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06 混沌の森

「――ったぁ」


 豪奢な天覧席から堅固な屋上に移動させられたマリットの体は、ざらざらとした石床の上を転がった。またたく間に魔術で拘束されてしまい身動きがとれない。したたかに打ちつけたお尻の痛みに顔をしかめながら見上げれば、影のように黒い瞳があった。


 ――怒ると単語しか喋らなくなるのよね。


 緊迫感あふれる舞台上での戦いに引き込まれ、つい名前を呼んでしまったのがいけなかった。前世の記憶があることを伏せていたため、スヴァインはだまされたと感じたのだろう。だからといって上演中に退場するのはどうだろうか。


「終演後の挨拶が残ってたのに」


 素敵な物語をみせてくれた演者や関係者たちに万感の拍手を贈りたかった。事実と異なるところは多かったけれど、主演二人が可愛らしかったのでなにも問題はない。なによりも、頑張った英雄が幸せな結末を迎えたのが良かった。


「別に隠してたわけではないんですよ。でも、スクムリングの記憶があるって言っても、オルセン様は信じないでしょう? 婚活だって、保護者が口を出すよりは、友人からの助言ってことにした方が受け入れやすいと思ったんです。ほかにご質問があればお答えしますし逃げませんから、これ、解いてください」


 公表されていない英雄の本名を知っているのだから、不審に思われても仕方がない。仕方がないのだけれど、魔術の縄で容赦なく縛られているためけっこう痛い。マリットの杖はポケットに入ったままなので自力で解除しようと思えばできるのだが、それをした場合ますます警戒されてしまう。


 ――拷問でバキバキにされたくないわ。


 相変わらずスヴァインはマリットを見下ろしたまま微動だにしない。頭に入っている既存資料との整合性を確認しているのだろう。怪しいからといって頭ごなしに処断するような子に育たなくてよかった。婚約者の影すらないが、一応、今世の身は王家の森を守護する伯爵家の一人娘なのだ。


 身分の調査が終わるまでは監禁だろうか。それが済めばマリットは晴れて領地へ返されることになるだろう。見事に新たなお断り材料を増やしてしまった。


 ――ああ、婚期がさらに遠くへ。


 紫色のベールをまとった西の空で、星がキラリと輝いた。直後、ひんやりと冷たい石床に硬い声が落ちてくる。


「証拠は」

「え?」

「隠し事項の真偽を証明できるものは」


 スヴァインの名を知っているだけではダメらしい、というのは分かっていた。それよりも、杖の記憶があるなどと言う詐欺師の言葉に耳をかたむけるのかと驚いてしまった。名前や出身地、作り出した魔術や食べ物の好き嫌いなど目に見える情報は証拠となり得ないだろう。第三者に見えず、二者の間だけで完結していたものは。


 考えていたマリットが口をひらいたのと、頭上高くにあるスヴァインの顔が逸れたのは同時だった。


「食べ物の名前じゃない変数って、」

「鳥型が五体、戦闘開始します」


 スヴァインは冷えた声でどこかへ、おそらく通信の魔術で砦内に伝達したのだろう。つい先ほど甲高い警報音が周囲に鳴り響いたのだ。拘束され足元に転がっているマリットの視界には夕空と凸凹とした鋸壁しか映っていないが、スヴァインには敵と認識する対象が見えているようだ。ローブのすそを翻しながら魔術師が遠ざかっていく。


 ――あの方角は……混沌の森?


 となれば出現した敵は冥鬼だ。しかし瘴気ただよう森は魔術によって封じられており、その魔障壁も二年前に張りなおしたと師団長は言っていたはずだ。状況を確認しようにも拘束されたままでは起き上がることもできない。スヴァインは砦の外へ向かって魔術を放っているようだけれど、敵には翼がある。ここがいつ戦場になるともしれな――。


「――いっ」


 ギィギィという不快な音がした、と思った時には何かが耳朶をかすめていた。そろりと横に目をやれば、ケーキを切り分けるナイフのように、石床に羽根が突き刺さっている。


「これじゃあ、避難なんてできないわ!」


 じわりと滲んできた恐怖を大声で吹き飛ばし、マリットは杖に魔力を流し込んだ。


 拘束や魔障壁など、恒常的に効果を発動させる魔術の解除には二通りの方法がある。一つ目は、術者が設定した鍵となる術式(ことば)を差し込む方法。二つ目は、より強い力での破壊だ。


 鍵となる術式(ことば)はいくつか思い浮かぶものの、一つずつ試すには魔力も時間も足りない。かといって万年筆程度の杖を携帯する凡人が、力比べで英雄に勝てるはずもない。


 それでも、前世の記憶があるマリットには拘束の魔術を解く自信があった。


「ワッフルが一、二、三……みつけた。おかわりし過ぎ」


 名付けが面倒だったのだろう。作用は異なるのに、同じ名前の変数が九つもあった。そのせいで見落としが発生し、うまく始末できていない箇所がある。まさか英雄がこんなにも詰めの甘い術式を編んでいるとは誰も思わないだろう。スヴァインの癖を知らなければ、圧倒的な力の差に調べようともしないはずだ。


 マリットは縄にかけていた魔術を調査から解体に編み変え、小さな小さな綻びに引っかける。すると縄を構成していた術式は糸がほどけるようにするすると崩れ、夕風に流れていった。その先で。


「え、まっ、どこに行くの……っ!!」

「なっ!?」


 こんなところに置いていかれたら冥鬼の羽根まみれになってしまう。バキバキに折れるのもザクザクに刻まれるのも嫌だ。全力で駆けたマリットは魔術を発動させんとしているスヴァインに抱きついた。圧縮される空間に視界が揺らぐ、そのなかに救援に駆けつけた魔術師たちの姿が見えた。


 二人が到着したのはテュール砦の一番高い場所、監視塔だった。


 対岸に広がった混沌の森には、半透明の魔障壁が被さっている。スヴァインと黄昏の杖(スクムリング)でいくつもの三角形を繋いでつくったフタだ。魔障壁はいまも十二年前の姿を保っており、その内側に瘴気と冥鬼を封じこめている、はずだった。


「天辺が、破れてる」

「離せ」


 お前に構っている暇などないとばかりにマリットは押し退けられた。スヴァインを掴んでいた腕はだらりとほどけ、かしいだ体を支えようと足は後ろにたたらを踏んだ。対照的に英雄は落ち着いた足取りで壁際に近づき黄昏の杖(スクムリング)を持ち直した。最上部以外にも異常はないか確かめるためだろう。魔障壁に調査の魔術をかけている。


 眼下にある元いた場所へ目を向ければ、魔術師たちが大きな網で追い込み漁のように鳥型の冥鬼を捕らえていた。


 魔術師は基本的に一人で対処するのを好む。魔力には相性があり、最良であれば実力以上の効果を発揮するけれど、最悪だと効果は半減するどころか自分に返ってくることもあるのだ。


 しかし、ここにいる魔術師たちは急襲であっても協力しあい、冷静に対処している。それはつまり、これが初めての破損ではないということだ。


 そこで新たな疑問が生まれる。なぜ、何度も破られているのか。


 スヴァインの編んだ術式は完璧だった。もっともそばで見ていた黄昏の杖(マリット)だからこそ断言できる。ではほかの魔術師が編んだ術式に問題があったのだろうか。そう考えて英雄の隣に立てば一瞬だけ睨まれたけれど、気がついていないふりをして半透明のフタを観察した。


 天辺にある三角形をのぞけば、最下部まできれいなものだ。ここからは見えない範囲に問題があるのだろうか。いや、それならもっと冥鬼の数が増えてもおかしくない。混沌の森から出てくるのは空高く飛べる鳥ばかりで獣や虫はいない。


 ――どうしてあの一枚だけ?


 原因は、ほかとの違いは。目線よりも下になった夕陽を追うように壁から身を乗り出す。橙色の光を透かした影絵のような魔障壁からまた一体、鳥が飛び出してくる寸でのところで、半透明の壁が出現した。突然現れた障害を避けることもできず黒い影は空中で停止したあと真っ逆さまに落ちてゆく。スヴァインが破れた魔障壁を張り直したのだ。


 ――接合は要らないから、次は。


「転圧!!」


 まさにその術式を編んでいたであろうスヴァインに、今度ははっきりと睨まれた。マリットの大声に集中が切れたようだ。


「先にその口を」

「これ! 私の杖、聖樹様の枝なの!」


 英雄の背丈を超える杖の前に、マリットは手のひらに収まる大きさの杖を突き出した。勢いに圧されたスヴァインの口が言葉の途中でとじられる。それから黒い瞳は小さな杖を映し、鼻の先で笑った。


「あなたが魔障壁に転圧を?」

「違うわ。破れた一枚、あれだけはスクムリングが折れたあとに転圧をかけたのでしょう? 私の杖はまだ一度も折れていない。だから――」

「それと、スクムリングが同じだとでも?」


 真っ赤な陽が沈み、熱を失った風が二人の髪をさらう。


 杖の素材は同じだが、大きさは違う。しかし、英雄が言いたいのはそんなことではないのだろう。決定的に違うものがある。

 

「オルセン様の編んだ術式を、私の魔力で補強します」

「ああ、狙いは魔障壁の破壊か」

「そんなわけないでしょう! スヴァインが命がけで構築したのよ!!」


 マリットとスヴァインは出会ってまだ四日しか経っていない。戦闘要員ではない秘書との魔力相性など調べる必要もない。疑いの晴れていないマリットは、最悪の相性を利用するつもりだと英雄に判断されたのだ。


 ならば、最良の相性(スクムリング)だという証拠を示そう。


「大好き」


 場違いな響きにスヴァインの眉根が寄った。マリットもどうかと思ったが、ほかに思いつかなかったのだから仕方がない。


「とかの変数名って、どんな法則でつけてたの? 好きな食べ物の近くに配置してるのかしらって考えていたのだけれど、ここに来て清書した術式には好きという変数名はひとつもなかったわ」


 過去の報告書にも、研究室にある黒板にも、走り書きされた紙きれにさえも。他者の目に触れる術式には、食べ物の名前しか書かれていなかった。だから、好きや大好きといった変数名は、スヴァインが黄昏の杖(スクムリング)で術式を編むときだけに使われていたのだと推測した。


 どうやらそれは、十分な証拠になったようだ。

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