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02 テュール砦

「なかなかいいんじゃないかしら」


 翌朝、使用人のお仕着せに袖を通したマリットは姿見の前で一回転した。仮にも貴族として育ったのだけれど、着こなせてしまったのだから仕方がない。


 つづき部屋の扉をあけ、足元に浮かんだ球状の術式に小さな杖をかざす。マリットの編んだ解凍の魔術に反応して、花が綻ぶようにはらりと空間移動の術式が展開された。


「修復まで編み込まれてたのね。本当に綺麗だわ」


 この魔術は対象を移送後、つぼみを結ぶようにまた凍結待機状態に戻るらしい。芸術品ともいえる術式を編んだ大魔術師は、どんな人なのだろう。彼の専属として採用された秘書は長くても三年で辞めてしまうというから、神経質で気難しいのかもしれない。


 ――追い出されないようにしないと。


 英雄を怒らせた、なんていう新たなお断り材料を増やすわけにはいかない。気を引き締めたマリットは空間移動の魔術に足を踏み入れた。


 ――ああ、懐かしい。


 その感情は、術者の魔力に包まれたと同時にわき起こった。


「変数に食べ物の名前をつける癖、変わっていないのね」


 複雑な術式を編むとき、この記述がどんな作用をするのか名前をつけて分かりやすく管理するのだけれど、スヴァインはいつもワッフルやジャム、カスタードケーキなど、まったく関係のない名付けをしていたのだ。


 自分が分かればいい。そんな気質は彼自身の呼び名にも表れている。本名はスヴァインなのに、まだ上手く発音できなかった頃に名乗ったスベイがそのまま定着したため、訂正しなかったのだとこっそり話してくれた。


 英雄と面識のないマリットが、なぜこんなことを知っているのか。頭のなかを満たすのは疑問や驚愕ではなく、懐かしい記憶だった。


 ――私は、彼の杖だった。


 ◇


 前世のマリット、当時の黄昏の杖(スクムリング)が、スヴァイン・オルセンと出逢ったのは二十二年前。


 黄昏の杖(スクムリング)は古代の聖樹から作られた最後の杖で、スヴァインが二代目の使い手となるまでは三十年間、聖殿に奉られていた。


 自分の名もまだ満足に発音できない幼い時分、魔力暴走を起こしてしまったスヴァインは養護院の人たちに傷を負わせてしまい、別の院へと移ったそうだ。そこではもう誰も傷つけないように独りで過ごしていたという。それから程なくして魔術師団に引き取られ、研究棟で暮らすようになった。


 大人ばかりに囲まれた、慣れない宮廷生活。聖殿に迷い込んだスヴァインは寒さと疲労からか、そのまま眠り込んでしまった。隅のほうで小さな体を丸めて眠る姿が可哀想そうで放っておけず。


 ――つい、近づいてしまったのよね。


 厳重に保管されていたはずの黄昏の杖(スクムリング)が子供のそばに落ちている。しかしガラスケースは割れておらず錠もかかったまま。なによりも警報の魔術が反応した形跡がない。


 このことからスヴァインは適応者として、黄昏の杖(スクムリング)の使い手に認定された。


 国宝である杖を受け取ることは、王家に絶対の忠誠を誓うのと同義だ。しかし五歳の子供にその意義が理解できるはずもなく。まるで両親からぬいぐるみを与えられた幼子のように、初めて手にした自分の物、という出来事にスヴァインはただただ喜んでいた。


 もとより規格外の魔力を持っていたスヴァインはすぐに頭角を現し、若干十五歳で筆頭魔術師となった。


『この前の術式、冷温循環って名前になったんだよ。治療とか食べ物とか、色んなものに使えるってすごく褒められたんだ。スクムリングのおかげだね』


 ――私は場所を提供しただけで、その発想を形にしたのはあなたの努力よ。


 人と杖は会話ができない。それでもスヴァインは照れたように黒い目を細め、枕元に置いた黄昏の杖(スクムリング)へはにかんだ。


『あなたが、僕を選んでくれたから』


 素直で優しい子供は皆の期待に応えようと、居場所を失うまいと必死だったのだろう。嬉しかったことや、悩んでいること。日記をつけるように杖へ話しかける彼を、黄昏の杖(スクムリング)は孫のように思い見守っていた。


 だからあの日のことは、後悔していない。


 スヴァインが筆頭魔術師となって半年が過ぎたころ、大規模な冥鬼侵攻が起きた。兵士だけでは抑えきれず、魔術師や騎士も次々と戦線に加わった。戦況は一進一退の膠着状態。


 作戦基地であるテュール砦に召集されたスヴァインは、現状を打破する方法として一つの案を提示した。


『混沌の森にフタをしましょう』


 荒唐無稽だ。作戦会議に出席している大人たちは、歳が二回り以上も離れたスヴァインをたしなめた。魔障壁で冥鬼や瘴気の侵入を阻むことは可能だ。しかし森は半径およそ十五キロ。さらに上空まで覆うとなれば、どれほどの魔力と時間が必要か。第一に、それほど大規模な魔障壁を張れる人間はいない。


『僕が柱を組みます。先輩たちは、柱と柱の間に魔障壁を張ってください』


 一人で無理なら、皆で張ればいい。筆頭魔術師の理路整然とした計画に、反論の声は上がらなかった。


 一日のうちで太陽がもっとも高い位置にある時間帯は、冥鬼の動きがにぶる。そこを狙って作戦は展開された。スヴァインは混沌の森を見下ろせるテュール砦の監視塔にのぼり、黄昏の杖(スクムリング)に魔力を流した。


 川を挟んだ向こう側、瘴気ただよう森の周囲に無数の杭がうがたれた。その上に三本の白い線が描かれ、魔障壁一枚の範囲を示す。三角形を描いた白柱は数を増やし、上へ上へと繋がっていく。


 異常を察知した冥鬼が森から出て来たけれど、そこは兵士や騎士たちが応戦している。魔術師たちは新しい三角形が完成するたびに半透明の魔障壁を張っていった。


 ――形成、硬化、形成、硬化、接合、形成、硬化、接合、接合、転圧、形成、硬化、形成、硬化、接合、形成、硬化、接合、接合、転圧。


 単調で気が狂いそうな回数の術式が編まれていく。杖に流れ込んでくるスヴァインの魔力に勢いがなくなったころ、半球を描いた魔障壁の天辺に、最後の白柱が接合された。


 ――あと少し、……スヴァイン……っ!!


 空の一部が、夜になっていた。黒い翼をもった大きな蛇が迫っている。


 監視塔に嵐のような風が吹き、スヴァインの体が壁に叩きつけられた。手から杖がこぼれ、カラカラと乾いた音を立てて転がる。混沌の森を覆う魔障壁はまだ完成していない。それを残念だったなと嘲笑うように、冥鬼が鋭い牙をむいた。


 ――この子を守れるのは私しかいない。


 黄昏の杖(スクムリング)は魔力の残滓をかき集め、十年前に聖殿でしたようにスヴァインのそばへ転移した。


 直後に聴こえてきたのはバキバキという木の砕ける音。それから耳をつんざくような断末魔。


 冥鬼は真っ赤な炎に包まれ、夕焼けが沈むように地へと落ちていった。


 そこで前世の記憶は途切れている。杖は折れたのだから、人間でいえば死んだのだろう。スヴァインの成長をそばで見守れなかったのは残念だったけれど、英雄と呼ばれるまでに育った彼を見られるのは嬉しい。


 ――頑張ったご褒美かしら。長生きはするものね。


 あれから十二年が経った。スヴァインは立派な好青年になっているはずだ。


 ◇


 結論からいえば、今のスヴァインは好青年ではなかった。


「ニンジンが残っていますよ、オルセン様」


 研究室の壁にかかった大きな黒板。そこには様々な術式が散逸的に書かれ、長いものは壁にまではみ出している。本棚に並んだたくさんの魔術書は順番がでたらめで、あいだには紙片が挟まっていたり、棚の上、机のまわりにも無造作に積み上げられていた。


 几帳面な者がみれば整頓せずにはいられない光景だろう。しかしこれはスヴァインにとって最適化された配置であることをマリットは知っている。だから絶対に触らない。


 しかし部屋を整えるのと、身形を整えるのは別問題だ。


「オ・ル・セ・ン・さ・ま」


 語気を強めて再度呼びかければ、万年筆を走らせていた大魔術師の動きが止まった。いつも秋の登城に合わせて髪を切っているそうで、半年間好き放題にのびた黒い前髪は両目を覆い隠している。


「師団長に頼まれていた蓄魔器の性能向上案です。急ぎ研究棟へ届けてください」


 スヴァインは冷めた声で丁寧に、昼食の皿に残ったニンジンを隠すように報告書を差し出してきた。


 ――話をそらしたわね。


 身長がのびて声変わりをしても、ニンジン嫌いはそのままらしい。ならばこの新鮮なニンジンは夕食にそえてもらおう。味覚が変わっていないのなら、火を通せば食べるはずだ。


「お急ぎならば、オルセン様が直接ご解説なさってはいかがでしょうか?」


 ――あ、すごく嫌そう。


 杖であった時は毎日スヴァインの魔力に触れていたのだ。前髪に隠れて表情は分かりづらいけれど、気配は感じとれる。よほど研究室から出たくないらしい。


 子供のころから研究に没頭するとまわりが見えなくなる癖はあった。それでも先輩魔術師と議論を交わしたり、休日には街へ出かけたりなどの社交性はあった。


 だというのに英雄になってからは、秋に城でおこなわれる年次報告以外では外出していないらしい。十二年間で、たったの十二回。立派な引きこもりだ。


 そうなった理由は――。


「俺には一刻も早く、再生の魔術を完成させるという重大な使命があります」


 ――転生してるので無理です。


 マリットが胸中でつっこみを入れたのはこれで二回目だ。


 はじめに気がついたのは、秘書として勤務してから二日目のことだった。スヴァインは黄昏の杖(スクムリング)という国宝を破壊してしまった責任を感じているようで、日がな一日砦にこもり、誰も成功したことのない再生の魔術を研究していた。


 修復と再生は似ているようで違う。

 修復は現存するもので繕い直す魔術、再生は喪失したものを取り戻す魔術だ。


 スヴァインは修復した黄昏の杖(スクムリング)を飾り棚から引き寄せ、乾いた木肌をなでた。


「スクムリングもきっと、それを望んでいる」


 ――いいえ、杖は一生分したのでもう十分です。


 今は自分の足で歩いて、手で物を掴める。声だって出せるのだ。こんなに楽しいことはない。せっかく人間になれたのだから、恋というものもしてみたい。


 しかしそれをマリットが伝えてもスヴァインは信じないだろう。とはいえ、前世の自分が引きこもりの原因だと知ったからには放ってもおけない。それに、元保護者として見過ごせない理由がもう一つあった。


「ああ、陽が差してきたね。ユキワリソウが咲いているかもしれない、見に行ってみようか」


 スヴァインはただの杖にまるで、長く療養している病人へするように接しているのだ。子供時分は杖に話しかけるのも微笑ましいと思っていた。しかしいい歳をした大人がする姿はちょっと、正直、ドン引きした。


 スヴァインはつい先ほどまで席を立つのも嫌がっていたくせに、自身の身長よりも高い黄昏の杖(スクムリング)を大切そうに抱えて研究室を出て行った。


 ――ダメだあの子、早くなんとかしないと……!


 頼まれていた報告書を師団長へ届けたついでにスヴァインの勤務形態を確認し、持ち込まれる案件を仕分け、術式の清書をして、厨房へ頼んでいたニンジンのバター煮を夕食にだして完食させたあと業務を終えたマリットは、研究棟の自室に戻って考えた。


 養護院で育ったスヴァインに両親と呼べる存在はいない。さらに、魔力暴走という経験から友達を作らないように過ごしてきた経緯がある。そんな幼少期に、自分を選び受け入れてくれる存在に出会ったのだ。たとえ物言わぬ杖でも、いや、何も言わず否定しないからこそ、寂しさを紛らわせるのにちょうど良かったのだろう。


 一種の心の安定剤であった黄昏の杖(スクムリング)が、目の前でバキバキに折れたのだ。強い不安感に襲われて、安定剤(スクムリング)を手放せなくなってしまったに違いない。


 つまり、新しい心の拠り所をみつければいいのだ。

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