第429話・行かないでッ……!
焼肉90分食べ放題を堪能した俺たちは、無事満たされた腹をさすりながら店を出た。
当初は量が足りるか不安だったが––––
「あのよくわからん穀物? 意外にイケたな」
この店では、日本由来とされる“米”なる物が食べ放題だった。
普段目にすることが無いので警戒していたが、異常に焼肉と相性が良く、10杯以上はおかわりしてしまった。
元が食いしん坊のアリサに至っては、大盛り20杯を超えている。
そういうわけで、満腹になって解散しようとしたところ……。
「ねぇ、アルスくん……っ」
最寄りのバス停でバスを降りようとした俺の手を、アリサは唐突に掴んだ。
しかも、かなり力が入っていて全くびくともしない。
俺は普通じゃない声色に、ゆっくり耳を傾ける。
「なんだ? アリサ」
「……っ」
客が降りていく。
料金を次々渡す人の後ろで、俺たちは硬直していた。
「まだ、行かないで……」
俯いているせいで表情はよくわからないが、なんとなく察しはつく。
もう行かなければという考えを捨てるのに、俺は秒も掛からなかった。
『発車します、次は王都中央駅前〜』
運転手の無機質なアナウンスが流れる。
バスの発進と同時に、俺は再びアリサの横へ座った。
「どうしたよ、声震えてたぞ。さっきまでなんともないように思えたが」
俺の問いに、アリサは「ごめん」と「わからない」の両方で答えた。
「もしあのまま見送ったら、今日の誓いや……ご飯一緒に食べたこととか。全部ぜんぶ忘れちゃうんじゃないかって急に思った……」
「もう魔法は全部解いたけど、やっぱ……怖いのか?」
頷くアリサ。
彼女は一時的とはいえ、俺と俺に関する記憶を失った。
今回は魔壊の力を借りて事なきを得たが、忘れていたという事実は変わらない。
「このまま君と離れたら、明日にはまたアルスくんのこと忘れてるんじゃないかって思う自分がいるの。そんなはず無いのに、気づいたら手が伸びてた」
恐怖か不安か。
自嘲するように笑ったアリサの頭を、ゆっくり撫でる。
「忘れてもまた思い出させてやる、それが恋人だろ?」
「わかってる、わかってるの……君ならきっとそうしてくれるって。でも今はとにかく離れたくない、君だけをひたすら想い続けたいっ。忘れたくない!」
アリサはこう見えて非常に怖がりな子だ。
いつもの強気で活発な様子は、内に秘めたか弱い自分を隠すため得た処世術。
俺をたった一度でも忘れてしまったということに、アリサは酷く怯えているようだった。
また忘れるんじゃないか、また魔法が再発したらどうしよう……そんな感情に支配されてしまっている。
まぁ……、無理からぬ話だ。
もうとっくに最寄りから離れてしまった時点で、俺の選択肢は1つしか存在しない。
否定も拒絶も––––俺は断じてしない。
「まだお前の部屋、行ったことなかったよな?」
「……うん」
「じゃあ」
決まりだと宣言するように、俺はバスの停車ボタンをポンと叩いた。
俯いていた涙目の顔を上げたところで、強引に瞳を合わせる。
「今夜いっぱい、お邪魔させてもらおうか。お前が最初に言ったんだからな––––拒否権は認めんぞ」




