第455話・ユリアの気づきと葛藤
明かり1つ無い深緑の空間……。
王都からいくばくか離れた巨大な森に、1人の少女はいた。
「……ッ」
月明かりさえ阻む木々の中に立っているのは、金髪を風に揺らしたユリアだった。
もしこの場に冒険者管理委員会の目が届いていれば、すぐさま離れるよう伝えただろう。
何故ならここは、王国でも非常に高レベルの“森林ダンジョン”だからだ。
かつて––––全盛期を誇った冒険者ギルド『神の矛』が、アルスの抜けて初めて行ったライブ配信で、醜態を晒した場所でもある。
そんな因縁の地を、ユリアはゆっくりと歩き始めた。
本来笑顔が美しい顔は、今……看過できない激情に歪まされている。
「––––えない」
歯軋りしながら、ポツリと声が漏れた。
「––––ありえないッ」
今度はハッキリと、鮮明に声が響いた。
地面の草を踏みつける力が大きいのは、気のせいではないだろう。
「ッッ……!!」
彼女の脳裏に浮かぶのは、昼間の光景。
突如現れた大天使ミニットマンに弄ばれ、あろうことか自らの失態でアルスに大ダメージを受けさせてしまったこと。
勝てる自信があった。
一度大天使と干戈を交えた経験から言って、少なくとも互角程度には持ち込めると今まで見込んでいた。
しかし結果は、目を覆いたくなるほどの惨敗。
あのミニットマンという天使は、想像の遥か上をいく強さを誇っていた。
たとえ、あの場で犠牲を顧みずに必殺の特大魔法を放ったところで、容易に防がれただろう。
それほどまでに、ユリアとミニットマンとの間には差があった。
だがこれだけに留まらず、ユリアは傷口に塩を塗られるがごとき屈辱と痛み、罪悪感を覚えていた。
「会長に……、あの方にわたしは庇われたッ……! 庇われてしまった」
ユリアの怒気で森が揺れた。
「会長に庇われなければ……、わたしは今頃死んでいたッ」
現実。
あるのはただ、自分があの場で“戦力外”だったという冷酷な非現実のごとき現実。
天才にして最強たる、ユリア・フォン・ブラウンシュヴァイク・エーベルハルトにとってこの上ない屈辱。
まして、そのせいで恋人たるアルスはベッドに伏すこととなった。
込み上げてくるのは、怒りと羞恥心。
自分が天才なのは間違いない、これはれっきとした事実だ。
けれど真に恥ずかしいのは、その天武に驕って今までロクに自分を追い詰めようとしなかったこと。
今彼女の中には、1匹狼時代だった頃と大きく違う点がある
それは、“どんな状況でも必ずアルスが助けてくれる”という特大の信頼。
敢えて言うなら––––“甘え”。
この半年で絶対のものとなったアルスへの安心感は、ユリア自身にある種デバフとなって具現化していた。
普通に戦っても天才の自分はまず負けない、もし何かあってもアルスが助けてくれる。
そんな勝利の方程式は、いつしかユリアに脳死同然の戦闘観を与えていた。
だが今日、この世で一番大事な人間を失いかけて––––彼女は初めて気づいたのだ。
「……わたしは、弱いッ」
押し出された言葉は、公園で1日考えた末の結論。
どこかから、いつかから……ユリアは慢心していた。
もっと早く気づくべきだった……、何故アルスは本当にピンチの時にしか助けないのか。
なぜ傷つく前に、全部片付けてしまわないのか。
答えは簡単、あの竜王級は––––自分たち生徒会役員に“自分”を持って、しっかり強くなって欲しかったのだ。
それがどうだ、最強の保険にかまけて自分は鍛錬こそすれど、真に変わろうとしなかった。
アルスの力へおんぶに抱っこ、これでは––––
「『神の矛』と、同じじゃないですか……ッ!!」
碧眼から涙が溢れ落ちる。
軽蔑していた存在と、いつしか自分は同列の存在へ堕ちていた。
アルスの瀕死という、あまりに高過ぎる授業料でもってユリアはやっと自らの状態に気がついた。
最初は否定したかったが、現実は容赦なく過去の清算とばかりに事実を押し付けてくる。
だからユリアはここへ来た。
『神の矛』が終わった––––原点であるこの場所へ。
「ゴゥアァ……ッ」
大樹から姿を現したのは、手に極太の棍棒を持ったオーガ・ロードだった。
刻まれた古傷は、過去に受けたあらゆる魔法や剣を弾いて来た歴戦の証。
当然だ、ここは冒険者ギルドランキング100位内のみの冒険者が訪れる場所。
現れるモンスターは、全てがボス級か特異種というハイレベルダンジョン。
「ゴアァッ!!!」
恐ろしい速度で地を蹴ったオーガ・ロードは、真後ろからユリア目掛けて棍棒を横凪に振った。
激しい衝突音は……鳴らない。
それどころか、打撃に部類する音が一切響かなかった。
「ガッ……!?」
振り抜かれた棍棒は、根本までが薄皮になるまで斬り刻まれていた。
武器が消え去れば、当然攻撃などできようはずもない。
「申し訳ありません会長……。副会長として、貴方の恋人として……今一度誓います」
疑問符を浮かべたオーガ・ロードの頭が、暗い地面にボトリと落ちる。
「もう二度と、今日のような光景は再現させないと」
首の消えたオーガの巨体が、大きな音を立てて崩れ落ちた。
宝具『インフィニティー・オーダー』を握ったユリアは、まだマッピングすらされていないダンジョン最深部へと、たった1人で向かって行った。




