第五百九十九走 ガバ勢とぎこちない師弟
どこかソワソワした足取りで戻ってきたハイロゥの歩調は、互いの表情がはっきりと読み取れる距離になるにつれて次第に変わっていった。そして、
「先生、何かあった?」
「ん……まあな。ちょっと知り合いと話してた」
こちらの曖昧な返事を受けてなのか、ハイロゥの元々気難しい顔に陰が増す。
ハイロゥが周囲を遠ざけるのは、他者から攻撃されたくない気持ちの裏返しとサラーソンは言っていた。それはつまり、自分への敵意やら恐怖を敏感に察知するということだ。下手に隠すのはかえってまずい。
「まあその、人生の先輩からもっと気をつけて生きるようにって注意されたんだよ。まだまだ緊張感が足らないってさ」
「ふうん……そう……」
ハイロゥが立ち止まった場所は、気のせいかもしれないが、さっき別れた時よりも半歩遠い。
「じゃあ、もう一回やろ? 先生」
「おう」
カンテラに貼られたスペランタ君はすでに復活している。スタートが他の走者と重ならないよう順番待ちをし、ルーキとハイロゥは降下リフトへと乗り込んだ。
予習済みの地下一層、地下二層を手早く攻略していく。〈スぺランナー〉RTAのコツは、どこまで安全走行できるかどうか。洞窟の踏破自体にそこまで難しい技術は必要ない。
だからだろうか。ハイロゥとは特に交わす言葉もなく、二人で淡々と進んでいった。
ハイロゥは常に先頭を歩きたがった。この洞窟にある危険の大半は、スペランタ君をギリギリ殺すくらいの殺傷力しかないので、ルーキも彼女の経験のためと特に口を挟まないでいた。が、
「ハイロゥ。少し進むのが早くないか」
足早に通路を進む彼女を軽く諫める。
「横に進む分にはスペランタ君も平気だよ」
「それはいいんだけど、まわりを確かめないうちに進むとハイロゥ自身が危ないだろ。慣れてきた頃が一番ヤバいって、それ一番言われてるから」
「わたしは大丈夫。気になるなら先生は後から来ていいよ」
何だか声にかつての刺々しさが戻って来ている。それだけではない。ポニテを揺らす背中にも、人を弾くような険しい空気が帰ってきていた。
「ハイロゥ、やっぱりペースを落とせ。このあたりに足元の危険が……」
「なに? 別に何もないよ――」
振り向きかけたハイロゥの手前で、ぼっと空気が噴き出すような音がした。
「ゴホッゴホッ、な、なに……」
ルーキは、口と鼻を押えながら咳き込むハイロゥをその場から引っ張り出す。
「この臭い……ガスか何かか?」
テントテントテントテントトンテント~。
死因:なんか体に悪そうな臭いガスを吸い込み、今日はもう帰りたくなった冒険心の死。
「スペランタ君はもしかして洞窟探検が嫌いなのでは……?」
「…………」
ハイロゥは何も言わず、唇をきつく結んだまま、スペランタ君の復活位置まで通路を戻り出した。ルーキはそれに続きながら、
「ハイロゥ」
「……なに?」
「さっきのところ、陰になる位置に小さな噴気孔があった。これからも結構ああいうのがあるはずだ。気をつけていこう」
「……わかってる」
絞り出すような声で返事をしたハイロゥは、しかし、それからも落ち着きを欠いた動きを見せ続けた。
再び現れたすり鉢状の落とし穴では、縁が危ないとわかっていたのにギリギリでジャンプしていたし、そこからの下り坂も滑る危険を無視して足早に進んだ。
スペランタ君の命の灯は強風に煽られっぱなしだ。さすがにまずい。というか、おかしかった。最初のハイロゥでもここまで無謀な――自暴自棄みたいなことはしていない。
「ハ、ハイロゥ、さすがにちょっと止まれ。焦りすぎだ」
「いいの。スペランタ君も死んでない」
「ここでだけの話じゃない。ダンジョンでそういう歩き方はNGだ」
「じゃあ、落第にでも何でもして」
「学校の評価なんてどうでもいい。俺は仲間の心配をしてるんだ」
それで彼女はようやく立ち止まった。
長いポニーテールを揺らして振り向いた顔は険しく、カンテラの明かりを受けても濃い陰影を作っている。
「先生。わたしについて何か言われたんじゃないの」
ハイロゥはこれまで溜め込んでいた灰色の息を吐き出すように言った。彼女は本気で聞いてきている。ここで誤魔化すのは危険だと、ルーキは直感した。
「わかるのか」
「わかる。そういうの、何度も見てきたから」
やはり、勘づかれている。
彼女のことを知らない人間が、彼女のことを知ってしまった時の変化。きっと一番イヤで、一番つらいもの。だから明敏に察する。
「ああ。実はハイロゥについても聞いた。ただ本題はそこじゃない。もし俺の様子がおかしく見えたんなら、それは別のこと……ハイロゥも含めた、今の俺のまわりのこと全部が理由だ」
「周囲の状況?」
「ハイロゥには関係のない話だけど、ちょっとお偉い人から目を付けられてるっぽくてな。それを甘く見積もりすぎてて、反省してたってところだ」
「…………」
探るようなハイロゥの目線がこちらを刺しかけ、途中で落ちた。ため息が一つ、こぼれる。倦んだ音だった。
「そう……。なら、ちょうどいいよ。先生は先生のことに集中して。わたしはわたしのことをするから」
「そういう意味じゃないよ、ハイロゥ」
「最初に言った通り、別行動にしよう。わたしが先? 先生が先?」
「行動は一緒だ」
「そう」
苛立ちを込めた息を吐くと、ハイロゥは突然、こちらのカンテラを掴んで強く揺さぶってきた。
テントテントテントテントトンテント~。
死因:やめてください死んでしまいます。
「何やってんだハイロゥ!?」
「これで戻らないとダメだよね。先生は走者なんだから」
ハイロゥは暗い目でこちらを見上げてくる。悪ふざけではない。彼女は本気で行動し、そう言っている。
「じゃ」と吐き捨てるように言い、ハイロゥがきびすを返した。その逃げるような速足が、ルーキの戸惑いを払いのけさせる。彼女をこのまま一人で行かせてはならない。
「待て!」
届かなくなる寸前で、ルーキはその腕を捕まえた。彼女は少し驚いた様子でこちらを振り向き、そしてすぐに目元を険しくした。
「なに? これはわたしの試走で、わたしのやり方。先生には関係ない。わたしの人生なんだから、わたしの好きにして何が悪いの」
厳しく言い放ったハイロゥの揺らがない双眸を、ルーキは正面から見返す。
敵意と拒絶に満ちた目。だがそれは、傷つけられたくないという恐怖の裏返し。彼女はきっと、何度もこうした目を人に向けてきた。向けられる前に、先に向けてきた。
数秒の間、睨み合い、それからルーキは問いかけた。
「本当か?」
「えっ……」
「本当に、その生き方、好きか?」
「……ッッツッ!?」
ハイロゥの体が芯からビクンと震えるのが伝わった。
「俺ぁさ……本気のガチに好きなように生きてる人たちを見てきた。その人たちは本当に思うがままで、だからこそ、その中で感じる喜びも怒りも、全部好きなことへのエネルギーに転化してたよ。……けどハイロゥは、つらい気持ちをどこにぶつければいいかわかんねえで、ただ飲み込んで我慢してるように見える」
「…………だって……仕方、ないでしょ……」
震える声が返ってくる。今までどこにも向けられなかった言葉。
「そうだな……。仕方ない。普通はできねえよ、本当に好きなように生きるなんて。どうしようもねえことだらけで、俺も不満を腹ん中に押し込めて腐らせてたクチだから、わかる」
「先生も……?」
「ああ。そんでとうとう故郷を飛び出して、ルタまでたどり着いた。そこでRTAに出会って、今は……だいぶ好きだぜ」
「そう……よかったね」
ハイロゥの声に嫌味はなく、本当に純粋にそう思ってくれているようだった。その理由はきっと――。
「わたしはそれだけじゃ、ダメみたいだから……」
RTAに出会っただけでは足りない。足りなくなってしまった。まわりを不幸にするという噂のせいで。
世の中には、一人でRTAをする者もいる。孤高、と人は呼ぶのかもしれないが、それは強制されたものでもなければ、排撃されてそうしているわけでもなかった。少なくともルーキが出会ったソロ走者たちは、他者との関わりを歓迎し、共に走る仲間を求めていた。
RTAは、決して独りでやるものではない。現代の勇者は、決して孤独であってはいけない。
「なあハイロゥ。その心配は、もういらねえんじゃねえかな」
「え?」
「場所が悪かっただけなんだ。ハイロゥは――シルケールも――何も悪くない。たまたま悪い噂に捕まっちまっただけ。自慢じゃねえが……ホントに自慢になんねえけど、俺たちレイ一門のクズ運は、噂どころじゃ済まねえぜ」
ルーキはビッと自分を指さす。
「何しろ、マジモンの魔王ですら、クッソ激烈な不幸で沈めてきたからな。もし本当にハイロゥにそんな力があるとしても、俺らの前では誤差だよ誤差」
一時の噂でも、周囲の思い込みでも、難癖でもない。霊験あらたか、由緒正しい、信頼と実績の揺るぎないクズ運。それでも平気で乗り越え、笑い、今日もみんなでガバっている。それがレイ一門。
「だからさ。ハイロゥも、自分から寂しいところに向かってくようなそんな生き方、もうしなくていいんじゃねえかな」
「……!」
目を丸くするハイロゥに、微笑んで伝える。
「うちに来いよ。いや、入門するとかそんな大袈裟なんじゃなくても、せめて、不幸なんて屁とも思わない場所があるってこと、覚えておいてくれよ。あの店、〈アリスが作ったブラウニー亭〉だ。いつでも来い。そういう場所があるのって、すごく安心できることだから。ハイロゥがほっとできる場所になるよう、俺も努力するから」
「ぁ……」
彼女自身にとっても不意打ちのように、目からぽろりと雫が一つだけこぼれた。彼女はそれが自分の爪先に当たって弾けるのを見つめたまま、
「……本当……?」
と、かすかな声で。
「本当に、安心させてくれるの? 先生……」
「約束する」
「約束……」
ため息が聞こえた。それは今までとは少し違って、彼女の中にあった凍りついていたものが、溶けだした音のように聞こえた。
「約束……したい。先生の言ったことが本当になるっていう約束……わたしもしたい」
「ああ。なら二人分の約束だ」
「二人分の……」
それから彼女は少しの間、声もなく泣いた。
肩を震わせ、空いている片手だけで、不便そうに何度も何度も目元を擦りながら。
こちらが掴んでいた手は、いつの間にか、彼女の手にも握り返されていた。
ひどく温かかったと、ルーキはこの時のことをいつまでも記憶している。
また吟遊詩人の歌が長くなるな……。
※お知らせ
お伝えしていた通り、10月は投稿お休み、11月はまだよくわからないので未定となります。再開の際は活動報告かエックス! でお伝えしますので、そちらで確認していただけると幸いです。それでは、短期間の復活にもかかわらずご視聴ありがとうございました。また見てナス!




