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16.金木犀の樹の下で

「カイト様、あの日も今のような感じでしたか? この辺りからご覧になった? ギル殿下と――オリーブさんを」

「そう……ですね」

 カイト君が窓に手を触れて頷く。

 中庭の二人はこちらに気づいていない。距離はなくても、上下があるとなかなか意識は向かないのだろう。

「ルッツ様も、どうでしょう? 場所は少し違いますが……五時の時点で露台のローゼ様だけでなく、下も確認されたのですよね?」

「四階だったからな。もっと遠目だ」

「では、次はそちらに参りましょうか」


 なるべくさりげなく、次の移動を促す。私が外を気にしていることを、今はまだ下手に勘ぐられたくなかった。


 そそくさと窓際から顔を逸らす直前、視界の端に一瞬、鋭い眼差しを捉えた。

 風に靡く銀の髪が、傾きかけた陽の朱に透けて、何故か不穏に映る。


 ギル君――?


 どことなく不安気な、曇った表情が気に掛かる。彼は今、何を思って校舎を見上げたのだろう。

 けれども私は再び振り返ることもなく、攻略対象者たちを連れて調理室を後にした。



 + + +



 次は変わって裏階段から四階に向かう。


 よくよく思い出せば、こちらの階段を使ったのは証言が確かならルッツ君だけだ。あと私もか。

 あの日、五時の鐘が鳴ってから校舎内に入った私は、一階の管理室に寄った。それから裏階段で四階まで一息に上り、四階から順に教室を見回ろうとした訳なんだけど。

 おそらく私が管理室にいた僅かな間に、ルッツ君は裏階段を下りて、校舎から出たに違いない。同時刻、正面入り口を入ったシオン王子が四階へ、さらに多分数十秒後くらいに、すれ違うかギリギリのタイミングでカイト君が二階から下りていった……のか。


「美術室より先に空き教室へ行く……」

 緊張した面持ちで、ルッツ君が確認を求める。

「で、いいんだな? 先生」

「ええ」

 そういえば、先日ギル君やオリーブ嬢も一緒に旧校舎を巡った際は、結局美術室の扉のところまでしか行かなかったんだ。空き教室には足を踏み入れるどころか、扉に触れてすらいない。

「露台に出てみましょうか」

「俺はあの日、外には出ていないのだが」

「確か、窓越しにローゼ嬢が露台から美術室に入るのを目撃された……のでしたね?」


 まあそれはさておき、と私は鍵を差し回し、扉のノブをゆっくりと動かした。

 キィと錆びた蝶番の音が響く。

 がらんどうの教室には、事件以前から塵もっていたであろう埃の匂いしかしなかった。古ぼけた椅子と机以外の備品は見当たらず、長く使われていないことは明らかだ。

 埃の上に微かに足跡らしきものを見つける。男性のサイズっぽいから当時のルッツ君の痕跡かもしれない。学園側はこっちまでは殆ど調査していなかったんだろうなぁ。


 室内を窺いながら、私は窓際に近づいた。

 四階の教室は他階と異なり窓が大きく、バルコニーに出られるようになっている。美術室も同じ造りだったはずだ。

「では……」

 徐に外に向けて窓を開く。

 肌寒い風がふわりと室内を駆け抜けた。

 清涼な空気を吸ったからか、のし掛かる重苦しさが多少は緩和された気がする。


 白いバルコニーは経年のためか随分とくすんでいた。薄汚れた印象こそないけれど、古めかしさは如何ともし難い。

 ローゼ嬢がいたという美術室側に目を向ける。

 バルコニー同士は繋がっていない。隣接してるとはいえ、見た限り一般的な大人の身長かそれ以上の間隔がある。うん、常識的に考えて外からの行き来は無理だな。

 もちろんルッツ君くらいの尋常でない身体能力があれば、或いはロープを使ったりすれば何とか跳び移れなくはない。ミステリ漫画だったら普通にありそうだ。

 でもねぇ……特に密室トリックを構築するでもなく、アリバイ作りにも生きない状況でわざわざやらないよねぇ。


 私がバルコニーに出ると攻略対象者たちもすぐについてきて、真剣に観察していた。

美術室(となり)の露台に誰かがいれば、外に出なくともわかるな。ルッツの言う通り、五時の時点でローゼは生きていた……のだろうな」

「ルッツが美術室に強硬突破するにも、この配置じゃあちょっとキツいか? いや、やればできそうだな」

「できたとしても性格的にやらないだろう。ローゼは……ルッツに気がついていたのだろうか」

「室内に戻ったってんなら、そうじゃねェか? ルッツはもともと美術室を訪ねてたんだろ?」

「しかし……ローゼがそこまでルッツと顔を合わせるのを避けたのは何故だ? らしくないだろう。お前やカイトとは会っていたにも拘わらず」

「知らねェよ。その時間、あいつはお前と待ち合わせたんだろ? だからじゃねェのか」

「その通りだ、が……」

 シオン王子とユーハ君が肩を並べて、あーだこーだ意見を出して合っていた。実はこいつら仲良いんじゃないか、と胡乱な目で見てしまう。


 また他方では下を覗き込みながら、カイト君がルッツに話し掛けていた。

「四階からだと中庭(した)はちょっと遠いですね」

「裏門もよく見える……が、知己であれば兎も角、あまり面識のない相手だったら誰だかわからない距離だな」

 眉を寄せて人物と景色の配置を測るルッツ君は、やっぱり近視気味なんだろう。私も前世では視力があんまり良くなかったから、他人の顔が判別し難い感覚はよくわかる。

 カイト君みたく眼鏡で矯正してないのは、鍛練してる格闘技に邪魔だからなのかな。遠近感が把握しづらい方が不利な気もするけど、専門でないから知らん。慣れとかもあるだろうし。

 

「先程も仰られてましたが、ルッツ様は……あの日は空き教室の露台までは出られなかったのですよね。直接声を掛ければ、さすがにローゼ様をお引き留めできたのでは?」

「そうは言っても、そんな間もなくローゼが室内に戻ってしまったからな。まさか露台から押し入る訳にもいかないだろう?」

 改めて尋ねると、ルッツ君は複雑そうに苦笑して答えた。状況を振り返るなら、当然後悔もあるはずだった。

「俺も思わないではない。あのとき――もしも、美術室に立ち入ることができていたら」

「……いたら、そうですね」


 ――犯人に出くわしたはずだ。


 私はルッツ君の言外の科白を悟る。

 なるほど、彼の胸の奥に残る凝りはこれか。犯行直前に現場近くにいたにも拘わらず、異常を関知せず事件を止められなかった。まったくルッツ君のせいじゃないけれど、割り切って呑み込むには確かに重過ぎる。


「言っても詮のないことです、ルッツ様。お気持ちは理解しますが、ルッツ様に責任はございません」

「ああ、そうだ。今更だ」

「ですから、先日の――ご自分に疑いを向けるような言動で捜査を撹乱するのはお止めください。代わりに罪を被るなどあってはならないことです」

「……すまない」


 以前の我々のやりとりを知らないカイト君が、謝罪するルッツ君を不思議そうに見ていた。同じ立場のシオン王子とユーハ君も、会話を中断してこちらを窺う。

 彼らは気づいてない。一度は全員がルッツ君に疑われ、同時に庇われようとしたことを。

 知ったらどっちがショックだろう。少なくともルッツ君は、こいつに限ってとか最後まで仲間を信じたいとか、全然なかった訳だもんね。

 輪の外にいるギル君を疑ってたシオン王子や当初のユーハ君の方が、精神的には健全だったのかもしれない。


 もともと彼らの結束的なものが、ローゼ嬢を敵視することで(ユーハ君は見せかけだだったけど)保たれていたとしたら、事件を皮切りに崩れてもおかしくはなかった。信頼関係だって同様だ。

 犯人もそれを承知していただろうか。もしかしたら、だからこそ壊したかったんだろうか。


 陰惨な心理を想像すると、自然と私の気分も駄々下がりになる。周囲の明度が合わせたかのように低下し、暗さが増していく。


 直に陽は沈むだろう。

 刻一刻と鐘が鳴る時間が迫っていた。



 + + +



 私は空き教室の中に戻り、持参したランタンの蝋燭に灯を点けた。季節柄日没は早い。そろそろ灯りがなければ行動に支障が出る。


「先生、僕が角燈を持ちましょうか?」

「いえ大丈夫です、カイト様」

 ぞろぞろと後に続きながらも、親切心を働かせてくれたのは最年少のカイト君だけだった。姉弟の下の子ってそういうとこあるよね。

「お気遣いなく。さて、あまり遅くならないうちに美術室に行きましょうか」


 当たり前だけど、夜まで王子様やお坊っちゃまたちを連れ回すのはよろしくない。ただでさえ封鎖されて人が立ち入らない旧校舎だ。万が一また何かあったら、責任問題以上に深刻な事態になる。

 全員を空き教室から出すと、私は施錠する間も惜しんでさっさと隣の美術室に向かった。


 さすがに少し緊張する。

 美術室(ここ)が始まりであり――終着点(ゴール)、になるのか。


 自分の記憶を辿れば、当時のこともよく思い出せる。何せ私自身がローゼ嬢の亡骸を目にしているのだから。


 そう、確か――。




 シオン王子の悲鳴が聞こえて、階段を上っていた私はすぐに四階に駆けつけた。

 ドアが開いている美術室に飛び込むと、明らかに尋常でない様子で仰向けに倒れている制服姿の少女と、腰を抜かした王子様の姿があった。

 甲高く悲鳴を上げた私の双眸には、二人のほかに誰も映されてはいなかった。少女――死に際の苦痛のためか凄まじい形相だったけれど、ローゼ嬢だとは判別できた――の首筋には絞められた痕があり、最初はシオン王子がやったのだと勘違いした。

 真っ青になった私を見て、多分同じくらい顔色を悪くしたシオンが必死に首を振った。その様子に、私は彼もまた発見者に過ぎず、加害者ではないと悟る。思い返せば、直前の悲鳴には驚きと恐怖が混じっていた。




「あのとき……私がもう少し早く来ていれば、ローゼは死なずに済んだのか?」

 美術室の前でシオン王子も当時を鮮烈に思い出したのか、辛そうに表情を歪めていた。

「誰が犯人にせよ、私が止められた可能性は充分にある。いや、間に合わずとも犯人の姿を捉えるくらいは……」


 好きな女性と別の男性の逢瀬を目撃したショックが大きかったとは言え、自分がぐずぐずしていなければ、タイミング的に犯行前に美術室に辿り着いていたかもしれない。

 苦渋に満ちた表情をまるで隠さずに、シオン王子はそう自嘲した。

 疎んでいた婚約者でも、幼い頃から交流がある相手だ。どんな事情であれ死なれるのは後味が悪いだろう。私みたいに他人事で流せるはずもない。


 さっきのユーハ君の主張通り、もしシオン王子が犯人だったとしたら、発見時点から今に至るまで、白々しく演技してるってことになる。

 逆にシオン王子が犯人でないとしたら?

 ローゼ嬢が殺害された時刻にシオン王子が呼び出しを受けたのは、単なる偶然だったのか。それとも真犯人の意図――悪意が働いていたのか。

 後者だったらシオン王子は陥れられたってことになるだろうから、憶測だけで迂闊には口にできない。


「ルッツ様にも申し上げましたが、シオン殿下」

「……今更言っても詮なきこと、か? ああ、百も承知だ。それともローゼを蔑ろにしてきた私には、悔やむことすら赦されないとでも?」

「もちろん、そんなものは個人の自由です」

 自国の王子に対するには些か粗雑な返答を口にしながら、私は肩を竦めた。

「ただ……無礼を承知で申し上げるのであれば、殿下が本当に犯人でないとしたら、罪悪感を抱かれるのも筋違いと存じます。最も懺悔すべきは当然に犯人なのですから」

「ふん、無礼などそれこそ今更だろうよ、女……いや、アニー教員よ」

「……?」


 少しだけいつもの尊大さを取り戻したシオン王子が、不意に私の名を呼び眼前に近づく。

 反応できるほど緩慢な動作ではなかった。

 王族らしく優美に、それでいて目に止まらない素早さで、シオン王子の手が揺れて私に触れた。


「……!?」


 気がつけば、私の手からマスターキーが奪われれていた。

 え……え!?


「迂遠なのも大概にせよ」

「殿下!?」


 吃驚どころではない。

 意外、いや想像できる訳がなかった。

 今までの情けない印象からかけ離れている。

 ちょっと待って、俊敏過ぎるでしょ……!


「どういうつもりだ、シオン!?」

「シオン殿下!? いったい何を……」

「おいてめェ、やっぱりか!?」

 残る三人がそれぞれシオン王子と対峙する。


「ふん……」

 各人が牽制する様子をちらりと一瞥して、シオン王子は無言で美術室の扉に鍵を差し込んだ。独善的な表情が顔立ちと妙にマッチしているのは、やはり生まれついての俺様キャラだからだろうか。

「ここが――ローゼの死に場所であるここが、調査とやらの最後なのだろう? もう待てぬ。茶番はさっさと終わらせるがいい、アニー教員よ」

「シオン殿下……」

 呆気に取られていると、かちりと音がして解錠されたのがわかった。


 扉が音を立てて開かれる――と、ほぼ同時に。


 五時の鐘が校舎の内外に鳴り響いた。

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