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01 春からの婚活拠点

「まあ、お嫁さんができたのね! おめでとう」


 さみしかった枝に若葉が芽吹きはじめたころ、森へとつづく石橋を渡っていたマリットは川をのぞき込んだ。雪解け水で速くなった流れもなんのその、卵のようにまるい鳥が二羽、橋のたもとに巣を作っている。つがいは仲睦まじく胸元に生えた白い羽毛を寄せあっていた。


 屋敷の庭で姿を見ないと思っていたけれど、これが理由だったようだ。


「ねえ、私にもいい人を紹介してくれない?」


 しゃがみ込み首をかしげてみれば、チチチッと馴染みの鳥に怒られてしまった。お邪魔だったらしい。


「私のお婿さんだもの、自分で探すしかないわよね」


 ため息をはきながらスカートのすそを整えたマリットは、石橋の先にある青々と生い茂った森に足を踏み入れた。冬の冷たさとは異なる清廉な空気に、ぴんと背筋がのびる。


 馬であれば六時間とかからず周回できる森の中央には、樹齢千年、それ以上ともいわれる大木が座していた。古代の聖樹と呼ばれるそれは国の守護神とされ、王家が所有している。


 マリットの家系であるミストルティン伯爵家は代々、この森の管理を任されていた。が、それが今は存続の危機に面している。後継ぎがひとり娘であるマリットしかいないのだ。


 森の防衛費として国からは十分な支援を受けている。また、ミストルティン伯爵家は国で唯一、王家の森で間伐した木の加工権利を有しており、収入は安定していた。古代の聖樹に刃をいれるのは重罪だけれど、周囲に生えた樹の枝だけでも大粒の宝石と並ぶほどの市場価値があるのだ。


 王家からの信頼は厚く、財務も安定している。こんな優良物件、爵位を継げない令息は我先にと飛びつくものだろう。だというのに生まれて十九年、マリットの周りには緑豊かな自然しかなかった。


 四年前、マリットは茶色の髪を結いあげ、瞳とおなじ緑色のドレスをまとい、城でひらかれる舞踏会に参加して社交界入りを果たした。田舎から出てきた娘が物珍しかったのか、そこでは幾人かの男性に声をかけられた。しかしマリットが家名を口にした途端。


『あ、ああ、聖樹の管理をしてる……大変なお役目だね』

『もう三年も待ってるんだ。少し多めに切るとかできないのかい?』


 反応は、大体この二つに分かれた。国の守護神に万が一のことがあったらと重責に耐えられない者。王家の森を金儲けの道具としかみていない者。いずれも論外だ。


 領地から王都へは馬車と魔導列車を乗り継いで片道二週間もかかる。そう頻繁には行き来できないため、一番参加者の多い大夜会に的をしぼり登城していたのだけれど、成果はご覧のありさまだ。おまけに昨年は帰領まえに親子ともども国王に呼び出され、釘を刺されてしまった。


『ミストルティンは旧知の友だ。なに、ご令嬢が二十歳を迎える頃には、相応しい者を紹介しよう』


 紹介、それすなわち王命だ。一年の間に結婚していなければ、どこの誰とも知れぬ者を婿に迎えなければならない。しかし後継ぎをもうけるという結果が同じなら、マリットは義務感からではなく、鳥たちのように愛情をもって育んでいきたかった。


 ――それに、重責を強制される相手にも悪いわ。


 残り一年だからといって諦めたりはしない。マリットは両腕をまわしても到底抱えきれない大木に身を寄せ、穏やかな木漏れ日に目を細めた。


「聖樹様、私お城で働いてきます!」


 ◇


 その求人をみつけたのは、国王に呼び出された秋の日の帰り道だった。城の敷地内に建てられた魔術師の研究棟を訪れたとき、貼りだされるまえの求人情報が目に入ったのだ。


 勤務地はここ、魔術師の研究棟。休日は週末の二日間、雇用期間は一年で更新も可能。仕事は秘書として業務の補佐をおこなうというものだ。必須技能に魔術に関する基礎知識と書かれていたけれど、師団長から直々に試験を受けるまでもないと免除された。


 心配する父親をよそにその場で契約書に署名したマリットは、春からの婚活拠点を確保したのだ。


 ―― 一年もいれば候補の一人や二人みつかるはずよ!


 そう、これまでは大夜会が開催される三日間を含めて一週間しか王都にいなかった。それが約五十二倍になったのだ。数を打てばどこかで婿に当たる。


 しかしてその目論見は、獲物をかすめるどころか発射すらされなかった。


「ええっ! 仕事場はこちらではないのですか!? っ、と私ったら失礼いたしました」


 廊下で貴族の娘らしからぬ大声を出してしまったマリットは、ホホホと誤魔化し笑いを浮かべて宮廷魔術師のローブをまとった師団長のあとをついて歩いた。求人に飛びついた時点で貴族令嬢としてはもう手遅れなのだが、いいお婿さんをみつけるためにも取り繕っておきたいのが乙女心というものだ。


「ですから契約は、詳細を確認してからの方がいいと申し上げたじゃないですか」

「聖樹様のお導きだと思ったものですから」


 人の出入りが多い城は観察に最適で、休日には市街にも足をのばせる。これはもう自分のために用意された仕事場(かりば)だと思ったのだ。


「そういった観点ではご縁のある場所ですよ」


 マリットの思惑など知る由もない師団長は足を止め、ひとつの扉に手をかけた。部屋のなかには備え付けの調度品と、事前に領地から送っていた荷物が置かれている。契約期間中はこの一人部屋が自室になるようだけれど、廊下側とは異なる方向にも扉があった。


「あちらの扉は?」

「職場へ繋がっています。扉に証明要求の術式を施します。合わせて鍵の登録もしますので、取っ手を掴んでください」


 指示通りにしたマリットの手に魔術師の杖がかざされた。それと同時に帯状の光がくるくると手に巻きつき、そのまま吸い込まれていく。


「早い。さすが師団長様ですね」

「お褒めに預かり光栄です」


 師団長は自身の背丈に並ぶくらい長い杖をかたむけて笑い、目尻のしわを深くした。


 杖の長さはそのまま術者の実力を現している。魔術とは、体内にある魔力を杖に流し、杖のなかで術式を編み上げて意図した効果を発現させる技術だ。複雑な術式ほど多くの魔力を消費し、杖の容量が必要となる。杖が実力に見合っていなければ術式は空回りするか、詰まり絡まって十分な効果を発揮しない。


 杖の材料にも品質や相性があり、王家の森に生えている樹は上級に位置している。最上級はもちろん古代の聖樹だけれど、百年前に守護神と制定されてからは幻の素材だ。


「術式の構造設計について、これからは直接お話しできるのが楽しみです」


 後継者教育の一環で、子供のころ間伐材の納品に同行していたマリットが術式の短縮化について質問したのがきっかけだった。それ以来、師団長とは手紙で意見交換をする仲だ。


 ――いいと思う人はみんな、売約済みなのよね。


 魔術伯である師団長は年上過ぎるけれど身分は申し分ない。なによりも気骨がある。しかし既婚者に手を出すほど、マリットの倫理観は壊れていない。


 貴族、魔術師、騎士。これまでは舞踏会に参加できる者しかみていなかった。だから視野を広げてみようと拠点を王都に移したのに。


 職場へ繋がっているという扉の先には、恐ろしく緻密に編まれた球状の術式がふわふわと宙に浮かんでいた。


「すごい、凍結待機してるわ! 重力制御に質量保存、空間圧縮は、これね……ではあれが座標指定かしら」


 術式を杖から取りだし発動前の状態で停止させる難しい魔術に、空間移動という貴重な術式を前にしてマリットは思わず駆け寄ってしまった。超高難度魔術の展覧会のような術式を解析していると、演技がかった嘆き声が背後からあがる。


「かえすがえすも、マリット嬢が森の管理者であるのが残念でなりません」

「私の魔力は少ないので、魔術師としては役に立ちませんよ」


 マリットはポケットから万年筆と同じ長さの杖を取りだし振ってみせた。容量が小さいため複数の術式を編み合わせるのは難しく、効果範囲も狭い。


「一見しただけで術式を読み解ける者は、そう多くはないのですがね」


 子供のころから魔術書を読むのが好きで覚えただけだ。どの術式がどんな役割を担っているのかは分かっても、術者の魔力量や編み込む手順が変われば効果も変わってくる。簡単に再現できるものではないのだ。この術式を編んだ魔術師は相当な実力者だろう。


「こちらは師団長様が?」

「いいえ、スベイが編んだものです」


 ――スベイ?


 どこかで聞いたことのある名だ。魔術書の著者だっただろうか。空間移動の術式を編めるくらいだから、いずれにしても高名な魔術師に違いない。


「これは彼がいる、混沌の森を見張るテュール砦へ繋がっています」

「こ、混沌の……?」

「魔障壁は二年前に張り直していますから、心配はいりません。ですが場所柄、危険はゼロではありません。就業後はこちらの自室に戻って休んでください」


 眉をひそめたマリットを安心させるためか、師団長はこれまでよりも一段落ち着いた声音で話した。続けて、業務中でも万が一のことがあれば、すぐに研究棟まで避難するようにと指示を受けた。


 ――やけに報酬が高いと思ったら、こういう事だったのね。


 混沌の森とは、冥鬼が住まう地域の名称だ。一帯は常に瘴気で覆われているためこのように呼ばれている。今でこそ安穏と暮らせているが、魔障壁を張る十二年前までは人間はたびたび冥鬼と戦っていた。


 ――思い出した、スベイは英雄の名前だわ。


 混沌の森を封じる魔障壁を張った英雄、スベイ・オルセン。どうしてすぐに思い出さなかったのか。彼は平民にもかかわらず、若干十五歳で英雄になった天才だ。そんな大魔術師の秘書ができるなんて栄誉なことだと思う。


 しかし、場所が悪い。


 ――テュール砦ってうちの隣じゃない……っ!


 マリットが眉をひそめた理由はこれだった。


 二週間かけて王都まで出てきたのに、一瞬で逆戻りするのかと虚しくなった。混沌の森があるのは隣の領地だけれど、馬を三日も駆れば境界に到達する。この立地の悪さもマリットに婚約者ができない理由のひとつだった。


「本日は荷解きをして、勤務は明日からお願いします」


 そう言って師団長は部屋を出て行った。


 ――週末の二日間は王都にいるのだから何とかなる。いいえ、なんとかするのよ!

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