ君が呆れた様子で肩を落とした。

「あの馬鹿……逆効果じゃねェか」

 言えるのは結果論だからだ。そのときのローゼ嬢は、それが最善手と判断した。

 好きな相手とライバルの障害がなくなるとして、玉砕するか幸せを祈るか。自分の弟は後者だと、ローゼ嬢は思い込んでいた。


 でもまさか、いくら身近にいても予測できないってば。一足飛びに邪魔な姉と恋敵を同時に排除して結果を得ようなんて発想、普通のひとは絶対しないよ。


「ローゼ様が亡くなれば、当人すら知らないオリーブさんの秘密は守られる。シオン殿下が犯人と糾弾されれば、王子としての信頼は失われ、発言権は奪われるでしょう」

「確かに王の子は私ひとりではない。大公家の姫を殺したと見做されれば、容易に立場を追われただろうな」

「カイト様から見ても、オリーブさんに一番近しい男性はシオン殿下だったのでしょうね。だから、殿下を標的にした。しかし――」


「彼もまた、見てしまいました。金木犀の樹の下にいた男女の姿を」

 私は肩を竦める動作をした。

 ああ、と相槌を打ったのはルッツ君だった。

「俺が裏門から露台を見たとき、ローゼに扮したカイトは下を覗いていた。カイトもまた、貴女をオリーブと勘違いしたのか」

「確かに昼間、食堂で証言していたな。あれは事実だったのか。だが実際には二階ではなく四階から見ていたから、アニー教員をオリーブと誤認した、と」

「そうです、シオン殿下」


「先程二階の調理室から確認した通り、裏門や四階と違い、二階程度の距離であれば見間違える可能性は低い。なので、わたくしはカイト様が調理室に行っていないのではないか、と疑いました」


 それこそがカイト君の痛恨のミスだ。

 いや、もちろん二階からだって人違いをしないとも限らないし、私の顔までは見てなかったとか木陰だったとか、いくらでも言い訳はできるだろう。

 ただ――彼は私やギル君に糸口を提供してしまった。

 カイト君のアリバイがないに等しいことも、カイト君犯人説に拠れば整合性が取れることも、すべて彼自身がギル君と「オリーブ嬢」を見たと断言したのをきっかけに思い至ったのだ。


「調理室に行っていないのであれば、どこにいたのか? 腕輪はどこで手にしたのか? 逆に、中庭の我々をどこで目撃したのか? 突き詰めていくうちに露台にいたのは偽のローゼ様という馬鹿げた……いえ、突拍子もない結論に達した訳です」


「だが、物証はねェよな」

 ユーハ君が顎に手を遣り、少し考える仕草をした。

「だから、俺たちを連れ回したのか。調理室でわざわざ外から中庭のギルとオリーブがどう見えるか視認させた後で、カイト――犯人の勘違いを指摘してみせた。失言を自覚させたんだな。こいつが観念するように」


 ご名答、だ。

 だから私は探偵でも警察でもない、モブ教師なんだよ。殺人事件の証拠なんて挙げられる訳がない。襤褸を出させるので精一杯だった。カイト君が早々に自爆してくれて助かった面もある。


「尤も、カイト様はずっと逃れようと画策はしていたようです。本来であれば即座にシオン殿下に疑いの目が向き、目的は達成されるはずでした。しかし学園側は醜聞を恐れて保身に走り、当初の調査をおざなりにしてしまった」

「つっても結局、教師(あんた)が乗り出してきた訳だろ?」

「ええ。きっとわたくしの調査の進度によっては、自分の望む解答に誘導することも考えていたでしょうね。そんな折、食堂での一件で、カイト様は目論見が半分しか功を奏していないことを知りました」

「私が……露台の偽ローゼを見ておらず、ルッツとも遭遇していなかったからか。それでもまだ、第一発見者である私を巧く犯人に仕立て上げることは可能だったろうに」

「実際そうなりかけましたしね」


 皮肉でもなく、私は首肯する。

 事実、シオン王子犯人説は私も一度は疑った。ユーハ君すら途中でそちらに傾いた。

 遺体発見時に見せた動揺だって衝動的に殺してしまった故と言われたらそんな気がするし、中庭のギル君と私(彼視点ではオリーブ嬢)を目撃した後の行動も、逆に不自然だと言われれば納得感はある。

 また、呼び出しの手紙が本物だろうが捏造だろうが、シオン王子の冤罪を覆す根拠にはならないのだ。


「多少予定は狂ったとしても、シオン殿下の犯行だと後押しするだけで、カイト様は目的を達成できたはずです。なのに自分から墓穴を掘りました。無理に方向転換をしようとしたからです」

「……?」

 私は一同の怪訝そうな視線を受ける。

 そうだよね。カイト君が犯人という先入観(幸い合ってたけど)から気をつけてたなら兎も角、普通の会話の中じゃあスルーしても仕方がない。

「飽くまでもわたくしの印象です。ですが、おそらく間違いないと思います。カイト様は今日、シオン殿下ではなく、明らかにギル殿下とオリーブさんに疑惑が向くような話し方をしていました」


「言われてみれば確かに……オリーブが、いや実際には先生だった訳だが……ギルと別行動になった後の動向を指摘していたな。それに調理室でいきなりギルの国の本を出してきたのもそれか?」

「そうなんだ……? 僕は、その場にいなかったからね」

 ルッツ君がつい先刻の記憶を辿りながら言うと、ギル君が首を傾げる。

「食堂で、シオンが主張してた……僕とオリーブの共犯説、ありだと思ったのかな?」

「カイト君が私を、犯人にしようと……?」

 オリーブ嬢はこれ以上ないくらい真っ青になっていた。

 自分の親しい後輩が殺人犯というだけでもドン引きなのに、知らないところで濡れ衣を着せられそうになったら、誰だってそうなるだろう。


「そうですね。例えば、ローゼ様がオリーブさんの素性を知り、何らかの脅迫の種にした。調理室の本に腕輪が隠されていたのは、ローゼ様がその残した符号だった。殺害の動機は隣国のお家事情でギル殿下も共犯だ――とでもでっち上げるつもりだったのでしょう」

「カイトは犯行後、正門でギルと遭遇した。だから、逆にオリーブの不在証明はなくなったと踏んで犯人に仕立てようとした訳か。まあルッツがすぐに突っ込んだ通り、偽ローゼの目撃時間とシオンの到着時間から逆算すると、オリーブの犯行とするのはかなり無理があるけどな」

「しかし……何故だ? カイトはオリーブを……その、手に入れるために、ローゼと私を排除しようとしたのではないのか?」

「それは……ええ、と」


 真相を知る前のシオン王子(あなたサマ)と同じでしょ、とうっかり言いそうになり、私は慌てて口を噤む。

 まったく、なんでこっちがいちいち王子様の恋心に気を遣わなきゃいけないんだか。そろそろ面倒になってきたなー。


「僕とオリーブのこと、誤解したから……逆切れ?」

「可愛さ余って憎さ百倍、というものか」

「そう、それ。本当……迷惑だよね」

 私が困っていたからギル君が察して言葉を繋ぎ、さらにルッツ君が的確な表現をしてくれた。

「愛憎は表裏一体と言うが……あまりにも卑劣だ」

 騎士道精神溢れるルッツ君の気性では、想い人を手に入れるために姉に手を掛けたり、叶わないと知るや逆に相手を陥れるような思考は受け入れ難いだろう。親しい幼馴染であるが故に、単純に軽蔑して終わりにはできないようだった。


 あのとき――ローゼ嬢を殺した後で、中庭を見たカイト君は何を感じ、何を考えたのか。オリーブ嬢が自分以外の男のものだと誤解して、無駄に汚した両手の色は彼の目にどう映ったのか。彼の脳裏はどんな感情で埋まっていたのか。


 後悔に震えた?

 怒りに我を忘れた?

 ただただ絶望した? 

 気づかなかった迂闊さを恥じた?

 すべてが憎しみに転じた?


 どれも独り善がりで、何ひとつとして正当な理由はない。

 恋をすれば相手を振り向かせるために色んな手を講じる。努力しても、想いが報われないこともある。ライバルに奪われる可能性もある。フラれたら好きだった相手を逆に恨んでしまうかもしれない。そういう気持ちは誰だってわかるだろうけど。


「……なるほど、そうか。カイトの心理は理解した。だがカイト、お前は矜持も良心も持ち合わせていなかったのか」

 自分自身と重ね合わせて、シオン王子はやっとカイト君の内側で起こった不条理を悟ったらしい。酷似した想いを抱いたからこそ余計に憤りを感じたのか、シオン王子はカイト君に対して責める口調を向けた。

「いけません、シオン殿下」

 私は冷静にそれを制止する。

「カイト様を断罪するのは、殿下であってはなりません」

「今更庇い立てでもするのか、アニー教員よ。王子たる私以外の誰がそれをする?」


 いやいやいや……それは常識的に考えて就学中の王子じゃなく司法とか国王とかじゃないかなぁ、と突っ込みたくなったけど、そこは何とか堪える。

 私の視線はこの場で最も断罪に適した人物へと動いた。尤も当人は相手を責めることを望まないかもしれない。


 でも――罪に対して与えられるべきは罰だから。



「私……ですね」



 こちらの一瞥を受けて、オリーブ嬢が震える声で応じた。蚊帳の外にも近い状況から、諸悪の根源とまではいかないまでも、勝手に標的とされてしまった不運は同情に値する。

 にも拘わらず毅然として顔を上げる姿は、やはりヒロインの貫禄だろうか。顔立ちは愛らしいのに、表情は凛々しく見える。


「わかりました。……カイト君と、話がしたいです」



 +++



 この世界は前世の乙女ゲーム『金木犀の散る頃に』のようでいて、随所が異なるから、そうではないのだと思っていた。けれど今、再び違わないのかもしれないと考え直す。

 そのくらい、オリーブ嬢の立ち姿は絵になっていた。

 世界の中心は――物語の主役は、曲がりなりに謎解きをしたとしても、決して私ごときじゃあない。堂々と攻略対象者と対峙する彼女なのだ、と問答無用で納得させられそうになる。


「私はカイト君とちゃんと話したいです。ルッツ先輩、カイト君の拘束を解いていただけませんか?」

「しかし……」

「お願いします」

 オリーブ嬢は声も態度も静かで落ち着いていた。殆ど有無を言わさぬ要求だった。

「いいのか……シオン」

「いいだろう。ルッツ、警戒は怠るな。ギルもユーハも動けるようにしているように。オリーブは距離を取るんだ。いいな? ……いいんだな、アニー教員」

「よろしいでしょう」


 最終的な判断は身分的にトップのシオン王子が下し、私が了承する。受け入れたルッツ君は用心しながらカイト君から手を放した。

 ゆるゆると、徐にカイト君は立ち上がる。

 まだ少年の華奢な体躯は、とてもじゃないが人間ひとりを殺めたような殺伐さはなかった。

 床で煤けた金髪はぐちゃぐちゃになっている。顔も服も襤褸雑巾みたいに汚れてみすぼらしかった。


「カイト君……」


 オリーブ嬢が名を呼ぶと、半眼を閉じていたカイト君の瞼が反応する。瞳の奥はとても昏い。どうしようもないほど罪深く濁っている。


「カイト君」

 返事がないのも気にせず、オリーブ嬢は続けた。

「カイト君……悪いのは、私?」


「それともローゼ様?」

「オリーブ、何を……!」

「お黙りください、シオン殿下」


 口を挟もうとするシオン王子を止めて、私は一喝した。

 あー……いや小声で、だけどね。

 幸い、オリーブ嬢はこちらの騒音をまるで気にしていないようだった。カイト君との対話に集中している。


「カイト君、悪いのはローゼ様なの?」

「――……」

「じゃなければ、シオン君?」

「……が……悪い」

「違うでしょう? もちろんギル君やアニー先生のせいでもない」

「……が、悪い……ですか」

「確かに私だってローゼ様のことが好きじゃなかった。だってたくさん傷つけられたから。悲しいことに、理由を聞いた今でもその感情は大きくは変わらないの」


「……僕のしたことの、()()()んですか」


 カイト君は口の中だけで繰り返し呟いていた言葉を、とうとうはっきりと音にして緊張著しい空気の上に乗せた。

 激昂もせず。

 悲嘆にもくれず。

 むしろ表面上は静かで落ち着いていた。


「あいつは散々オリーブ先輩を虐げていた。先輩だってあいつがいなくなればいいと願ったはずです。あんな女が死んだところで、何がいけないと言うんですか?」

「カ、イト……君……」

 無表情のまま口を歪めるカイト君に対して、さすがのオリーブ嬢も二の句を告げず押し黙った。

「僕はずっとあいつが嫌いだった……」

 重苦しく零れた言葉は、彼の心の最奥にある棘なのだと、誰が聞いても理解できる。


 不意に思い出す。

 前世(ゲーム)の設定でも、彼は姉のローゼ嬢にひとかたならぬ蟠りを抱いていた。シオン王子ルートで、ヒロインの幸せのためにローゼ嬢を殺したカイト君と、目の前にいるカイト君は同じだろうか。


 ……ああ、でも最早そんなことは何も関係ないのかもしれない。

 狂ったような、乾いた笑いが美術室内に響き渡る。オリーブ嬢が一歩前へと進み出す。私は固唾を呑んで相対する両者をただ見守った。

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