海町へ魚を食べに行こう! 3
息を吸うと、磯の香りを感じた。
早々と野営場所を出立した俺たちは、午前中の内には海町近辺につく事ができた。
幾つかのトンネルをくぐり、緩やかに国道を下っていくと建物の合間から海が見え始めてきた。
数年ぶりにもなる海を目にして、つい足を止めて見入ってしまう。周囲の小鬼族や一角族たちも初めて肉眼で見る事になる海の青さと潮風を楽しそう感じていた。
はしゃいでいるヤーシャを宥めすかしているケイ君が先の方に見えている。その視界の端では、岩人兄弟も海に目を奪われているようだ。
少しドキドキしているらしい、珍しいことにね。
「ガンジー、ロッコ。あそこに見えるのが海だよ。大きんだよ。」
「………どれ位?」
「んーーー………、吾郎ちゃんが1000匹いても飲み干せない位?」
「「!」」
「って言っても塩辛すぎて飲めないけどねー」
「「!!」」
「でもねぇ、海の幸っていうのは美味いんだよ。」
「…………変なの。」
「ははははは、そだねー海は変だねー。」
傍にいた一助と二助が鼻をピクピクと動かしている。この子達もやっぱり気になるらしい。
「イゴールさん、道は外れてませんか?」
「そうじゃのぅ………、とりあえずこのまま下っていきゃあええんじゃないかのう。大通りに出るみたいじゃし、青看板がまたあるじゃろう。」
うしろで腰を揉みながら地図を確認している。
廃ホテルからはもう少しの距離だったので、朝からは休憩なしに走り通しだった。かくいう俺もお尻が痛い。
「じゃあ、このまま行きましょうか?」
「あいよ。………この歳で長旅はちーと堪えるのう。」
「ははは、もう少しですよ。ほらモンテ、もう出発するよ。」
イゴールさんの背負うバックパックの上で、背伸びをして海を眺めていた。
俺の声を聞くと毛皮のフードの中へ、いそいそと滑り込んでくる。
周囲で待機していた一角族に目で合図を送ると、彼女の号令で他の騎兵隊達が移動を開始した。
大通りから脇道に入っていく。
出発する段階で海街のローさんに教えられていた目印である看板や、少し大きめのスーパーなどを見つけながら、ゆっくりと確実に進んで行く。
この辺はすでにエリアレベルの浅い部分なのであろう、道中で出くわす魔物たちはどれも簡単に狩れる個体がほとんどだった。
海が近いということもあってか、これまで話にしか聞いた事がなかった魔物もちらほらと見かける。
カモメを大きくしたような鳥型の魔物や、全身を鱗に覆われた4本足のナマズのような見た目の魔物。ワイルドキャットやワーグとも出会う頻度が高かった。
まぁ、物珍しいだけでそれほど注意が必要な訳ではない。
フナムシを大きくしたようなヤツには、今後一切近づきたくないけどね。
ちなみに、エリアレベルというのは冒険者たちが『魔物目撃情報掲示板』などで使っていたもので、その地域の魔物の強さや遭遇率を表したものらしい。今では普通の会話でも使われるようになってきている。
そうこうしている内に、人為的に作られた行き止まりが目に見えて増えてきた。
民家の塀と塀の間をトラックで塞いでいたり、セメントで乱雑に塗り固められていたりと何も知らなければ迷う事もありそうだ。実際に罠にかかって死んでいるゴブリンを幾つか見ている。
ここら辺の事もローさんとのやり取りである程度聞いていたので、数人を先行させて確認しながら進んで行った。
まぁ教えられた目印と方角さえ間違わなければ問題ないだろう。
道幅が一助と二助にはそろそろ厳しく感じ初めてきたころ、唐突に視界が広がった。
そこはだだっ広い駐車場だった。先にはかなり大きな工場が見えている。
多分ここが『海町』なのだろうね。
ここから見てわかる事は、敷地を覆う金網は全て廃材で補強されており、内側にトラックやバスを並べて中の様子は伺えない。
後から付けたのだろうガッシリとした鉄柵ゲートの前には、武装したアルニア人が見張に二人立っているのが見える。
どちらも槍を構え、俺たちを見て警戒している。
もう少し近づいて声をかけてみようとすると、側にいた一角族の女性が手で制してきた。
「狙われています。お下がりを。」
彼女の見ている方角へと目を向けると、奥にある鉄塔からは弓を構えている者が数人確認できた。
さらには柵の内側にあるバスの車内にも窓から狙いをつけている者がいる。
よく見てみると、別の鉄塔に立つ小人族が双眼鏡を片手に無線で何かを話しているようだ。バリケードの向こう側では多数の走り回る音が聞こえており、時折怒号のようなものも発せられていた。
「うーん、何か相当警戒されてるみたいだけど………話通ってないのかな?」
ーーゴオオゥッ
不意に横から炎が吹き出した。
驚いて振り変えると、二助が空に向かってブレスを吹き上げている。
直後、火に呑まれた物体がボトリと落下してきた。
大きさ的にカモメの魔物かな?
場の空気を読んでいた竜騎兵たちが必死で注意しているが、二助はどこ吹く風だ。
むしろ、未だ火がついている獲物に噛り付きはじめた。それを見た一助も近寄ってきて、こんがり焼けた獲物の奪い合いが始っていた。
竜騎兵たちがしきりに周囲に頭を下げているのを、みんなが和やかに笑って見ていると……、
海町の方が、さらに激しく怒号が聞こえてきた。
「そりゃあ、警戒されるわい………」
イゴールさんが、ため息ながらに言っていた。
「いやぁー、どうもすみません。一応レンさんたちが来るという事を昨日見張りには伝えていたんですが、今朝の交代要員にはイマイチ正確に伝わっていなかったみたいで。どうもトラックか馬車のキャラバンだと思っていたようなんですよ。」
ローさんとラーさんが申し訳なさそうに頭を下げている。
結局あの後、ゲートの周囲に様々なアルニア人たちが武装して集まってきた。
それを見て、一角族を始め小鬼族騎兵隊も得物を構え、興奮したランバード達の嘶きと共に一助と二助の唸り声も低く響いていた。
強引に名乗りを上げようにも近づけすらできない。
嫌な膠着状態になりかけた時、ゲートの奥で何か揉めているような気配を感じたこと数分。
見覚えのある巨人族が奥に見え、その肩には見知った小人族がこちらを見て手を振っていた。
「いやいや、僕らも予定外に一泊してきましたし勘違いされるのも仕方がないかと……、それよりも先に一人か二人を挨拶に行かせるべきだったかもしれませんし、考えなしで申し訳ない。」
巨人族のゴーダさんの肩に乗ったままのローさんに連れられて、今では大きく開け放たれたゲートを潜っていく。
その先は広間のようになっており、十数人の武装したアルニア人達が半円上にこちらを見ていた。
得物こそこちらに向けてはいないが、未だ海町の住人は警戒しているようだ。
俺の前に出た一角族の女性とロッコは注意深く周囲の動きを観察している。
すぐ横にいるガンジーも俺からは離れようとしない。
初めて見る種族にランバードという騎鳥、何より一助と二助の威容に海町の住人は気をとられているようだ。
「いやーしかし以前はランバード達にも驚きましたが………まさかレンさん達が走竜まで従えているとは……これほどの大きさはアルニアでもそうそうお目にかかれないですよ?」
俺のすぐ後ろに付いてくる、一助と二助へ驚きの目を向けている。
「アルニアではこの子達のような存在がよくいるんですか? 走竜?」
「ええ、亜竜ではあるんですが、走る事に特化した竜種を使役している者達はいましたね。荷運びはもとより、戦闘でも無類の強さを発揮していましたよ。
………ただ、この子達のような種類は見た事も聞いた事もありませんねぇ。先ほどは火も吹いていたようですし走竜ではないのかもしれません。」
「この子達の母親?は倍くらいの大きさなんですが……もっと大きくなるんですかね?」
「倍? そ、それは………亜竜、なのかな? なんとも言えませんねぇ。竜種自体特殊な地域にしか生息していませんでしたし、未だ未解明なことばかりの魔物ですから。
……それより、この子ら暴れたりしませんよね?」
最後の言葉は周囲を刺激しないように気を使い、顔を近づけ小声で尋ねてくる。
「ええ、大丈夫ですよ。体は大きいですがまだまだ子供なので………一助、おいで。」
声をかけると巨体をのしのしと揺らしながら横へやってきた。上に乗る小鬼族たちも少し緊張している。
一助がちょうどゴーダさんと俺との間に首を入れ、こちらを見つめてくる。
ちょうど良いところにきたあごの下をくすぐってやると、「グウゥゥ」と気持ちよさそうに目を細めていた。
いつの間にか一助の頭の上には大きな手が置かれ、撫でられている。
見上げるとゴーダさんだった。
前回会った時も思ったが、やはり動物好きのようだ。周囲とは違い穏やかな目を一助に向けている。
「ええー子だなあ」
間延びした独特のイントネーションで、こちらにも笑いかけてきた。
それを見ていた海町の住人が、恐る恐る近づき二助の体に手を伸ばそうとしている。
触れる直前、俺と目があったので軽く頷いておく。
意を決したように体に触れると、二助は大きく欠伸をしていた。
周囲からは「おおっ」とざわめきが立つ。
安心したように次々と一助と二助の寄っていくことから、実は触りたかったようだ。
その中で、ローさんの妹のラーさんやエルフ族のボロさんがランバードには触れないようにと周囲に呼びかけている。
既に何度か触れようとした者もいたが、その度にランバードに睨み付けられていた。
騎手がそれぞれ丁寧に説明し、お願いしているのが目に入る。
徐々にだが場の空気がほぐれてきたのを感じる。
隠れてホッと息を吐くと、同じような表情をしていたローさんと目が合い、お互いに声を出さずに笑ってしまった。
海町のゲート前の広場から、さらに奥へと入っていく。
今は使われていないであろうフォークリフトや軽トラがところどころで放置されており、廃材と組み合わせてバリケートが所々で作られていた。
何度か魔物が襲ってきたであろう証拠に、壁や車体に魔物の爪痕や血痕が付いている。
そこを抜けると、見張り以外の住人達をぽつぽつと見かけるようになる。
どうやらここは市場だったようだ。
水場の近くでは仕留めた獲物の解体や、乾燥などの作業している人たちがいる。手を止め俺たちへと興味深げに眺めていた。
中には見た事のない種族もいる。
「彼女達は蒼緑人と言われる種族ですよ。海辺に住む事が多い種族でして髪の色が特徴的ですね。海産物の加工なんかはお手のものですよ。」
お上りさん丸出しだった俺に、ラーさんが親切に解説してくれた。
確かにサファイアブルーからエメラルドのような独特の髪色をしている。
見た目は日本人と東南アジア人のハーフのようかな。
その中の一人と目があうとニコリと笑いかけられ、なんとなく会釈をしてしまった。
それを見て周りの女性達と一緒にクスクスと笑われてしまう。
「ハンター街では見かけなかったですが、珍しい種族なんですが?」
若干火照った顔を懸命に隠しつつ、質問してみる。
「んーー、住んでいる場所が決まっているだけで珍しいという事もないですね。彼女達のように地域毎の種族はアルニアではよくいるんですよ。
ただ、ハンター街には戦闘が得意な者が集まりやすいですからね。彼女達のように生産的な事を得意としている種族は生産的なコミュニティに集まりやすいので珍しく感じるかもしれませんね。」
あえて俺の様子に気づかないように振舞うローさん。さすが商人、コミュ力が高いですね。
途中大きな建物内に入っていくと、そこで一助と二助、そしてランバード達に積んでいた荷を降ろすことになった。
ローさんとイゴールさんで荷物の中身を確認しながら交渉に入るようだ。
ここから先は商人の場だった。
邪魔になりそうな俺や、岩人兄弟はラーさんに連れられ海町の中央市場を案内してもらうことになった。
ラーさんに率いられ大きな建物の出口へと向かう。
外の明かりが差し込む扉からは大勢の人の声が漏れ出ている。
外に足を踏み出した途端に、喧騒に包まれた。
ガヤガヤと賑やかな話し声、威勢のいい掛け声と笑い声。
そこは小さな漁港だった。
港の中は広場になっており、屋台が所せましと並んでいる。
蒼緑人だけでなく、褐色の肌をした半巨人族や山羊の角を生やした獣人などの変わった種族も見かけ、彼らは大型の蛇のような魔物を解体している。
なんでもこの辺りの海にはよく見るらしく、鰻を更にさっぱりさせたような味だとか。
似たような事をやっている漁師達は多く、側ではそのまま叩き売りや、串に刺して塩焼きにしたものを売っている屋台もある。
エルフに獣人、ドワーフに小人族、中には背中から羽根を生やした人も見かける。
荷車を引いて大量に買い込んでいるのは行商人だろうか? 近隣のコミュニティからも出店しているようで、塩漬け肉や、少量ながらも野菜が販売されていた。
港には大小の漁船がそこかしこに並べられ、ゆったりと波に乗って揺れている。
少し大きめの船には人が住んでいるようで、洗濯物が干されていた。
広場から少し外れた所では小さな子供達が犬と一緒に駆け回っている。
沖の方では数隻の船影が見え、漁をしていた。
ラーさんの説明では、重油が貴重なためほとんどは人力で動かしているらしい。
確かに沖の方からは「おぅえいっ、おぅえいっ、おぅえいっ」と威勢のいい声がうっすらと聞こえている。
防波堤の中では小舟を漕ぎ出し、のんびりと釣りをしている人もいた。
他にもこの寒い中素潜りをしている人がいると驚いたが、よく見てみると体に鱗が付いている事から海人族のようだ。
彼らには海の寒さは関係なしとのこと。
周囲を紹介されながら回っていると、地上の魔物よりもはるかに海産物系の魔物の素材が多い。ところどころでは海藻を乾燥させているのも見かけた。
ゆっくりと見て回っていると、魚介で出汁をとったあら汁の香りが強烈なまでに鼻腔をくすぐった。
その方角へと目を向けると、よく日に焼けた男性が大鍋で何かを煮込んでいるところだった。
側に置いてあるまな板には魚をさばいた痕跡が………。
ーーこ、これは、まさか……。
目の前で足を止めた俺に気づいた彼は、しばらくこちらの様子を観察していたかと思うと、お椀に汁をよそい無言で突き出してきた。
「……いいんですか?」
俺の質問に軽く眉を上げるのみで応えてくれる。
両手でお椀を受け取り、慎重に口をつけると………一気に香る出汁の匂い。
熱々の汁をズズズっとすする。
味噌汁の味わいを何倍にも深めてくれる魚介の旨味が口中に広がった。
軽く舌を火傷する位では、もう止まらない。
ーー旨い。
それ以外の考えが頭に浮かばない。
無心で平らげてしまった。
ほっと一息ついてみると、岩人兄弟も美味しそうにあら汁をすすっていた。
そんな俺たちを見て、漁師の男とラーさんが笑っていた。
ハンター街に比べればだいぶ小さな市場だったため、見て回るのにさほど時間はかからなかった。
今は埠頭から釣竿を垂らしていた老ドワーフと、のんびりと海を眺めている。
横にはガンジーとロッコが座り足をブラブラさせ、モンテはラーさんに抱かれてうたた寝中だ。
「レンさん」
あくびをかみ殺している所で声をかけてきたのはケイ君だ。
後ろにはヤーシャもいる。
どうやら、一通りランバード達の世話を終えたようだ。市場の方には、小鬼族や頭一つ飛び抜けた体格の一角族たちの姿が見える。
「イゴールさんは? まだ交渉中?」
「それが………途中までは順調だったんですが、果実酒の話になった所で試飲会が始まりまして」
「アァ………なるほどね。時間かかりそうなんだね?」
「えぇ、ローさんが七輪を持ってきてスルメを炙り始めましたからね」
「バカ兄貴………。」
ケイ君と俺のやり取りを側で聞いていたラーさんが、額に手をやりつぶやいている。
酒の席での失敗談を以前聞いたことから、同じようなことも一度や二度ではないのだろうね。
ラーさんがケイ君を案内してくれた獣人族の男性に、少し怖い顔で何か言伝をお願いしている。
何度も真剣な表情で頷き小走りで去っていく彼の後ろ姿を見送り、ラーさんが笑顔で振り返った。
「もう少し時間がかかるみたいなので、砂浜にでもいきましょうか? ここから歩いていける距離ですし。」
砂浜と聞いてこちらを見上げてくるロッコと目があった。
「そうですね。この子達は見たことないですし、是非行きましょう。」
市場を横切り、海岸線に沿って歩くことしばらく。
岩場が切れた所から白い砂浜が見えてきた。そしてその砂浜にはすでに先客がいる。
大きな焚き火を囲んでいる小岩のような存在が二つ。
一助と二助だった。
「荷下ろしした後、そのまま倉庫にいるのも可哀想だったのでここに案内しました。」
周囲にはランバードも数頭おり、それぞれが自由にしている。
その中でも一番小柄で真っ白なランバードが、こちらに向かって走り寄ってきた。
ヤーシャが飛びつくなり、鞍のない体にまたがり砂を蹴上げて駆けてゆく。
「へぇ、うまいもんだねー」
「そりゃあ、四六時中ランバード達の世話をしていますからね。普段はやんちゃ坊主でも、ことランバードのことになるとガラリと変わるんですよ。仕事を愛する男の顔になるんです。」
「………ケイ君、度を超させないでよ?」
「さて、何のことでしょうか?」
と、素知らぬ顔。
焚き火に近寄っていくと、一助達のそばで一緒に温まっているランバードが一頭見えた。
俺の方を見ると、挨拶代わりと欠伸をしている。
「正一………。」
「ふふふ、相変わらず王者の風格ですねぇ」
「ええ、呑気なだけだろう?」
「そんな事ありませんよ。他のランバード達が騒ぎ始めても、正一君がどっしり構えているおかげで場が収まることが何度もあったんですから。」
当の正一は、体を少しだけ横にずらして俺を見つめてくる。
『まぁ、ココに座りなよ』ということなのだろう。
一助と二助の間に挟まって、焚き火にあたりながら正一の体を撫でた。
徐々に目を細めて体を砂浜に沈めていく。
しばらくすると、スゥスゥと寝息が聞こえ始めた。
気持ち良さそうで何より。
海の方から、元気な笑い声が聞こえてくる。
顔を向けると、波打ち際でヤーシャとフォア、そして珍しく頬を緩めているロッコの姿があった。
ガンジーは裸足になって波打ち際に佇んでいる。
たまにヨロリとなってはまた静止している。寒くないのか心配になるが、こちらも十分楽しんでいるようだ。
隣にモンテを抱っこしたラーさんが座ってきた。
「いい所ですね。」
「でしょ?」
満足げに微笑んでいた。




