幕間 黒歴史
――これはひどい。
ロレンツォ、マルグレットの二人は目の前に広がる惨状を見つめ、遠い所を見るような目をしながら心の中で呟いた。
「はぁ~い、アンタ達がウチの妹からの紹介できた子ね?」
目の前に広がる惨状を作り出した張本人がしなを作って語りかけながら近づいてくる。
肩まで伸ばした濃い紫の髪に、切れ長の青い瞳。パーツだけを見ればその顔は整っている。
線も細く、髪の長さも相まって女性らしくも見える。
しかし一方で、胸元が空いた服を着ているが故に、鍛えられた胸筋によって生み出された陰影と、ぴっちりとした服装。覗いた腕もしっかりと鍛えられており、どう見ても肉体は男である。
なのに、仕草や服装が女性的であり、口調に至ってはいかにも女性といったものなのだから、二人が遠い目をしたのも無理はなかった。
そんな謎の人物――もとい、〈影狼〉の長でもあるチェスターの周囲には、ボロボロになって倒れる者達がいた。
戦闘訓練としてチェスターと手合わせしている部下がいるとは聞いていたが、ボロボロになって打ち捨てられたかのように倒れる者達は十を超えており、対するチェスターはまるで今着替えてきましたとでも言わんばかりに、髪も整っており、汗一つかいていなかった。
訓練内容が変わったのだろうと当たりをつけた二人とは対照的に、その少し後ろをついてきていたネロの表情は硬かった。
もっとも、そんなネロにはロレンツォもマルグレットも気付く事はなかったが。
「んっんー、なるほどなるほど? アンタはイイ身体しているみたいだし、そっちの子はクールなのにキュートなのねん? フフフ、アタシの可愛いアリサったら、良さそうな子を送ってくれて助かっちゃうわん」
――うわぁ……。
そんな心から漏れ出した声が重なりそうになるも、ロレンツォとマルグレットの二人はどうにか言葉を呑み込んだ。
裏ギルドにいた者が、今こうして生きていられるのは他ならぬルナのおかげであると、二人はこの場に自分を連れてきたアリサから聞かされていた。その代償に、この赤竜騎士団の諜報部隊〈影狼〉にて活動する事を約束した。
今まで騙していたネロが自分達の鈴の役割を果たしつつ、先輩として仕事を教えるという形で、二人の〈影狼〉見習い入りは認められた。
自分達の実力が買われたのだと、心のどこかで誇らしくすらあった二人。
しかし――――
「――アンタ達、甘ちゃんなのねん」
――――刹那、ロレンツォは己の心臓が鋭利な刃で貫かれ、マルグレット空いた片手で首をへし折られるという幻覚に襲われた。
ぶわりと背から流れる汗、乱れる呼吸、開ききった瞳孔は今の一瞬がただの殺気によって与えられた幻覚であると気が付き、膝をついて呼吸を整えた。
――殺された。
現実であれば、本当に一瞬の間に自分達が殺されていたであろう事実を叩きつけられていた。先程までの誇らしさなどなく、ただただ今の二人は自分が生きている事に安堵するのが精一杯であった。
そんな二人に、チェスターは続けた。
「アタシがアンタ達を処分すると、考えなかったのかしら? 敬愛し守るべき王族に牙を剥いた薄汚いドブネズミを許し、受け入れてくれると心から信じていたの? それとも、自分達の実力ならどうにかなると? アタシ程度の相手なら、距離を詰められても対処できる、とでも?」
それらは二人の心にぐさりと突き刺さる言葉の数々であった。
――甘えていたのだ。
幸いにも拾えた命がある事を当たり前のように受け入れ、裏の世界から表の世界へと引き上げられた事に。心のどこかでは鬱屈したまま過ぎていた日々に、ようやく光明が差したような、そんな気がして。
――油断していたのだ。
目の前の男が〈影狼〉の長であるとは聞いていたが、あまりにも奇抜過ぎる格好や言動に。いざとなれば、どうにでも対処できるだろうと、心のどこかでそう思っていなかったと言えば嘘になる。
――だから、アンタ達は甘ちゃんなのよ、と。
付け加えられた言葉は心臓に突き刺さり、二人はぐうの音も出ずにただただ俯くだけであった。
「最初にハッキリ言っておくわねん? アンタ達、〈影狼〉の基準からしたらまだまだ未熟も未熟よ。素人に毛が生えた程度の力と技を持って、素人相手に実力が通用してきたからって有頂天になって勘違いしてきた成れの果てだわ。〈影狼〉の予備軍である子供達にすら、アンタ達程度じゃ殺されるわん。――でも、そんなアンタ達でもやり方次第じゃ化ける事もできるわよん?」
にっこりと笑ってみせるチェスターに、救いを見たかのように二人が顔をあげた。
もっとも、そんな二人を後ろから見つめながらドン引きしているのはネロであったが、そんなネロのドン引きっぷりにも二人は気付けるはずもなかった。何せネロは二人から見えない位置で立っているのだから。
――あぁ、アイツらもこれで立派な飼い犬だな。
そんな事を考えて、ネロは目を片手で覆うようにして天を仰いだ。
二人が話している相手は、〈影狼〉の長であるチェスター。彼には異名があり、その呼び名を《千変万化》と言う。
それは彼自信が貴公子然とした男であったり、或いは色変を放った女であったり、そして時には父のように厳しく接し、また時には慈母のような優しい笑みを浮かべるからだと表向きには言われている。
そんなチェスターに見事に呑み込まれてしまった二人に「ご愁傷さま」と心の奥で呟くネロを放ったまま、チェスターは続けた。
「今の一瞬で、アンタ達は死んだのよん。これからは〈影狼〉――王の影にして牙を剥き、潜み、時には狩る者として生まれ変わる。アンタ達が望むのなら、アタシが十分に指導してあげるわん」
慈母を思わせるように手を伸ばして語りかけてくるチェスターを前に、二人は自然とその手を伸ばしていた。
それはまさに美しく感動的な――ネロ以外にとって――であり、救済される――ネロ以外が――ような光景であった。
立ち上がった二人を見て、チェスターはにこりと笑みを浮かべたまま満足げに頷いた。
「――さぁ、時間は有限よん。仔犬の間は守ってあげるから、いっぱい学びなさいな! ついていらっしゃい!」
「「――はいっ!」」
何処に向かって走るのかは分からないが、ネロは突然どこかへと走り出したチェスターと、そんなチェスターを追いかけて走り出した二人を見て、遠い目をした。
――《千変万化》の本当の意味を、アイツらは知らないんだよなぁ。
チェスターの千変万化とは、確かに彼の態度や仕草といったもの、容姿等をものの見事に操り、他者を騙す事が由来している。いや、していた、と言うべきか。
実際のところ、〈影狼〉の中ではその意味は少々異なった意味で浸透している。
――チェスター様に関わると、どんなヤツも飼い犬みたいに従順になる。
先程の洗礼とも言える死の幻視は、チェスターと出会った者が一度は受ける事となる、ちょっとした通過儀礼のようなものだ。
そうやって心をへし折って絶望させておきながら、さも受け入れ優しく導くかのように語りかけ、その心を一気に掌握する。
そうして、いかに腕に自信があろうが、性格がひん曲がっていようが、誰もがチェスターという絶対的な長の下では、庇護されている飼い犬のように態度を改めてしまう。
千変万化とは詰まるところ、チェスターの洗礼を受けた者が心を入れ替え、従順に従うようになってしまう事を指して使われている異名。
それが〈影狼〉にいる者らの共通認識であった。
いずれは酒の肴になる〈影狼〉の通過儀礼ではあるが、過去の自分も似たようなものだったなとネロも過去を思い出す。
彼はもともと自分に自信を持っていた、今にして思えばただの若者の根拠なき自信に増長していた類であったのだが、チェスターの通過儀礼により、飼い犬にされた経験があった。
曲がりなりにもかつては同僚だった二人が飼い犬と化した姿を見ると、まるで黒歴史を目の当たりにさせられているような気さえして、非常にむず痒い気分を味わう事となったネロであった。




