1-22 〈精霊の泉〉へ Ⅰ
ガタゴトと揺れる振動。
断続的な意識の向こう側で聞こえてくる誰かの声は、まるで水底から外界の声を聞いているようで、くわんくわんと奇妙な反響をしているため、何を言っているのかが分かりません。
眠気は覚めつつあるというのに、どこか意識が覚醒しきらない。
おそらくこれは薬のせいでしょう。
さて、クールさんが怪しい、的な発言を受けて数日が経っていましたが、特に私の行動パターンは変わっていませんでした。
今日も今日とて、いざお弁当を詰めたバスケットをオープンした瞬間、不意に鼻先を掠めるように香った甘ったるい匂い。お弁当にそのような香りのものは入れていませんでしたし、嗅ぎ慣れたものであったため、すぐに気が付きました。
王女様が癇癪を起こした際に眠らせる為に嗅がされた睡眠香――有り体に言ってしまえば、毒の一種、ですね。
本来なら一晩は威力があるものですが、私は残念ながら慣れてしまっていますので、こうして運ばれている最中に意識が覚醒したのでしょう。
さすがに匂いだけで消滅させるような器用な真似はできませんでしたので、抗う事などできず、見事私は眠りに落ちてしまっていたという訳です。
「――泉――ぐらい――か?」
「そうかから――王――近いから――」
女性と男性の声、だと思います。
まるでひび割れて拡散しているようでどうにも判然としない声は、聞いた事があるような、けれど聞き慣れないものです。
……ふむ。
目隠しもされているようですし、顔も見えませんね。
かと言ってこのままというのも気持ち悪いと言いますか……面倒ですので薬の効果と目隠し、それに手も縛られているようですので、手元のそれも【消滅】させましょう。
よいしょっと。
「な……ッ!」
「おや、優男さんにメガネ美人さんでしたか。やはりあなた方は手を組んでいたのですね」
馬車の中で座り直した私の目に映ったのは、私の護衛役である優男さんと、メガネ美人さんが目と口を大きく開けてこちらを見ている姿でした。
おはようございます、と改めて挨拶して軽く頭を下げると、御二人も私が自由に動ける事に気が付いたようです。
「チッ、どうやって……!」
「――【消滅】」
優男さんが引き抜いた短剣。
私に向かって突き出そうとしていたそれに向けて告げた命令に呼応して、短剣は霧のように風に流れ、消え去りました。
ついでですので、メガネ美人さんが引き抜こうとしていたらしい短剣も一緒に消し去りましょう。【消滅】っと。
「な、にが……」
「私の〈才〉です。大人しくしていないと、あなた達をこのまま消し去りますよ?」
「ひ……っ!?」
はい、嘘です。私の〈才〉は生きている存在には通用しませんし。
どうにも私が何をしたのかも分かっていないようなので、これは私の〈才〉を知らないのではと考え、ぱぱっと脅しをかけさせていただいただけです。
脅しの効果は抜群でした。
二人は顔を青褪めさせたまま私からジリジリと距離を取っていきました。
狭い馬車の中でそんなに離れようとされても、距離としてはたかが知れているのですが。
そんなに怖がらなくても、消せませんよー。教えませんけど。
「……一つ聞かせてもらいたい」
「私も聞かせてもらいたい事はありますが、お先にどうぞ」
「……先程、俺達がアンタを拉致した事に対して、察していたような言い回しをしていたな? 何故分かった?」
「むしろ、何故分からないと思ったのですか?」
「……は?」
「アラン様やイオ様、アリサ様が『本当にただの護衛を私につける』と思いますか?」
「どういう意味……?」
私の問いかけに怪訝な表情を浮かべたのは、メガネ美人さんでした。
「そもそも私を本当に守りたいのであれば、『最初から私を一時的に監禁するなりして掃除してしまえばいい』んですよ。それなのに私にわざわざ護衛をつける意味など、ないとは思いませんか?」
「それは……」
私が護衛を要らないと言った際にも反対はされましたが、それはあくまでも『私の行動を制限しないのであれば』という注釈がつく話に過ぎません。
本当に私をただ守るのであれば、籠の鳥のように囲ってしまうのが手っ取り早いのです。何せ私がいるのは王城ですし、不特定多数が私に接触できない環境を作る方が余程楽なのは明白です。
――だと言うのに、為政者側のお立場であるアラン様が、はたしてただの情で私におかしな自由を与える事など、あるのでしょうか?
要するに、私は撒き餌だった、という訳です。
それも私自身が理解している上で行動している、自発的な。
私はそれに気が付いていましたし、きっとアラン様も私が気が付いている事など、とっくに気が付いていた事でしょう。
レイル様と歩いていた際に偶然を装ったとされる方から、私の人相は知られていると考えるべきです。
ならば、必然的に私に近づける“便利な理由”を作ってしまった方が、獲物はかかりやすい、という訳ですね。
そこまで説明すると、優男さんは納得したように言葉を失ってしまい、逆にメガネ美人さんは愕然とした様子でした。
メガネ美人と言えば総じて頭が回るというイメージがあったのですが……事実は小説よりも残酷、という事ですね。
「ちょ、ちょっと待って……。あなたも、私達が怪しい事に気が付いていたっていうの? でもあなた、私がネロを疑うように言ってから、あなたは実際にネロと二人きりにならないように振る舞っていたじゃない!」
「そうですね。というより、そもそもクールさんは此方側の方だと、アリサ様からも改めて紹介されていましたので」
メガネ美人さんに忠告されたあの日の内に、私はアラン様にそんな話を聞かされた事を報告していますし。
結果として、〈影狼〉という諜報部隊の一人として赤竜騎士団に潜入していたクールさんについては、改めて味方であると教わっています。
つまり……そんなネロさんに容疑の目を向けるように仕向けていた時点で、私としてはとっくに疑いを確信に変えていた訳です。
そこからの数日、何かにつけて「ネロがおかしな行動をしている」的なニュアンスをひたすら続けて猜疑心を煽ろうとしていた姿は、正直失笑ものでした。
片腹痛いとはこういう事なのだろうと、私も一つ学ばせていただいた気分でしたね。
「ところで、今度はこちらが質問させていただいても?」
「……なんだ?」
さっきから優男さんなのに優男対応ではないので、そろそろ呼び名を改めた方が良いのでしょうか。
……ふむ、何も思いつきません。
続投で。
「あなた方が今向かっているのは〈精霊の泉〉。そこで私を精霊と契約させ、手中に収めようとしていた、という事で間違いありませんか?」
「……あぁ、そうだ。“精霊の愛し子”を意のままに操れさえすれば、クソッタレな赤竜騎士団にも仕返しができる。アイツらのせいで、俺ら裏の連中は壊滅状態だからな。貴族共はそんな事も考えずに、ただただ王弟サマに仕返ししたかったみたいだが、利害条件が一致していたのさ」
「あ、別にあなた方が何を理由に目的にしているかはどうでもいいです。大事なのは私が今〈精霊の泉〉に送っていただいている事ですので。とりあえず、せっかくですからこのまま〈精霊の泉〉までお願いしますね」
「「……は?」」
「いえ、ですからこのままお願いします、と。拒否したければそれはそれで構いませんが、その場合、あなた方は私によって跡形もなく消されますので」
優男さんとメガネ美人さんはどこか青褪めたままカクカクと頷いてくれました。
物分りがよろしいようで助かります。
様々な本を読み漁った結果、やはり“精霊の愛し子”を過剰に守りたがる精霊の存在は否定できませんでしたし、そうなると私としてはさっさと契約ないし交流を持って、しっかりと自制していただくように説得しなくてはならない訳です。
ですので、こうして〈精霊の泉〉に連れて行ってくださるという点については、特に否やはございません。
これについてはアラン様やフラム様にも相談してみましたが、「この一件が落ち着いたら」と釘を刺されてしまっていました。
一応“精霊の愛し子”として契約はしますが、それはあくまでも抑止力を得る為のもの、という理由がありますので、アラン様とフラム様も納得してくださいました。
フラム様はどうにか教会内でも味方を作っていらっしゃったようでして、「今なら動ける。ただし、色々片付くまで待つんだよ?」と更に釘を刺されましたが。
ですが、そんな悠長な事を言っている場合ではないような気もするのです。
というのも、そもそも私が狙われて、襲われて、何もできなくなった途端に暴走しようものなら目も当てれませんし。
という訳で、今回こうして〈精霊の泉〉に連れて行っていただけるというのは、非常に私にとってもおいしい訳です。
うん、仕方ありませんね。
利害が一致してしまったのですから、止める理由はありませんから。
そんな事をぼんやりと考えたり、「普通の馬車はこんなに揺れるんだなぁ」と思いつつ、自分のお弁当を入れていたバスケットが見当たらない事に気が付きました。
「……私のご飯がないんですが、どこですか?」
二人から干し肉をもらって齧る事になりました。
干し肉もお肉様なので、異論はありません。
はぐはぐと干し肉を齧りながら色々とお話を聞かせていただきましたが……まさか、〈精霊の泉〉が王城の敷地内の最奥部にあるとは知りませんでした。
王都北部が深い森と隣接している事は知っていましたが、そこがかの『英雄王』と『精霊王』の約束の地だったようです。『惑わせの森』と呼ばれる森の中にあるという話だけは伺っておりましたが、まさか王都北部の森こそがその『惑わせの森』だったとは。
防衛上、森のすぐ傍に王城があるというのは不可解でしたが、確かにここが『惑わせの森』であったのなら、天然の要塞が続いているようなものですね。
「――闇ギルド、ですか」
「えぇ、そうよ。私達は闇ギルドって言われている暗殺ギルド『咆哮』の“残響”と呼ばれる部隊ね。情報収集をメインに、この赤竜騎士団に潜入したわ」
「身分的なものなどは偽造したのですか?」
「いいえ。赤竜騎士団は魔物と戦ったりっていう性質上、基本的に平民出身者も多いわ。これがお固い青竜騎士団や、上級貴族家の推薦状がなくちゃ入れない白竜騎士団に入るとなると大変だったでしょうけれど、赤竜騎士団はそうでもなかったのよ。――あ、干し肉もう一枚ちょうだい」
「そもそもあなた方のものですし、どうぞ。――というか、入るのは簡単かもしれませんが、言い方を変えれば鈴をつけられているようなものだった、という訳ですね」
「身も蓋もない言い方するわね……」
黙りこくってしまった優男さんとは対照的に、メガネ美人さんは開き直ったのか、色々と私に教えてくれました。
干し肉はどうやら敵と味方の垣根を超える力を持っているようです。
さすがはお肉様ですね。
『――――♪』
……また、ですか。
というのも、『惑わしの森』に入ってからというものの、なんだか嬉しそうと言いますか楽しそうと言いますか、そんな空気を持った精霊の声とやらが頻繁に聞こえてきて……不愉快です。
耳元で突然音が鳴るのは、なんと言うか癇癪を起こした王女様が突然叫んで暴れていた記憶を刺激されるので、どうにも苦手なのです。
――消しますよ?
そう小さく呟いてみたら、ピタリと止んでくれました。
同時に、突然優男さんがギョッとした様子でこちらを見て身構えたり、メガネ美人さんが何故か土下座もかくやと言った勢いで謝罪してきましたが、どうしたのでしょうか。
……ふむ、精霊の声とやらは御二人にも聞こえているのかもしれませんね。
何かに怒られているのでしょう。
そんな事を考えたところで、ついに馬車はその歩みを止めました。




