第六百十二走 ガバ勢とルタ動乱-疑念-
いまだに着慣れないユリノワールの男子制服のままルーキが〈アリスが作ったブラウニー亭〉に入ると、どこか普段とは違った空気が膜となってねっとり顔に張りついてきた。
「なんすか?」
思わず半歩後ずさったこちらの足にすぐに異常を察知したのか、サクラが横からひょいと店の中をのぞき込む。止まった彼女の視線の先に、ルーキは珍しい客がいることに気づいた。
屋内にもかかわらず目深にかぶったハンチング帽。加えて分厚いロングコートの少年。
「あっ……ヤス!?」
「ヤノシュです。どうもルーキとノコギリザメさん。それから、サクラさんと101匹のウォンバットもお久しぶりです」
見習い私立探偵ヤノシュ。ミシシッピ川での王女暗殺計画を共に阻止した、王都住まいの友人だった。
「俺についてるサメってそんな名前だったっけか」
「サクラの方は、101名ほど浪人が出たみたいっすね……」
などと軽口を返してはみるものの、何やら様子がおかしい。ヤノシュと初めて会った時も突然の来訪であったので、今いきなり彼がここにいることに特段驚きはないのだが、相席しているメンバーが奇妙だ。
レイ親父に、サグルマ、受付嬢、それから軍医さんまでが、同じテーブルで膝を突き合わせている。
「新人君、ちょっと……」
その中から受付嬢が手招きしてきた。
「な、何だろ……?」
全員楽しく談笑の途中だったという顔はしていない。他のテーブルの一門たちがいつも通り騒げずにいるのは、この一席が原因のようだ。つまり、この店内の空気の発生源も。
「何かあったんでしょうか」
「どうでもいいけど、早く入ってよ。ここで詰まってたって何も始まらないでしょ」
ルーキが進むのを躊躇っていると、後ろから委員長とマギリカが押し出してきた。そういえば、普段は店に入ると同時に飛びついてくるニーナナの姿が今日はない。何か嫌な予感がする。
小さく意思を固めてヤノシュたちに近づくと、テーブルの上に一枚の封筒と採取かごが置かれていた。採取かごは家のものだ。中には瑞々しい山菜が盛られている。
「新人君、落ち着いて聞いてね」
受付嬢がそれだけで怖い前置きをしてくる。
「このヤノシュ君が、ニーナナちゃんがさらわれたところを見たっていうの」
「ニーナナが、さらわれた……!?」
ルーキが目を丸くしてヤノシュを見ると、彼は神妙にうなずき、
「見たんです。ルタの郊外で山菜を採っていた彼女が、大勢の男たちにつれていかれるところを」
「!? ……できんのか? そんなこと……」
「そうよね」
「そうだよ(便乗)」
「だよなぁ」
呼応してきたのは軍医、レイ親父、サグルマの三人。ルーキの後ろにいる少女たちも、今の話に不安がるどころか疑うような顔を見合わせている。
「どういうことです? 僕はこの、あらゆる手がかりと犯人の挙動を見逃さない名探偵の目で、確かにそれを見ていたんですよ!」
立ち上がって抗弁してくるヤノシュに、ルーキはウウムとうなりながら、
「いや、あいつ、滅茶苦茶強ぇんだよ。ちょっと腕に覚えのある程度の奴らが大勢集まったって、手も足も出ないで捻り潰される」
「…………。しかし、これを見てください」
ヤノシュは一瞬押し黙ったもののすぐにそう返し、テーブルに置かれていた手紙を指先で押し滑らせてくる。
封はされておらず、封筒自体もどこにでもあるような簡素なものだ。裏返すと宛名があった。ルーキへ、とある。
「この手紙は、ヤノシュ君が来る少し前に店のテーブルに置かれたの。一門の人の話だと、特に怪しくもない普通の男の人が置いていったそうよ」
と受付嬢が前置きすれば、
「悪いけど、中は改めさせてもらったわ。タイミングがタイミングだったからね」
との軍医さんからの詫びが続く。便せんを取り出してみると、中にこう書かれていた。
サンと会ってくる。
数日で戻る。
探さなくていい。
ニーナナ
「こいつは……!」
この時初めて、ルーキの腹の中でじわりと緊張が渦巻いた。
サン。王都。テイオウ。それらの言葉が自然と繋がり、我慢しきれず仲間と目配せする。
「ニーナナだけでサンに会いにいったってこと? どうして?」
「それはわからないけど……」
マギリカからの不満じみた問いかけに生返事をしつつ、ルーキは手紙をじっと見つめた。
これならば、ヤノシュが見たという光景も納得がいく。
連れ去られたというより誘い出された? しかし、手紙を書いている余裕があるのなら、これは合意の上での行動のように思える。
サンとニーナナは同じソリッドニンフ。余人に立ち入ってほしくない特別な事情があってもおかしくはない。だとしたら、この手紙の内容は尊重すべきものだ……。
が、ここでヤノシュが気難しそうに腕組みをする。
「ニーナナさんを連れ去った連中は真っ直ぐ王都の方へと向かったので、急いでここに来た僕よりも手紙が先に着いてるなんておかしいです。明らかに誘拐犯たちが事前に準備したニセモノですよ。彼らには事実を隠蔽する意図があった……つまり犯罪の自覚があったということです」
「おまえさんの言うことを信じるのならな……」
苦笑の一声を挟んだのは、同じミシシッピの船に乗った仲のサグルマだ。これは疑いを含んだ声音ではなく、単に事実を述べただけのようで、ヤノシュも強い反発はしなかった。ただ「さっきからこういう問答の繰り返しで……」と、こちらに助けを求める顔を向けてくる。
確かに、不自然さはある。
手紙にしろ、ヤノシュの目撃証言にしろ、ニーナナが一人で王都に向かったというのは事実らしい。それについて疑う意味はあまりない。
(問題はこの手紙……)
手紙がニセモノなら、サンと会うという目的も怪しくなる。「探さなくていい」という文面をガン無視し、今すぐ捜索に出ないといけない。
「筆跡はニーナナのものよね?」
実際それを目にしたことのある軍医さんが、念を押すようにたずねてくる。ルーキはすぐにうなずいた。
「はい。あいつの字です。あいつの字なんですが……」
手紙の文字は綺麗に整っている。ニーナナはあまり字を書かないが、実は教科書並に上手い字を書く。さらに言うとスケッチなんかも激烈に上手い。一目チラッと何かを見ただけで、その全体像を余すところなく描き出せる。軍医さんの話では、ミロクが対象を完全に記憶していて、後はニーナナがそれを精密になぞっているのだという。ただし――。
「これ、あいつが足で書いた字ですよね。あいつ、最近手で字を書くんで、もっとヘタクソなはずなんですよ……」
『!!』
席の空気が大きく揺らいだ。
「ニーナナちゃんが書いた手紙じゃないってこと?」
と、身を乗り出して聞いてくる受付嬢。
「そいつは……わかりません。大事な内容だから書き間違えないように足で書いたのかもしんないです」
「手紙を書けるような暇はありませんでしたよ。僕が見た限りでは」
ヤノシュの証言。であれば、誰かがニーナナの字を真似て書いた。しかし、綺麗すぎる字というのは、似せる似せない以前にまず字が同じくらい上手くないといけない。そんな都合のいい書き手がいるか?
「サンね」
ぽつりと、軍医さんが言った。
「サンという子がニーナナの同胞なら、多分、まったく同じことができる……はずよ」
最後は言葉を濁したが、彼女の言葉には確信めいたものがあった。
人造走攻兵計画の前責任者は、軍医と呼ばれる女性だった――。アネットから聞いた話を、ルーキはまだ半分胸の奥に引っ掛けている。しかし今それに言及する気はさらさらない。
「サンがニーナナの振りをして手紙を書いた可能性か……」
「何でそんなことする必要があるのよ。サンなら普通に、ニーナナは預かった、って書けばいいでしょ」
「そんなことしたら俺らが即刻連れ戻しに来ちゃうだろ」
マギリカの意見にルーキが返すと、「そこなんですよ」とヤノシュが細い糸目を光らせた。
「犯人の狙いは手紙に書いてあることの真逆。つまり、数日間、少女を探すな、と、ここなんです」
「数日待ってれば、ニーナナは用が済んで帰ってくるってことか?」
「……あるいは、その数日で、こっちが一切手が出せなくなる、っすね」
「!」
サクラの指摘に場の空気がまた不穏に揺らいだ。
一番単純なイメージは、その数日を使ってニーナナを自力では戻ってこれないほど遠くまで運んでしまうこと。しかし、見た目通りの子どもならまだしも、ニーナナが踏破できない場所など、まず犯人側が立ち入れない。そうでないとしたら、ソリッドニンフに対する何らかの特別な措置をする? いや、彼女は身の危険には相当に鼻が利く。察した時点で大暴れし、それを止められる者もまずいない……。
ダメだ。まったくわからない。
疑う余地は十分にあるのに、実態が全然掴めない。
「何か……すげー振り回されるな。こんな何でもない手紙一つに。細かいことなのに、なんかやたらと重大な秘密があるような気にさせられる」
あれこれ考えた末に麻痺した頭で、ルーキはそう吐き出した。ヤノシュや他のメンバーも同意見だったらしく、一様に嘆息をテーブルの上に吐き付ける。
「そういう意味では、これ、すげーサンが作ったくさいよ」
〈十倍くえすと〉にて、七変化する彼女に手玉に取られた本人の実感だ。偽りはない。そんなもので犯人扱いされてはサンも迷惑だろうが。
「そうっすね……。サンならもっと波風立てない文面も用意できたはずっす。もしかしたら、こっちがこうやってゴチャゴチャ深読みするのを期待して、こんな手紙を寄越してきたのかもしれんっす」
「えぇ……何のためにそんなことを?」
「それはまだわからんす。ただ、今、サクラたちが浮足立ってるのは確かっす。ひょっとすると、次にまた何かが――」
そう言って、サクラが半ば冗談めかして扉の方を向いた時だった。
「警察だ」
やおら扉が開き、数人の警官たちが店の中に踏み込んできた。
彼らの中央にいるのはケイブ警部補。
店中の全員(受付嬢、軍医含む)が即座にルーキを指さしてくる。
「いや、今回は彼ではない」
ケイブはいつになく硬い表情で手のひらを向け、その動きを制した。
「王都から緊急通達があった。ルタに不穏分子が逃げ込んだとの情報あり。この街は数日間、封鎖状態となる。手始めに、この店を捜索させてもらうぞ」
『…………は?』
※
――辺境。〈ギガントバスター〉領域。
常識を超えた巨獣が跋扈するこの地域で、わずかばかりの安全地帯に築かれた人の街。その一番奥に、辺境伯のあだ名を持つオブリガドル・オンガ・ルエーサ伯爵様の館はある。
(で、オレ様がその客のギルコーリオ様なわけだ)
今いる応接間は王宮のそれとは比べ物にならないほど質素ではあったが、滲み出る迫力という一点において、王都のどんな場所よりも強烈だった。
巨獣の牙や爪、そして天の七色に輝く鱗――ただ、これはレプリカらしい。実物は極めて強力な武器の素材となるため、現場の者たちに回されたとか――、怪物のはく製が一つもないのは、デカすぎて入らないからだということは、説明される前からわかっていた。何しろ牙一本が長方形をした応接間の長い方の壁を占有しているのだ。デカすぎんだろ。
「お待たせして申し訳ございません。閣下」
「いや、こちらこそ急に立ち寄ってすまん伯爵」
威風堂々たる佇まいをやや恐縮させたオブリガドルが、部屋に入るなりそう詫びたのに対し、ギルコーリオはやんわりと手のひらを向け、相手の緊張を解かせようとした。
「視察が通告なしに行われるのは自然なこと。我々も、王都の方向けに着飾った街よりも、平時のこの地を見て頂きたいと思う所存です」
剛毅一直線の眼差しにやや青臭さを感じ取ったものの、この受け止め方もひねくれた王都の感性かと苦笑いを噛み殺し、ギルコーリオは椅子に沈めた尻をわずかに座り直させた。
「喜ぶといい。貴公の街での評判はいいぞ、伯爵」
「は」
「それで喜んでるつもりなのか……。人々によると、最近になってようやく、自ら巨獣最前線に飛び出ていくようなことはなくなったと。伝説のギガントと一戦やって、猛々しい経歴にも一区切りついたというところか?」
「ハイドラガントのことをおっしゃっているのであれば、私は完全に力不足でした。あれの撃退は、ある若者たちと、それから……一匹の勇猛な竜によってもたらされたものです」
「ふむ……その若者というのは?」
「ルーキという少年を中心とした走者のパーティで」
「ほう。ふうん。へえ。ルーキと。へえ。ヤツ……いやそのルー……キ? とかいう人物と、貴公は話はしたのか?」
「は。その……」
それまで岩に掘られたように硬かったオブリガドルの顔が、わずかに人の柔らかさを取り戻す。
「恥ずかしながら、昔話などを……」
「へえ……。そうか。ふ、ふーん。仲がよさそうだな?」
「いえ、さほどでは……。彼と共にいた幼い少女にも、生き方を質されまして。己の未熟さに汗顔の至りでございました。領民から印象が変わったのは、その影響が大きいかと」
「そ、そうかそうか! うむ、子供というのはものを知らぬゆえ、一番純粋なところを突いて来るからな。初心に返るにはちょうどよい機会だろう。……ふむ、では、まあ、そのルーキという男の話はよかろう。時に、貴公には勇猛な妹君がいるそうだが」
「は。あれには領政よりも野山を駆け回る方が向いているようですので、そのようにさせています」
「ほう。だが、心配もあるのではないか? ここは怪物の土地だ」
「幸い、火竜の魂を抱く相棒と巡り合えまして。以前ほどは案じておりません」
「ほう、火竜の魂ときたか。貴公にそんな詩的な表現をさせるとは大した相棒だな。運が良ければ外で会えるか?」
「危険な地域におりますので、殿下におかれましてはあまりお探しになりませぬよう。それに……」
「ん?」
オブリガドルはわずかに言葉を濁すように言った。
「妹にはもう約束した相手がおりますので……」
「なあ僕そんなに間男みたいな感じする!? それ言われたの最近で二度目なんだけどぉ!? ……ゴホン、失礼した。ちなみに、その相手というのは、さっき出ていたルーキという男か?」
「……は」
「あのヤロ……!! い、いや、別に何でもない。まあそういうことなら、無理にとは言わん。適当に開拓地の様子を見て、次に向かわせてもらおうか――」
ギルコーリオがそう言って席を立とうとした時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。扉の向こう側で見張りに押しとどめられ、何かを言い合う低い声が幾度か続く。
「伯爵、わたしを気にするなよ。公務を最優先にしろ」
「……は。ご厚意痛み入ります……しかしながら」
何か様子がおかしいと、オブリガドルは察した様子だった。ややあって、ひどく恐縮した様子で二人の兵士が室内へと入ってくる。
「ご歓談中、大変失礼いたします。今しがた王都から通達があり…………大鉄道の運行を一時停止するとのことです」
「何だと!?」
声を上げたのはオブリガドルではなく、後ろで聞いていたギルコーリオだった。
まだ状況を飲み込み切れない現地開拓民三人を尻目に、強張らせた口元を手で隠しつつ、頭の中で言葉を巡らせる。
(鉄道を止めた? 早すぎる……叔父貴のヤツ。もう始めるつもりか……!)
戻ってきましたよう。消滅したおしらせにいただいた感想もちゃんと残る仕様でよかったです。
それでは続けていきましょう。




