2-21 人形少女の抱いた感情 Ⅱ
法衣貴族という名ばかりの貴族家であるリファール家。
リファール家の当主であるマルコと妻のイザベラは子に恵まれず、けれど法衣貴族という事もあって跡継ぎを取る必要のない、比較的自由な身の上である。
マルコは妻に子ができずとも、もともと政略結婚ではなく恋愛結婚に至った相手なのだから、特に気にするつもりはなかった。夜会に参加する事もなければ、過剰に醜聞を警戒するような立場でもない。所詮は法衣貴族なのだから、と。
それでも、法衣貴族である以上、やはりその名は知られている。
きっかけは妻であるイザベラが個人的に孤児院の訪問を続けていた事であった。
子に恵まれず、まるで自分の子を愛するように孤児へと向けられた愛情は深く、当然ながらマルコもまた妻の気持ちを汲んで、孤児院には多くの寄付を続けていた。
そんな二人だからと孤児院の院長に紹介された少女が、アメリアであった。
美しい桜色の髪にくりっとした瞳は孤児とは思えない程に愛らしく、イザベラとマルコの二人はそんなアメリアを養子にしないかと誘われ、一も二もなく頷いた。
それはイザベラの赤髪とマルコの色素の薄い金髪のちょうど間の色合いにも見えて、まるで自分達の子供が現れてくれたような、そんな錯覚に陥ったのだ。
そうして引き取られたアメリアであったが、マルコとイザベラはある意味において、子育てに失敗してしまった。
それなりに歳を重ねていた事もあってか、アメリアに正しい教育を施さず、蝶よ花よと愛でるように育ててしまったのだ。
本来、貴族家では使用人や家宰が厳選した家庭教師が子の指導に当たる事が多い。
これは貴族として人を使う事、親子の情に絆されない事を含め、特別階級に生きている事に対する誇りと自尊心、そして同時に貴族としての自覚を与える上で、第三者である家庭教師という存在は実に有用であるからだ。
しかし、法衣貴族であるマルコとイザベラはそれらを理解していなかったのだ。
嫌だと泣けば叱らずに慰め、欲しいものはなるべく買い与える。優しい親と言えば聞こえは良いが、曲りなりにも法衣貴族である以上、本来は決してやってはならない教育方法であったと言える。
そうしてアメリアは、アヴァロニア王立学園へと入学した。
結果としてアメリアを待ち受けていたものは、“周囲から浮いた存在”という酷評であった。
アヴァロニア王立学園は平民にも門戸は開かれているが、相応の学力を修め、努力し、将来の為に、または夢の為にやってくる生徒が多く、当然ながら甘えて育ってきたアメリアのような生徒は、まるで絵に描いたような頭の悪い貴族令嬢のそれにしか見えなかった。
そして貴族家出身の者から見たアメリアは、己の立場を理解しようともせず、まるで努力もしないのにやってきた平民、というものだ。当然ながら迎合されるはずもなく、アメリアは孤立する事となった。
しかしながら、そうした性格と孤立によって築かれたアメリアの立場は、ジェラルドにとって、ある意味では都合が良かった。
腹違いの現王と赤竜騎士団の団長。
そんな兄に比べられるように生きてきたジェラルドは、少年らしくヘソを曲げるではなく、器用にも取り繕う事ばかりを優先し、成長してきた少年だ。
悪く言えば苦手は見当たらず、悪く言えば可もなく不可もなし。そういった評価を与えられる事で、腹違いの兄らに比べられずに済んできたというのがジェラルドである。
そんなジェラルドでも、やはり劣等感は拭いきれなかった。
だからこそ、明らかに自分よりも劣るアメリアという存在を見て、ジェラルドはアメリアを守る事で自分を誤魔化すようになったのだ。周囲からも、そうした苦しい環境にいるアメリアを庇う姿は王族として素晴らしい振る舞いにも見え、そんな賞賛を受ける事で、己の内に抱いている劣等感を打ち消し続けてきたのだ。
そうしていく内に、二人は恋に恋するようになった、と言うべきだろう。
アメリアは「自分を守ってくれる王子様」というジェラルドに惹かれ、逆にジェラルドは「自分が守るべき対象」として。
故にエレオノーラは、ただ二人とその周囲を操作する事にした。
そうして生み出された、一人の少女を守る王子様とその周囲の仲間達という構図は、エレオノーラが予想していた以上に簡単に出来上がったと言える。
――――しかし、それだけではまだ足りない。
ルナという少女が暴いた現実によって結束は揺らぎ、動く必要があると感じているのもまた事実であった。
そうしてエレオノーラは、一人の少年に目をつけた。
◆
「――まずい、まずいぞ……」
セリグマン侯爵家の嫡男であるシリルは、爪を噛みつつ焦燥に駆られるといった普段の冷静――“な風を装っている”姿からは程遠いとひと目で分かる程度には、焦りを露わにしていた。
――自分達は取り返しのつかない事をしているのではないか。
そう気付かせるに至った、無表情で黒髪の少女の言葉は、まるで己の心にかかっていた靄のようなものを消し去るかのようであった。
父であるローレンスは有能な男だ。
それはシリル自身、誰よりも理解していた事であり、国の宰相という立場を盤石なものにしている点を見れば、今更ながらに無能か有能かなど、誰に問わずとも理解できる。
――――なのに、だ。
シリルはそんな父さえも、学園の中の事には手が出ないだろうと心のどこかで高を括っていた。
しかしそれが甘い見積もりであったのだと、シリルは理解した。
つい今しがた、エリザベ―トやルナら生徒ら一行と共に父であるローレンスが歩く姿を見かけ、その甘い見通しは所詮自分へと言い聞かせている戯言に過ぎないと、そう突き付けられたような気がしてならなかった。
どうにか手を打たなくてはならない。
――アメリアから手を引き、距離を保つか?
しかしそれはシリルにとっても心と身体の両方を引き裂かれるようなものだと、即座に否定した。
アメリアはどこか幼稚であるが、それ故に天真爛漫さを持ち合わせた少女だ。
幼い頃から宰相である父を尊敬し、厳しく躾けられてきたシリルが持っていないものを持つ、稀有な少女だ。
シリルにはアメリアを手放すという選択肢を選び取る事はできなかった。
――エリザベート嬢に頭を下げ、自分の婚約者も説得する?
次点で思い浮かんだ案はそう悪いものではないと言えたが、しかしお世辞にも上手い手であるとは言えなかった。これではただ後手に回った自分が躍起になって点数稼ぎに頭を下げ、許しを乞うようではないか、と。
実際そのままではあるのだが、自尊心という表現を通り越えて行き過ぎたプライドを抱いているシリルに、“自ら行いを悔いて頭を下げる”という選択は屈辱に過ぎる。
ハッキリ言ってしまえば、既に手遅れだろう。
たとえばシリルが考える通り、“今”がローレンスによって己の行動やジェラルドの勝手を知った瞬間であったのだとしても、素直に過ちを認め、状況の改善に努めていくと宣言していたのなら。あるいはローレンスもシリルに失望はしたものの結果如何では処分を免れる事もできた。
しかし、ローレンスはすでにシリルやジェラルド、加えてジャックらまでもが一人の少女に懸想し、あまつさえ婚約者を蔑ろにし、公爵家令嬢と対立しているという情報を掴んでいるのだ。
いまさら表面を取り繕うような行動をしたとしても、シリルは無傷でいられるはずもない、というのが現実だ。
そんな現実に、普段のシリルであれば十分に気がつく事もできた。
しかし、シリルの様子はどう見ても正気を失った様相を呈しており、今にも発狂して叫びだしかねないような、そんな有様でさえあった。
「――あら、シリル様ではありませんか」
「……ッ、これはエレオノーラ嬢。このような所で奇遇だな」
「こちらを通った方が“政務科”の授業を受けるには近道だと伺いましたの。シリル様はここで何を?」
「な、なんでもない。気にするな」
「そう、ですか」
どうにか残った平常心で、シリルはエレオノーラに縋るような真似はせずに済んだ。
エレオノーラの人気は高く、下手な事を口にすれば弱みとなりかねない。今をどうにか切り抜けたとしても、それが将来に負債となって返ってくることはシリルにも判断できた。
そうしたシリルの判断と思考を知ってか知らずか、エレオノーラは「そういえば」と端を発した。
「――先程、宰相閣下とエリザベート嬢らがご一緒されておりましたわね」
「……キミも見たのか」
「えぇ……。困った事になりましたわね」
どこか不安そうに頬に手を当て、消え入りそうな程に小さく呟くエレオノーラの一言は、人のいない一角で静寂に包まれていた事もあり、十分にシリルにも聞こえていた。
「困った事、とは?」
「あら、独り言のつもりが申し訳ありませんわ……。いえ、殿下や皆様はともかく、シリル様のアメリアに対する行いが露見されてしまう可能性を考えると、あまりよろしくない事態ではないかと……」
「何故、私以外ならばともかく、という話になる」
「……正直に申し上げても? いえ、でもこれは私如きの考えですし、不敬に当たるのではないかと……」
「いいから言ってみてくれ」
さすがにそうまで言われて、焦燥に駆られているシリルが聞かずに聞き流す事に徹する事ができる程、正常な判断というものが下せる状況にはいなかった。
そうまで言われて、俯いたままのエレオノーラは――ひっそりと口角をあげていた。
次の瞬間に顔をあげてみせると同時に鳴りを潜めた表情は一転、不安に揺れている少女のそれであった。
「……おそれながら、殿下や他の皆様は、お世辞にも優秀とは言えませんわ」
「何を言って……」
「国王陛下と赤竜騎士団の団長であらせられる兄君を持つ殿下は、突出した才能に恵まれた訳ではありませんわ。これが他国であれば穏やかな王として慕われる未来もあったのかもしれませんが、ここアヴァロニアは魔物との戦に耐え続ける強者の国です。不敬を承知で言わせていただくのであれば……殿下では王の器には足り得ません」
「それは……」
シリルとて、その事実には気が付いていた。
ジェラルドは決して不出来ではなく、文武両道で好成績を修めている秀才である。しかしながらエレオノーラが口にした通り、アヴァロニアという戦の続く国において、秀才では王の器としては物足りないのもまた事実である。シリル自身もジェラルドについてはそんな風に評価している。
「ジャック様とて、青竜騎士団長のご子息ではありますが、青竜騎士団の評判は、先のフィンガル侵攻によって赤竜騎士団がいなかった結果、魔物を十分に間引く事さえできなかったと民にも知られておりますから、負い目を抱えていますわ」
「確かにそうだ。だが、それが私とどう関係があると?」
「シリル様の優秀さは私の耳にも届いていましたもの。そんなシリル様の御名にまで傷がついてしまっては、未来のアヴァロニアにどれだけの影響を齎してしまうものかと考えますと……“たかがこの程度の騒動”のせいで、あまりにも損失が大きすぎるのではないか、と」
耳心地の良い言葉が耳朶を打つ。
まるで「あなたがこのような目に遭っているのは“不当”だ」と告げるようなエレオノーラの一言は、シリルの焦がれ、ささくれ立った心に沁み入るように響いた。
呆然とエレオノーラの目を見つめていたシリルが、その瞬間につい先日の言葉を――「天罰」という言葉を呟いたエレオノーラの姿が鮮明に蘇り、はっと我に返ったように息を呑んで頭を振った。
そんなシリルの姿を見届けて、エレオノーラは満足しつつも気取られぬよう、楚々とした仕草で深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、シリル様。言葉が過ぎましたわ」
「……いや、構わない」
「そう仰っていただけると幸いです。では、次の授業がありますので――ご機嫌よう」
エレオノーラは確信する。
――シリルはこれで動くに足るであろう、と。




