第370話・カコナ・ブラッドフォード
––––ミライの家。
王都では一般的な木組みの家にお邪魔すると、俺たちはリビングに連れられた。
俺とミライの反対側、机を挟んでミライ母––––名前をカコナ・ブラッドフォードさんが座る。
隣りのミライは、既に汗をダラダラとかいていた。
竜の力を極めた魔導士が、母親を前にして完全に萎縮してしまっている。
「お客さんの前になっちゃうけど……ミライ、メッセージ読んだわよね? ずっと既読無視状態だったけど」
「あー、うん……はい。読みました」
「じゃあ言いたいこと、わかるわよね?」
無言の圧が展開された。
やべぇ……、俺は親と接した期間がかなり短いから経験ないが、この空気は非常にまずいというのだけは理解できる。
「制服は……バイト代で返す、それで良いでしょお母さん……」
絞り出したような声に代わって、机を叩く激しい音がこだました。
彼女の体がビクリと震える。
「あのねミライ、お金はどうでも良いの。問題はもっと大事なところよ」
「えっ?」
カコナさんが取り出したのは、つい先日ダメになったミライの制服。
銃弾による穴が開き、そこを中心に真っ赤な血で染められている。
制服が白いので、余計に血の色が目立つ。
俺はこの時点で、カコナさんが何を言いたいか理解した。
「ミライ……っ、アンタ一体何をやったら毎回こんな血だらけの大怪我するの? 魔導士だからって油断してたら、いつか本当に死んじゃうわよ!?」
悲痛な声。
母親として、純粋な気持ちがカコナさんから放たれる。
「日本からここに来て……ミライが生まれて、わたし凄く嬉しかったの。アンタを失ったら私……とても正気じゃいられないっ。お金の問題じゃないのよ!?」
「で、でも……! 血界魔装を進化させるには必要な過程で––––」
「だからって毎回血塗れになるつもり!? 言ったでしょう? 魔導士は頑丈で回復も早いのは知ってる。だけどね……ミライが傷ついて、毎度制服を赤く染めて帰ってこられたら、親なら誰だって心配するものなのよ!」
涙声で叫ぶカコナさん。
完全にぐうの音も出ない正論。
ミライは俯いてしまっているが、俺は不思議な感覚に襲われていた。
“羨ましい”……。
なぜかそう感じてしまっていた。
子供が傷ついたら泣いて心配し、ただひたすらに娘の安否を気遣う。
これが本当の親というものなのだ。
俺の親は、借金だけ残して煙のように消えた。
こんなに怒ってくれなかった、こんなに心配してくれなかった。
こんなに優しくなかった。
だからカコナさんの言葉は俺にとって新鮮で、本来ならクソ重く感じるこの空気で……なぜか嫉妬すら覚えてしまう。
親の愛……。
それが足りなかったから、俺は無意識に家族を求めるようになったのかもしれない。
「少し……待ってください」
一言発する。
俺もミライが大好きだ、カコナさんの気持ちは痛いほど伝わる。
だからこそ、俺はミライという家族のために一歩を踏み出した。
「カコナさん……、お気持ちはわかります。言いたいことも理解しています、でも、これだけは言わせてください」
顔を向け、視線をキッチリと合わす。
「ミライはとても強いヤツです。彼女だけじゃない……俺の生徒会に属する人間は、みんな“自分”というものを持っています」
「……どういう意味? アルスくん」
「言葉のままです、俺は以前……自分というものを持たない人間とパーティーを組んでいました。けど今は違う、みんなが俺という目標を目指して一心不乱に頑張っているんです」
「アルスくんが……、ミライの戦う理由とでも言うの?」
「はい、だって娘さんとは……今恋人なんで」
「ッ……!!」
ミライは一気に顔を赤面させ、カコナさんは目を白黒させる。
「えっ、恋……。へっ? 2人共お付き合いしてたの?」
「こんな形で報告してしまってすみません、でも今しか言うタイミングが無かったんです」
姿勢を改め、再びカコナさんへ正対した。
「俺もミライが傷つくのは嫌です、だけど……超えたい目標に向かって前進する娘さんが––––俺は大好きなんです」
「超えたい目標……」
「“竜王級を越える”。そんじょそこらの魔導士ではできない最高の目標です、たとえ血まみれになろうと、泥にまみれようと––––ミライ達はいつだって俺に向かって真っ直ぐ突き進んでくれるんです」
「……アルスくんは、そんなミライを好きになってくれたの?」
「じゃなきゃ俺は恋心なんて抱きません、カコナさん––––お願いです!」
俺は額を机に擦り付け、頭を下げ切った。
「ミライの向上心を認めてやってくださいッ……! 約束します、俺の人生に誓って彼女は死なせません! どうか……娘さんを俺に預けてくれないでしょうか……!」
数秒の沈黙。
俺にとっては1時間にも感じられる時間が過ぎ、カコナさんは遂に口開いた。
「顔を上げて、アルスくん」
言われた通り上げると、そこには優しく微笑むカコナさんの顔があった。
「ミライ」
「はっ、はい……」
「良い彼氏さん作ったじゃない、お母さんこれでやっと安心できるわ」
安堵の空気。
カコナさんは、俺に今一度頭を下げた。
「危なっかしい子ですが、ミライのこと……よろしくね。アルスくん」
「はいっ」
「でもミライ––––」
キッと彼女を見たカコナさんは、悪い笑みを浮かべる。
「ダメにした制服代、これからはアンタのバイト代で払ってもらうからね」
「ウッ……」
ちゃっかりしている所はしている、優しいお母さんだった。
やっぱり……家族というものは良い、俺は再びそう確信していた。




