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08 年上は対象外

 翌日、王都の街へ出ようとしたマリットは杖がないことに気がついた。杖がなければ魔術を使えないため自衛ができない。マリットは父親から、杖の携帯を条件に城で働くのを許されたのだ。


 これでは婚活もままならない。研究棟で一番小さな杖をかりてスヴァインの研究室を訪ねれば、部屋の主は不在。行き交った魔術師に訊いたところ、先日の報告で登城しているとのことだった。


 砦から研究棟に戻ってきたマリットは城内にある庭園にいた。国王に謁見しているのなら、ここから見える回廊を通るはずだ。その予想は的中したようで官僚に交じり、見覚えのあるローブが通りかかった。


「オルセン様」

「スク、マリット! どうしてここに?」


 たしなめられない程度の速さで駆け寄れば、スヴァインの顔に花が咲いた。その瞬間、風が樹々を揺らしたようなざわめきが起こった。あの英雄が、氷壁の魔術伯が、偏人が杖以外に、とその場を目撃した人々がこぼしている。スヴァインにはたくさんの二つ名があるらしい。演技で植えつけた印象を払拭するのは時間がかかりそうだ。


 しかしその前に。


「私の杖をお持ちですよね? 返してください」

「あ、ああ……こちらに」


 スヴァインは魔術師のローブに手をいれて、動きを止めた。硬い表情でマリットを凝視している。もしかして杖を無くしたのだろうか。あれは古代の聖樹からできた超がつく希少品なのに。本当に無くしたのなら。


 ――婚活ができなくなる……っ!!


 そうなればマリットは王命により顔も知らない人間と結婚しなければならない。どうしてくれるのだと詰め寄ろうとした手を、スヴァインにすくい取られた。


「マリット・ミストルティン伯爵令嬢、俺と結婚してください」

「………………ナンデスッテ?」


 昨日の今日でスヴァインは何を言っているのだろう。杖を無くしたばかりか、マリットに醜聞を立てたいのだろうか。ささめいていた周囲も今は、一言も聞き逃すまいと凪いでいる。


 冗談にしては場所が悪すぎるとにらみ返せば、スヴァインの顔が近づいてきた。マリットの耳に、懇願のささやきが触れる。


「あなたを護るためです。どうか頷いてください、お願いします」


 これまでの流れにそんな予兆はあっただろうか。身の危険が迫っているという意味ならば昨夜のほうが死に近かった。だというのに、心臓がばくばくと落ち着かないのはなぜだろう。不可解に思いながらもマリットは声をしぼり出した。


「父を、通してください」

「あなたに逢ったら気持ちが急いてしまって、すみません。これからすぐに伯爵へ書状を出します」


 そういってスヴァインはマリットの手を引き歩き出した。求婚を受け入れたわけではない。しかし、めったに姿をみせない英雄の色恋沙汰だ。噂好きな貴族たちによってすぐに広まってしまうだろう。


「どういうつもりですか! ああ、これじゃあますます結婚なんてできないわ!」


 テュール砦に戻ったマリットは研究室の扉が閉まるなりしゃがみ込んだ。城に来たのは失敗だったのだろうか。


「すみません。でも、ほかに方法がなかったんです」


 じろりと目線で説明をうながせば、スヴァインはローブからマリットの杖を取り出ししゃがみ込んだ。


「この杖のおかげで、魔障壁は無欠となりました。小さいため強さはスクムリングには遠くおよばないものの、今後は俺が管理することになります」

「そんな、勝手に決めないでちょうだい! それにあの時使ったのは私の、っ」


 私の魔力だった。その声は大きな手にふさがれて言葉にならなかった。


「混沌の森を封じたのが杖だったから、俺の手に渡りました。これが人間だったら、王は手放さなかったはずです」


 そうなれば二十歳を待たずに、王族と結婚させられる。


 マリットはようやくスヴァインの言わんとすることに気がついた。危険から身を護るのではなく、保護という名の拘束から護ろうとしてくれたのだ。せっかく手足があるのに、前世のようにただ飾られるだけの日々は嫌だ。


「俺に代わってこの杖は、マリットが管理してください」

「……ありがとう」


 馴染んだ聖樹の手触り、スヴァインの気遣いに、マリットはほっと息をついた。魔力が少ないため派手な魔術を使うことはないけれど、それでもこれからは用心しよう。そう考えたとき、ひとつの疑問が浮かんだ。


「あの場で求婚する必要はないわよね?」


 魔力についてスヴァインが口外しなければそれで済む話だ。マリットの問いに黒い目が逸れた。


「あなたが、婚活するなんて言うから」


 昨日の朝はまったく興味を示さなかったのに、スヴァインの口から出たのは拗ねたような声だった。無秩序なようでいて、効率的に積み重ねられた魔術書の柱。その間に挟まれた紙片がかさりと翼のように揺れた。


「ずっとあなたを。スクムリングだった頃から、あなただけを愛していました」


 濡羽色の瞳が近い。髪を切らせたのは失敗だった。子供が親に求めるそれとは異なる熱を、はっきりと感じてしまった。床に両手をつきマリットをのぞき込んでくるスヴァインは、記憶よりも随分と大きくなっていた。


「わ、私はもう、杖じゃないわよ」

「おかげで、なんの障害もなくなりました。あなたの隣に俺以外の人間が立つなんて耐えられません。お願いです、俺を婿に選んでください」


 どうしてここにしゃがみ込んでしまったのか。すでにマリットの背中はぴったりと扉にくっついている。これではスヴァインから距離をとることもできない。


「ええっと、あっ、私! 年上は対象外なの」

「マリットは何歳でしたっけ?」

「十九よ」

「前世を含めると?」

「九十……っ、女性に歳を訊ねるんじゃありません……!」


 マリットにとって、スヴァインは可愛い孫なのだ。杖として過ごした時間のほうが長いけれど、人間としての倫理観も育っている。スヴァインのことは愛している。でもそれは――。


「恋というものを、してみたいの。前世では見ているだけだったから」

「分かりました。今日からマリットの恋人になります」

「そういう意味ではないのだけれど」


 恋をしたいのであって、恋人がほしいわけではない。しかし、こうなったらスヴァインは結果が出るまであきらめないだろう。その性分をマリットは十分に理解している。


 とことん付き合うしかない。仕様がないとため息をはき出せば、青年は黒い目を細めマリットへはにかんだ。


「あなたと一緒に行きたいところが、たくさんあるんです」

「舟遊びはまだ早いわよ」

「夏がくるまでに認められるよう頑張ります」


 黄昏の杖(スクムリング)を抱えたスヴァインの顔は、新しい魔術を思いついたときのようにキラキラと輝いていた。

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