12 夏になったら
月初に予定している師団長との魔術談議にはスヴァインも呼ぼう。
変数毎に印をつけ、ひとつの術式で複数の値を参照できないかと考えているのだけれど、魔力の少ないマリットでは検証できる範囲が限られており、配列に悩んでいるのだ。あっという間に空間移動の術式を編めるスヴァインなら、短縮化について的確な助言をくれそうだ。
――本人は超高速で編んでるだけの気もするけれど。
そう、マリットが現実逃避をしている間にも事態は超高速で進んでいた。
「今も昔も俺が愛しているのはスクムリング、そして想い人はマリットだけです」
左手に黄昏の杖を持ち、右手をマリットの腰にまわした姿はスヴァインからすれば、両手に花といったところだろうか。というかほかに伝える方法はなかったのだろうか。呼び出されたエヴェリーナも突然の宣言に目を丸くしている。
テュール砦から研究棟へ移動したスヴァインは城に入るなり王女へ面会を求めた。いかに英雄といえども急に王族に会いたいと言って叶うものではないだろう、というマリットの予想ははずれエヴェリーナはすぐに応接室へとやって来た。
そしてスヴァインは王女の姿をみとめるなり挨拶もそこそこに、先の宣言をしたのだ。
まだ呆気にとられている王女に構わずスヴァインは真顔で続ける。
「いまさら付加価値など作らずとも、殿下は隣国でも大切にされるでしょう」
「っ」
エヴェリーナが言葉をつまらせた。華やかな紅をはいた唇はふるえ、頬はみるみる色づいていく。その様子を見てもスヴァインは眉ひとつ動かさない。英雄はマリットの腰にそえていた手を下ろし、王女へ会釈した。
「ご婚約、お祝い申し上げます。では失礼します」
「お、おめでとうござ――」
再び空間移動の気配を感じたマリットはとっさに声を張り上げたが、またしても最後まで言い切ることはできなかった。
◇
城内から一足飛びで砦に戻ってきたスヴァインは、なにごとも無かったかのように仕事を再開した。
「急すぎる、すべてが急すぎます!」
とはいえ業務を進めるのは賛成であるため、マリットは抗議しながらも研究結果や参考資料、過去の報告書を集めてスヴァインの机に置いた。からになったマリットの手に別件の紙束がのせられる。次は術式の清書だ。
「悠長にしていたらすぐに夏がきます」
「すぐって、あと四ヶ月もありますよ」
マリットは秘書用の机に戻り、見慣れたくせのある文字を読みやすい形に、食べ物の名前がついた変数を分かりやすい名称に書き換えていく。
「四ヶ月しかないんです。他人の色恋にかかずらわっている暇はありません」
「そういえば、エヴェリーナ殿下はオルセン様が好きだったんじゃないんですか? あんな突き放すような言いかた、きっと傷ついてらっしゃるわ」
紙をめくる音が止まった。資料に不備があったのだろうか。マリットも手を止め顔を上げれば、スヴァインは両目を閉じていた。
「少し、隣国の王太子がうらやましくなりました」
「なんですか、また急に」
「きっかけは政略ですが、あの二人は恋愛結婚だと聞き及んでいます」
「まあ、素敵! え? じゃあどうしてエヴェリーナ殿下は、あんな話をしたのかしら?」
自分は婚約者以外の男性からも想いをよせられているだなんて、一歩間違えれば二人のあいだに亀裂を生みかねない情報だ。
王女の不可解な行動にマリットが首をひねっていると、紙をめくる音が再開した。
「夏になったら分かるんじゃないですか」
「夏?」
「あ」
紙をめくる音がまた止まった。
「いえ、訂正します。マリットは一生分かりません」
分かると言ったり分からないと言ったり、どちらなのだろうか。夏という目安といい、スヴァインはまた説明をはぶいているに違いない。
「どうしてですか?」
不満を隠さないマリットにスヴァインは黄昏の杖を引き寄せ、あの澄ました笑みを浮かべた。
「あなたは俺に愛される予定だからです。――杖の天辺から足の爪先、その魂まで、一分の隙もなく」
背伸びをしたスヴァインが口付けた場所は、人で言えば首のあたりだった。
週末、二人の姿は市場ではなく伯爵領にあった。ミストルティン夫妻も同席した食堂で、マリットの声が響く。
「いきなり結婚許可証が送られてきた!? 婚約の打診が先ですよオルセン様!」
― 了 ―
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