第六百三走 ガバ勢とシルケールの“お姉ちゃん”(1/2)
「サンのこと知ってたのか?」
休めようと洞窟の壁に押しつけていた背中を浮かせ、ルーキはつい大きくなった声でそうたずねていた。ハイロゥは少し目を丸くし、すぐに申し訳なさそうな訂正の言葉を返してくる。
「ごめん。その人のことは名前くらいしか知らないの。後は、先生と関係があるっていうことくらいしか。……でも、先生を見るに、大事な人なんだね」
「ああ。簡単に言うと、ニーナナの姉……みたいな存在なんだ。前のRTAで色々あって、何とかこっちに引っ張ってこようとしたけど、ダメだった」
「そう……。ニーナナさんの“お姉ちゃん”なんだ」
ハイロゥはその言葉に含みを持たせて繰り返した。
「ハイロゥの姉ちゃんが、サンを造ったってのは本当なのか」
再確認するルーキに、「うん」とうなずくハイロゥ。
「お姉ちゃんは“あの人”のところで新技術の研究者をやってるんだ。このツインランサーもお姉ちゃんが作ったもの。まだ試作段階だけど」
さっき電撃を食らわせてくれた機械式の属性攻撃武器だ。やはりテイオウ勢力が保持している新兵器だったらしい。
「……最初から聞いてくれる? わたしの話なんてつまんないと思うけど」
「重要な話だ。是非教えてくれ」
「ありがと……」
腕の中のラカンを抱き直し、彼女は切り出した。
「わたしとお姉ちゃんは実の姉妹じゃない。歳もだいぶ離れてる。わたしたちは孤児だったの。王都の貧民街の孤児院で暮らしてた。その時はわたし――ハイロゥはまだいなかった」
「へえ……別の人格って後から出てくるものなのか?」
ルーキが驚くと、「少なくともわたしは」と彼女はかすかに笑って先を続けた。
「お姉ちゃんはシルケールをとても可愛がってくれた。シルケールも、優しくて賢いお姉ちゃんが大好きだった。お姉ちゃんに守られた世界……それがシルケールにとっての正しい世界だった。でもある日、町で大規模な火事があって、孤児院も焼けてしまった。子供たちは、ちゃんと教会が運営してる孤児院に別々に預けられることになった。シルケールたちがいた孤児院は、教会嫌いのお爺さんが個人でやっていたところだったんだ。血の繋がりでもなければ、同じ孤児院に割り振られる可能性は低い。シルケールはお姉ちゃんと離れ離れになることに心から恐怖した」
王都の孤児院事情については、ルーキも高性能ばあちゃんから少し聞いて知っていた。大半は聖堂教会が管理しているが、一部の地区や教会とソリが合わない人々の間では、個人が運営していることもあるという。得てしてそういう施設は生活が苦しい。幼いシルケールにとって、姉の存在は本当に心の拠り所だったはずだ。
「そんな時、ある男の人が現れたの」
ハイロゥがわずかに唇を歪ませる。それが幸運だったのか不幸の始まりだったのか、今でも判断しかねるように。
「彼はお城から来たって言ってた。お爺さんと何か難しい話をしてて……お爺さんはすごく怒っていた。そんな姿見たことなかったから、扉の隙間からこっそり話を聞いていたお姉ちゃんとシルケールはとても驚いた。でも話を聞くうち、彼が優秀な子供を探しているということがわかった。“あなたが教育した子供ならば……”って、会話の中に何度も出てきたから。お爺ちゃんは何かの先生だったんだって、その時のシルケールは思ったみたいだけど、本当は研究者だった。辺境由来の特異な技術の」
「なるほど……」
研究者。ハイロゥの“お姉ちゃん”の現在と同じく。つまり、ここが彼女のルーツなわけだ。突然現れた才人ではなく、王都で続けられていた辺境研究の後継。その集大成がサンたち走攻兵というのなら、このプロジェクトの根深さは相当なものに思える。
「お爺さんは反対して、彼を追い返そうとした。“そんなつもりじゃない”。そう言って。でもその時、お姉ちゃんが飛び出て行って聞いたの。“わたしが優秀なら、妹と一緒に暮らせますか”って。その時のお姉ちゃんの顔を、わたしたちは今でも覚えてる。まだ子供だったのに、決意に満ちて、揺るぎなかった。お姉ちゃんは確信してたんだと思う。この男の人なら、わたしたちを救ってくれる……そういう力があるって」
「それで実際、そうなった……」
「うん。お姉ちゃんの見立ては正しかった。彼はお姉ちゃんに、辺境の技術について二、三の質問をして、お姉ちゃんは即座に答えを返した。お爺さんも驚いてたよ。お姉ちゃんがお爺さんから本を貸りて特別熱心に勉強してたのは知ってたけど、今思えば、お姉ちゃんの返した答えは、本の内容の丸暗記じゃなかった。その先の展望だったんだ」
ハイロゥはここでも、誇らしいような、しかし後悔しているような複雑な微笑を浮かべる。
「“ネイティブグリント”って、男の人はつぶやいていた」
「それは?」
「ある新しい技術や知識があったとして、それを発見した世代と、生まれた時からそれがあった世代では、着想が根本的に異なる――っていう意味の言葉みたい。後者の方が発想が自由で、革新的で、そして怖いもの知らず。……それが決定打になって、お姉ちゃんはその場で新しい家と生活を手に入れた」
「! その場でか……」
ずいぶんと豪勢な話だ。状況から察するに、その男はテイオウのスカウトだろう。まさか本人ではないはず。けれど待遇までその場で決められたあたり、かなり信用されている。そしてその目は今回も正しく機能した。彼を真っ先に頼った“お姉ちゃん”の嗅覚と同様に。
「また一緒に暮らせるとわかって、お姉ちゃんもシルケールも無邪気に喜んだよ。でも、お爺さんは浮かない顔だった。きっと、この後どうなるかわかってたんだね。反対こそしなかったけど、新居が決まってからも会いに来るようにって言い含めてきた。それには男の人も賛成してくれて、お爺さんとまた会いたかったシルケールたちにとってはいいことずくめだった」
そこでハイロゥはふっと口元を緩める。
「それから何年かは平和な暮らしが続いた。お姉ちゃんは研究の手伝いをしながら基礎を学んでたと思う。シルケールは大きくなって学校に通わせてもらって、友達もできた。孤児院の時と違って、お金に困ったことは一度もなかったな。多分、一番幸せだった時期。学校から帰ったらお姉ちゃんがいて、二人でパンを焼いたり、お菓子を作ってお爺さんのところに持って行ったり……毎日がぽかぽか暖かかった。――それが変わったのは、お爺さんが亡くなってから」
彼女の声から熱がすっと抜けた。
「お姉ちゃんは前よりもっと長く机に向かうようになって、シルケールと遊んでくれる時間も減った。そしてついに役職付きの研究員になったの。十六歳。施設でも最年少だって自慢してた。シルケールも誇らしかった。お姉ちゃんは依然、彼女にとって世界そのものだった。でも、それから。お姉ちゃんの様子がおかしくなっていったのは。……って言うと悪い意味に聞こえちゃうよね。けど実際はその逆で、物凄く生き生きしてきたんだ。毎日が楽しくて楽しくてしょうがないみたいな。シルケールも初めのうちは嬉しかった。お姉ちゃんが楽しいなら、シルケールも楽しいから。でも、ある時、シルケールは知ってしまった。お姉ちゃんが研究しているものの正体――。それは、誰かを殺すための無数の武器だった」
「……!」
ルーキは小さく息を吸った。曲がりなりにも走者だ。武器を作る人間がどれほど大事で、有り難いかはわかっている。彼らには善も悪もない。すべては使う側の問題。だが、まだ小さく純朴なシルケールが、優しい姉と荒々しい武器を拒否感なく結びつけられたかどうか……。
「お姉ちゃんもシルケールを気遣って、そのことについてはぼかしてたの。家で話すことは、研究に大きな進展があったとか、同僚にこんな人がいるとか、そんな当たり障りのないことばかり。でも、誰かを殺す武器を作ってるお姉ちゃんは何よりも楽しそうで……それがシルケールにある疑念を生んだ。……お姉ちゃんは、本当は怖い人なんじゃないかと」
「そりゃ、な……」
当然の反応だろう。剣や冒険に憧れる男の子ならまだしも、平穏な王都暮らしの女の子が物騒な武具に共感するはずもない。
「でも、お姉ちゃんを疑うことはシルケールにとって絶対悪だった。お姉ちゃんはいついかなる時でも、正しくて優しい人。怖い武器を作る人なんかじゃない。シルケールは、そういうふうに考えた」
あくまで他人を評するようにハイロゥは語った。まだ彼女自身は出てきていない。
「元々シルケールはすごく素直で、人の言うことをよく聞く子だったんだ。裏表の表しかないような、ね。ちょっと危なっかしいところもあったけど、まわりとトラブルを起こすほど極端でもなかったし、人から好かれるいい子だった。……それが初めて強く疑った相手が、よりにもよって大好きなお姉ちゃん――。シルケールにとって、とてつもないストレスだった。疑った自分をひたすら責めて、疑念を必死に腹の底に押し込もうとした。でも、それを嘲笑うみたいに、お姉ちゃんの研究への情熱は日増しにギラギラしていった」
当時のシルケールを思うといたたまれなくなりつつも、ルーキは、その人を責められないなと胸の内でハイロゥに詫びた。
まるで、RTAを覚えたばかりの我が身のことのよう。訓練や勉強ばかりの窮屈な生活から脱皮し、蓄えた力で直接成果を手繰り寄せる。もしそれが良い結果だったとしたら、本当に毎日が楽しくて舞い上がってしまうに違いない。
「そんなある日、決定的な出来事が起こった」
強い光が生んだ濃い影を思わせる陰鬱な口調で、彼女は吐き出す。
「お姉ちゃんはどんどん出世して、大きなプロジェクトにも参加させてもらえるようになっていった。そして今度のそれは、これまでとは一線を画する大規模な研究だった。この頃のお姉ちゃんは、家に帰って来ても、走り書きみたいな研究ノートを広げたまま居間でうたた寝してることが多かったんだ。だから、シルケールはそれを偶然見てしまうことになった」
ハイロゥは乾いた唇をなめた。
「お姉ちゃんが作ろうとしているものは――怪物だった」
頑張ったけど結局長くなってしまったのでここで一旦切ります。許してください! 何でも許してください!(傲慢)




