第七十七走 ガバ勢と“ルーのミラー”
「門番さん、おつかれさまでーす」
「おお、サマヨエル様。無事に走者の方々と会えたのですね。それではお通りください。精霊サファイアスのご加護がありますように」
明るく挨拶したサマヨエルに〈ローラ・ゲート〉を守っていた兵士は慇懃な笑みを返した。
〈ローラ・ゲート〉は、ローラシュタットとムーフェンシアを繋ぐトンネルだ。上を川が流れており、大量の人や物が通過するにはこの地下を通るのが一番効率的。そのため、防衛の要所の一つとしてもかぞえられる。
ムーフェンシア側が敵に襲われたとすれば、この〈ローラ・ゲート〉がローラシュタットの最前防衛ラインになる。守りも規律も強固であり、精霊サファイアスの代理人であるガイドがいないと、走者たちはここを通過することはできなかった。
「おや、おまえは以前ここを通ったムーフェンシアの兵士ではないか」
「ああ、ドモっす……」
カークが一人の兵士に呼びかけられている。
「無事任務をやり遂げたそうだな。誇るといい」
「ああ、はい……」
受け流すようにそう言ってから、彼はルーキのすぐ横にやって来て、小声で愚痴った。
「ホコリなんて年末にはいて捨てる価値しかねーっつうの。んなもんより、金とか地位とか、もっと役に立つご褒美をくれってんだよなあ?」
相変わらずのヒネた発想だ。しかし、
「へえっ。じゃあ、今回の〈ランペイジ〉はカークが知らせてくれたから始まったんだ? 偉いね!?」
サマヨエルに下からのぞき込むように感心されたことで、彼の態度は一変する。
「お、おおよ! 今まで黙ってたけど、実はそうなんだよ。オレがいなきゃ、今頃はローラシュタットも奇襲されてたかもな。だが、まあ、オレ一人の手柄ってわけじゃねえ。一緒に戦ってくれた仲間たちのおかげだな。あいつらがどうなったのか今でも気になるぜ……!」
「おおー、謙虚なんだ?」
「へ、へへ、そうか? これが普通だから気づかなかったわー。マジこれがオレの普通だからさあー」
可愛い女の子から褒められ、ひたすらデレデレするカーク。
ついこの前まで「ムーフェンシアとかどうでもいい」とか「王様はただのじいさん」とか言っていた姿を知るルーキは苦笑いするしかなく、リズとサクラに至っては、白い目を通り越してもはやカークの姿が微粒子程度にしか見えていない様子だ。
「何にせよ、次のチェックポイントはそのムーフェンシアだな……!」
ルーキは自分の言葉で、緩みかけた胸の内を引き締めた。
ムーフェンシアが激戦の末に陥落したことは間違いない。そこを通るということは、城の中を跋扈しているモンスターと鉢合わせるということだ。
何組ものパーティが城内を通過することにより、断続的にモンスター討伐を行う。そうして奴らを完全に追い払い、ムーフェンシアを取り戻す。これが〈ランペイジ〉の仕組み。
しかし、サクラが下準備してくれた資料によると、これから一つの問題が発生する。
それは――。
スタッ、と軽い音がして、何かがルーキの頭の上に乗った。
「ん……?」
「おや、わたしですか」
委員長の声は頭のすぐ上から聞こえた。
手を伸ばしてみると、ふわふわした毛の感触が返ってくる。
ルーキはそれを両手で捕まえ、降ろしてみた。
「どうも」
「うおおっ……。マジで……?」
その物体と目を合わせ、ルーキは叫んだ。
「あっ! リズが猫になったよ!」
サマヨエルが楽しそうに言った通りの現象が、目の前で起きていた。
ルーキの手に持たれているのは、旅装束に身を包んだ白い毛並みの猫――いや、どうやらホワイトタイガーの子供だった。
しかし、普通の動物とはだいぶ違う。というのも、はっきりと髪の毛らしきものがあり、顔立ちも骨格も、ついでに 廿_廿 みたいな目つきも、委員長にそっくりだったのだ。
委員長は手乗りホワイトタイガーになっていた。
これが、チャートにも書かれている〈ムーフェンシアの呪い〉。
勘違いしやすい名称だが、別にムーフェンシアが誰かを呪ったのではなく、むしろ呪われた側である。襲撃側のモンスターに、人をケモ化させてしまう魔法使いが毎回いるのだ。
この攻撃の余波により、〈ローラ・ゲート〉を抜けてやってくる人間の一定割合が、何らかの動物に変えられてしまう。
どういう基準で呪いの標的になるかはいまだわかっておらず、対策を立てることは不可能。まったく被害のないこともあれば、パーティー全員が呪われるパターンもある。
ただし、対処法は確立されていた。
「まあ、“ルーのミラー”が手に入るまでの我慢ですね」
ルーのミラー。その鏡を使うことによって、人は元の姿をゲットバックできるのだ。
またこれは、ムーフェンシアの防御結界を解除するキーにもなっているため、呪いがあろうとなかろうとゲットはマストだった。
「じゃ、行きましょうか」
平然と言って、リズはルーキの手から抜け出し地面に降り立った。見事に二足歩行である。
「…………」
ルーキがトコトコ歩く委員長の後姿を見ていると、隣のサクラが怪訝そうに言ってきた。
「なーにじっと見てるんすかねえ、ガバ兄さん。まさかケモナーだったとか言わないっすよね?」
「お、おう……」
「イインチョさんを見る限り、ケモ度は人:4獣:6の若干ケモノ寄り。ほぼ人なんすけど、鼻が動物のものってところが趣向の分かれる危険なラインっすねえ。まさか……ガバ兄さん?」
「ち、違うさ。何でもないって」
「ん? 今何でもって言いましたかルーキ君」
「はっ!?」
気づけば、恐ろしい速度でリズがルーキの肩の上に載っていた。
ケモ化したせいでサイズも猫程度になっており、俊敏さはさらに増したようだ。
肉球のある手でグイーと頬を押してきながら、彼女はからかうように言った。
「もしかしてモフりたいんですか? まったくあなたという人は……。しょうがないですにゃあ。背中と頭くらいなら許しますよ? ん?」
「い、いや、それは……うう……!」
虎耳、尻尾付きの委員長。言葉では表しにくい、しかし確かに心を動かす何かがある。
ルタの街には獣人もちらほらいるから、それが物珍しいというわけでもない。それなのに、確実に何かがプラスされたと頭が認識してしまっている。
サクラの言ったとおり、動物の鼻は気になった。それも悪い意味でだ。だがなぜか、そこをついつい見つめてしまう自分がいた。
快楽とは、苦痛を水で薄めたようなものであるという言葉があるらしい。ならば、快もそうなのか。不快が不快でない段階ならば、快となるのか。
「わたし! わたしモフりたい!」
一人うめくルーキをよそに、サマヨエルが許可を得て委員長を取り上げると、きゃあきゃあ言いながら頬ずりを始めた。
その無邪気で愛らしい姿に、ルーキは自分の心の中のやましい何かが急速に晴れ渡っていくのを感じた。そう……。こういうのでいいのだ。こういうので。自分はさっき、一体何を考え悩んでいたのか?
それを見ていたカークも手を伸ばす。
「何だよ、猫ぐらいで騒ぎやがって。ま、オレも猫好きだし、ちょっとくらいモフってやるか」
「シャーッ!」
「ギャアアアア!」
カークは猫パンチを食らって倒れた。
「ダメだよカーク。リズは女の子なんだから、断りもなくさわるなんてセクハラ!」
「すいませんね。わたしの中の野性が勝手に反応したようで」
サマヨエルとリズが口々に言うが、倒れたカークはすでにぴくりとも動かない。
「虎の猫パンチって牛の首折るらしいっすよ」
「元は委員長だしな……」
気絶したカークを担いで、ルーキたちは〈ローラ・ゲート〉を通過。そのまま敵との遭遇もなく、無事にムーフェンシア最初の町ムーペコへと到着した。
ムーフェンシアにもっとも近い町であり、城が陥落したとなれば次に被害を受けるのはここだ。状況次第では、ルタの街から持ってきた支援物資をここで降ろしていく必要があった。
「……! これは……!」
町に一歩踏み込んだ瞬間、ルーキはその異様さを肌で理解した。
空はよく晴れ、鳥のさえずりすら聞こえてくる。
しかしその長閑さとは裏腹に、家という家に魔よけのシンボルが下げられ、人々は暗い顔で通りを歩いていた。彼らの吐き出したため息が滞留し、太陽の光を遮っているようですらある。
「おいおい。オレが通った時でもここまで切迫してなかったぜ、この町……」
目を覚ましたカークが驚きを隠せずに言う。
「もしかして、ムーフェンシアは相当ひどいことになったんじゃないのか……?」
「何があったのか聞いてみましょう」
ルーキたちは、道の端に魔よけの十字架を立てている老人に声をかけた。
すると彼は血の気の失った顔で、
「あ、あんたたちは走者か……! た、頼む、すぐに南の沼地へ向かってくれ。バケモノが……とんでもないバケモノが現れたんだ……!」
南の沼地はルーのミラーが隠されている場所だ。
まさか、そこにもモンスターの手が?
「一体、どんなモンスターなんです?」
委員長が努めて冷静にたずねる。老人は顔をこわばらせ、震える声で話した。
「速すぎてよく見えなかったが、獣のようなモンスターの一団じゃった……! だが、スライディングとかバックステップとかシキソとか、とにかく常軌を逸した禍々しい動きで町を駆け抜けて行ったのじゃ……!」
『えっ……』
「それだけじゃない! もっと恐ろしいものが……この世のすべてに興味がないような冷たい眼差しの娘の幽霊が、町を通過していった! 柵も壁もすり抜けて……。ほ、本当じゃ。わしは見た! あれはきっと悪霊の神々じゃ。もう終わりだァ!」
『…………』
老人が大声で叫んでも、道行く人々から奇異の目を向けられることはなかった。
みなが同じことを考えているのだ。
それをすでに事実として受け止めつつも、目を閉じて耳を塞ぎ、口にさえしなければ自分だけは逃れられると信じているかのように、ただ足早に去っていく。その後ろ姿が痛々しい。
(どうすんだこれ……)
彼らが見たというのは、間違いなくアレだ。
〈悪夢狩り〉の一族に、スタールッカー。
だがこの異様な雰囲気。アレらは味方ですよと言ったところで、こっちまで悪霊のナニカと見なされかねない。
どうすべきか悩んでいると、すぐ隣にいるサクラの目が「リーダーなんだから何か言うっす」と催促してくる。確かに、老人の両目は不安の渦を巻いたまま、ルーキの反応をじっと待っていた。時間をかければ、説得力を失うだけだ。
上手い言い回しも思いつかないまま、勢いで口を開いた。
「ああ、ええと……。とりあえず落ち着いてくれじいさん。俺たちが必ず何とかするから、そんなに心配しないよう、みんなに言っといてくれよ」
すると老人は目を輝かせ、ルーキの腕を掴んできた。
「おお、さすがは走者……! 頼む、世界を救ってくれ! 世界を!」
「わ、わかった、わかったから。世界とかそんな大袈裟なこと言わなくていいからさ。きっと大したことないよ。大丈夫」
「何と心優しい言葉! 勇者! おまえさんこそ、真の勇者じゃ!」
「そういうんじゃないから! ただの走者だから!」
ルーキは老人を落ち着かせ、ひとまず家に帰るよう促した。
老人は素直にうなずき、帰り道の途中で町人たちと何やら話し込んだ。彼らがこちらを見て、地獄でブッダに会ったように明るい顔になったことから、どうやら安心はしてくれたようだ。
「すごいねルーキ!」
サマヨエルが目をキラキラさせながら、ルーキの服の裾を握ってきた。
「わたし、さっきのおじいさんの話を聞いて、大変だ、どうしようって思ったのに、ルーキは全然動じないんだね。かっこよかったよ!」
「あ、ああ、うん……。いや、大したことじゃないから……マジで……」
心からの尊敬の眼差しがザクザク突き刺さり、いたたまれない気持ちのまま顔をそらす。
「あっ、もしかして勇者って言われたの照れてるの? えへへ……ルーキってちょっと可愛いね」
「そっ、そうかな……。まあ、何だっていいさ。この話はもうやめて、さっさと出発しよう。な?」
「うんっ。勇者!」
こうして、ルーキたちは逃げるようにムーペコの町を発った。
ただただ、人外の先輩走者たちが巻き起こした騒動から、必死に目をそらして。
目的地は南の沼地。キーアイテムは、ルーのミラーだ。
トゥギャザーしようぜ!




