第380話・危惧の現実化
心地よい音色が響いた。
玉座の間を彩るお菓子たち、その間を軽快なメロディーが駆け抜けていく。
音の源––––真っ黒なピアノを引く蒼髪の少女へ、執事然とした男が近づいた。
「懐かしき故郷の民謡ですか、ずいぶんとご機嫌のようですね……ミニットマン様」
背後に立った大天使アグニは、未だ演奏を続ける少女へ向けて呟く。
ミニットマンもまた、演奏する手を止めずに答えた。
「古代帝国のアーティファクトが大量に手に入ったもの、これで上機嫌にならなかったら相当の捻くれ者よ。あの忌々しい第一天使のようにね」
「あのお方を侮辱してはダメですよ、今でこそ眠りについているとはいえ……どこで記憶を読まれるかわかりません」
「多分大丈夫でしょ、その能力は今持ってないみたいだし。そんなことよりも言うべきこと––––あるんじゃない?」
演奏は1番を終え、2番に移った。
静かな波がだんだんと荒ぶるような、上下のある曲調だ。
「気まぐれ者の大天使東風が、魔法結界を展開しました。ヤツの強力なジャミングにより観測は困難ですが……教え子とは別に、アルト・ストラトス大使館も包まれたようです」
「ただの巻き添え?」
「いや、意図的かと……大使館にはかの竜王級魔導士が訪れていましたからね。おそらく、元勇者と何か共謀しているものと思われます」
「キャッハッハッハ! 引退した勇者が今さら何を施すつもりかしら、次世代の勇者はもう生まれたっていうのに」
「アーシャ・イリインスキーですか……、実力は本物ですが我らの恩寵を正しく制御できるでしょうか?」
ピアノを弾く細い手が、さらに激しく踊った。
「出来るわよ、なんたってこのわたしが選んだんだもの! きっと神命を果たせるわ」
「そのお言葉を信じますよ」
「そ、アンタはわたしだけを信じてればそれで良いの。でも油断ならないわね……本当に竜王級の動向は掴めないの?」
「試しましたが不可能です、あの竜王級が中でどんなことをしているのか……我々は全く知ることができません」
首を振るアグニは、完全にお手上げと言った様子。
大天使級である彼をもってしても、同格以上の存在である東風には手出しができない。
意図的なことは確定だが、竜王級の企みに若干の畏怖を覚えるのは癪だった。
何をするつもりだと、2人が思った瞬間。
––––ドンドン––––!!
1つしかない大扉が激しくノックされた。
ミニットマンの演奏が、ピタリと止まる。
それを見て、不機嫌を悟ったアグニがため息をついた。
何やら慌てた様子で入って来たのは、天界騎士団の連絡兵だ。
2人の前ですぐにひざまづく。
「なぁにぃ? せっかく人が気分良く演奏してたのに……変な報告だったら飴玉みたく粉々にするわよ?」
大天使の絶大な重さが込もった瞳を向けられるも、天界騎士はなんとか言葉を絞り出す。
「大天使エリコ様より、緊急の報告です!!」
「あら、あの子こないだミハイル連邦に行ったんじゃなかったかしら。また例の艦隊構想のこと?」
「いえ……、違います!」
「じゃあ何? サッサと言わなきゃ殺すわよ?」
本気の殺意を前に、天界騎士は汗だくで顔を上げた。
「ミリシア王都にて、特異点発生クラスの重力波を検知!! 観測したエリコ様によれば––––大陸規模の質量が一点に集中したとのことです!」
この報告に、2人は先程まで抱いていた危惧が現実になったことを悟る。
勢いが一転、汗が滴った。
「大陸規模の質量って……、冗談でもやめてよね。空間が重力崩壊を起こす一歩手前ってことよそれ、そんなレベルでエネルギーを集められるわけが……」
ミニットマンの中で、バラけていたピースが集まっていく。
発生場所はミリシア王都、そこはちょうど観測不能になった竜王級がいる街。
「ねぇ、1つ聞きたいんだけど。一点に集まったのって魔力粒子……よね?」
騎士は首を横へ振る。
「いえ、観測されたのは“神力”のみです。魔力は一切確認されていません」
「ッ!!」
ピアノを蹴り砕くミニットマン。
豪奢な黒が引き裂かれ、楽器が一瞬で砕け散る。
顔を手で押さえた彼女は、ゆっくりと上を向く。
「やられたわね……、先手を取ったと思ったらもう追い抜かれた。あの元勇者、一体どんな恐ろしい技を竜王級に仕込んだって言うの?」
「ミニットマン様……!」
「わかってる、そこの連絡兵!」
縮こまっていた騎士が、ビクリと背筋を伸ばす。
「エリコに連絡して! お前がまだ動けないならこっちで次の手を打つ! もう一刻の猶予も無いと伝えろ!」
あの竜王は、一体どこまで踏み込んだのだ……!
許されない、そこから先は“天”にしか認められていないのだ!




