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11 想い人は誰か

 もう少し遊びたい気持ちはあるけれど、泣かせたいわけでない。


「ですから、ちゃんと私のことを知ってから判断してください」

「っ、はい!」


 暗かったスヴァインの顔に、ぱああっと花が咲いた。マリットが一番好きなのはやっぱりスヴァインの笑った顔なのだ。


「私にも、オルセン様のことを教えてくださいね」


 黄昏の杖(スクムリング)の記憶があるとはいえ、離れていた十二年間のことはマリットも知らない。スヴァインは一緒に行きたいところがたくさんあると言っていたから、そこでゆっくりと親交を重ねていけばいいだろう。演劇のように胸を焦がすような経験はできないだろうが、きっとそればかりが恋ではないはずだ。


 ――憧れはあるけれど。


 だって、障害にも負けず一途に想われたり、ともに困難をのりこえて愛を深めあったり、ちょっとしたことでドキドキしたり、きゅうっと胸が苦しくなったりしてみたいじゃないか。マリットだって恋愛物語が好きな乙女なのだ。


「週末は市場に行くんですよね。さあ、お仕事を再開しましょう」


 以前、師団長に英雄の勤務形態を確認したところ、決まっていないと回答があった。自由な時間に働き、好きな時に休んでいいのだ。しかし、スヴァインは二十四時間三百六十五日研究に勤しんでいたため、抱えている案件が膨大になっていた。ひとまずは今週が提出期限となっている経過報告書だけでも完成させなければ、スッキリと週末を楽しめない。


「はい。雑音をかたづけてきます」

「え? ちょっ、どこに行くんですか?!」


 マリットが研究資料をそろえようとしたそばからスヴァインが消えた。


 いつのまに空間移動の魔術を編んでいたのかローブを掴むひまもなかった。子供のころから魔術に長けていたけれど、さすがは国一番の大魔術師、さらに腕を上げたようだ。新しい魔術もいろいろと編み出されており、十二年前に比べれば生活はどんどん便利になっている。


 これならスヴァインは本当に、王家の森まで問題なく護ってしまえるかもしれない。


 ――魔障壁の穴はふさいだから、当面は大丈夫だろうし。


 不測の事態は起こりえる。だが、これまでのように混沌の森からたびたび冥鬼が飛び出してくることはないだろう。であれば、英雄がテュール砦に常駐する必要もない。


 わざわざ古代の聖樹なんていう重責を追加しなくても、領地が穏かな良家の娘を選べばいいのに。


「私でいいのかしら」

「あなたがいいんです」

「オルセン様!」


 時間にして十分くらいだろうか。消えるのが急なら現れるのも急だった。涼しい顔で研究室に戻ってきたスヴァインの手には、ひとつの紙が握られていた。


「脚本家の署名です」

「脚本家? な、なななんですかこれ!?」


 契約書だといって渡された紙には、四日前に観たあの演劇の題名が書かれており、脚本の権利が多額の金銭でスヴァインに譲渡された旨が記されていた。王家の森産の杖が軽く二十本は買えそうな金額だ。


「まさか、創作をうのみにする人間がいるとは思いませんでした」


 スヴァイン曰く、王女の言う想い人はエヴェリーナ本人のことで、その地位から中途半端に内情を知っているため、高い自尊心のもと見当違いの考察をしたのだろうということだった。辛辣だ。


「劇の公演を禁止しました。これでマリットを惑わせる雑音もなくなるでしょう」

「公演禁止!? ダメよそんなの!!」


 あの素晴らしい演劇が観られないなんてありえない。


 英雄役の少年は可愛らしく、また魔術や冥鬼に向き合う姿勢はスヴァインにそっくりで、とても格好良かった。王女役の少女と語らう場面は初々しくもまっすぐで、二人を応援せずにはいられなかった。英雄となったあとの様子を自分は知らないから、それがたとえ創作であってもスヴァインが皆に讃えられ、幸せそうでとても嬉しかったとマリットは力説してみせた。


「分かりました。分かりましたから、もう、やめてください」


 両の手のひらに顔をうずめたスヴァインの声はさまざまな感情がぶつかり合ったようにふるえており、髪のすき間からのぞいた耳は赤く染まっていた。


「それじゃあ撤回してくれるんですね?」

「はい。代わりに王女の名をマリットに変更します」

「やめて!!」


 真面目な顔をしてなんてことを言うのだ。登場人物の名前が自分と同じだなんて気が散ってしょうがない。没入感がそがれてしまうではないか。


 ――意趣返しかしら。


 マリットは英雄本人に自身が主役の劇を鑑賞させている。しかしスヴァインは名前の使用を拒否していないのだから、それをマリットにも強いるのはお門違いだろう。


「急に登場人物の名前が変わったらみんなびっくりしますよ」

「俺の想い人は誰か、周知も早まって一石二鳥です」


 黄昏の杖(スクムリング)を懐に抱いた英雄は、にこりと微笑んだ。目の前にある澄ました笑顔も可愛い。可愛いが同時に、マリットはうぐぐとうめきそうになってしまった。


 ――なんてこと!


 自分が分かればいいというスヴァインの気質が迷子になっている。ここは元保護者として正しい道をしめさなくては。


「その必要はありません」

「なぜ?」


 不服そうに目を細めたスヴァインへマリットは説明した。英雄に想い人がいるという話は、研究棟でも城でも、大夜会でも聞いたことがない。劇場でさえも聞こえてきたのは役名や演者の名前だけだった。王女の考察は本人だけ、もしくはごく近しい人間しか知らないのではないか。


「それで?」

「真相を伝えるのは、エヴェリーナ殿下だけで大丈夫ということです」

「エヴェリーナ殿下だけ、ですか」

「だけです」


 あごに手をあてなにやら思案していたスヴァインへマリットは強くうなづいてみせた。


「なるほど」


 スヴァインはそうつぶやき、これから検証実験をおこなうような足どりで近づいてきた。


 淡々としているのに、ただならぬ圧を感じるのはどうしてだろうか。気がつけばマリットの太もも裏は机のふちについており、視界には物憂げな色気をまとった青年しか映っていない。ささいな変化も見逃さないためか、背の高いスヴァインは見下ろしてくるのではなく、膝をまげマリットに目線を合わせてきた。


「つまり、俺の気持ちは正しくあなたに伝わっている、と。外野に惑わされないほど、正確に」

「ええっと、そうなる、わね」


 無駄に顔が近い。とても話しづらいけれど、マリットはスヴァインから絶対に目をそらさなかった。今後の観劇生活のために、欠片も疑われてはいけないのだ。


 ――役名は変えさせないわ!


 世の恋人同士ならキスをするような距離だけれど、今のマリットには一触即発、眼をつける距離だ。恋とはほど遠い理由で胸をドキドキさせながら様子をうかがっていると、スヴァインはマリットから離れ小さくため息をはいた。


「そういうことにしておきます。行きますよ」

「え? 行くって――」


 どこへ行くんですか、と言い終えるまえに二人は空間移動していた。

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