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第55罪 はぐれ猫、迷い猫。1

 ★前書き★

 ★クロネの視点です★

 〜クロネの回想・シラカワ動物クリニック〜



「よしよし。これで怪我もすっかり良くなったはずじゃ」

「みゃあ」

「よく頑張ったのう、おじょうちゃん」


 整った白髪のお爺ちゃんが、うちの顎を優しく撫でてくれる。この動物クリニックの医師、シラカワ先生だ。


 タイガーアドベンチャーに殺されかけたうちは、カラスという配信者の少年に助け出され、この動物病院に運び込まれた。うちの怪我を手当してくれたのが、シラカワ先生だ。


 うちを助けてくれたヒーローのカラス。

 病院を見つけてくれたリスナーのみんな。

 怪我を治療してくれたシラカワ先生。


 みんな、うちの命の恩人だにゃ。


「もうひとつ、おじょうちゃんに嬉しい知らせがあるぞ。おじょうちゃんを抱えて連れてきた少年が、おじょうちゃんのことを引き取ってくれるそうじゃ」


 うちは目を丸くする。

 カラスという少年のことを思い出す。

 降りしきる雨の中うちが冷えないよう上着をかけてくれて、うちのことをずっと励まし続けてくれた少年。

 彼と、これから一緒に暮らせるのだ!


「夜の雨の中、駆け込んできたときは驚いた。今時珍しい、立派で心優しい少年じゃ。ペットを飼うのは初めてらしいが、あの子になら任せても問題ないじゃろう」

「みゃあっ!」

「ほっほっほ、おじょうちゃんもそう思うか!」


 嬉しい。嬉しい、嬉しいにゃっ!

 尻尾をピンと立てて喜んでいると、シラカワ先生がちゅ〜るをくれた。そういえばお腹がぺこぺこだ。口いっぱいに頬張っていると、パシャパシャと写真を撮られた。


「うみゃ?」

「カラスくんに写真で元気な姿を見せてやろうと思ってのう」

「みゃっ!!」


 とてもいいアイデアだ。しかし、ちゅ〜るにとびつく様は、はしたなくはなかっただろうかと少し恥ずかしくなる。


「本当はすぐにでも会いたいと言っておったが、カラスくんも体調を崩しているらしくての」

「…………みゃあ…………」


 きっとうちのせいだ。雨の中あんなに走り回ったせいで、身体が冷えてしまったのだ。

 

 ……心配だにゃ。

 出来ることなら、元気になったこの足で今すぐかけていって、温めてあげたい。


 カラス。カラスくん。

 うちの、ご主人。

 

「あの少年は、自分の事よりも、初めて会った見知らぬ動物の事を大事に考えられる子じゃ。彼とならば、短い時間でもきっとたくさんの想い出を作れるじゃろう」

「みゃあ?」

「おじょうちゃんは生まれつき、他の子より身体が丈夫でないようじゃ。今回のことがなくても、あまり長く生きられる身体ではない」

「……みゃあ」


 自分の身体の事だ。

 なんとなく気づいてはいた。


 お母さんはうちを産んでしばらくして亡くなった。

 兄弟姉妹の中で生きているのは、うちしかいない。


「あと10年、持てばいい方じゃろう」


 あと10年。人間で言えば、うちは60歳。

 世が世なら、国が国なら、大往生だろう。

 ましてうちは血統書付きでもない野良猫だ。


「みゃん!」


 ごろごろと喉を鳴らして、感謝を伝える。


 嬉しい。嬉しい。

 とっくに散っているはずだった命が、皆のおかげで、10年も延びた。


「後悔しないように生きるんじゃぞ。わしから言えるのはそれだけじゃ。──どうか、幸せにな」

「みゃあっ!」









 〜現在・ハラジュクダンジョン〜








 ご主人と離れたうちは、黒猫の姿で、ひたすらダンジョンを突き進んでいた。黒猫は暗闇に紛れるためモンスターにも見つかりにくく、足場の悪いところも気にせず進める。


 だけど、いつものようにリスナーさんの案内があるわけじゃない。道標は自分でつけるしかないが、そこまで頭も回らない。


 ただモンスターやトラップを避けながら、下を目指して闇雲に進んでいる。




 ──うちは、なんでこんなことをしているにゃ。

 ──どこに向かっているにゃ。



 迷子。

 そう、迷子だ。

 だけど、ご主人の迷子よりずっとタチが悪い。


 道はわかるのに。

 行き先がわからない。


 ただご主人から距離を取りたくて。逃げたくて。

 拒絶されるのが怖くて。

 それだけで、こんな場所にまで来てしまった。


 無意識に選んだのが明るい地上ではなく暗い地の底というのは自分らしいと苦笑する。




 "目の前で誰かが死ぬと、嫌な気持ちになるだろ"




 ご主人の言葉を想い出す。

 ご主人の行動を憶い出す。

 ご主人は強い人だ。優しい人だ。気高い人だ。

 まるで、太陽のような人。


 だからこそ。だからこそ、うちが人を殺していた事を知ってショックを受けたのだ。

 あんな風に、悲しそうな眼をしたのだ。



 他の誰でもない。

 うちが、ご主人を悲しませてしまった。



 ──────だけど。

 うちは、ご主人のように強くはなれない。

 許せないものは、ゆるせない。

 ひとでなしのクズどもを殺した事を後悔しようと思っても、うちにはできない。



    「けほっ」


 黒色の血を吐き出す。

 あのビームは……躱した筈だ。

 今日は少し無理をし過ぎたみたいだ。



 ──10年。

 ダンジョンに与えられた奇跡。尾が二つに裂け、人間の姿に化られるようになった。

 だけど軌跡はそこまでだ。

 うちの寿命が都合よく延びたわけではない。


 ご主人にご奉仕するために。

 ご主人に幸せな暮らしを提供するために。

 ご主人の世界を綺麗に掃除するために。


 ──手段を選べるような時間も、余裕も、うちにはないにゃ。






       きゃああああああああ……



 カン高い女性の悲鳴に毛を震わせる。

 巨大な頭の雌のオークが、焦点の合わない目でフロアを徘徊していた。


 ぼんやりしていたが、そういえば先程、扉の隙間を抜けた気がする。つまりここは下層ボスフロアか。運がいいのか悪いのか。なんだかんだと闇雲に進んでいるうちに、ここまで辿り着いてしまった。


 …………ご主人は、うちの事を追って来ているのだろうか?


 いや、ありえない。

 ダンジョンは薄暗く、ドローンが壊れた状態で、スマホのライトだけで進めるようなものではない。ただでさえ方向音痴のご主人が、リスナーのみんなの協力なしにダンジョン内を探索などできるわけがない。


 仮にできたとしても、暗闇で黒猫のうちを見つけるのは不可能だ。うちの事を見失った時点で、諦めたと考えるのが普通だ。


 そもそも、うちに愛想をつかせて家に帰ったかもしれない。その方がずっと気が楽だ。



 …………………気が楽?

        ほんとに?


 そのはずなのに。

 そう考えるだけで胸が無性に苦しい。

 眼の奥が、冷たい熱をもつ。




   きゃああああああああ……



       きゃあきゃあああああ……




「うるさいにゃ」


 ネコノタタリで討伐できるか? いや、特性のわからない下層ボスに単身で挑むのは危険にゃ。

 いっそ引き返そうかと迷って辺りを見渡していると、深層へ降りていくためと思われる道の近くに、亀裂が入っているのを見つけた。

 巨頭のオークはこちらに気づいていない。猫の姿のまま、横をすり抜けて深層に降りられるだろう。


 うちはなるべく息を殺しつつ、下層ボスを素通りしていった。

 





 〜ハラジュクダンジョン深層〜





 深層に足を踏み入れた瞬間、その異様さに一瞬だけ足がすくむ。

 ──恐ろしい。

 これまでのフロアとは明らかに別物だ。


 ヌメヌメとした怪しげな粘液が飛び散り、腐臭が漂う。床はなにか重いものを引きずったような跡が生々しく残っている。戦闘の爪痕しては不自然だ。


 そして、至るところに奇妙なオブジェがあった。


 人間の形をした宝石。

 ルビーだろうか? どれも血のような暗い赤色をしていて、あちこち崩れているものもある。

 その顔は苦悶と絶望に表情を歪めたまま、固まっていた。


 直感で理解した。これは、迷い込んだ探索者だ。

 恐らく、石化のような状態異常スキルを持ったモンスターにやられたのだろう。

 ご主人なら石化解除のポーションを持っていたかもしれないが────


「……ごめんにゃ」


 助けを求めるような眼に、背を向ける。

 あるいは、死なせてくれという懇願かもしれない。

 だが今の自分には、彼等を救う方法は無い。




      ……オォォォォオオ……




 遠くから風の音が聞こえる。

 いうまでもなく、こんなダンジョンの地下深くで風なんて吹く筈がない。

 危険なモンスターが徘徊しているのは明白だった。



「………………。」




      不思議と、居心地がいい。





  きゃあああああっ!!!



    きゃぎゃきゃあああああああ!!


 


 悲鳴に驚いて振り返ると、通ってきた岩の隙間から巨頭オークが覗き込んでいた。うちのことに気づいたのだ。瘤だらけの長い手を隙間に突っ込んで、あたりを無茶苦茶に掻き出そうとしている。


 ──どのみち、もう上に戻るのは無理か。

 爪の届かない距離に腰でもおろそうかと思ったとき。




「うぎゃぁああああああああああッ!!」




 今度こそ、本物の悲鳴が聞こえた。

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