第234話・猫箱の可能性
そこは王都から遥か西へ行った先にあった。
グリードたちが敗走した森林ダンジョンを抜け、アルスたちがアルテマ・クエストに挑んだ古代帝国跡地のさらに奥……。
そびえ立つ山脈の地下に––––闇ギルド『ルールブレイカー』の本部はあった。
幻想的な神殿を思わせる部屋で、大天使スカッドは壁に飾られた絵画を見つめていた。
「おやおや、スカッド様ともあろう方が今さら感傷に浸っておられるとは……これは砲弾の雨でも降るやも知れませんねぇ」
背後に立っていたのは、白衣を着たルールブレイカーの幹部が一角。
ドクトリオンだった。
「感傷か……。フッ、確かに物事がここまで上手く運ばないと現実逃避の1つもしたくなるものだな。そういう意味では博士の豪胆さは羨ましい」
「天使が現実逃避とはまた興味深い、先月竜王級の能力奪取に失敗した身として……ぜひ心情の吐口になりますが?」
「ありがたいが愚痴は漏らさないタチでね、だが疑問がないかと言えばそれも嘘になる」
「ほぅ」
「君は……私の構想が間違っていたと思うかな? もし間違っていたとしたらどこで、いつ、どの段階でミスをしたのか……わかるかな?」
「“秩序崩壊”後を見据えての『能力売買市場』構想……私にはとても良い案に思えましたが、同時に失敗の予測も容易でしたねぇ」
「ほぅ?」
大天使の翼が翻るも、ドクトリオンは恐れず両手を広げて雄弁に語る。
「市場活性の起爆剤として、竜王級の能力を奪って販売する……言うは易しの典型、取らぬ狸の皮算用、言い方は色々ありますが十分考えれたことかと」
「……あぁ確かにそうだ、そういえば夏にあったコミックフェスタの時もノイマンに同じことを言われたな。取らぬ狸の皮算用だと」
「彼女は無限の選択肢を持つ存在ですからねぇ、並行して存在する事象や可能性には敏感なのですよ」
「つまり博士……君と、君の開発した人工知能は最初からこうなるとわかっていたのかな? 竜王級の力にことごとく私の計画が潰されるこの惨状を」
「もちろんですよ、ノイマンはさっきも言った通り無限の可能性……そして選択を得意とします。閉じられた猫箱の中身を外界に伝えるのもまた彼女の役目です」
「……君の言っていることを解釈すると、コミックフェスタ時ならまだこの計画が成功する可能性と失敗する可能性––––両方が同時に存在していたことになるが?」
「おっしゃる通り、未来とは閉じられた猫箱なのです。ノイマンは2つが同時に存在する可能性を提示したに過ぎません」
「ややこしい話だ、じゃあ要点だけ聞こう––––竜王級の能力を奪うのは現時点でまだ可能か?」
ドクトリオンは顎の贅肉を揺らし、首を静かに横へ振った。
「既に猫箱は開かれましたよスカッド様、”成功“という名の猫はもう死んでおります。今や二度と生き返りません」
「っとなるとやはり……、最終作戦の内容を少々変更せねばならんな」
残念そうに振り返ったスカッドは、不気味に微笑んだ。
「では今日をもって目的を変更、最終作戦後に––––竜王級アルス・イージスフォードは天の名において存在を決して許されない。これは不確定な猫箱ではなく確定された事項だ」
「本当によろしいので?」
「構想あっての目的、目的あっての理由だ。【移動要塞ネロスフィアⅡ】を起動準備! さぁ……もう一度世界をリセットするぞ」
神殿に純白の羽根が舞い散った。
やがて密度を増したそれらは、2人の姿を完全に隠すまでに広がった。




