第六百十六走 ガバ勢とルタ動乱-出撃-
ニーナナが姿を消したその日の夜。
すべての準備を終えたルーキたちは〈アリスが作ったブラウニー亭〉に大集合していた。
店内はレイ一門、ウェイブ一門の二色に染められ――と思いきや、街の人々の姿もあった。
「ルーキ。はいこれ」
ロコが差し出したグラップルクローは、各部位の整備はもちろんのこと、表面は新品同様に磨かれ、普段は無視される小さな傷まで丁寧に修復された跡がある。
「この子は完璧だ。君を裏切ることは絶対にないよ」
「ありがとよ、ロコ。こいつもおまえも、俺を裏切ったことは一度もない」
装備を取り付けてもらった左腕の感覚は、これまでで一番の馴染み方だった。そう感じるのも、今回が今までとはまったく別種の冒険になるからか。
「ルーキ」
不安を気丈さで押し包んだのが丸わかりの声を投げてきたのは、エルカお嬢さんだ。
「これをお持ちになって。わたくしが作ったお守りですわ」
彼女がおずおずと両手で差し出してきたのは、色とりどりの糸でぐるぐる巻きにされた不思議な小物だった。どことくなく民族的かつ、東方的な意匠を感じる。
「ユメミクサから作り方を教わりましたの。不格好ですけれど……」
「いや、んなことねえ。色が綺麗だ。ありがとうエルカお嬢さん。こんな夜遅くに見送りに来てくれたことも」
ルーキが感謝を示すと、エルカはぱっと顔を明るくし、それからすぐにまた心配そうな表情へと戻った。
「と、当然ですわ。これからあなたがすることは、歴史的大事件になるかもしれないのですから。まったく、なんて人……。出会った時から滅茶苦茶でしたけれど、ついには王都に乗り込むなんて」
どこから情報が漏れたものか、彼女はすっかり今の状況を理解してしまっているようだった。告げたのは……妥当にユメミクサか。
確かに今回のこれは、いつものRTAとは違う。
魔王を力任せにぶっ倒せばいいというものではなく、部分的な……あるいは精神的勝利こそが、理想の勝ち具合となる。
相手の本拠地である王都は、ほとんどが敵でないどころか罪のない一般人。何も知らない兵士たちもそこに含まれる。彼らをかわし、目標のみを達成する必要がある。
バランス。匙加減こそすべて。
一歩間違えれば……、
「ルーキ。わかっていますわね。必ず帰って来てくださいまし。もしお尋ね者になったとしても、わたくしのお屋敷ならどこでも空いておりますから」
エルカお嬢さんがそっとルーキのシャツの端を摘まんできた。
そう、お尋ね者。人相書きだってばら撒かれるかもしれない。
彼女の胸に蝶の形のブローチが光る。かつてルーキが贈った、ミシシッピ川での貰い物だ。大事な場には必ず付けていくと彼女自身が語っていた。
多分――うぬぼれかもしれないが――、一緒に戦ってくれる、ということなのかもしれない。これは。気持ちだけでも。
「へへ……じゃ、そうなったらお嬢さんのお世話になろうかな」
「は、はい……! 約束ですわ! でも無理は絶対にいけませんわよ。もしあなたに何かあったら、わたくし……わたくし……!」
ズゴゴゴゴと彼女の周囲に赤い靄が立ち上る。内部では細い電流のようなものが変な波形を描いており、放っておくととてつもなくよろしくない物質が世界にばら撒かれそうだ。
「だ、大丈夫だって安心しろよ! 確かに大がかりなRTAだけど、ケガ人ゼロ、死者なんてマイナスになるくらい安全安定のチャートなんだから!」
ルーキはエルカお嬢さんの肘のあたりを手で支えてやりながら、必死に周囲の一門勢に同意を求めた。彼らが仕方ねえなという顔でうなずくと、コーラルナニガシとかがナニガシリリースされる前に世界の危機は去った。
「ルーキ」
「ええっ、おまえまで来てたのか?」
三人目の呼びかけはコンバット・ドッジボールの魔王兼ユリノワール体育非常勤講師のエイチ。
「今、人間の町を襲撃すれば、走者どもは助けに来られないらしいな」
「! そうだ」
いきなり剣呑な言葉を放ってきたエイチに、ルーキは素直にうなずいた。
今でこそジャージ姿が板についてきたが、彼はルート48・07を専門に襲う正真正銘の魔王だ。この機に乗じて町を乗っ取るくらいの知恵は当然持っている。が、
「だったら今は手を出さないでおいてやる。おまえが来ないんじゃ意味ないからな」
エイチはふいと顔を逸らし、そんなことを言ってきた。
ルーキはぽかんとし、それからニヤリと笑った。
「当然だな」
ガガシシと、どちらからともなく握手をし、そのままガンと肩と肩をぶつけ合わせる。
「帰ってきたら今度こそ勝負だからな。貴様は魔王になんかなるなよ」
「なっちまった時は、同じチームにでも入れてもらおうか」
「…………。ほざけ。おまえとは敵同士の方が楽しいだろ」
その他にも、それぞれの場所で、走者たちが顔見知りと話をしていた。
事態の受け止め方は千差万別。たとえば――。
「王都は色々うっさい場所だかンね。あンまりハメはずして騒ぐと、おのぼりさンだとバレるよ。ほどほどに楽しンできな。あー、こっちは心配しなくていいよ。緑髪の魔法が今でも通じるかは知らないけど、捜査隊は行儀よくさせとくから」
「うーん。リズちゃんの髪のここ、ちょっと野暮ったくないかしら~。あっ、マギリカちゃんのドレスの裾がちょっとほつれてる! 待って、三秒で直すわ。はいできた」
これはリズとマギリカを見送りに来たレジーバッチャマとローズカッチャマ。どちらも緊迫した様子はなく、しきりに身だしなみを気にされる委員長は迷惑そうで、逆にマギリカは積極的にチェックを受けていた。ほぼ観光気分だ。
「こちらは手はず通りだ。護衛対象と現地に潜入後、全体の退路の確保を最優先に行動する。そちらのダメコンは任せた。都市の被害が最小限になるよう努めろ。その分だけ事後処理が楽になる。……報奨金の上乗せ交渉もな。ぬかるなよ」
一方のこちらはサクラと話をするケイブ警部補。真剣な表情だが、何だかまた悪だくみとかしていそうな気配でもある。
そんな中――。
「ちょっといいかしら」
もう何度目かになる呼びかけにルーキが振り向いてみると、そこには軍医さんが立っていた。まわりには診療所のウサ耳職員たちもおり、足元には遠征用の大荷物が置かれている。
「あれ、軍医さんも行くんですか?」
「ええ、少し後からね。一応RTAだし、医療班が必要になるかもしれないしね」
これは非常にありがたい話だった。今回のRTA、敵味方双方のケガ人はいなければいないほどいい。万が一出たとしても、医療班がその場にいてくれれば、誰だろうとすぐに治療が受けられる。軍医さんもそのつもりで動くはずだ。
「でも、いいんですか。相手が相手ですけど」
ルーキは念のため問うた。
軍医はテイオウの下で人造走攻兵計画の責任者をしていた可能性がある。そして自ら計画を潰し、逃亡した。これが本当なら、今からやろうとしていることは、犯行現場に犯人が戻るようなものだ。
「何が?」
その何も知らないような彼女の顔が、かえって特大の地雷を予感させた。……のは、気にしすぎだろうか。
「……そんなことより、サンという子よ」
軍医は気づかわしげに眉根を寄せる。
「聞いた話によると、その子は眠りから無理矢理起こされた後でも、精神状態が回復していなかったのでしょう?」
「はい、多分……」
自然と移された話題にルーキはうなずいた。
ニーナナ以外のソリッドニンフたちは、研究所での負荷に耐えられず、眠るようにして機能を停止したとサンが語っている。眠りが彼女たちにとって最後の防御反応であったことは疑いようもない。
「ニーナナを診ていてわかったけれど、彼女たちの体調は人間よりもずっとメンタルの影響を受けやすいのよ。ニーナナが無敵なくらい頑丈なのは、あなたやサクラたち、家族と友達に囲まれているから。サンは、そのどれ一つとして持っていない」
「……そんなにヤバいんですか。あいつ」
「わたしから確かなことは何も言えない。でも、いつ壊れてもおかしくないと思う。それは、あと“数日”で起こることかもしれない……」
数日。もはやあまり意味がないと思っていたその言葉を、ここに来てまた聞くとは。
「わたしが現地に出向く理由の一つでもある。ルーキ。もしサンを見つけたら、だまくらかしてでもわたしのところに連れて来て。すぐにでも何らかの処置をしたい」
軍医は真剣な、そしてある意味切実な眼差しでそう告げた。断る理由はなかった。
「わかりました。意地でもさらってきますよ」
「ありがとう。女の子をさらうことにかけてあなたより信頼できる人はいないわ」
「人聞きィ!」
そうして、予定の時刻が来た。
「洗いたてのシャツゥ~。洗いたてのシャツゥ~……」
時間感覚を養うために一定間隔で店内に流されるジングルがそれを報せる。本日の内容は『洗いたてのシャツ・全部シャツエディション』。時折クッキー☆本編が流れることもあるので、それに比べたらこれは幸先が断然いい。
「よーし、んじゃいっちょ行くかあ!」
『応!!』
レイ親父の号令に一門が一斉に応じ、集まった人々から声援を受けつつ店を出る。
ルーキも、自分のために来てくれた友人たちに拳を持ち上げて応えた。
店内の熱気とは裏腹に、街は完全に寝静まっていた。
一夜にしてルタの二大勢力であるレイ一門とウェイブ一門が姿を消す。翌朝、何も知らない人々はこのことに少し驚くかもしれない。その翌日に到着する捜査隊はもっとか。だが、時すでにお寿司。入れ違いでこちらもう王都圏に入り込んでいる。
「ウェイブ」
明かりの落ちた街で、一人キャンプファイヤーと化しているウェイブ親父に、レイ親父が呼びかけた。
「おめー、どっちがいい。上か下か」
「上だ」
「なら俺らは下からだな」
そのやり取りの後、ウェイブ一門は街の入り口へと向かいだす。
そしてレイ一門は――なぜか逆に街の中心へと向かい始めた。
「……あ、あれ? 俺らも行くんじゃないんですか」
ルーキが目を丸くすると、
「は? なぁに言ってんすかねえ?」
「ルーキ君、チャート見てなかったんですか」
「ちょっと、本気なのリーダー?」
パーティーメンバーから白目を向けられ、ルーキは慌てる。
「いや、あの、違うんです。王都に着いてからの動き方ばっか調べてて……。え、だって、王都に行く方法なんて、歩くか馬車しかないだろ?」
「それがあり得るかも」
そう横から口を出してきたのはサグルマ兄貴だ。
「だからこそ、王都はなすすべもなく落ちるんだよ」
やがて一門は、とある地下倉庫へとやって来た。
何の変哲もない、どこかの店の物置だ。
「まさか……!?」
ルーキはピンと来た。
秘密の地下通路に違いない。
ここから王都までは相当の距離がある。トンネルを繋げるなんてとても人間技ではないが、レイ親父とウェイブ親父が力を合わせたならそれも不可能ではないだろう。
つまり、さっき二人が話していた上とは通常の陸路のことで、下は地下通路を意味していたのだ。
地下倉庫は荷物棚が敷き詰められた、いたって普通の作りをしていた。
だがこれはきっとカムフラージュ。棚をどかせば、秘密の入り口が姿を現すに決まってる。
「えーと、八番棚、九番棚……。ここか」
レイ親父が棚の番号をチェックしている。彼が立ち止まった九番棚は樽で埋められ、奥の壁はまるで見えない。なるほど。これなら何も知らない者がうっかり動かしてしまうこともまずないだろう。では、ここから一気に王都へ――。
「って、ええええ!?」
ルーキは思わず声を上げた。
レイ親父は樽を動かすどころか、九番棚と十番棚のちょっとした隙間に、突然ジャンピングタックルをかまし始めたのだ。
「えっ、親父、一体何を……?」
その隙間は人が入れるほどでもなく、しかし腕くらいは通りそうな絶妙に半端なサイズ。もっと小さな子供であれば、勢いでスッポリはまってしまいそうではあった。だが、そうしたところで奥に見えるのは壁だけで、つまるところ親父がやっていることはまったくの奇行。酔っぱらいが街路樹にケンカを売っている様子と大差ない。
これは一体何の儀式だというのか……。
ルーキがただただ唖然とした、次の瞬間、
「ファッ!?」
ルーキは親父の謎行動以上に、もっとおかしな光景を目にすることになる――。
※
「できた……」
通信装置を前に、ギルコーリオは忘我の境地でその言葉を口にしていた。
数々の辺境と無事連絡を取り合えたのは、どこの為政者も大鉄道の一斉停止という青天の霹靂に、情報を欲して古い通信装置を頼ったからか。
しかし奇跡はそれだけにはとどまらない。
多くの開拓地が、こちらの話を聞き入れてくれた。
一応、会ったことのある相手は少なくなかったが、ルタの、走者の、そしてレイ一門やウェイブ一門の影響の方がずっと大きかった。それが今回の騒動の最大の原因でもあるわけだが、やはり開拓地と彼らの信頼感は本物だ。
まあ……ヤツの影響力も多少あったことは認めないといけない。〈ロングダリーナ〉で知られる開拓地では、ムーフェンシアの一兵士による必死の説得で最大級の協力が得られたし、嘘か真か、精霊の眷属が他の土地への呼びかけすら行ってくれたという話もある。
すべては、非常時に短いやり取りで交わされた、口約束以下の協力締結に過ぎない。が、それでも別世界に住むとも言える人々が一つの答えにうなずいてくれるという現象自体、ギルコーリオには信じがたかった。
人というのはもっと狡猾で、利己的だったはずじゃないのか。
裏切れない。これは絶対に裏切れない。たとえ仮初であっても、この純朴な結束は自分の命より何倍も重い。
大きな大きな一仕事を終え、ギルコーリオは達成感と責任感におののく足で、オブリガドルと共に応接間へと戻った。
まだ、やるべきことはたくさんある。ここまでできてしまったからこそ、ある。
そのためには王都に戻らなければ。しかしどうやって――。
「お兄様!」
突然、応接間の窓の外から凛とした声が鳴った。
尻を落ち着けたばかりの椅子から飛び跳ねて顔を向ければ、窓枠にいぶし銀色の甲冑を身に纏った美しい少女が張りついている。肩には毛足の長い猫――!
「カプリツィア! 戻ったか!」
「はい! あの人の――いえルタに急変ありと聞き、不躾ながら空から参りました!」
オブリガドルの声に、少女が応える。
彼女の手には太い綱が握られ、その先は翼を持った怪獣へと繋がっていた。
これが……噂のカプリツィア姫か!
ギルコーリオは目を見張る。確かに美しい。それは顔かたちだけの話ではなく、そこにある形そのものがだ。経験が、戦歴が、苦悩と葛藤が磨き上げたものが放つたくましい輝き。平穏だけれども空気の淀んだ都市では見られない、人本来の光だ。
「何かわたくしにできることは!?」
「閣下」
勢い込んでたずねてくるカプリツィアの声を受け、オブリガドルが次を問う顔を向けてくる。カプリツィア姫、相棒らしき猫、そして翼竜、いずれも気力横溢、勇気凛々の面構え。
これだ。
辺境に来てから何度も見せつけられ、そして圧倒されたもの。
生とはここまで生々しく、まぶしいものだと教えられた。
開拓地の人々は、生きている。誰よりも懸命に、必死に、命を輝かせている。
これをテイオウには、やれない!
(急かしてくれるなあ――!)
疲労に緩んでいた拳を握り直し、ギルコーリオはためらわず叫んでいた。
「その鳥でわたしを王都まで運べるか。できる限りでいい!」
王子&シリアスさん「こっちは真面目にやってんだぞ!? わかるよな一門!?」




