第六百十七走 ガバ勢とルタ動乱-襲来-
「待たせてごめんなさい」
第一声となる謝罪に振り向いたニーナナは、扉の奥から現れた人物の姿に思わず息を呑んだ。
「呼び出しておいてひどいお母さんよね」
サンは松葉杖を脇に挟み、看護服の若い女性に付き添われていた。
目の下には濃いクマ。ただ立っているだけでも体のバランスがおかしいとわかる。
「……どうしたの」
ニーナナは驚きを追い出せないままたずねた。
室内は意図的に薄暗くされており、人を迎えるための設備は一切なかった。その中にようやく現れた生きた息を吐くもの。なのに、その相手は微弱な間接照明よりもさらにか細く、消えかけているように見えた。
「何でもないの」
応えたサンは、次いで付き添う女性を「もう大丈夫です」とやんわり押し出し、席を外すように頼んだ。女性は心配そうにうなずき、部屋から出ていった。
何でもないわけ、ない。
ニーナナは思った。
ソリッドニンフの強さの源泉は、自分の体を完全にコントロールしていることにある。筋肉の一筋、血管の一本に至るまで完璧に制御し、戦闘能力に転換する。仮に片足を切り飛ばされても、杖なんか必要ない……はず。
「サン」
ニーナナは歩み寄り、今度は自分の手でサンの体を支えた。
サンはその手をじっと見つめ、「ありがとう。優しい子ね」と弱々しく微笑んだ。
彼女が羽織ったケープの内側に異様な感触があった。
硬い。
サンが自分のコントロールを失いかけていることをニーナナはそのことを理解した。
戦闘服用。体内を巡る戦闘用強化物質と魔力を混ぜ合わせて自らの体を変形させる能力。ケープの内側の二の腕にそれが不必要に発現している。それは異常なことだ。意味のない能力などソリッドニンフは使わない。
「見て」
サンがそう言って首を仰向ける。
暗い部屋にいくつものモニターが点灯した。
宙に浮かぶ不思議な画面。
「……!」
そこには、目を閉じて眠る七人のソリッドニンフたちが映っていた。
「アネット博士が全員の様子を見られるようにしてくれたの」
アネット。それが自分たちの根本的な意味での生みの親だと聞いている。ニーナナは何となくRTA研究所の軍医のような人物を思い浮かべた。
「みんなまだちゃんと眠っている。それだけでも安心できる」
サンはモニターの反射光を瞳に宿しながら、かすかに笑った。
「話は、このことについて?」
ニーナナは問いかける。サンはこの映像を見て安心できるのかもしれない。しかしニーナナにとってはあまり意味のあるものではなかった。自分には自分の生がある。彼女たちの生は自分の中にはない。
「ルーキさんたちがあなたを探しに来るわ」
「えっ、どうして……」
唐突な話題にニーナナは困惑する。
要件は伝えてもらったはずだ。ルーキが今、王都に来ることは危険しかない。
モニターが切り替わった。
ルタよりもずっと大きな街。そして中央のお城。王都の全体像。
それから、見知らぬ建物。兵士たちの姿が見える。王都に着くまでに見かけた監視用の小さな砦。
「気取られないよう仕掛けたの。バレたらこうして見学できないから」
サンは悪戯っぽく笑って舌を出す。ようやく少し彼女らしかった。
「何をするつもり」
「すべてを王都に集めて、すべてを終わらせる」
サンがモニターに手を伸ばす。
「一緒に見届けてニーナナ。悪い夢はおしまいよ」
※
その日、その時――。
監視砦〈グラナダ4〉には弛緩した平和な空気が流れていた。
王都以北の動向を見守るこの場所は、はるか先にもまだルタなどの人間の街があることから、怪物と接触する機会はほとんどなかった。よくて街道に迷い出た野生のクマ程度。
つい先日、ルタへの捜査隊がここを発ったという事実はあったものの、本日の見張り番ジムソン(24)の口からは欠伸が漏れ、目元はすっかり緩んだままだ。
不穏分子は噂こそあれど実際に何かやらかすことなど一度もなかったし、だからこれは軍上層部が自分たちの重要性を宣伝するためのプロパガンダに過ぎないと、頭の良さを自負しているジムソンは信じていた。
昨日は、まあ違った。
かの“テイオウ様”直々の命令だとかで、砦の隊長殿が警戒レベルをゼロから一まで引き上げ、それなりに緊張感はあったものの、結局何も起こらず。今でも態勢は維持しているが、ジムソン個人はもう敵はクマしか現れないと踏んでいた。
「あー……いい天気だな」
青空。どこかで鳥が鳴いている。のどかないつもの王都の外れ。
「鳥もご機嫌に高いところを飛んでらあ」
雲の隙間から見えた小さな影に、ため息が漏れる。
「ん? あれ……なんか多いな」
ふと、そのことに気づく。
他の見張り塔に立つ真面目な兵士に見られたら、「何を空なんか見上げてんだ」と怒られそうだったが、ジムソンはどうしてもそれが気になってしまった。
「渡り鳥? いや、今そんな時期じゃないし……。それに……何だ……? あれ、羽ばたいてるっていうより……?」
奇妙な鳥だった。高度から考えて、かなりでかい。人くらいはありそうだ。そして、何というか、飛び方が変だ。まるで泳いでるように見える。
「お、おいちょっと待て、待って……」
ジムソンは首から下げた双眼鏡を慌ててのぞきこんだ。
そして、
「えええええええええええええええっっっ!?!?!?」
見てしまった。
それは――人だった。
大勢の人間が、平泳ぎで空を渡っている姿だった。
「えっ、ええ? なん……ええ!?」
我が目を疑い、双眼鏡のレンズに悪戯されていないかを疑い、それでもどこにも異常がないと知り、そうしたら後はもうあの空のヤツらがおかしいしかないじゃないかと悟ったその時、
「うわあああああ!?」
「なんだっ……ぎゃああああ!?」
突如、砦内部から悲鳴が沸き起こる。
「ど、どうした!?」
空の怪奇現象よりも、砦の仲間の悲鳴をジムソンの体は優先した。
慌てて見下ろせば、砦の中から中央訓練場へ見知らぬ集団が溢れ出てきて、仲間たちに襲いかかっている。
「バカ野郎おまえ俺は勝つぞおまえ!」
「三人に勝てるわけないだろ!(スリーマンセル)」
「暴れんなよ……暴れんなよ……!」
集団は奇怪な掛け声を上げながら、混乱する兵士たちを次々に各個撃破し、縛り上げて地面に転がしていく。
「なっ、なっ……」
ジムソンは咄嗟に、見張り台の手すりに身を隠した。砦からは悲鳴と怒声が飛び交っていたが、それもすぐに聞こえなくなってしまう。
制圧された。ものの数分で。
(何だ。何だよこれ)
ジムソンは震えながら身を縮こまらせた。
襲撃だ。まさか本当に、不穏分子が?
いや、それにしたって突然すぎる。いつの間に砦の内部に入り込まれた?
外は見晴らしのいい草原だ。近づこうとすれば一キロ先からでも丸見えになる。
なのに何で?
おかしい。何もかもがおかしい。
あれか。あの異常な光景――人が平泳ぎで空を飛んでいるというイカれた景色が原因なのか?
あの見てはいけないものを見てしまったせいで、自分たちは悪い夢の世界に取り込まれてしまった? だとしたら、だとしたら……!
「ぎょえーっ!」
隣の見張り塔にいた同僚の聞いたことのない叫び声が、ジムソンの肩をびくりと跳ね上げさせた。
恐る恐る頭を持ち上げれば、白と黒の大鎌を持った死神の使いのような少女二人が、塔のてっぺんに立ち、倒れた同僚を見下ろしていた。
「ひっ……」
と喉から飛び出た悲鳴を、ガン! という異様な音が上から塗り潰しにくる。あまりにも近い。手すりの向こう側に金属の何かがぶつかったような音。続いてワイヤーを巻き取るような音、そして手すりを踏む靴音。ジムソンは何者かの影が自分の上に差したのを感じ、そちらを見上げた。
「あっ、ここにもいたぞ!」
と叫ぶ少年が頭上にいた。それから、
「食らえっす!」
少年にしがみついていた少女が煙の立つ何かを顔面に投げつけてきたところで、ジムソンの意識はようやく恐怖と混乱から解放された。
アイスティーの夢を、なぜか見た。
※
「 ゜д゜)゜д゜)」
※
監視所〈グラナダ2〉にて。
「地下に隧道だと? バカな」
砦の指揮官は〈グラナダ4〉が落ちたという報せを受け、半信半疑のまま地下倉庫へと降りてきていた。
連れてきた数人の部下たちに壁面を探らせ、短時間で異常がないことを確定させる。
「当然だろう……」
自らも壁際に立って点検し、わずかに抱いた不安を完全に握り潰した彼は、密かに安堵の息を吐いた。
〈グラナダ4〉陥落は地下からの攻撃だったという。地下倉庫にトンネルを掘られ、内側から一気に打ち崩されたのだ。
将のもっとも恥ずべきことは奇襲を受けることだと、指揮官は考えていた。
奇襲とはすなわち、油断を突かれることだ。将は勝敗を自由に選ぶことはできないが、油断をするかしないかは選べる。当然、してはいけない。奇襲の最大の責任はされた方にある。
「たっ、隊長、大変です! 人が、人がッ……! そら、そ、そらをっ!」
「バカ者、落ち着け!」
突然、転がるように地下室に入ってきた部下を、指揮官は厳粛に一喝した。それから落ち着いた声で諭すように、
「何があったかを、正確に、きちんと報告するんだ。そうしたことで何かが手遅れになることは決してない」
その態度が功を奏したか、それとも日々の訓辞の賜物か、部下ははっと我に返ると、気を付けの姿勢を取り戻した。指揮官はその様子に満足し、改めて報告を受ける姿勢を取る。
「失礼しました! 報告いたします! 人が……人が空を飛んできていますッッッ!!」
「はあああああ!? ふざけんな!」
「ほ、本当なんです! 本当に大勢の人間……人間じゃないかもしれないですけど、平泳ぎで砦上空に接近しています! いかがいたしますか!」
「何だと……!?!?!?」
地下ではなく、空から? 平泳ぎ?
意味がわからない。情報が間違っていたのか? いや、この部下の報告を正しいと判断する方が勇気がいる。何にせよ、まずは自分の目で確認だ。
「よし、地下はもういい! 全員で上空を警戒しろ!」
そう部下に発令し、指揮官も階段へ向かおうとした、その時だ。
「ん?」
何かの気配らしきものを感じ、彼は壁を振り返った。
何もない壁だ。さっき調べたのだから。
だがそこに。
人の顔が生えていた。
「…………」
「…………」
白い髪の、愛らしいとも美しいとも言える顔立ちの少女と目が合う。
「????????」
瞬間、何かの見間違いかと思った。あるいは壁になぜか架けられていた仮面か何かだと思った。だがその顔が――瞬きをした。
「シュバルゴ!!」
突然そう叫ぶと、壁からその顔の人物の全身が飛び出してくる。
「もう始まってる!」
「やっちゃうよ!? やっちゃうよ!?」
続いて、大柄の男たちも大勢。
「な、何だあああああああッ!? おわあああああああ!?」
その流れに完全に呑みこまれ、もみくちゃにされ、気づけば彼は縄で縛られて転がされていた。あの混乱の中、ニンジャらしき少女に器用に縛り上げられたのだ。わかったのはそれだけ。
壁から突然現れた侵入者たちは、そのまま地上へと駆けあがっていった。ほどなくして簀巻きにされた部下たちが次々に地下倉庫へと投げ込まれてくる。
「た、隊長、これは一体何なんですか?」
隣に転がされた部下が、泣きそうになりながら聞いてくる。
「地下に異常はなかったはずでは!? 敵は一体どこから!?」
そうだ。異常はなかった。壁には今も、ヒビ一つ入っていない。さっき何とか足を延ばして蹴ってみたが、奥まで地面がみっちり詰まった感触しかなかった。
「隊長!?」
「指揮官、一体何が……!?」
部下たちは倒れたまま、悲鳴のような問いを続けている。
「σДρ」
油断はなかった。砦の責任者として落ち度はなかった。おかしいのは……おかしいのはあいつらだ。悪いのはあいつらだ。何にもない壁から突然現れるなんて、
「こんなの想定しとらんよ……」
指揮官はただただ、泣きたくなった。
※
「(゜Д゜(゜Д゜ 」
※
〈マドリド6〉。
「き、来たぞ! 本当に来た! 空からだ!」
監視所の兵士たちは揃って空を指さし、それらの来襲に声を震わせた。
「本当に人か!? それとも鳥か……? いややっぱり人じゃねーか!」
「落ち着け、報告によるとあれは陽動だ! 凧か何かで上に目を引きつけ、本命は地下からの潜入という策略なのだ! おい、地下倉庫の封鎖は完了したか!?」
「扉を荷物で塞いで、全員で押さえてます!! でも本当に、何もない地下に突然敵が現れるなんてこと……って、うわあ!? 誰かが扉を叩いてる!?」
ドガンドガンと、まるで破壊槌をぶつけるかのような衝撃が地下室の扉の奥からやってくる。
「開けろォ! デトロイト市警だ!」
「こっちの事情も考えてよ!」
そんな怒号が聞こえてきた。
「おい絶対開けさせるなよ! ここを抜けられたらもう首都だぞ!」
隊長は階段の途中から部下たちを怒鳴りつけながら、追加のつっかえ棒だの重い木箱だのの運搬を急がせた。突然地下の壁から現れるという奇怪な侵入者たちも、どういうわけかそこから先は普通に障害物に阻まれるらしい。これで奇襲はひとまず防げた。……ヨシ!
「た、隊長、上の敵はどうしますか!?」
そんな慌ただしさの中、取り巻きの部下の一人が聞いてきた。彼は苛立って答えた。
「あれはただの凧だと言ってるだろ! 貴様、人が本当に空を飛ぶと思ってるのか!? しかもマヌケな平泳ぎだぞ!」
「そ、それはそうなのですが! 何というかその、妙な威圧感がありまして……上の兵たちが不安がっています」
「ええい。意気地なしどもめ。そんなに言うなら、わたしが矢で撃ち落としてくれるわ。そこをどけっ!」
「隊長自ら!?」
「サスガダァ……!」
部下たちにヨイショされながら、隊長は短い階段を上って地上へと出た。
空を見上げる兵たちは皆、異様なものと対峙した顔をしている。
「…………」
ここにきて彼は納得した。
確かに、空のアレはただの凧とは思えない。存在に厚みがある。だがそれは、そう見えるように作ってあるからだ。
飛行位置はかなりの高さ。矢を撃って届くかどうか。
だが豪語した手前、やらないわけにもいかない。それに撃ちまくって何の反応もなければ、それはそれで凧と証明できるような気もした。
「フン、よく見ておけよおまえら!」
彼は矢をつがえた。一兵卒だった頃は、弓の名手としてそれなりに知られた腕だ。構えを取り、弦を引き絞ってみれば、自然と勇気と力が湧いた。
狙いは群れの先頭の一体とした。
そこで彼は眉をひそめる。
降り注ぐ陽光の中、それは燃えているようにも見えた。
わけがわからん。そう胸の中にこぼし、矢を放とうとした、次の瞬間。
それまで機械的に動いていた人影が、一斉に動きを変えた。
「えっ……」
「う、うわあああ! ヤツらが降ってくる!?」
「やっぱり人じゃねーか!!」
はるか高空で平泳ぎしていた人影が、突如ハヤブサのような急降下を敢行してきた。
その目にも留まらぬ動きを前に、隊長は矢を離す動作を忘れた。
特に、真っ先に降りてくる火の玉のような何かに。
彼は戦慄の中でこう思った。――砲弾に矢を撃って何になる。
砦は四十秒で落ちた。
※
「(廿A廿)(廿A廿) (なにこれ……)」
ご期待通りに現れな~い(スターダストボーイズ並感)




