第412話・アーシャの狂気
「えっ……?」
アーシャ・イリインスキーは驚愕を隠せなかった。
妹の顔に、頬に触れた手は……他でも無いアリサ本人によって弾かれたからだ。
「なんで? なんで……アリサ?」
困惑する青目から顔を逸らしながら、アリサは複雑気持ちを宿した表情で答える。
「ごめんお姉ちゃん……、お姉ちゃんのことは嫌いじゃないし。再会できたことも嬉しく思う」
「だったら––––」
「でも!!」
拳を握り締めたアリサは、揺らぐ視界の中で叫んだ。
「わたしはアルスくんのことを誰よりも愛してる、他でもないあの人を既に愛してしまった……。もう捨てることは不可能。だからお姉ちゃんの希望には応えられない。どっちかを選べなんて、言ってておかしいと思わないの!?」
見せられた記憶通りなら、アーシャは命を賭して自分を守ろうとしてくれた実の姉だ。
しかし、ただその眼で見た物だけが真実だと決めつけるほど––––アリサ・イリインスキーは鈍ってなどいなかった。
「お姉ちゃんは嘘をついてる、さっき見せられた……力及ばずわたしを守れなかったなんて情景、あまりに“都合が良すぎる”よ」
「う、嘘だなんて……冗談はやめてアリサ。わたしはあなたを心から愛して––––」
再び触れようとした瞬間、アリサが数歩飛び退いた。
警戒する瞳が、剥き出しの敵意と共に向けられる。
「わたしはショックのあまり、お姉ちゃんに関する記憶を自分で消したと思っていた。でもそれは違う……同じ日の記憶を思い起こして今確信した」
アリサの身体に、魔力が集まっていく。
「お姉ちゃんはあの日––––“わたしを売った”。マジックブレイカーの能力と引き換えに、スイスラストへ密航するため」
「そんなデタラメあるわけ無いでしょ!? さっき見せた記憶こそが事実よ。無情な共産党によってわたし達は引き離されたの!」
必死に訴えるアーシャの目、まばたきの回数。
首の筋肉の動き、細かい動作から得られた情報を精査し……アリサは残念そうに呟いた。
「お姉ちゃん、わたしが何年共産党のスパイとして働いたと思ってるの? あのベアトリクスから……どれだけ嘘のつきかたを教えられたと思ってるの?」
「ッ……」
「お姉ちゃんからは嘘の臭いしかしない、あの映像も……真実3割、嘘が7割ってところでしょ。会って思い出したよ、お姉ちゃんは」
アリサの髪と瞳が、オーラと共に紫色へ変化した。
雨風が吹き荒び、木々を揺らす。
「わたしと同じ––––どうしようもない嘘つきだ。当然だよね、血の繋がった姉妹だもん」
血界魔装、『魔壊竜の衣』に変身しながら……眼前の姉を睨みつけた。
一連の流れで、アーシャの能力はほぼ断定できる。
「わたしがお父さんから『マジックブレイカー』を受け継いだように、お姉ちゃんも能力を貰った。父ではなく、お母さんからね」
「ッ……」
「名称はわからないけど、他人の記憶を操作できるんでしょ? さっきみたいにね」
嘘は暴かれた。
否定しない姉を前に、アリサは心底残念がる。
「失望したよ……、お姉ちゃんはわたしじゃなく。『魔壊竜』の力が欲しかったんでしょ? 大国の魔導士軍団すら無力化できる力を」
「失望? ふふっ……わたしに失望したの? 嘘つきが嘘つきを失望だなんて、やっぱり可愛い子だわ。……ねぇアリサ」
首をフラフラと揺らしながら、アーシャは虚ろな目で見下ろした。
「もう一度だけチャンスを上げる、竜王級を捨ててわたしとスイスラストで平穏に暮らすか。悲惨な戦いが待っている今の運命を望むか」
響いた雷鳴の後、アリサは即答していた。
「言ったでしょ? わたしはアルスくんを愛している。彼と歩むホワイトライフを邪魔するなら……わたしから彼を奪うなら。たとえお姉ちゃんだろうと決して容赦しない」
決裂。
その言葉が降りた時、アーシャを包む雰囲気が一変した。
「そう……、あくまで天に挑むのね。じゃあアリサ」
それを形容するなら、悪魔と言った方が伝わるだろう。
おぞましい笑顔を浮かべたアーシャから、殺意の嵐が暴風雨と共に吹き荒れる。
「竜王級に毒された、愚かでバカで可愛いあなたを……私が救ってあげる。確かめ合いましょう? 本当の愛を! 愛しいあなたを瀕死にして、その美しい顔へキスしてあげる!」




