第六百六走 ガバ勢とアネットの野望
《――失敬。つい気持ちが急いて不明瞭な言葉を使った》
ややトーンを下げて伝えられた一言は、しかしルーキの驚きを少しも軽減するものではなかった。落ち着きを取り戻したように手を白衣のポケットに戻したアネットに、探る声を押し出す。
「RTAをぶっ壊すとは、穏やかじゃねえな」
考え方によっては危険な発想だ。辺境と王都――いや、テイオウとの関係を考えれば。
RTAの仕組みを打ち壊し、あちらに都合のいいルールを一方的に作る。そんなふうにも捉えられる。だが同時に、そんなことを走者である自分に持ち掛けるものか? とも思う。つまり直訳的な意味ではない……はず。
《ルーキ、君は今のRTAに改善の余地があると思わないか?》
「誰もがそう思って毎日チャートを磨いてる」
《そう。チャートだ。問題の原点は》
アネットはニヤリと猫目を細めた。
《短期のRTAでは個人技がモノを言うのに対し、長期RTAではこのチャートがタイムを大きく左右する。そうだな?》
「そうだ。アイテム回収、金策、レベリング……いつどこで何をするか。そういう手順が何よりも大事になる。腕前に関してはその次の課題かな」
よく知った内容に、ルーキは少しほっとしながら応じた。が、
《無駄だな》
「何だと?」
《最初から襲撃者の首魁――魔王の棲み処に突入し、撃滅してしまえばそれで辺境の危機は終わる。そうではないかね》
「それは……」と迷った口が、数秒もせずに「そうだ」という結論を吐き出す。
「でもそれは、本当にごく一部の人間しかできない荒業だ。いやもう人間業とは呼べないようなやり方で、すべての開拓地をそれでカバーするなんてとてもできない。理想だとしても、実現不可能だ」
《うむ……やはり君はいい反応をする》
アネットは先ほど見せた激しさとは異なり、にっこりと笑った。
《大抵の人間は自分たちの活動を否定されると、反射的にそれを否定し返したくなるものだ。だが君は、わざわざ一部の特例を掘り起こしてわたしに賛意を示し――そしてそれが達成困難である理由も示した。こんな突発的な話し合いでそこまでの対応できるのは、君が冷静であり、そして常に最善への探求を忘れていないからだ。違うかな?》
「こんなもん、走者の初歩の初歩だ。走者は常に、今のやり方を壊す方法を探してる。つっても俺は、今あるチャートをなぞるので精一杯だけどよ……」
《ハハハ、謙虚なのはいいことだ。わたしはしないが。……さっきの話に戻ろう。魔王は強大だ。だから走者たちにも手順が必要になる。敵戦力を削り、こちらの地力をつけて、最後には打倒する。チャートとはその過程を最速で示したものだろう?》
「だいたいそうだ」
《ならば、最初から魔王に匹敵するなら、その過程は一切必要ないわけだ》
「だからそれは、ごく一部の走者しかできなくて……」
《ニーナナは?》
「む……」
突きつけられた名前に、ルーキは言葉を詰まらせた。
《彼女の身体能力はわかっているはずだ。肩慣らしなどせずとも、彼女は自分の力を常に100%引き出せるし、劣悪な環境への耐性も常人とはかけ離れている》
それは事実だ。ニーナナはあの小さい身体をウォーミングアップなしに自由自在に操り、毒や過酷な気候にも強く、どんな土地もガンガン進んでいける。
《加えてミロク》
アネットは自分の頭を指さしながら次を挙げる。
《36システムは、元々は走攻兵の記憶力をサポートし、意識のリソースを走りへと注がせるための、さほど強力ではない装置だった。しかしソリッドニンフはそれに高い適性を示し、サンに至ってはシステムと超速で対話することにより、第二の判断力を持つに至った。わたしが彼女を宝と言ったのはこれが理由だ。変化し続ける状況に対し常に最善手を高精度で模索し、実行できる。わたしは、これはあらゆる場において至高の能力だと考えている。どれほど強靭な肉体があっても、中身が空っぽでは何の役にも立たない》
これも事実。一流の走者でさえ音を上げる〈十倍くえすと〉で、サンは素人同然の無名小隊を引き連れて、完走近くまで粘り切ってみせた。もしその能力がニーナナや他のソリッドニンフたちにもあったらと思うと、RTAの常識は大きく変わる。
《そして最後に、多局面に対応できる変換式の武具……》
アネットの目が、自身の映像を投影し続けているツインランサーに向いた。簡単な操作一つで、特別な力を付与できる。形はツインランサーに限らないだろう。これ一本で、幅広い敵の弱点を突ける。
長期RTAにおいて最適装備の入手は極めて重要なファクター。レベリング以上にタイム短縮に繋がる。
《卓越した肉体に、俊敏な頭脳、そして全事態に対応可能な武器。これだけのものを事前に揃えておけば、わざわざ現地で地道なアイテム集めやトレーニングをする必要もない。これまでの手順を大きくスキップできる。そうだろう?》
「……だけど、ニーナナだってレベリングはしてる」
《それは、マスターである君に付き添っているだけではないかな。いや、その呼び名がイヤなら兄でも親でも保護者でも何でもいいのだが。ともあれだ。無論、今のニーナナ一人で魔王を撃破せよという話ではない。成熟したソリッドニンフたちが、予備戦力としてゴリアテともパーティを組む。そして完全武装し、一気にゴールへと雪崩れ込む――これなら最速で最良の結果が得られると、そう言っている》
「そいつは……」
できなくはない。理屈では。机上では。可能に思える。戦力さえ上回っていれば、魔王だって押し潰せる。サンとニーナナの集団だ。それだけで雑に考えても強い。
だが何かが……危うい。彼女の言ったことは子どもでもわかる正論なのに、どこかで明確に警鐘が鳴っている。その場所はどこか。
いや……危ういのは、彼女の“説”ではなく――。
「……違う」
《なに?》
アネットはぴくりと眉を動かしたが、すぐに、《聞こう》と鋭く放った。
「俺もはじめは勘違いしてたんだけど……レベリングは、単なる肩慣らしや……トレーニングのためだけにするんじゃない。今だって、そんなもの必要ないくらいに最初から強い人たちがいっぱいいる」
《その人物たちのことは聞いている。ガチ勢。だが人間には波がある。プロフェッショナルほど、自分のトップとアンダーを明確に意識して使う。そのためのレベリングだろう? RTA用にデザインされた走攻兵にそのようなバイオリズムはない》
「それだけじゃない。開拓地は、正に別世界なんだ。人間には理解できないその土地の空気、ルール……“律”みたいなものがある。そこに体を合わせる。うまく言えねえけど“入っていく”んだ。その土地の一部になることで“正当性”……戦うための権利を得る。レベリングはその過程の一つ……」
《まるで古臭い老人の繰り言を聞いているようだぞルーキ》
苦労して選んだ言葉の後に返ってきたのは、失望したようなアネットの嘆息だった。
《まったく具体性のない、伝統主義的で、精神神秘主義的な建前だ。勝負の前に神殿にお祈りしたり、調理場で包丁を握らせる前に皿洗いを三年やらせるような、権威をつけあがらせるだけの御託に聞こえる。RTAはまだ若い活動だ。さらに君たちレイ一門は、それ以前のRTAの形を破壊してきた者のはずだ。それがもう守りに入るのか? 確かに、人間には時に、大いなるものにすがって心を落ち着かせる必要があるだろう。だが、完成した走攻兵にそんなまだるっこしい作法はいらない。常に最高のパフォーマンスで、結果のみを追求できる!》
強い発言に、ハイロゥのおろおろするような顔が、ルーキの視界の端に収まった。アネットは確実に苛立ちを覚えていた。彼女は結果だけを純粋に追及したくて、それを邪魔するものすべてが、存在する意味のない障害物に見えているのだ。
だが、まだこっちの話は終わってない。
「それは、あんたがまだ人間の世界の中にいるからだ」
アネットの眉がまた不服そうに跳ねる。
「この世界は、本当に、途方もなくでかいんだ。とんでもない、人間をはるかに超えた……生き物と言っていいかもわからないような強大な存在が、世界を取り囲んで見つめてる。神だとか、信号だけの脳みそとか、破壊精霊だとか、滅んだ宇宙のなんたらだとか……! そいつらには人間の世界の力と理屈だけじゃ通らない。ヤツらの舞台に飛び乗って戦う必要があるんだ」
《そういうルールごと克服したいとは思わないのか? その歳でもう人間の限界を認めているのか?》
「戦う相手を間違えたくない。雨が降ったら傘を差すだろ。でも雨を止める気はねえ。俺たちは最速で傘を差せればそれでいい!」
《なんと卑屈な! ルーキ!》
「本当の勝負が見えてねえぜ、アネット!」
ぶつけあった言葉が宙で弾けて、対話が止まる。
ぴんと張り詰めた睨み合いの空気の中、ハイロゥのうろたえる息遣いだけが、無為に行き交った。
《ふーっ……》
深く長い息がその場に吹き込まれたのは、少ししてのことだった。
《白熱した》との一言は、どこか満足を含んだ声音で伝えられた。実際、アネットは薄く微笑んでいた。
《正直、君がここまで口の回るヤツだとは思っていなかった》
「まあその……俺も考えて発言してるわけじゃねえんで……。肌感覚つうか、ただの経験則だよ……」
ルーキも緊張を解きながら頭をかく。
《賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶというが、そこで言われる賢者など、書を一撫でしただけの知ったかにすぎん。経験の伴わない金言はただの台本。読み上げるだけなら稚児でもできる。君の論には力があった》
「そ、そうかな」
《残念だ》
アネットは力を抜くように首を回し、ため息をつく。
《君はRTAのネイティブ世代だ。RTA時代の前から強者だった者たちとは違い、忌憚なく“次”の姿を模索できる。だから、巷で騒がれるガチ勢や、過去からの血統を引き継ぐ勇者の子よりも味方にしたい相手だった――し、実際、今でも協力者になってもらえたら嬉しいと思う》
「意見は合わなかったな」
ルーキが手を軽く振ると、アネットは首を横に振った。
《そうではない。わたしの研究チームにも、異なる見解を持つ者はいる。異論はいいのだ。目指す頂が同じであれば協力はできる。問題なのは――》
ここで急に彼女の目が凶悪に細まり、語気が荒くなった。
《わたしが今! 君を敵として、どうしても完膚なきまでに踏み潰したくなってしまったのだ! そして倒れた君を尻に敷いてざぁこざぁこまけまけ主義者と上から罵ってやりたい。どうしてもしたい!》
「ヘアッ!?」
「お、お姉ちゃん!?」
フーッと猫の尻尾のようにポニテを毛羽立せ、アネットの目が爛々と輝く。
《これまでつまらん男というのは山ほど見てきた。中身のない……わたしに噛みつくだけで自分が賢くなれたと錯覚しているアホは。そんな連中は潰す気にもならなかった。わたしが歩いていれば勝手に置き去りになっていく。だがルーキ、君は……違う。口答えはしてくるが、思い上がっているわけでも、無知でもない。己を知りつつ、その上で……“伸び上がろう”としている。仮にわたしの尻の下に敷かれても、その姿勢は変わらないはずだ。なんと小生意気な。だから足を止めてでも、一度きっちりと躾けておきたいのだ。その口から、許してください何でもしますからと言わせるのだ。ん? 今何でもすると言ったな?》
「まだ言ってないよ!」
《そうか。だが言わせる。わたしの新RTAを確立させることで、だ。覚悟はいいな?》
「……い、一門の手のひらは結構回る方だ」
《ククク、いい子だ。モチベが上がってきた》
「うぅ……」
と何やら後ろに引っ張られたと思ったら、ハイロゥだった。シャツの端を摘ままれている。それに気づいたアネットがきょとんとし、盛大に笑った。
《ハハッ、心配するなハイロゥ。君たちの先生を横取りする気はない。一度座り心地を確かめたらそれで満足だ》
アネットはふむと一区切りついたように鼻息を吐き、
《ルーキ。君が勝負を受ける対価として、わたしの全権限を駆使して今以上にサンを保護すると約束しよう。ミロクの可能性をきっちり説けば、“あの方”もサンを兵として使うよりも有効な方法があるということに気づくはずだ》
「マ、マジか! オナシャス、センセンシャル!」
《後はシンプルだ。――サンを助けに来い》
「!」
《サンと、彼女の妹たちを助ける手段を自力で探し、奪っていけ。それができたら君の勝ちだ。だがもし、わたしのRTAが先に完成したのなら、わたしの勝ちだ》
「そういうことなら……喜んで受けて立つぜ」
《念のために言っておくが、これは君とわたしの密約だ。“あの方”の関係者はもちろん、君の仲間にも言うな。もし“あの方”の耳に入ってわたしが信用を失ったら、サンに対する権限も失われると思え》
「わかった。誰にも秘密な」
《話は以上だ。うん……予想外に有意義な話し合いができた》
一息ついたアネットが、満足げに口元を笑わせる。ルーキも肩から力を抜いた。
「俺もだ。サンのことを約束してもらえたのは、すげえありがたかった。話がわかる人でよかったよ」
《それと、ハイロゥは計画の失敗を素直にエージェントに報告しろ。なに、処罰されるようなことはない。元々杜撰な計画だ。さて……そろそろ通信機のバッテリーが切れる頃だろう。それでは、また会おう――》
少し改まったように姿勢を正したアネットは、そのまますうっと消えていき――。
「…………」
消えて――。
《…………》
「消えねえの?」
《バッテリーの保ちが思ったより良かったらしい》
アネットは少しムッとした様子で言い、それからぽんと手を打ってきた。
《おおそうだ。君らは今、試走の途中だろう。せっかくだし授業参観させてもらおう》
「ファッ!?」
「ええっ!?」
揃って目を丸くするルーキとハイロゥに、アネットの猫目がニンマリと笑う。
《そら先生、きちんと保護者に仕事をしているところ見せろ。あんまり不甲斐ないことをしていると一門にクレームを入れるぞ》
「これがモンスターペアレントちゃんですか……」
《ちゃんはいらん! わたしは大人だぞ! さあ、いつまでも休んでないでさっさと授業を始めんか!》
「ウッソだろこれ……」
「せ、先生……ごめんなさい……」
身勝手にわめくアネットに、恐縮してぺこぺこ謝ってくるハイロゥ。
こうしてルーキは敵をもう一人パーティに加え、洞窟脱出に乗り出すことになるのだった。
どうして……どうして……。
一門は総じて日頃の行いが悪いから、しかたないね(レ)




