73話 蓋を開く時
◇◇◇
「リズリー、俺だ」
「はい! 少々お待ちください……!」
湯浴みを終えてから少しゆっくりしていると、自室の扉からルカの声が聞こえてきた。
ルカとの話があるため、事前にシルビアには下がっていてもらっているため、リズリーは自らで扉を開いた。
「お待たせしました。どうぞ、ルカ様」
「失礼する」
自分の部屋にルカがいること。彼と二人きりでいること。
それらに心臓が激しく脈だっていると、彼は「あ」と何かに気付いたように声を上げた。
「もう完全に雨は上がったみたいだな」
カーテンが両端に纏められた大きな窓を見つめながら、ルカはそう言う。
きっと、部屋に戻ってから湯浴みをさっと済ませ、すぐに仕事をしていたから、気付いていなかったのだろう。
「さっきシルビアに聞いたら、この屋敷の付近はほんの少し降っただけだったみたいです」
「そうか。それなら……もしかすると見えるかもな」
「え? 何がですか?」
目を丸くするリズリーに対して、ルカは少し考える素振りを見せたあと、「いくか」と呟いた。
「リズリー、疲れているところ悪いが、少しだけ構わないか?」
「?」
◇◇◇
見下ろせば地面があんなにも低く、反対に見上げれば、空はこの手で掴めそうな程に近い。
「こんなところがあったんですね……!」
「ああ。夜空を見るにはここが一番でな、たまに来るんだ」
ルカが連れてきてくれたのは、屋敷の展望台だった。
雲はほとんどなく、漆黒の空にキラキラとした小さな星々が散りばめられている。
「綺麗……」
夜空はもともと好きだった。
呪いのせいでどれだけ辛く悲しくても、夜空を見ていたら、そんな気持ちも溶けていくような気がしたから。
「くしゅんっ」
「! 寒いか?」
「い、いえ! そんなことは!」
「嘘をつくな。これを羽織ってろ」
ルカは自らの上着を脱ぎ、彼女の肩にかける。
ルカの体温がじんわりと肩から全身に伝わり、とても温かい。
まるで彼に包まれているみたいだと思うと、なおのこと沸騰しそうなほどに体が熱を持った。夜のおかげで、火照った顔がバレないことだけが救いだった。
「あ、ありがとうございます。けれど、ルカ様が……」
「さっきも言ったが、俺は鍛えているから平気だ。湯浴みで温まったしな。それに、勝手に展望台に連れ出してリズリーに風邪なんて引かせたら、お前の姉がなんて言うか……」
「うっ、それは……そうかもしれませんが……」
クリスティアは、リズリーを溺愛している。それこそ、精神力だけで洗脳魔法に抗えるくらいには。
ルカもそのことは重々承知しているのだろう。
リズリーもそんなことはないとは言えず、改めて上着を貸してくれたルカに礼を伝えた。
「ありがとうございます、ルカ様」
「礼はいい……って、リズリー! 上を見ろ」
「え?」
ルカにやっていた視線を、空に向ける。
「うわぁ……! これって、流星群ですか……!?」
きらきらする見慣れない星たちが、後ろに長い光の尾を引いてこちらに迫ってくるようだ。
暗闇から溶け出すように現れた流星群に、リズリー目が釘付けになった。
「ああ。近い内に現れるかもとは思っていたんだが、まさか運よく見られるとはな」
「凄いです……! とっても綺麗ですね! ルカ様!」
「……ああ、そうだな」
リズリーのガラス玉のような瞳に、火花のように映る光り輝く流星群。
ルカはそれに吸い込まれるように肩が触れてしまいそうなほどの距離まで彼女に近付いた。
「なあ、リズリー。そのまま流星群を見ながらでいいから聞いてくれ」
ルカはそう言うが、彼の声はあまりにも真剣だった。
リズリーは流星群から、ルカへと視線を移す。
「……四年以上前、参加した舞踏会でお前の言葉に救われた、って前に俺が話したこと、覚えているか?」
「は、はい。もちろんです」
「その時から、俺はリズリーのことが気になっていた。それなのに、再会したお前は何故か呪われていて……今度は俺が、リズリーを助けてやりたいと思った」
だから、迷わず屋敷につれてきたのだとルカは話す。
リズリーは、コクリと頷いた。
「だが、同じ屋敷で暮らすようになって、リズリーの頑張りやなところや、他人のために一生懸命すぎるところ、辛いことを一人で抱えすぎる弱さやなんかを知って……俺はいつしか、お前に対して気になる以上の感情を抱いた」
「!」
「今日、ユラン・フロイデンタールと対峙している時、言ったあの言葉が、その答えだ」
「……っ」
──『俺の大切な人を──これ以上苦しめるな……!!』
ルカが言っている言葉がどれなのかは、リズリーにははっきりと分かった。
だって、あの言葉を聞いた時、リズリーはどういう意味なのだろうと不思議に思ったから。
そして、心の奥底で、自分が思うような意味合いであったらと、望んでいたから。
「リズリー……俺は──」
「っ、ルカ様! 私からも、言わせてください」
リズリーはルカの言葉を遮った。
どうしても……どうしてもこの言葉だけは、この気持ちだけは、自分から伝えたかったから。
「私……」
呪われてから悲しみに暮れていた毎日に光が差したのは、ルカが手を差し伸べてくれたからだった。
彼がいなければ、今頃リズリーはまだ闇の中にいただろう。
一人ぼっちのおはように苦しみ、一人ぼっちの食事に悲しみを覚え、家族にも職場の仲間にも友にも嫌悪され、嘲笑され、存在を否定され続け……。
いつ、心が壊れてしまってもおかしくなかった。
そんな時、ルカは助けてくれた。
彼は四年前のことで自分が救われたからと言うが、リズリーからしてみれば、あの時に大丈夫かと声をかけてくれただけでも恩返しは十分だった。
それなのに、ルカは屋敷に連れて行ってくれた。シルビアやバートン、ジグルドやゼン、ミリアムや彼女の両親……さまざまな人々との関わりをくれた。
人の温もりを、人の輪に入れる幸せを思い出させてくれた。
その上、解呪の方法を探すのを手伝ってくれて、クリスティアの洗脳魔法も解いてくれて……最終的には、呪いから解き放ってくれた。
闇夜に光り輝く流星群のように、リズリーにとってはルカが、光そのものだった。
「私……ルカ様が好きです」
ぶっきらぼうに見えて実はとても優しいところも、仲間思いなところも、照れた顔も、時折魅せるくしゃりと笑った顔も、全て。
「ルカ様のことが、大好きなんです」
たとえもう、傍にいられないとしても、仮初の婚約者として、彼の隣に立てないとしても、どうしてもこの気持ちだけは伝えたかった。
ルカにとっての大切が、リズリーとは違っても、どうしても、この気持ちだけは、と……そう思っていたのに。
「……っ、リズリー」
「えっ」
ルカの大きな手が伸ばされ、リズリーの頬に優しく触れる。
そして、気付いた時には柔らかなそれに唇を塞がれていた。
(え……!? え……!?)
それは、ほんの一瞬の出来事だったけれど、確かに現実だった。
唇が離れ、やや驚いた顔のルカの顔が見える。
なぜ貴方がそんな顔をしているの……? というリズリーの内心の疑問に答えるかのように、ルカは言いづらそうに口を開いた。
「その、すまない」
「あ、あの」
「まさか、リズリーも俺と同じ気持ちだとは思わなくて、感極まって抑えられなかった」
「えっ」
(それって……つまり……)
緊張やら恥ずかしさやら嬉しさやらで、頭が上手く働かない。
ぼんやりしているリズリーの手を、ルカは壊れ物に触れるかのように優しく握り締めた。
「順番が逆になってしまって悪かった。……俺は、リズリーが好きだ」
「……う、そ……」
「嘘じゃない。無事解呪ができたら、この気持ちを伝えようとずっと思っていた。仮初の婚約は破棄し、本当の婚約者に、なってほしい」
「……っ」
呪いが解けるまでと決められた、仮初の契約婚約。
偽りでもルカの傍にいられるならばと、呪いが解けなくてもいいのにと考えたこともあった。
けれど、すぐにそんな自分の浅はかな気持ちに蓋をした。きつく、きつく、蓋をしたのに。
「本当に……? 私、呪いが解けてもずっとルカ様のおそばにいて良いんですか……?」
「むしろ、いてもらわなければ困る。ずっと傍にいてくれ、リズリー」
「っ、はい……!」
その後、二人はどちらからともなく再び口付けを重ね合った。
降り続く流星群だけが、そんな二人を見つめていた。




