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04 熱烈な英雄ファン

 カフェを出たマリットとスヴァインは再び大通りを歩いていた。


「用事は終わりですか」


 来た道を戻るような進行方向にスヴァインは疑問を抱いたのだろう。砦であれだけ騒いだのにジェラートを食べただけで帰るのか、と寒の戻りのごとき視線が落ちてくる。それへマリットは笑顔で返した。


「王立劇場へ行くんです。オルセン様は行ったことありますか?」

「……古いときに、何度か」


 ――気に入った公演は、最低三回は観てたわね。


 スヴァインは喜劇の英雄譚を好んでいた。それは悲劇に比べれば人気がないようで、建てかえる前の劇場では当日券も出回っており、十代前半の子供がふらりと立ち寄っても観覧できていたのだ。


「新しい劇場は私も行ったことがないんです。チケット、残ってればいいんですけど」


 城で聞こえてきた話によると、今の演目はちょうど喜劇で、なんと十二年前の冥鬼侵攻を題材にしているというのだ。つまり主役は十五歳のスヴァイン。


 ――そんなの観たいに決まってるじゃない!


 しかし現実は非情である。


「まさか全日程、完売だなんて」


 白い柱にクリーム色の明るい壁は、ホールから出てくる人々の表情をより際立たせてみせた。演劇の感想が聞こえてくるたびに、スヴァインが人気で嬉しい、うらやましい私も観たい、と気分が上下する。天覧席でなくてもいい、観覧できるなら立ち見でもと食い下がってみたけれどダメだった。


 ――恋愛もあるって言ってたから、観せたかったのに。


 題材となった英雄本人に、架空の恋物語を観せるなんてどんな嫌がらせだとしか言いようがないけれど、今のスヴァインには疑似恋愛でもいいから人間に目を向けさせる必要があると思ったのだ。


 マリットは浮かない足取りで受付を離れ、劇場の外で待っている英雄のもとへ戻ろう、として近くの銅像に身をひそめた。


 ――スヴァインが、女の子に囲まれてる……!


 遠目で見たところ年齢は十代後半から二十代半ば、裕福な平民のお嬢さんたちといった装いだ。スヴァインを見上げる顔はキラキラと輝いており、ときおり上がる笑い声はとても華やかだ。会話の詳細は聞きとれないけれど、好意的なのは間違いない。


 婚活者にとってこれは絶好の機会だ。なのに当の本人ときたら。


 ――もっと! 愛想良くっ!


 たまに口をひらく程度で真顔。まるでやる気がない。そんな態度にもかかわらずスヴァインへ楽しそうに話しかけてくれる彼女たちは、まさしく女神。これを逃してはならない。ならないのだけれど、ここで保護者(マリット)が登場しては興ざめもいいところだ。


 厳めしい銅像と同じ顔でマリットが見守っていると、一人の女性が何かを差し出した。


 ――あれは連絡先!?


 婚活を始めたその日に次の約束をとりつけるとは、さすがスヴァインだ。今でこそ杖を人のように扱う少し残念な青年だけれど、根は素直でやさしい子なのだ。おまけに英雄ときた。これまで独り身だったのが何かの間違いで。


「凍結と乾燥どちらがいいですか」

「ひぃっ!!」


 突然、耳元で声がした。ばくばくと落ち着かない胸をおさえながらマリットは声の主、背後に立ったスヴァインをにらみつける。


「なな、なんですか急に……っ」

「いっこうに動かないので銅像になりたいのかと。ああ、金属皮膜のほうがそれらしくなりそうですね」

「そんな恐ろしいこと考えなくていいです!」


 後半のほうは目が本気だった。というか、いつのまにか女性たちは劇場を去っていた。研究(しごと)中毒者が非人道的な魔術に手を染めてしまう前に、人へ関心を戻さなくては。


「それより! さっそくお嫁さん候補を捕まえるなんてすごいじゃないですか」

「なんのことですか」


 恥ずかしいのか、スヴァインは片眉をわずかに動かしただけだった。いや、もしかしたら婚活の先輩に気を遣って隠そうとしているのかもしれない。そんなものは無用だと示すためにマリットは、お節介焼きの夫人よろしく口元に手をあてにんまりと笑った。


「大丈夫、全部見てましたから。連絡先もらってましたよね。次はいつお逢いになるんです?」


 マリットに向けられていた黒い目がスッと細くなった、と思ったら眼前に二枚の紙が掲げられた。そこに書かれているのは連絡先、ではない。文字を認識するが早いかマリットの両手は獲物を確保していた。


「チケットじゃないですか……! どうしたんですかこれ!?」

「頂きました」


 なんでも、先ほど話していた女性はこの劇の熱烈なファンで、もう何度も足を運んでいるのだとか。今日も同好者たちと午前公演を観劇し、午後公演はチケットが二枚しかないからどうしようかと考えているところにスヴァインをみつけて、譲ってくれたそうだ。


「本物の女神様だわ!」

「『仮装までして来たのに、劇を観ずに帰るのはあまりにも可哀想』だそうです」

「仮装?」


 手元のチケットから、淡々と話すスヴァインへ目を移す。服装は宮廷魔術師のローブから変わっていない。魔術師であれば杖の携帯も当たり前だが。


「ああ~、本物だって、仰ればよかったのに」


 自身の背丈よりも長い杖を使いこなせる魔術師は稀有だ。そして、英雄スベイ・オルセンの持つ黄昏の杖(スクムリング)は超がつくほどの長尺。熱心なファンだからこそ杖の意匠にも詳しいに違いない。スヴァインは先ほどの女性に、熱烈な英雄ファンと勘違いされたのだ。


 ――スヴァインがスベイに仮装だなんて。


 あながち間違えているともいえない状況が面白くて、マリットはつい笑ってしまった。それが気に入らなかったのか、やや険のある声とともにマリットの手からするりとチケットが消えてしまった。


「言えば観劇どころではなくなりますが?」

「女神様、聖樹様、オルセン様、ありがとうございます!」


 劇場に入るまではチケット所有者の機嫌を損ねてはいけない。マリットは上官を前にした兵士のようにピシッと姿勢を正した。


 それから二人は大通りで昼食をとり、午後公演の開場まで劇場近くのベンチで待つことにした。春とはいえ公園に吹く風は少し冷たく、噴水のあがる池も夏を待ち黙している。


「ヴィーグラン湖は、もう少し暖かくなってからにしましょう」


 舟遊びは涼を感じられる夏がいい。それにまたボートから落ちて、スヴァインが風邪を引いては大変だ。前世は杖に残っていた魔力を使ってなんとか浮遊を維持できたけれど、今世ではきっと支えきれない。


「あ、でも、夏がくるまえに恋人ができているかもしれませんね」


 仮装に間違われたとはいえ、目を惹くから声をかけられたのだ。初日でこの調子なのだから、もしかしたら四ヶ月後には婚活が終わっているかもしれない。そうなればマリットがスヴァインを連れ出す理由はなくなる。目標達成だ。


「それは、――――か」

「え?」


 ずっと静かだったスヴァインがなにかを呟いた。しかし楽しそうに歩く人たちの声に紛れてよく聞こえない。なにを言ったのだろうかと隣をのぞき込んでみるも、黒い瞳はすぐに前を向いてしまった。独り言だったのだろうか。


 問い返すのもなんとなくはばかられてマリットも視線を前に戻した。だんだんと増えてきた人影はみな一方向を目指して進んでいる。時計塔を見上げれば。


「オルセン様、私たちも劇場へ行きましょう!」


 待ちに待った開場時間だ。

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