2-12 王の決断
「――ルナからの報告書だ」
王の執務室へとやって来るなり、半ば苛立った様子で報告が纏められた紙束を手渡してくる弟――アランの態度。
まさか弟がそのような態度を向けてくるとは思ってもおらず、きょとんとした様子で報告書を受け取ったジークは、何やら面白いものを見たとでも言いたげに笑みを浮かべた。
「珍しいじゃないか、アランがそんなに不貞腐れるなんて――っと、そう睨まないでくれよ」
ギロリと睨まれ口を噤む事になったジークが降参だと肩をすくめてみせる。
しかしアランとしては、自分が何故こうも苛立っているのかも分かっていてそうした態度を取るジークに対し、態度を緩めようとはしなかった。
「ルナを政治的に利用する真似はしない。そう約束していたはずだ」
「政治的とは心外だな。私はただ、ファーランド公爵令嬢の友達になってくれと頼んだだけだとも」
「……そんな言い訳が通用するとでも?」
「悪かったよ、軽い冗談だ」
今度こそ観念した様子で告げてから、ジークはようやくアランから受け取った報告書へと目を通した。
「――……やはり、と言うべきかな。アラン、キミも目を通してみるといい」
報告書の内容は、現在のエリザベートが置かれている状況についてと、その周辺で起こっている問題の詳細であった。
未だ明確ではないが、何者かによって騒動を誘導されている可能性と、アメリア自身がそうした存在と繋がっている可能性を示唆しつつ、ルナが感じていたとある違和感についても記載されている。
己の手元に再び戻ってくる形となった報告書に一通り目を通した後で、アランはようやく執務机の向かい側に置かれている椅子へと腰を下ろした。
腹違いの義弟であるジェラルドの事は、当然アランも知っている。
しかしジェラルドはここまで短絡的な性格はしていなかったはずだ、というのがアランの正直な感想であった。
今回の騒動――要するに婚約破棄という話が出始めた頃は、幾分か気の弱い節もあったが、それでも聡明で賢かったはずの義弟。そんな義弟が、ずいぶんと一人の女性に入れ込んだ事で変わってしまったものだ、という感想は抱いてはいた。
しかしこれは――と考えを纏めていたところで、アランに代わってジークが端を発した。
「――完全に誘導されているな」
「……やはり、そうなのか」
「それ以外には考えられないだろう? 父上亡き後、私やお前、そして伯父上に取り入る隙を与えないように必死だった。ジェラルドが政治的な力を得る前に立場を盤石のものとし、せめてジェラルドぐらいには負の遺産に触れないようにと考えていたが……遅かったか」
ジークとアランにとってみれば、先王は愚王であった。
表立って王家の威信を失墜させた訳ではない。
しかし、寛容に過ぎれば有象無象が蠢き出すのは長い歴史が証明してきたにもかかわらず、先王は取り締まりを強化する事もなく、ただただ日和見主義にも似た態度で晩年を過ごしてきた。
父として見れば、息子がいらぬ政敵を抱かせない為に穏便に済ませてきたと言えば、ある意味では立派なのかもしれない。
だが、結果としてフィンガルと癒着し、甘い蜜を啜って生きてきた者達が台頭してしまったのだから、ジークは即位後から厳しく取り締まるよう心がける事となった。
時が経っても甘い蜜を啜って生きてきた者達は矯正される方が珍しい。
己の所業を省みるのではなく、ただただ自分を不幸にさせた相手――つまりは現在の王であるジークに恨み辛みを向け、現実を直視できぬ輩が増えている、というのが現状でさえある。
「王家の威信を失墜させる為だけに、ジェラルドを貶めようとしている者がいる、と?」
「十中八九、それが狙いだろう」
「なんだそれは、馬鹿げている」
「馬鹿が馬鹿げた行動をするのは至極当然じゃないか? 私に手を出すのは難しく、伯父上は基本的に外交で国を留守にしがち。お前は赤竜騎士団の団長にして英雄であり、それぞれに手が回らない。そうなれば、最も簡単に手を出せるのは、必然的にジェラルドと義妹達だ。中でも学園という大人の手が出にくい環境であり、本人に瑕疵のある色恋沙汰となれば、ジェラルドは私達に助けを求める事もできずに孤立する」
「……つまり、黒幕は……」
「そうだ。ルナ嬢を付け狙っていた反王室派、とでも言うべき連中だろう。件のアメリア嬢が協力者なのか、それとも脅されて協力しているのかは判らんが」
ならばジェラルドを助けてやればいい、とはアランも口にはしなかった。
そもそもジェラルドが王家の一員であり、王位継承権第三位という立ち位置にいる以上、たかが色仕掛け程度に揺らぐなど自覚がないにも程があるのだから。
ジークもまたそうした考えだからこそ、ジェラルドを切り捨てる方向に決断したのであろう事は、アランにも理解できた。
「ルナ嬢に今回の件を依頼したのは、そちらの可能性もあったからこそだ。欲をかいてルナ嬢を狙うのであれば、おそらく相手は動き方をジェラルドのみに絞ろうとはしないだろう」
「ルナを囮にするつもりか……!?」
「落ち着け。今回の一件で腐敗貴族を一掃するには、動いている者達を一網打尽にする必要がある。その理由はお前が一番よく分かっているはずだ」
「――ッ、まさか……?」
ジークが一枚の報告書を机の棚から取り出す。
そこには赤竜騎士団から報告されている『魔物の出現率増加に伴う、暴走の可能性』と書かれていた。
「数年に一度の大仕事を前に、膿を排出しておきたい。フィンガル侵攻のせいで発覚が遅れてしまった以上、今から間引いても焼け石に水だ。ならば、万全の状態を整える必要がある。これは宰相ローレンスと私の判断だ」
それこそが、ジークがアランにこうして問い詰められる事を覚悟してでもルナを巻き込み、早急に今回の問題を片付けたかった理由だった。
アヴァロニア国内の魔物は際限なく生み出され、その数は赤竜騎士団が間引いていてなお数が足りていないのが実状である。それが今回のフィンガル侵攻によって、魔物は増加の一途を辿っている。
青竜騎士団をフィンガル侵攻に利用する事も可能ではあったが、青竜騎士団は実戦経験が乏しい。加えて、対魔物の戦闘となると赤竜騎士団に比べてしまうと数段劣るのが現実だった。
故に赤竜騎士団でフィンガルに速攻を仕掛け、手早く陥落させはしたものの、その間に魔物を間引く青竜騎士団は怪我人を出し、さらに効率も悪かった。
時期的にもそろそろ暴走現象が起きるだろう事は予測できていたが、国内の腐敗貴族を早急に片付けなければ、騒動に乗じて暗躍しようと考える者がいてもおかしくはなかった。
ここにきて多くの問題を一つずつ確実に、かつ迅速に片付ける必要がある以上、ルナというジークやローレンスにとっても使い勝手の良い存在がいるのであれば、それを投じる事を厭う訳にもいかなかった、というのがジークの本音だ。
さすがにそこまで聞かされて、アランも納得せざるを得なかった。
腰掛けた椅子の背もたれに身体を預け、気持ちを落ち着かせるように深くため息を吐いてから、アランは頷いた。
「理由は分かった。ルナに対しても、万が一が起こらないように配慮はしているのだろう?」
「それぐらいはしているさ。ローレンスの“影”が彼女と行動しているよ」
「……宰相の“影”?」
「知っているだろう? 我が国の諜報部隊と言えばチェスターだが、あそこは少し特殊な仕事が多い。それに情報の良し悪しの基準が国の有事を避ける為に築かれたチェスターらと宰相なんて立場とでは、欲する情報の種類が違うのだ。そんな訳で、ローレンスは使い勝手の良い存在を個人的に飼っているという訳だ。個人的に情報が欲しかったとは言うが、実際のところは諜報部隊とお互いに監視し合っている、もう一つの諜報部隊だ」
諜報部隊とは情報が集う場所だ。
当然ながら、その頭目であるアリサの兄であるチェスターが国を裏切れば、必要な情報が遮断されかねないという危険を孕んでいる。
故にローレンスはもう一つの諜報部隊を密かに育て上げ、情報の整合性を確認したり、あるいはチェスターらが手に入れたとは言え、利用価値の低い――それでいて鮮度の高い情報というものを手に入れるよう、手を回しているのである。
「本当に存在していたのか。てっきり眉唾ものだと思っていた」
「表には出てこないからな、アレらは。私とて直接依頼した事も関わった事もないさ」
「なるほど。……まぁ、ルナに危害が加えられないのであれば、それでいいさ」
話は終わりだとでも言わんばかりに立ち上がり、執務室を去っていくアラン。
そんな弟の背を見つめていたジークは、ため息を零しつつ顔を顰めて椅子の背もたれに身体を預け、瞑目した。
「……ここで断ち切るしかなかろうな。たとえそれが大きな問題となろうと、背に敵を抱えていては、守れるものも守れなくなってしまうのだから」
粛清する、という選択。
かつて王位を継いでから自分が選んできた道は、後の歴史家ならば“粛清王”とでも名付けるのだろうと自嘲しつつも、ジークはひっそりと決心を固めた。
「負の遺産に振り回されるのは、今回で最後だ」
誰に告げるでもなく、ただ己に誓いを立てるように呟かれた言葉には、聞く者がいれば思わず身体を強張らせる程度には鬼気迫るものが込められていた。




