第488話・限界超越(オーバーロード)
「……お嬢さんの言う通り、ワシは策謀家だ。大天使様の地力に及ばないことなど、最初からわかっている」
「ッ!!」
背中へ直結するパイプが消えたかと思うと、スティンガーはゆっくりと床へ降り立った。
思わず目を丸める。
さっきまで老練だった顔つきが、20代もかくやという若さへ変貌していたのだ。
「よって……、お嬢さんに追い詰められるのは想定内。ここまで全部、机上で描いたシナリオ通りだ」
「……『エンジェル機関』とか言ってましたね、それが今の貴方の膨大な力の源ですか」
「その通り、これは本来“銀河間航行用宇宙船”に使うエンジンでね。まぁ、なんてことない……それをワシという個人に直接あてがっただけだ」
「宇宙船用のエネルギーを……、そんな無茶したらっ」
「察しが良いね、君の思った通りだ。竜王級ならいざ知らず……ワシはただの天使。もって後1時間の命だ」
スティンガーの瞳が、金色の光を放つ。
「まぁ、それだけあれば……“魔力切れ”が近い君を十分屠れるだろう。大天使アグニ様との約束は無事果たせる」
1等天使を遥かに超えた存在––––“超天使”となったスティンガーは、ユリアが反応するより早く真横へ接近した。
「歯を食いしばれよ、人間」
部屋に並んだコンピューター群が、轟音を立てて薙ぎ倒された。
スティンガーの裏拳を食らったユリアは、フェイカーが溜め込まれたタンクへ激突する。
「がふっ……!?」
ひしゃげた鋼鉄製のタンクから、人工宝具が外に溢れ出す。
血を吐きながら脱力したユリアは、そのまま地面へ座り込んだ。
「おやおや、スカートから下着が丸見えですよ。女の子がそのようなはしたない姿勢をするもんじゃない」
笑顔を見せたスティンガーは、指を軽く動かす。
苦しげに起きあがろうとしたユリアへ、正面から衝撃が襲った。
集合した神力粒子による見えない鉄球が、柔らかい腹部へ突き刺さったのだ。
「ガードする魔力も残っていないと見える、抵抗しないなら––––遠慮なく」
宙へ弾き飛ばされたユリア目掛けて、スティンガーは容赦なく追撃を掛けた。
飛んできた彼女の背中へ、さらに数十トン重さを追加した攻撃を背中へ叩きつけたのだ。
「ッ……!!?」
碧眼が見開かれ、口から飛び出た血が宙を泳ぐ。
声にならない悲鳴と同時、鉄球に押し潰される形でユリアは地面に激突した。
ヒビが走り、煙が大きく立ち昇る。
「ワシは今無限に近いエネルギーを得た、いくら君が天才を自称していても……この差は埋められんよ」
どこか悲しげに呟いたスティンガーは、慢心など一切しない。
残り1時間を切った命で、ユリアの生命を断つため全力を出す。
「集中型––––『収束衝撃波圧縮砲』」
先ほどユリアに大ダメージを与えた鉄球が、うつ伏せに倒れる彼女へもう一度落ちた。
「悲しいなぁ」
2度、3度、4度と連続で叩きつけられる。
「悲しいなぁ、悲しいなぁ」
10度、20度、30度を超えて鉄球がユリアへ落ち続けた。
施設が揺れ、轟音が部屋に鳴り渡る……。
ひび割れが床だけでなく、壁まで広がったあたりで……ようやくスティンガーは攻撃を止めた。
「……何がオーバーロード作戦だ。くだらない……連合軍の頼りの魔導士がこんなお粗末だとは」
見下ろした先には、異常なヘコみ方をした中心部で、うつ伏せにめり込むユリアの姿があった。
華奢な身体は大重量の暴力で完全に埋まってしまっており、制服はズタズタになってしまっている。
床下を通っていたパイプも潰されたため、溢れ出した海水が切断面からユリアの背中と金髪に浴びせられていた。
水がゆっくりと溜まっていく……。
「まだ生きているようですが……、どれだけ痛かったことか。このまま溺死するのが、彼女にとっての幸せでしょうね」
勢いよく流れ出る海水が、ユリアの耳上まで溜まった。
もう、顔も見えない。
「看取るまでもないか……、この残り少ない命。せめてアグニ様のために活かすとしましょう」
ユリアの死亡を確信したスティンガーは、踵を返して出口へ向かう。
背後で海水が穴に満ちた瞬間––––
「誰が出て行って良いと言ったのですか?」
「ッッ!!?」
振り返るよりも早く、スティンガーにまだ残っていた左腕が斬り飛ばされた。
手が床へ落ちるグロテスクな音と同時に、天使はようやく背後を振り向く。
「……あり得ない」
「フフッ、何を根拠におっしゃっているのでしょう?」
傷だらけ、さらに血まみれになったユリアが……不気味な笑顔を見せながら立っていた。
足元の海水は、赤色に染まっている。
「なぜわたしが意識を保っているか、なぜ痛みで正気を失っていないか、気になることだらけでしょうね」
「……君は負けたはずだ、内臓も骨もボロボロのはず」
「それは貴方のくだらない主観でしょう? フフッ、天使というのは本当に傲慢極まりますね」
スッと目を細めたユリアは、『インフィニティー・オーダー』を握り締める。
「痛いに決まってるじゃないですか、意識だって無くなる寸前です。でも––––これは必要な通過点。修行で得た“答え”に辿り着くための手段に過ぎません」
「手段……だと? まさか貴様、わざとガードせずに攻撃を!」
ユリアの体から、尽きかけていたはずの魔力が一挙に溢れ出す。
その規模は、エンジェル機関と一体化したスティンガーを遥かに超えていた。
「わかったんです……、あの方を、伝説の竜王級を超えるには……わたしの持てる全てを引き出す必要があると」
血界魔装でも、エンチャントでもない。
黄金に輝くオーラに包まれたユリアは、一言––––遂に辿り着いた己の極地を声に出す。
「『限界超越』」




