09 英雄の隣
「わたくしは認めませんわ!」
スヴァインから恋人宣言をされて三日後、マリットは城に呼び出されていた。
片手を腰にあて扇をつきつけてきた金髪碧眼の少女は、豪奢な空間にも負けない絢爛たる存在感を放っている。
朝、マリットが研究棟の事務室でスヴァイン宛ての書状を受け取っていたところ、城の使用人から声をかけられたのだ。業務があるからとあしらうこともできず、案内されるままに入った応接室にはこの国の王女、エヴェリーナがいた。
今年十六歳になる王女は洗練されたしぐさでソファに座りなおした。
「古代の聖樹を名目にせまったのでしょうけれど、英雄の隣を許されているのは杖だけでしてよ」
――つまり私だけ、ということかしら。
マリットの杖は古代の聖樹の枝を加工したものだ。結局は使用しなかったが、魔障壁をはり直すさいに自分の杖を使うようスヴァインにせまったのは間違いない。英雄の隣が許可制とは知らなかったけれど、前世が杖のマリットは条件を満たしているのではないだろうか。しかしそのことを王女は知らないため親切に教えてくれたのだろう。
――誰に許可をとればいいのかしら。
やはり英雄本人にだろうか。それならもう許可を得ているようなもの、というかスヴァインから願われたのだからすぐに解決するだろう。王女へ礼を伝えようとしたそのとき、マリットは衝撃の新情報を聴いた。
「スベイ様にはずっと心に秘めた想い人がいるのよ」
「ええっ! そうなんですか!?」
初耳だった。想い人ということは、黄昏の杖ではないということで。ずっとということは、ここ数日の話ではないということだ。スヴァインにはマリットの知らない十二年間がある。想い人ができたのはそのころだろうか。
マリットの反応に気をよくしたのか、王女はまるで美しい物語を紡ぐようにうっとりと話しはじめた。
「魔術の研究にはげんでいたある日、スベイ様はその人に出逢ったの。ひとめぼれだったみたいね。でもその人はとっても高貴な身分で、愛らしい姿を遠くからみつめるしかなかったのよ」
魔術伯よりも上となると、スヴァインの想い人は伯爵以上だ。魔術の功績はあっても、身寄りも後ろ盾もない魔術師には声をかけづらい存在だろう。
しかし英雄になったあとならば、嫌な顔どころか高位貴族からも引く手あまただったはずだ。
「冥鬼侵攻後に、オルセン様は告白なさらなかったのですか?」
「いい質問ね」
女家庭教師さながら扇でびしりとマリットをさした王女は、重大な秘密をあかすように告げる。
「その想い人には、幼いころから決められた婚約者がいたのよ」
「まあ、なんてこと!」
恋の経験がないためマリットには想像しかできないが、スヴァインはきっと苦しかったに違いない。
「だから英雄となっても褒賞は望まず、ただ愛しい人を冥鬼から護るためだけに、砦から動かないの」
「ああ、なんていじらしいのかしら」
王立劇場でみたのは英雄の少年が幸せな結末を迎える喜劇だった。しかし王女が語った現実は悲劇だ。今からでもどうにかならないだろうか。頑張ったスヴァインにはぜひ幸せになってほしい。
「そのかたはもうご結婚を?」
「今年の六月に式典をひらくわ」
「あと二ヶ月もないじゃない! っと、失礼いたしました。式の中止は難しいのですか?」
「婚姻は契約よ。あなたも貴族ならよくご存じでしょう?」
呆れた、とひろげた扇を口元によせたあと、王女は情感たっぷりに目を伏せた。
「諦めることもできず、想いは募るばかり。それを杖に向けることで、想い人への愛を昇華しているのよ」
「そんな事情があったなんて、私ちっとも知りませんでした」
スヴァインは黄昏の杖が好きなだけの偏人ではなかったのだ。ちゃんと好きな人がいて、でもそれは叶わない恋で、やさしい子だったから相手に迷惑がかかると思って口にできなかったに違いない。
「これでお分かりかしら? 王家の森を管理しているからって、あなたが英雄に愛されることは――」
「私、想い人に告白するようオルセン様を説得してみます! エヴェリーナ殿下、お話しありがとうございました!」
「は?」
たとえ実を結ばなかったとしても、大切に育てた想いをこのまま無かったことにするのは悲しすぎる。貴重な情報を教えてくれた王女に礼をいい、マリットは応接室を飛び出した。
「ちょっとあなた! わたくしの話聴いてらしたの……っ!?」
◇
城から研究棟に戻ったマリットはすぐにテュール砦へ転移した。結婚式がおこなわれる六月まで日が少ない。スヴァインは頑固なところがあるから今日すぐにでも説得を開始しなければ。
「話しは聞きました! はやく告白しましょう!」
勢いよく扉をあけた先には、いつものように魔術を研究するスヴァインの姿があった。マリットの声に反応して、机に向けられていた顔がゆっくりと上がる。
「王女からなにを聞いたのか知りませんが、告白ならもうすませています」
「え? そうなんですか? あれ? どうして私がエヴェリーナ殿下と会ってたって知ってるんです?」
「あなたの姿がみえないので、研究棟へ迎えにいきました」
そのときに師団長から経緯を聞いたとのことだった。スヴァインは万年筆を置き、机のうえで手を組んだ。
「それで、次はなにを企んでいるんですか」
「企むだなんて人聞きの悪い。でも、告白ずみならもういいんです」
ふられると分かっていて告白するのはつらかっただろう。それでもはき出さずにはいられないほど、相手を想う気持ちが大きくなっていたのだ。マリットは告白した当時のスヴァインを思い、いたわるように頭をなでた。
「ちゃんと人を好きになれるんだもの。杖に妥協しなくても、また新しい恋がみつかるわ」
「本当に、なにを吹きこまれたんですか」
マリットの手を頭にのせたままスヴァインが見上げてきた。押さえられた前髪のすきまから、黒い瞳がじっとこちらをうかがっている。マリットはなでていた手を離し、王女が教えてくれた情報を話した。
「予測以上でした」
組んだ手のうえに額をのせたスヴァインの視線は、机に落ちていた。まさか王女に自身の恋愛事情を知られているとは思いもよらなかったのだろう。
「宮廷中に広まってるわけじゃないと思いますよ。演劇のほうが有名ですし」
「そこはどうでもいいです。……いや、それが原因か」
絶望感に満ちていたスヴァインの声が変わった。術式の間違いに気がついたときのようにつぶやき、顔が上を向く。
「結論から言えば、今も昔も俺が好きなのはスクムリングだけです」
まっすぐに向けられた瞳は真剣そのものだった。スヴァインが嘘をついているとは思えないけれど、王女が嘘をついているようにも見えなかった。
「本当に、好きなのはスクムリングだけなんですか? この先も?」
「未来永劫、あなただけです」
スヴァインは当たり前だと言わんばかりに即答した。その様子にマリットは頬に手をあて首をかしげる。
「うーん、それじゃダメなのよね。今はもう、私一人の身体じゃないから」
「それはどういう……えっ? ま、まさか……だ、だだだだ誰ですか相手は!! ――被検体にしてやる」
盛大な音をたてて椅子が倒れたあと、物騒なことを言いはじめたスヴァインの表情は無だった。喜怒哀楽などの感情が見えない分、なにを考えているのか分からずよけいに恐ろしい。
――非人道的なことを考えてるのは、間違いないのだけれど。
英雄が殺人犯になるまえに関心をこちらに戻さなくては。
「オルセン様は、私が婚前交渉をするような人間だとお思いなんですね」
仮にも伯爵家の娘なのに悲しいです、とマリットはうつむいてみせた。




