17.犯人はこの中に
ごぉん、ごぉんと厳かに鐘が鳴る。
懐かしくも厭わしく、私はそれを聞く。
五時――。
「ここ、で……ローゼが」
私から強引に鍵を奪ったシオン王子は、押し入るように美術室に踏み込むと、うっと呻きながら口を袖で覆った。
吐くのを堪えている……のだろうか。
無理もない。私にしたところで、殺害現場は一種のトラウマだ。苦悶に満ちた遺体の顔がフラッシュバックして気分が悪くなる。
「鍵をお返しください、シオン殿下。急かさずとも、部屋も犯人も逃げられはしません」
「……ああ」
意外にもシオン王子は素直に従った。
鍵を受け取るときに僅かに触れた指先は冷たく、彼の心理を強く表していた。
私はそのまま部屋の中央――遺体の倒れていた付近まで進む。ランタンの灯りが何もない床を照らした。前世のドラマみたいなチョーク線がないから、おおよその目星しか付けられないけれど。
「多分、このあたり……」
「……そう、ですね。僕も記憶しています」
「ああ、カイトも見ているのだったな」
ルッツ君が慰めるように、俯いたカイト君の背を二回ほど軽く叩く。確かルッツ君はひとりっ子だから、最年少の幼馴染を弟みたいに思っているんだろう。ローゼ嬢だって自ら距離を置くまでは、同じ立場だったはずだ。
「ここで……犯人に襲われたとき、ローゼ様はおそらく抵抗を試みたと思います」
「当然だろうな」
「……確かルッツ様は、ローゼ様に護身術を教えていたのですよね。彼女はどの程度の技量でしたか?」
「? どういう意味で訊いている?」
「咄嗟に防御できなかったものかと」
「無理だな。ローゼが覚えたのは基本のみ。素人相手でも通じるかどうか微妙な、殆ど児戯のようなものだ」
明瞭な回答だった。
つまり……現実がゲームの展開に準じているのなら、オリーブ嬢の本命がルッツ君だった可能性は低い。いや、そこも訊くべきか。
「それでも不意打ちや予想外の相手でなければ、手も足も出ないということはないのでは? 例えばですが、この中のどなたかが犯人であったと仮定して」
「……随分と直截的な物言いだが」
「いえ、単純に知りたいのです。男性の身体能力があれば、物理的にローゼ様の抵抗を抑え、数分で絞殺することが可能ですか?」
「それは、……」
ルッツ君も他の三人も複雑そうに顔を見合わせる。まあこの中に犯人がいると断言されたみたいなものだ。気を悪くしたろうなー。
もちろん他意はないと言ったら嘘になる。
「ルッツ様なら容易ですよね?」
「当然だ、が……」
「シオン殿下は如何です?」
「私を愚弄するのか?」
試すような私の物言いが王子様のプライドを刺激したのか、不愉快そうに眉を顰められる。
「ルッツとまではいかずとも、武術はそれなりに収めている。一国の王子として相応にな」
「では……カイト様でしたらどうでしょう? 体格的にもまだ成長途中ですから、細身の女性とはいえ、押さえ付けるのは困難ではないですか?」
「いえ、僕も昔からルッツ先輩と同じ師に習っています。あまり心得のない女性くらいでしたら、自由を奪うのは難しくありません」
「ユーハ様は? 課外授業で真面目に鍛錬をされているようには見えませんが」
「俺だって一通りはやってる。持久力は怪しいが、短時間ならルッツとだってやり合えるさ」
カイト君もユーハ君も、自分の実力をそれなりに自負しているようだ。まあ高位貴族に生まれた男子なら幼い頃から武芸を叩き込まれるのは周知の事実だけどさ。貴族の端くれである私も当然に知っている。
「あんたが贔屓してるギルだって一緒だ」
刺々しくユーハ君が皮肉る。
「なんで置いてきたかは知らねェが、公正に訊いてみろよ。俺らは疑って、あいつだけ信用する理由があるってのか」
「……理由、というか」
「彼に下で待ってもらったのは、この目で確認したいことがあったからです」
薄暗い部屋の中、私は迷わずに進んだ。
まず応接セットのところで立ち止まる。
「四時」
先日ギル君が走り書きしたメモを思い出しながら、時刻を呟く。各人の証言から振り返って、矛盾があるかないか何度も何度も考えた。
「ユーハ様がいらした」
「? あァ、そのくらいの時間だったな」
「ローゼ様とお話をされて……」
「真っ直ぐ本校舎に戻った」
いい加減しつこ過ぎる、とユーハ君がげんなりと苛々を混ぜ和せた声で続けた。
確認が執拗になるのは勘弁してほしい。容疑者から失言を誘うのも自白の手法のひとつだ。
「四時半」
視線はカイト君に移る。
「入れ違いでカイト様が入室」
「……はい」
「滞在時間は十分弱くらいでしたね。確かローゼ様からオリーブさんの腕輪の隠し場所聞き出して、そのまま家庭科調理室へ」
「はい。しかし先生、今更何を……」
カイト君は否定しない。こちらが何を聞きたいのか把握し兼ねているようだった。
疑問には答えず、私は冷たい床にわざとらしく足音を立てて歩いた。バルコニーへと向かう大きな窓に自分の姿が反射して映る。
「四時四十分から五十分」
「この窓辺から、ローゼ様が露台に出た」
窓は開けなかった。
硝子に手を触れただけで、くるりと身を翻す。
「ルッツ様が裏門から目撃されていますね?」
「ああ」
「そしてルッツ様は美術室に向かいましたが、入室はできなかった。ローゼ様が扉を開けなかったからです。彼女はその間も露台に留まっていた」
「そうだ。俺は先程の……隣の空き教室からローゼの姿を見ている」
「ええ、それが――」
「五時」
ここで誰もが、自分を含めたそれぞれの位置関係を思い浮かべたはずだ。これでも一応思考を誘導している。
シオン王子は校舎脇。
カイト君は家庭科調理室。
ユーハ君はすでに本校舎。
ルッツ君は空き教室。
ギル君は金木犀の樹の下。
ローゼ嬢が殺されたのが五時の鐘の直後なら、犯人は誰もいない。犯人はこの中に――攻略対象者の中に、誰もいないはず。
「さて……ところで皆様は、このときローゼ様は露台で何をされていたとお考えですか?」
いつの間にか面前三歩程の距離で、攻略対象者四人が横並びになっている。全員の顔色の変化を窺うために、私の手に持ったランタンをゆっくりと左右に動かした。
「普通に考えたなら、待ってたんだろ。シオンを。呼び出しの手紙を出したんだから。つまり他の奴と違って、一番確実に、来るべくしてここに来たのはシオンだ」
間髪入れず、あっさり回答したのはユーハ君だった。シオン王子犯人説を最初に提唱しただけある。
「そう……わたくしもそう思います。呼び出した以上は当然に目的がある。シオン殿下がいらっしゃったかどうか、確認する必要があった。だから露台に出ていた」
「なるほど。しかし……シオン殿下が裏門からいらっしゃるとは限らないのでは? それとも呼び出しの手紙にそこまで指定されていたんでしょうか?」
「いいや」
カイト君の指摘を、手紙の受け取り主であり唯一文面を読んでいるシオン王子が即座に否定した。
「裏門から来いとまでは書いていなかった」
「ただ、こう書いてあったのではないですか?」
私は確信を持ってシオン王子に尋ねた。
「内密に会いたい――と」
「!」
瞠目が即ち肯定だった。
一ヶ月前に破棄してしまった手紙だ。さすがに一言一句を思い出すことは難しいけれど、おおよその内容はまだ記憶しているだろう。
「文面に『誰にも知られないように』という意味合いが書かれていたら、自然と正門よりも裏門を使うものではないですか?」
「確かに……そう、だ」
「だが……何故だ?」
愕然とするシオン王子の真横で、ルッツ君が新たな疑問を呈した。
「シオンが裏門を通るよう誘導した理由は?」
「それはおそらくルッツ様、貴方が裏門を利用すると想定されていたからですね」
「俺が?」
ルッツ君は意味がわからないと眉を顰めた。
「ええ、ルッツ様が最終学年の授業が終わった後、美術室に来る時間は容易に予測できたことでしょう。貴方は普段から裏門を使っていた。以前そう仰っていましたね」
全容を把握させるにはまだまだ説明が足りない。承知しているからこそ、私は言葉を選ぶ。
全員をとりあえずでも納得させるためには言い切る必要があった。まあ理路整然とかロジックとか苦手なんで、いつものハッタリをするんだけどね。さて効果的に見えるよう計算しないとなぁ。
「おそらくあの日」
私はランタンを持っていない右手を胸の高さまで上げて、指を二本立てた。
「ルッツ様に振られた役割は二つありました」
「? 二つ……?」
ひとつは、と告げながら人差し指だけを残すと、いくつもの視線が指先一点に集中する。
「もちろんシオン殿下が五時に旧校舎を訪れたことの証人です。裏階段か裏門か本校舎との道中か、どこでもいい。旧校舎から戻るルッツ様が、逆に旧校舎へ向かうシオン殿下と鉢合わせれば」
「いったい何のために? 私が道すがらルッツと会ったからといって、何の意味がある?」
振り返って自分の身に何が起こっていたのか、シオン王子はまったく呑み込めないようだった。
もうひとつは、と私は中指を再び伸ばした。
「殿下がお会いするよりも前の時刻に、ローゼ様は生きていらした……という目撃証言のためです」
「……あァ、わかった」
私が断言すると、ユーハ君が真っ先に悟る。予想通りだ。ここまで言って理解しないほど彼は鈍くない。
「裏門の位置からして、美術室の露台にいれば、特に注意しなくてもそりゃあ目に付くだろうからな。況してやこれから押し掛けようって相手がいる場所だ」
「そうです。多少距離はありますが、実際にルッツ様はすぐにローゼ様がいることに気がつかれた」
「いや待てよ? その理屈なら……裏門を通ったのはシオンだって同じじゃねェか。あんたの考えだと、ローゼはシオンが来るのを待ってたんだろ? 逆にシオン見られて……」
「その通り――です」
「……?」
頷いた瞬間の私の苦笑を誰が捉えられただろう。
敏いユーハ君ですら一瞬たじろいでいた。
「まさに誤算だったのですよ、殿下は」
「何……?」
大仰に肩を竦めてみせると、シオン王子は不安を露わにしてこちらを凝視していた。
「私が……何をしたと言うんだ」
「何を、と言いますか」
「裏門までやって来ながら、他にかまけてローゼ様の姿を見ない。そのうえ真っ直ぐに美術室に行かず、わざわざ正門側に抜けてルッツ様と遭遇し損ねるなんて、予想外に過ぎたのです」
「確かに私は露台に目を向けなかったからローゼには気づかなかった。迂回したせいでルッツとも会っていない。だから何なのだ? 私が予定外の行動を取らなかったら、ローゼは無事だったのか……?」
「それは見当違いですね。殿下が偶然にも犯人の狙いを外れた行動を取ったのは事実ですが……そのような当日の足取りが判明したのは、今になってからです」
シオン王子の懸念が正解だったら当人にとっては最悪だったろう。勘違いで思い悩むのも気の毒なので、杞憂だと即座に否定してあげた。
「まあ学園側が醜聞を持て余して、ろくろく調べが進んでいなかったせいでもあります。これも犯人の誤算だったかもしれませんね」
「?」
「尤も、疑いが誰に向くか……指し示す状況が変わる訳ではありませんが」
もし最初から学園か国の機関がちゃんと捜査していたとしても、今の我々と同じ結論に至っただろう。
シオン王子とルッツ君、二人のローゼ嬢の目撃情報があれば、早い段階で死亡推定時刻が判明する。つまり容疑者が特定される。ローゼ嬢が最後に会っただろう人物に。
当人が否定しても、他でもない自身の証言が犯行可能な人間を絞り込んでしまう。
すべては周到……か、どうかは兎も角、あらかじめひとりを対象に用意された罠だった。すでに指摘されてるのに、陥れられた側が全然ピンときていないのが気の毒なくらいだけれど。
「わかりませんか、シオン殿下」
出来の悪い生徒に教えるように、私は声のトーンを低くし、話す速度を落とした。
「犯人は、貴方を呼び出し、周囲を偽り、誤認させ、罪を擦り付けるつもりだったのです」
「な――」
「ユーハ様が疑った通り、当時の全員の行動から整合性を取れば、貴方が最も犯人である可能性が高い。それは間違いないのです。何故なら、そう結論するように最初から誘導されていたのですから」
「計画的だった……と言うのか? 私がローゼを殺したと見せかけるために」
「そうです」
俺様なわりに察しの悪い王子様も、ようやく呑み込んでくれた。王族が悪意に鈍感過ぎるのも将来が不安だけど、今ここで心配しても詮のないことだ。
さて、私にはまだ論破すべき壁がある。
まだ適当に自説を重ねただけで、何の証拠も提示していない。雰囲気と勢いで押しているうちに無理矢理でも犯人炙り出さなければ、現場に来た意味がなくなる。
誰がローゼ嬢を殺したか。
まさか人生のうちでこんな科白を吐くことになるとは予想だにしなかったなぁ。
「そして、ローゼ様を殺害し、卑劣にもシオン殿下に罪を被せようとした真犯人は――」




