第153話・アリサVSベアトリクス
全てはわかっていたことだった。
アリサ・イリインスキーは、その天才的な格闘センスを国に見込まれ今に至る。
どんな武器で武装した諜報員だろうが、どんな魔法を使う魔導士だろうが。
持ち前の戦闘センスと『マジックブレイカー』で、反乱因子を消してきた。
彼女はキールの汚れ仕事筆頭となり、あらゆる戦闘を行えるよう訓練されてきたのだ。
「ぐはっ……!?」
自身の反射神経をゆうに上回る速度で蹴り飛ばされたアリサは、石畳を勢いよく転がった。
既にボロボロの体には、青痣がいたるところへ付いている。
「キールにいた頃よりはずいぶん強くなったのねぇ、元師匠として嬉しく思うわ」
アリサに戦闘術を教えた張本人、ベアトリクス政治少佐は楽しげに歩を進めた。
ただでさえ動きにくい将校服を着ながら、雨で濡らしているのにその影響を微塵も感じさせることはない。
全身には、ウネウネと不気味に動く真っ黒なオーラが漂っていた。
「だけど同時に失望したわよアリサ……、あなたは結局か弱い魔法使い相手にしか勝てない女の子だったのね」
息も絶え絶えに立ち上がったアリサは、すぐ目の前にあったベアトリクスの胸を前に固まる。
「ッ!!」
まただ……さっきから、一瞬も気を抜いていないのに肉薄され続けていた。
全速を出した車のような勢いで振られた蹴りを、なんとかガードするも。
「んぐあッア!!」
黒の衝撃波を伴った一撃に、アリサのガードは簡単に崩される。
よろけた隙を、容赦ない拳の連打が襲った。
「あうっ!」
胸ぐらを掴まれた彼女は、軽々と放り投げられた。
積み上げられた木箱がバラバラに砕け、アリサは苦痛の表情で倒れたまま喘ぐ。
「あらあら、髪が元の色に戻りかけてるわよ? もしかしてもう限界かしら?」
「ッ……!! 勝手に判断……すんなっ、そんな魔法すぐにっ!」
立ち上がったアリサを中心に、再び紫色の光が輝いた。
「かき消してやるッ!!」
同時に、ベアトリクスの纏うオーラも無効化されて消え去る。
だが、政治将校は全く動揺の色を見せない。
「あなたの『マジックブレイカー』は確かに強力よ……、しかしそれは大きなメリットと、絶望的な弱点をもたらす」
「そんなの……っ、知るかァアア!!」
冷静さを完全に欠いてしまっているアリサが殴りかかろうと地を蹴るも、ベアトリクスは一歩も動かなかった。
冷徹な笑みが、向かってくる拳を見て微笑む。
「攻撃魔法は無力化できても……“運動エネルギー”は一切消し去れない」
拳はベアトリクスに当たる寸前で届かなかった。
アリサは、自身の左肩をえぐった何かを視認するのに数秒を要する。
「そん……なっ」
血の溢れ出した左肩を押さえながら、ギリギリ紫色に輝く瞳でベアトリクスの後ろを睨みつけた。
「いやはや、さすがベアトリクス少佐……まさか本当にこの小娘を見つけていらしたとは」
「クラークッ……!!」
右手に9ミリ拳銃を持ったクラーク捜査官が、余裕と優越感に満ちた顔で凝視してくる。
わたしを撃ったのは、十中八九ヤツだ。
「あらあらクラーク捜査官、王政府から追跡中止命令が出たんじゃないの?」
「問題ありません、通信機の故障で情報伝達が遅れたとでも言えば……どうとでもなる。動くなよアリサ・イリインスキー」
平常時の彼女なら、おそらく9ミリ拳銃程度避けられる。
しかしこの満身創痍な状態では、それも厳しいだろう。
それでも––––
「動くなって言われて……動かないバカはいないよっ!!」
「ッ!!?」
アリサの速度は凄まじかった。
すぐさま射線を外れ、ベアトリクスに蹴りを放ったのだ。
元師匠は、悠然とそれをガードして反撃。
しばらく純然な格闘戦が続いたが、クラークも見ているだけではない。
楽しげに銃口を向けた。
「ガラ空きなんだよッ!」
数回の発砲の内、1発がアリサの脇腹をえぐった。
「ぐあっ……! ウゥッ!」
繋がっていた動きが止まってしまう、同時に『マジックブレイカー』が僅かに弱まった。
それを見逃すようなベアトリクスではない。
「あと数分もすれば同志セヴァストポリが脱出できる、アリサ……あなたの道はここで止まる。最初からそう決まっていたのよ」
ソッとアリサの腹部に、両手が添えられた。
絶対に食らってはいけないと脳が警鐘を鳴らすも、全て遅かった。
「『ガルフ・インパクト』!!」
ベアトリクスの両手から撃ち出されたのは、漆黒の衝撃波だった。
「かっはッ…………ッ!!!?」
装甲板に大穴を穿つほどの一撃が、砲弾のように吹き飛ばしたアリサを噴水オブジェへ思い切り叩きつけた。
爆弾が炸裂したように水飛沫が飛び散り、石造りの噴水が原型も留めないほどに崩れ去る。
「んぁ……っ、けほ……」
散らばった瓦礫の中心で、水浸しのアリサは仰向けに倒れていた。
紫色の光を放っていた髪が、フッと通常時の銀髪へ戻る。
とうとう『マジックブレイカー』すら解けてしまった。
変身の解除によって、もはや彼女にあらがう力は一切残されていない。
「フッフッフ、しぶといわね。スキルで威力を軽減して即死だけは免れたのかしら……。クラーク」
「はいっ」
「その銃でトドメを刺しなさい、確実に殺すのよ」
「フッフ。了解しました」
「むぐっ!」
半分気絶したアリサの口へ、ハンドガンの銃口が無理矢理突っ込まれた。
……ここまでか。
せっかくアルスくんが助けようとしてくれたのに、わたしは運命を変えられなかった。
もう数秒でわたしはこの世から消える……、いなくなる。
みんなともう会えなくなる。
凄くすごく嫌だけど……仕方がない、いかなアルスくんだろうともうこの状況をひっくり返せる手段は––––
「うおっ!!?」
涙を流し、無いと思いかけた瞬間だった。
「なんだ……あの光の柱は……っ!!」
雨雲を貫いてそびえていたのは、超巨大な“蒼い光”だった。
まさに心臓が止まりそうなほどの魔力波が来たのは、その直後だった。
引き金をひきかけたクラークが吹っ飛ぶ。
彼は––––竜王級アルス・イージスフォードは、決して家族を見捨てるヘマはしない。




