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19.似非ミステリのwhodoneit

「カイト様――……ッ、!?」


 一瞬の出来事だった。

 私が名指しをした途端、彼は動いた。


「!?」


 ほぼ正面にいたのがマズかったのだろう。突進するように迫られ、私が反応する隙はなかった。

 片腕に痛みが走る。

 多分、相手の爪が掠ったのだ。ランタンを持つ指の力が弱まったのを自覚したと思ったら、抵抗する間もなく奪われていた。


「嘘っ」


 間抜けな声が出る。

 油断した。完全に不意を突かれた。

 なんで考えが及ばなかったのか。いや想定はしていた。追い詰められた窮鼠が噛んでくることくらい当然だ。反応が間に合わなかったのは不覚としか言いようがない。


「カイト!! 何を……ッ」

「おい、てめェ!!」


 ルッツ君とユーハ君が怒鳴りつけるも、カイト君は意に介さない。華麗にスルーして、私から奪ったランタンを乱暴に投げ捨てた。


 ガシャン、と(けたた)ましく騒音が広がる。

 視界の端に、広がるオレンジの炎色を捉えたとき、私の中で危機感が真に迫った。

 放置されたままの描き掛けの画布――油分を含む布に、焔が燃え移る。すぐに広がるものではないにしろ、乾燥した季節に木造の建物という要因が合わされば、最悪の事態だって想像に難くない。


「火を消さなきゃ……」


 着ていた教員用のコートを脱ぐ。

 って、湿らせる水とかないんですけど!! このまま被せていいのか全然わかんないよ!

 でも躊躇ってる場合じゃない。

 皮製だから、多分難燃性素材のはず。


 ええいッ!


「先生!!」

「おい、アニー教員!」

「カイトが逃げるぞ……!!」


 コートを火元に押し付け、酸素供給を防いで(で、合っているのか超不安!!)消火を試みる私に、他の三人が狼狽えながら状況を知らせた。

 思惑通りこちらのパニックを誘い出したカイト君は、美術室の扉まで一目散に駆けていく。

 ヤバイヤバイヤバイ!

 本気で逃走されたら、もう止められない。


「待って……!!」

「誰が――」


 ――待つものか。

 少年の声がおそらくそう紡ごうとする。

「カイト、止まれ!!」

 扉の前にルッツ君が立ちはだかった。

 一瞬隙をつかれたとはいえ格闘マンの面目躍如か、簡単には通さない気迫を感じる。カイト君も動きを止め、後ずさった。


「――……」


 数秒間は無音の攻防が続いた。

 私は緊張感で息を呑む。

 やがてカイト君は強行突破を諦めたのか、くるりと踵を返した。


 え……え!?


「ちょ……」


 百八十度反転したカイト君は、そのまま窓側へと走る。

 もしかして外、バルコニーに出るつもり!?

 ここ、四階ですよ!?


 誰もが虚を突かれる。

「カイト!!」

 逃亡者は重なる呼び掛けにも応じない。

 窓が――。


「!」


 そのときだった。

 唐突に、私の視界が窓ガラスの向こう側に人影を捉える。

 最初はカイト君の虚像かと思ったが、全然違った。


 夕闇の中でも映える銀の髪。

 スラリとした体躯。

 眉目秀麗、典雅流麗。

 ……みたいな四字熟語がよく似合う。

 生まれながらの攻略対象者(おうじさま)


「ギル君!?」


 髪を振り乱しながら、私は呆けたようにその名を呼んだ。

 と、同時に――ガシャン、とガラスが割れる音が響く。続いて「バキッ」ていうか「グキッ」みたいな音が耳に不快感を与えた。これ日常的にはあり得ない、例えば人間の顔を力任せに殴りつけたときに出る類いの音だ。そして最後は床にそこそこの容量がある物体が投げ出される音が締め括る。


 え? ええ?

 な、何が何だか……。


「……先生」

 動じることもなく平然と、ギル君が笑う。

「大丈夫?」

 私はただ……ヘタり込むしかできなかった。



 + + +



 判断力も把握力も理解力も洞察力も何もかも欠如していてまことに申し訳ありませんけど! いつまでもヘナヘナとしてはいられない。

 でもダメ教師より生徒の方が優れているのはよくある話で、私が何とか立ち上がる頃には、それぞれが自分のできる範囲で適切な行動を取っていた。


 中庭で待機しているはずだったくせに前触れなくいきなり乱入してきたギル君は、自分が殴り飛ばしたカイト君には目もくれず、私の手を取った。

「先生……大丈夫?」

「大丈夫、くない……」

「……わかった」

 それだけ言って頷くと、ギル君は入って来たバルコニーに戻った。どうやら、まだ下にはオリーブ嬢が残っていたらしく、彼女に指示を出している。

 水汲み場からバケツで四階まで持って来いとか言ってるけど、細腕の女の子には意外とキツイんじゃないかなー。相変わらずそういうとこ容赦ないな。


 一方で、殴打されて床に伏したカイト君を、いつの間にかルッツ君とユーハ君が押さえつけていた。さすがに上級生二人が相手、しかもうち一名は体格にも良く腕にも覚えがあるルッツ君だもんね……華奢で小柄なカイト君じゃあ抵抗のしようもなかっただろう。

「くっ……!」

「観念しろよ、カイト」

「ユーハ、上着を貸せ。手を縛る」

「ほらよ」

 ユーハ君から脱いだ上着を手渡されると、ルッツ君が器用にカイト君の腕の自由を奪い、さらにハンカチを口の中に噛ませた。慣れたもんだ。


「……ここはお前たちに任せてもいいな。私はオリーブのところに行こう。彼女ひとりでは大変だろう」

 シオン王子は遅れ馳せながら我に返って、美術室から出て行った。ちゃんとオリーブ嬢に気を遣えるところは少し見直した。

 尊大に見えるとはいえ、思い返せば育ちが良いせいか根は素直で純っぽいもんね。オレ様が自分にだけたまに優しいのは、乙女ゲーム的にポイント高いかもなぁ。


 超どうでもいいことをぼーっと考えていたら、ギル君が再びバルコニーから美術室に入って来た。

 そういえばさっき、隣の空き教室を施錠し忘れてたのを思い出す。

 ああ、あるほど……って、どういう運動神経だよ!?

 危ないよ!?

 でもなあ、昼間も木登りで二階に侵入してきたし、今更だろうか。つーか何故にドアじゃなく窓から忍び込もうとするのさ……。


「先生、もう……心配ない、から」

 ギル君は再び私の手を握るために距離を狭めた。綺麗な顔が至近過ぎて逆に怖い。触れた指先の力が強いを通り越して痛い。

「ギル……君。いったいなんで」

 私はドキドキするでもなくトキメクでもなく、あたふたしながら純粋な疑問をぶつけた。

「中庭にいたんじゃ」

「やっぱり先生のこと、気になって。他にひとがいても、犯人と対決なんて……危ないし」

 当たり前だよ仕方ないよね、と世の道理を諭すみたく微笑むギル君は、まったく邪気がないようでいて、妙な迫力と怖さがある。

 これってもしかしてヤンデレ?

 ……いいや、気のせいですよ多分。


 冗談はさておき、目が合ったときに予感はあったんだよなぁ。そもそもギル君が大人しくこちらの言うことを聞いてくれる訳もないし。

「まあ結果的には助かったけど。ありがとう」

「やっぱり……最初から、離れるんじゃなかった」

「それだと相手が襤褸を出さないと思ったから。ところで、なんで窓から?」

空き教室(となり)、扉も窓も、鍵開いてた」

「うん、閉めてなかったよ。でもなんで?」

「うーん……何だろ。四階って下手したら死ぬよね」

「そうだよ! 危ないよ!」

「カイトが普通に逃げても、どうせ捕まるからいいけど……もしかしたら、飛び降り防止した方がいいかなって。後味悪いの、先生が嫌でしょ」

「ああ……」


 なるほど、犯人自殺の可能性も考慮してたってことか。

 ギル君に手を握られたまま、私は床に伏したカイト君に視線を落とす。火が消えて暗くなったせいで、顔色や表情は解らない。掛けていた眼鏡は乱闘の最中に外れたのか見当たらなかった。


「しかし、驚いたぜ」

 ユーハ君はカイト君の拘束をルッツ君に委ねると、室内にあった椅子に乱暴に腰を掛けて言った。上着を着ないで着崩した白シャツだけの姿は、季節柄ちょっと寒そうだ。

「いつからカイトが怪しいと思っていた?」


「……()()()()()()


「色々考えました。どなたが嘘を吐いているのか。皆様の証言に矛盾はないか」

「で、見つけたってか? あんたが自分のことを隠してたのは大分意図的だっただろ。本当はかなり初期の段階で犯人に目星をつけてたんじゃねェのか?」

「買い被りですよ」

 これは本音だった。

 私は単に変態コスプレ教師と揶揄されるのを避けたかっただけで、残念ながら何にも狙ってない。

「ご謙遜を、アニー先生」

「ルッツ様まで何を仰っしゃいます。すべて偶然です。でなければ運命の思し召しでしょう」


 逆に考えれば、犯人がハードラックと踊ってしまっただけとも言える。バチが当たったという表現でもいい。お天道様は見てるとか。

「悪いこと……いえ、世の理を外れることは容易にはできないものなのです。わたくしのような些末な人間が口出しせずとも」

「……」

 挑発っぽく聞こえたはずだけれど、カイト君は何も反論しなかった。堪えているのか、自嘲しているのか、嘆いているのか、悔しがっているのか。まあ全部だろうなぁ。

「兎にも角にも、これにて一件落着」


「……とは言い切れませんでしょうが、一応の決着はついたもの、と判断します」

 

 もし許されるのならば、淑女よろしくスカートの裾を上げ、深々とお辞儀でもして幕を引きたかった。

 この先の面倒を考えれば、私の結論もさほどおかしくはないと思う。目的を果たした今、敢えて渦中に居続ける意味もない。

「完全に火が消えたのを確認したら、退散しましょう。すぐに学園長をはじめ各所に報告しなければいけません。今後のカイト様の処遇は上に任せるとして」

「ああ?」

「待て、先生」

 ユーハ君とルッツ君が同時に声を荒げた。

「まさか、このまま何も明かさない気か」

「おい、こんな中途半端な状態で、帰れっつゥんじゃねェだろうな。ちゃんと説明しろ」

「う……」


 ですよねー。

 私が当事者でも多分そう言うわ。


 これが読み物(ミステリ)で、犯人の狡猾なトリックを名推理で解き明かすみたいな展開だったら、私だって張り切ってお披露目するところだ。

 真相はと言えば、行き当たりばったりで稚拙な犯行がたまたま巧くいって、結局やっぱり偶然の積み重ねでバレちゃっただけの話だからねぇ。きっと理路整然と説明するのは骨が折れる。

 本音では面倒くさ………じゃなくて、犯人特定して捕まえたんだし、義務は果たしたと主張したい。あとは自分で考えてくれよ、と突き放してもいいんだけどさ。


「……仕方ありませんね」


「後々誤解を生んでも厄介でしょうから、説明はいたしましょう。ただ、一度で済ませたいので、とりあえずシオン殿下とオリーブ嬢をお待ちください」

「ちッ」

「わかった。了解した」

 ユーハ君は渋々、ルッツ君は端的に頷いて承知した。まあ当事者全員が揃ってからという理由は納得し易いよね。


 己の所業をすべてつまびらかにされ、いずれ糾弾されるであろうカイト君の感情は未だ見えない。

 観念した、と判断していいのかな。

 実の姉を殺害していたとしても、大公家の大事な跡取り息子様だ。私の立場的には何もかも粛々と処理するに限る……はず。


「先生、アニー先生」

「……ギル、君?」

 自分の定位置だと言わんばかりに隣を陣取るギル君が、ムスッとしながら声を低くした。

「嫌なら……帰ろうよ。先生が無理してまで、一から十まで説明する義理なんて、何もない」

「えっと、私は別に平気だけど」

 ううう……機嫌悪いな。

 さっき置いてった反動か、ベッタリと私の傍から離れる気配がなかった。それに何故か、いつの間にか手が恋人繋ぎされてるんですが。

 この子はもう、何ていうか本当に度し難い。

 他から反発買うとか、白い目で見られるとか、そういうのマジどうでもいいんだろうなー。


「おい、勝手言ってんじゃねェよ、ギル」

「どっちが……?」

 懸念した通り、ユーハ君が咎めた。

 もちろんギル君は素直に聞いたりしない。

「アニー先生が、君たちの自己満足に付き合う義務……全然ないと思う、けど?」

「あ? どう考えても、この教師(おんな)にはあるだろうよ」

「ユーハの言う通りだ。こうなった以上、大公家の問題でもある。国の機関である学園の教師に責任が生じる。逆にお前の方が部外者だ」

「今更? 君ら、僕のことも疑ってた……よね?」


 うわぁ、もうこういうの何度目だろう。

 お偉いさんの子ども同士が仲悪いなんて、友好国間の交誼とか将来の交易とかマズくなるとか思わないのか、この子たちは。若者世代がこれじゃあ、折角築いた関係もこれまでかもしれない。

 まあね、隣国なんてのは表向きはどうあれ永遠の仮想敵国には違いない訳で、ある意味しょうがない部分はあるけどさ……って、そうじゃなくて。


「ユーハ様もルッツ様も落ち着いてください。ギル君、いいえ、ギル殿下もです」

「でも」

 ギル君はあからさまに不服そうだった。

「もう、よくない?」


「結局この事件が、カイトの……ローゼとの諍い、つまり姉弟喧嘩の成れの果て……ってだけだったら、全員とも関係ない訳だし」

「だから、お前が一番無関係だろうよ、ギル」

「――()()()()()()()


()()()()()()()()()()


 余人が想像だにしないタイミングで、私はひとつ爆弾を投下してみせた。

 注目――わかってはいるけれど、視線が痛い。

 どういう意味だ、と誰もが疑問をぶつけてくる。

 さて、正念場だ。


()()()()()()――」

 ミステリの定番科白を再び繰り返す。

 すでに明白な事実はそれとして、この先は未だ見えないブラックボックスを解き明かす必要があった。

「つまり犯人が告発され捕らえられた現在、事件は解決したと言えるでしょう」


「そして、()()()()()()――犯行の手順ですが、その方法は実のところ稚拙なものです。こんな茶番で発覚する程度のこと、最初からきちんとした捜査の手が入っていれば、見逃されはしなかったはずでした」

 これは本心だった。

 末端のモブが指摘するまでもなく、普通は通用しないよ。お偉方への遠慮と無用な忖度が悪い。目の前にいる相手をディスるのは気が引けるけど、犯人は特に賢くもなければ際立って巧妙でもなかったと思う。敢えて言うならば、黒いってところだろうか。

「ですので、犯行の流れはすでに明らかではありますが、順を追って説明しましょう。ただ、その前にまずはひとつの推論を語らねばなりません。もちろん未だ憶測の域を出ない訳ですが」

 長尺に過ぎる前置きを一息に告げて、私は息を整えた。これだけのプレッシャー、正直平然としていられる世の中の探偵サン全員を尊敬したくなる。

「――カイト様の、犯行の動機は」


「ギル殿下、そしてオリーブ嬢に深く関わりがあるものと考えているのです」

誤字のご指摘ありがとうございます

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