03 イチゴのジェラート
「だから、一緒に婚活しましょう!」
今日は待ちに待った週末、初めての休日だ。王都に出る予定のマリットはお仕着せではなく、腰の下あたりで切り替えたミモザ色のワンピースを着ている。だというのに研究中毒者は、いつもの調子で指示を出してきた。
「午後から検証実験をします。シラカバ、ヒイラギ、カエデの各一本を訓練場へ運んでおいてください」
「本日はお休みです」
「なに?」
英雄の気配が鋭くなった。テュール砦は混沌の森をみはる重要拠点であり、兵士やほかの魔術師も常駐している。その訓練場が閉じられるわけがない。異常でもあったのかと机に向いていた黒い頭が上がり、しばらくして下がった。
やっとマリットの服装に気がついたらしい。
「……ここには感動的な劇場も、甘い菓子をだす店も、舟遊びのできる湖もありませんよ」
「だから、一緒に王都へ行きましょう!」
「だから、が先ほどから何に接続しているのか、……いえ、そこに興味はありません。俺はこの通り研究で忙しいので、邪魔をするなら出て行ってください」
スヴァインは説明しようとするマリットを手で制し、虫でも追い払うかのように動かした。口ぶりからして、婚活という言葉は意図的に無視していたようだ。
では、攻め方を変えよう。
「スクムリングに、国の様子をお見せになってはいかがでしょう」
魔術書をめくる手が止まった。マリットは頬に手をあて首をかしげる。
「オルセン様は年次報告に登城されるだけで、すぐに砦へ戻られるそうですね。それは、寂しいことなのではありませんか?」
「寂しい……?」
「ええ。スクムリングは使い手である貴方とともに護った人々や、一緒に過ごした王都が今どのようになっているのか知らないのです。その身を挺して国を護ったというのに」
黄昏の杖に護られたのはスヴァインではなく、〝国〟なのだと強調してマリットは口を閉じた。
聖殿でも監視塔でも、黄昏の杖は自らの意思で転移したのだ。その結果にスヴァインが責任を感じる必要はない。自身の努力によって英雄と讃えられるほどの戦果をもたらしたのだから、過ぎ去ったものに囚われず、今をもっと謳歌してほしい。
マリットの提言を即座に却下しなかったということは、スヴァインは迷っているのだろう。あと一押しかと考えたそのとき、長い前髪越しに注がれていた視線がとぎれ、魔術書がぱたんと閉じられた。
「あなたは確か、ミストルティン伯爵家のかたでしたか」
「はい、マリット・ミストルティンと申します」
なんの確認だろうか。それでも相手は爵位の枠を超えた英雄であるため、マリットは初日と同じように片足を後ろに引き淑女の礼をした。
「先に言っておきます。俺があなたを妻にすることはありません。護衛として同行します」
――釣れた!
ここで逃してはならない。マリットは胸に手を当て、にっこりと微笑んだ。
「私もオルセン様は対象外なので、そこはご安心ください」
孫のような存在を婿に選ぶほど、マリットの倫理観はまだ壊れていない。スヴァインには意外な返事だったのか、黄昏の杖を手にしばし動きを止めていた。
◇
「バッサリいってください、バッサリ。清潔感のある髪型でお願いします」
砦から城へ、城から街に移動したマリットは真っ先に理髪店を訪ねた。また秋に切るのだから必要ないと拒否するスヴァインに。
『オルセン様が清潔にしていないと、スクムリングまで不潔にみられてしまいますよ』
と言ったらすぐに着席した。好き放題にのびていた黒髪はスッキリと整えられ、長い前髪に隠れていた黒い瞳もはっきりと見えるようになった。一年のほとんどを室内で過ごしているためか肌は色白で、どこか物憂げな色気までただよっている。
マリットとしては、可愛らしかった子供がそのまま成長していると予想していたのだけれど。
――これはこれで需要があるわ。
「すぐにいいお嬢さんがみつかりますよ。次はカフェに行きましょう!」
もの言いたげな視線を向けてくるスヴァインを無視して、マリットは大通りに出た。城から魔導列車の駅へとつづくこの通りは五年前に整備されたもので、舗装された道や街路樹、立ち並ぶ商業施設のどれもがとても綺麗だ。
しかし、マリットの目的地は旧通りにあった。
前世を思い出す前は気にも留めていなかった路地に入り、記憶のなかにある風景をたどる。なだらかな坂をのぼって家具屋を通り過ぎ、文具が豊富な雑貨店の角を曲がったら。
「……ここは」
「あった! 良かった~」
十二年前と変わらずそこには、今月の新作フレーバーと書かれた立て看板が置かれていた。昼食には少し早いけれど、春うららかなテラス席は埋まり始めている。白い壁に水色の椅子が可愛らしい店内に入れば、ショーケースに入った色鮮やかなジェラートが目に飛び込んできた。
――ああ、まさか食べられる日が来るなんて……っ!
最後にこの店を訪れたのは、テュール砦への召集令が出た前日だった。スヴァインは甘い食べ物が好きで休日となれば王都を散策しており、ここはお気に入りの一つだったのだ。
店内のテーブルについたマリットは、うきうき笑顔でメニュー表をひらいた。イチゴやバナナ、ラズベリーにチョコレート。ピスタチオやチーズのジェラートもおいしそうで目移りしてしまう。
「ここは定番のワッフルコーンで……あ、ビスケットで挟むのもいいわね。オルセン様はどうしますか?」
店員が持ってきた杖立に黄昏の杖を慎重に置いたスヴァインはメニュー表ではなく、窓の外を見ていた。大人になった今は可愛らしい内装が気になるのか、頬杖をつく姿はどこか居心地が悪そうだ。
――でも、持ち帰りじゃ意味がないのよね。
ジェラートを購入するだけなら男性も訪れる。しかし、店内で食べるとなると圧倒的に女性が多いのだ。おまけにマリットたちが座っているのは通りに面した窓際であるため、見られ放題だ。
宮廷魔術師のローブに、身長よりも高い杖。これだけで地位と実力もある超優良物件だと分かる。そこに謎めいた色気が加わっているのだから、視線を集めないわけがなかった。
スヴァインの外出は年に一度、それも砦と城の往復しかしないため英雄の顔を知る者は少ない。いい相手をみつけるにしても、まずはスヴァインの存在を認知してもらう必要があると考えた結果だ。
いずれ結婚するのなら、味覚の相性は大切だろう。けっして、マリットがここのジェラートを食べてみたかったという理由だけではないのだ。けっして。
「俺はいりません」
「護衛代ですから遠慮しないでください。新作のイチゴクッキーはどうですか、おいしそうですよ」
イチゴのジェラートに、イチゴ味のクッキーを混ぜ込んだザクザク食感も楽しめるイチゴ尽くしな一品だ。新作だからスヴァインは食べたことがないだろうと思って提案したのだけれど。
「コーヒーを一杯。朝食をとったばかりなので」
「うっ」
――デザートは別腹だって言ってたのに。
あの素直で可愛らしいスヴァインはどこへ行ってしまったのだろう。
「コーヒーですねー。お客様はどうされますかー?」
「ああっと、チョコレートとミルクのダブル、コーンでお願いします。それと、イチゴクッキーのカップもください」
「はーい、すぐにお持ちしまーす」
その言葉通り、厨房に戻った店員はすぐに注文の品を運んできた。子供のころは飲めなかったブラックコーヒーを、大人のスヴァインは涼しい顔で口に運んでいる。苦いものも平気になったのだろう。これも成長だと思えば感慨深い。
「なにしてるんですか」
「え? チョコレートはきっと味が濃いから、ミルクから……あ、食べますか?」
マリットは小さなスプーンでひんやりなめらかなジェラートをすくい取り、スヴァインへと差し出した。黒い瞳に白い氷菓が止まり、留まり、ハッとしたように逸れる。
「なぜ、スクムリングの前にカップを置いたのかと訊いたんです」
「なぜって、一緒に食べたほうがおいしい、と」
その瞬間、スヴァインは目を見開いた。同時に、マリットも目を見開いていた。
――これじゃ私もダメな子だ……!!
前世ではいつもスヴァインがそうしていたから、マリットも同じようにしただけだった。杖だから味わうことはできなかったけれど、分けて貰ったやさしさは染み込んでいた。そのことを覚えていたため、ジェラートを置いたのは本当に無意識だったのだ。
「と、溶けるともったいないですし、護衛代ということでどうぞ!」
動揺を誤魔化すようにマリットはカップをスヴァインの前に置き直した。正面に座った英雄はイチゴクッキーに目を落し黙り込んでいる。あまりの注視具合に、やはり食べたかったのだとマリットが考えたとき、整えられた黒髪がさらりと揺れた。
「あなたは、変わった人ですね。――頂きます」
スヴァインは断りを入れるように黄昏の杖をひと撫でし、スプーンを手に取った。春告げのジェラートを味わう口元は、氷解したようにゆるんでいる。全身でおいしいと発していた子供時代に比べればずいぶんと控えめな表現になっているけれど、その姿は相変わらず可愛らしい。
初めて一緒に食べたジェラートは、とても美味しかった。




