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第410話・追憶の旅

人間、あまりにショッキングな記憶があると自分で消しちゃうとか。

 

 いきなり迷い込んだ空間は、夢と程遠い解像度を誇る。


 感覚はあった、意識もしっかり持っている。

 しかしこの情景は、とても現実に見えない……。


「ここって……、赤の広場に繋がる大通り? しかも12年前って」


 困惑し切った様子のアリサの耳へ、突如悲鳴が飛び込んで来た。

 それは幼い女の子の声––––咄嗟に足を動かし、豪雨の中を駆け出す。


 まるで引き寄せられるように辿り着いたのは、整った表通りとは正反対の裏路地。

 暗く雨の滴るそこを、アリサは不思議と迷うことなく突き進んだ。


「っ」


 角を曲がった先で、アリサは信じられない光景を目にする。

 2人の姉妹が、スーツをかっちり着込んだ男たちに囲まれていたのだ。


 しかし問題は、年下の妹と思しき少女の容姿だった。

 短い銀髪を両サイドに短く括り、青目はボロボロの衣服と正反対に輝いていた。


 間違いない、彼女は––––


「5歳の時の……、わたし?」


 古い……眠っていた記憶がノイズのごとく過った。

 この光景は、見たことがある。

 体験したことがある。


「アリサ、大丈夫よ……神様がきっと守ってくれるからッ」


 泣き喚く過去の自分を庇っていたのは、幾許か歳上の女の子。

 同じ銀髪に青目、間違いない……。


「お姉ちゃん……?」


 また記憶が過った。

 不鮮明な映像が、段々と色彩を増していく。

 そうだ、この場面は––––


「ったく、うるさいガキ共だ。サッサと言え……お前らの父親、アイザック・イリインスキーの能力。『マジックブレイカー』を受け継いだのはどっちだ?」


 ナイフの先端が向けられた。

 怯え切った過去のアリサを、同じく過去のアーシャが優しく抱き込む。


 そうだ、思い出してきた……。

 お父さんの死後、魔法を無効化する稀有なユニークスキルを、キール社会主義共産党が嗅ぎつけたのだ。


 これは逃げて逃げて、遂に捕まった時の記憶だ。

 あまりの恐怖とショックで、無意識に消し去っていた光景。


「アリサ……、わたしがこいつらを引きつけるから。全力で逃げてっ」


 小声でつぶやいた刹那、弾かれたようにアーシャは動いた。

 10歳ほどであろう彼女が、ナイフを蹴り飛ばして男たちへ襲い掛かったのだ。


「クソッ!! このガキ!!」


 伸びてくる腕をかわしながら、アーシャは叫ぶ。


「行って!! アリサ!!!」


「ひぐッ……、うぅっ!!」


 涙目で駆け出したアリサだが、逃亡は許されない。

 路地を塞ぐ形で、黒色の触手が地面から大量に生えて来たのだ。


「うあっ!? やぁッ!」


 アリサを捕らえた触手は、すぐさま手足を封じ––––


「もがっ!?」


 叫び声が上げられぬよう、小さな口へ触手をねじ込んだ。

 思い起こすのは、当時の強烈な不快感と恐怖。

 そうだ、この後自分は。


「ダメッ! アリサ!!」


 姉の警告も、果てしない怖さが耳に入れてくれない。


「んーッ!!」


 過去のアリサの髪と目が、薄く紫色に輝いた。

 直後、彼女を襲っていた触手がボロボロと消え失せる。

 あらゆる魔法を無力化するスキル……、マジックブレイカーだった。


 だが、敵の狙いはまさしくそれであったらしい。


「素晴らしい能力だわ、なるほど……妹の方に継承していたのね」


 奥から歩いて来たのは、モスグリーンのレインコートを羽織った女性。

 どこか妖艶で恐ろしさすら感じさせるそいつを見て、一気に記憶を想起する。


「ベアトリクス……!」


 ここに来て、現在のアリサは一歩も身動きができなくなっていた。

 まるで、無人の劇場を無理矢理見せられているような感覚だ。


「助かりましたよベアトリクス少尉、おかげでどっちが継承者かわかりました」


 暴れるアーシャを取り押さえようとする男が、ホッと息を吐いた。


「……」


 ベアトリクスは恐怖のあまり動かないアリサを無視すると、


「アガッ!?」


 未だ抵抗するアーシャの髪を掴み、全く容赦のない膝蹴りを腹部へ打ち込んだ。

 10歳の少女に耐えられるものではない。


 たまらず嘔吐する彼女を横目に、アリサを見つめる。


「これで姉の方に用なんて無いわ、サッサとマジックブレイカーの持ち主を書記長の所へ連れていくわよ」


 ベアトリクス少尉の指示で、過去のアリサは男たちによって拘束される。

 手錠による物理的なもののため、今度ばかりは逃れられない。


「良い目をしているわ、あなたなら我が国の精鋭スパイになれるでしょう。––––“魔導士殺し”の異名と共にね」


「い、嫌……っ」


「あら、まだお姉ちゃんが助けてくれると思ってるの?」


 政治将校に容赦など無かった。

 嗚咽を漏らしていたアーシャに近づくと、魔力を纏った蹴りを横合いから叩きつけた。


「ぐあぁっ!!」


 路地の固い壁に激突したアーシャは、右半身を崩れた建物にめり込ませながら気を失った。

 雨と瓦礫が、彼女の身体に覆い被さる……。


「お姉ちゃん……っ、お姉ちゃん!!」


「さぁ行くわよ、これで我がキールは……最強の対魔導士兵士を手に入れた。10年後にはミリシアへ送り込めるように教育しましょう」


 連れ去られる過去の自分、視界がドンドン歪んでいく中で、現在のアリサは記憶を完全に思い出していた。

 あまりに悲劇的過ぎる思い出。消し去っていた過去。


 世界が完全に崩れ去ると、視界は元の森へ戻る。


「私は復讐と、妹の奪還をあの日固く誓ったわ……今。それがようやく叶う」


 見上げた先には、優しく微笑む現在のアーシャが立っていた。


「さぁアリサ、過去の悲劇を克服したわたし達だけが……唯一の家族たり得る。一緒にスイスラストへ行き––––共に天へ仕えましょう」


 アーシャの手が、ゆっくりとアリサの頬を撫でた。


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