第116話・大英雄は無力を嘆く
––––王都。
アルスが現在住み込んでいる喫茶店、ナイトテーブル。
普段であれば数人の客が時間を潰す憩いの場となっている店だが、閉店時間を過ぎた店の入り口には”クローズ“の木札がぶら下がっていた。
扉の奥––––カウンターでタブレットを片手に立ち尽くすのは、店のマスター。
大英雄グラン・ポーツマスだ。
「まさか……こんな事態になるとはッ」
タブレットには、現在のファンタジアを映したライブが流れている。
空に浮かぶ極大の幾何学模様と、パニック状態の市民によってそれが異常であると伝わった。
『市外へつながる全ての線路と主要交通路が、何者かの爆破により現在通行不能となっております』
『現在、応援出動していたミリシア陸軍が市民をファンタジアコロシアムに避難誘導中。また王政府は、駐留アルト・ストラトス王国海兵隊へ支援を要請したとの情報が––––』
『ご覧くださいっ……! 空が、まるで巨大な悪魔に喰われてしまったようです。また、市内では爆発が相次いでいます! これを見ている方はどうかコロシアムへ!』
暖色の明かりに包まれた店内には、グランの他にもう一人……客ではない人間がいた。
亜麻色の髪を下げた、王国ギルド・ランキング1位の少女。
「こりゃまた……、すごい騒ぎね」
コーヒーカップを口につけたグランの妹、カレン・ポーツマスは特に思う様子もなく呟いた。
「カレン、きみならこういう状況のとき……どう動く?」
「どうって、その時の立場がわかんなきゃ仮定のしようもないんだけど」
相変わらず反抗期真っ盛りの口調だが、トゲトゲしいながらも兄の質問に答える。
「もし今のアルス兄さんみたいに巻き込まれた身なら、首謀者のクソ野郎を燃やしにいく」
「……だろうね」
「当然でしょ、ふざけた幻想主義者は炭も残さず燃やし尽くすだけ」
カップを離した手から、蒼焔が吹き上がる。
「まっ、やっとこさ怪我が治ったとはいえ……病み上がりじゃ無理なんてできない。今飛翔魔法使って向かったところで、悪いけど役になんか立てないわ」
自分の考えを見透かされたような答えに、グランは表情を曇らせた。
「……僕は、こういうときどうすれば良いんだろうね」
「妹の前で急に女々しくなるのやめてくんない? お兄ちゃんのそういうところマジ嫌い」
相変わらず言葉が痛いも、事実だった。
ラインメタル大佐なら動じることもないんだろうが、心配性の自分にはそんなの無理だ。
ファンタジアに向かったアルスが、ミライが、生徒会が……心配で仕方ない。
「馬鹿げた出力の大規模魔法がまだ映ってない……多分、アルスくんは魔力切れで今戦えないんだろう。理由は不明だが」
「でしょうね、万全のアルス兄さんならもうケリつけてる。直前に誰かと戦いでもしたのかしらね」
やはり、事態は極めて深刻だ。
床に置いてあったバッグを持ったグランは、扉へ向かおうとしたところでカレンに制止される。
「行ってどうすんの? ファンタジアまでの距離知ってんでしょ、間に合うわけないじゃん」
「それでも……僕にはみんなを守る義務がある」
「ほんとバカ。保護者としてか上司としてか、はたまた“王女様”の指示かは知らないけど––––グラン兄に今できること、全くないよ」
「ッ……!」
かつて大英雄として凱旋した自分が、こんなにも無力だとは……。
悔しさに歯噛みするグランへ、「けどね」とカレンは付け加えた。
「わたしの体験から言わせてもらうと––––できることは確かにない、けど心配する必要もないわ」
「……どういうことだい?」
「なんたってあの王立魔王学園 生徒会のフルメンバーが行ってんのよ。アルス兄さんとミライ姉、それにユリア姉さんもいる……任せて大丈夫でしょ。わたしお風呂〜」
そう言って、サッサと浴室に向かうカレン。
荷物を机に下ろしたグランは、フゥッと息を吐いた。
「そうだね……その通りだ、いま僕に必要なのは心配じゃない。––––彼と彼女らを信頼すること、だ」




